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2021年11月18日

カテーテル検査は断れる

脳溢血を起こすと

医師はカテーテル検査をしたがる。

もちろん、それが必要な時もある。

しかしながら、その限りではない事は

決して少なくない。

「今、それは必要ですか?」

この一言で引き下がる医師もまた

決して少なくない。

カテーテルはリスクが伴うもの。

避けられる事は極力避けたい。

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2021年07月22日

こんな暑い時期だった

S氏が脳溢血で倒れたのは

こんな暑い時期だった。

その日も休日で

いつも通りのトレーニングを済ませ

シャワーで汗を流し

冷えた缶ビールを流し込み

リビングでくつろいでいた。

症状が現れたのはその時だった。
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突如として身体の自由が効かなくなり

ろれつもおかしくなったのである。

すぐさま異変に気づいたS氏は

側にいた家族に救急車の要請を依頼。

そのまま三ヶ月の入院を余儀なくされ

左半身の不自由と闘うこととなった。

私には脳出血の発症要因はわからない。

ただ、それは一つではなかっただろう

と思っている。

いくつかの必然と

いくつかの偶然が重なった

そう解釈している。
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その中でも、発症したのが偶然に自宅で

家族が側にいる状況であったことは

不幸中の幸いと言うべきか

それとも、もっと素直に

複数の偶然が同時に重なって起きた

超奇跡的な強運の持ち主と言うべきか。

あれから三年…

S氏は今も杖と車椅子が放せない。

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2021年04月06日

現状維持という名の後退





S氏が退院して二年が過ぎ

日々の生活がリハビリとなっている。

大きな進歩としては

四足杖から一足杖になったこと。

歩行速度は決して速くはない。

左半身の不自由さは相変わらずの様子。

コロナ禍でお目にかかる回数が

激減したことで、S氏の変化が良く分かる。

いつも見ている方が変化に気づき難い。

S氏はトイレは介助無しで出来るけれど

前後の服装の状態を見る限りでは

介助が必要性が伺えた。

身体の機能状態としては現状維持

といったところなのだろうけれど、

年齢と体力を考慮すると、現状維持ではなく

後退という言葉の方が適切なのだろう。



2021年01月20日

同じでも違う結末





脳溢血という言葉の意味は

広義である

調べると、いわゆる「脳卒中」である

とあり、

脳卒中と言ってもいくつかに分類される

脳梗塞、脳出血、くも膜下出血、

一過性脳虚血発作…と、さまざまです。

なんとなく「脳内出血」系なのかな…と

勘違いしそうですが

脳梗塞となると「真逆の症状」とも感じる。

私の父親は脳梗塞で左半身麻痺となり

15年に及ぶ介護生活の中、

三年前に他界した。

知人であり恩師でもあるS氏は

二年前の脳出血を経て

左半身が不自由となった。

いずれも介護生活を余儀なくされた。

しかし、違うケースももちろんある。

極論は「死」である。

先日、昔からの知人が脳出血で他界した。

入院して約一ヶ月で帰らぬ人となった。

病名は同じでも結末が異なる

これが現実。



2020年09月02日

発症から二年





しばらくこの記事に触れなかったが

脳溢血で倒れたS氏のその後は
 
決して順調ではなく

大きな変化を得られないまま

二度目の秋を迎えようとしている。

左腕は90度に曲がったまま。

杖ありの歩行は幾分スムーズになったが

劇的な進歩はない。

奇跡の復活を目標に掲げたS氏も

現状維持するのが限界、と

半ば覚悟を決めているかもしれない。

御歳65歳

現代社会では若い部類の高齢者だ。

まだまだ回復の可能性は秘めている。

S氏は諦めてはいない筈だ。



2019年09月17日

二度目の冬が来る前に

S氏の近況を知らない

意図的にではないが

連絡をとらなくなって2か月以上経った





筋弛緩剤を利用した治療方法を導入

したのが5月

当時は肩の痛みが取れた等

すぐに効果が現れたものの

辛抱強くリハビリに励むことで

効果が望まれる。

その後も順調に治療が進んでいれば

腕肘肩から脚へと進むはず

握ることのできない左手が

回復傾向になれば

歩行レベルが格段と上がることが期待できる

人間の身体の一つ一つが

バランスよく機能して

初めて日常生活が成立していることに

気づかされる。

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2019年03月25日

連絡取らず

S氏と連絡をとらなくなって2か月以上が経った

退院して一週間後に連絡をとったきり

厳しい寒さは無くなり

幾分生活も楽になりつつあるだろう

約半年間の病院生活から

ほぼいきなりの自宅生活

一番こたえていたのは寒さ

病院内はどこもかしこも一定の温度で保たれている

それに対して

自宅はその限りではない

S氏の自宅は大きくて広いが少々古い

リビングを暖かくしたところで

ひとたび部屋を出ると一気に冷気を感じる

その寒暖差も身体に決して良くはない

寒さ次第ではリハビリも思うようにはいかないだろう

あえて連絡をとらなくしているという事もあるが

なんだかんだで気になる

良く夢にも登場する

父の一周忌法要が終わるまでは

こちらからの連絡は取らないようにしている

余計な気を使わせないように・・・と

私が一番気を使ってしまっているのかもしれない・・・

特にこの季節は・・・色々と重なっている・・・

ほとぼりが冷めてから顔を出そうか・・・と

恐らくS氏も父の一周忌には気付いているだろう


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2019年01月29日

父のシャワー椅子

4月に他界した父の遺品の一つ
シャワー椅子

我が家には3つのシャワー椅子が遺されていた。

一つは浴室用
一つは脱衣所用
もう一つは多用・・・玄関やリビングで臨機応変に使用していた。

父が施設に入所して以来
一時帰宅はするものの滞在時間は2〜3時間が主だった。
玄関用とリビング用
使用するのは二つだけだった。

それら三つのシャワー椅子をS氏に使用してもらっている。
さぞかし父も喜んでいることだろう。
S氏からも重宝していると喜びの声が届いたばかり・・・

・・・感無量・・・

捨てずに保管しておいて良かった。


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2019年01月16日

父親のシャワー椅子

S氏の退院まで一週間を切った。

要約ここまでたどり着いた。

これからは自宅での療養というよりは

自宅でリハビリという形になる。

勿論、週2度のペースで外来リハビリ通院もある。

とりわけ問題は寒さである。

S氏の自宅は昔ながらのつくりで敷地も広いお屋敷なので、

ひとたび廊下に出ると深々と冷えた空気が待ち構えている。

それは風呂場でも同様。

脳出血の不安も抱えているS氏にとって

血圧の急上昇の要因は少しでも減らしたいところだ。

病院とは違って温度管理はされていない自宅は寒さが厳しい。

まずは自宅での生活リズムを整えることが先決ともいえる。

実際、自宅でのリハビリには危険が多く潜んでいる。

転倒などして怪我をして再入院という話は珍しくない。

自宅内での移動は要所要所に椅子があると便利である。

父がそうだったように。

S氏に父が使用していたシャワー椅子の話をしてみた。

やはりご本人も椅子の必要さは感じていたようで、

父が使用していたシャワー椅子をお持ちする予定だ。

父のシャワー椅子がS氏に使ってもらえるとすれば

こんなに嬉しいことはない。

父もきっと応援していることだろうと感じる。


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2019年01月09日

退院射程圏内

長い道のりだったというのは私の印象

S氏本人はとても早かったと語る

客観的に見ている他人の私と

日々リハビリに励んできたS氏との決定的な差

少しづつ・・・ほんの少しづつの変化は

5か月という日々を経て

大きな変化となって現れている

一番大きな変化は「精神力」

S氏の精神力が自分自身を支え続けた

新年明けてからはまだ顔を見に行っていないが

年末時点でも相変わらずお元気そうで

全てに対する意欲にありふれている表情だった

何にも負けていないと感じさせる精神力

見舞いに行ったこちらが圧倒されてしまった・・・


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2018年12月03日

5%

S氏の身体が脳溢血発症前に近い状態に戻る確率

5%という確率が高いか低いか

人によってまちまちだろう

病前に近い状態に回復するまで2年...3年

もっとかかるかもしれない

それでも目標は一つ

もとの身体に戻すということ

思い返せば8月

S氏の入院を知って駆け付けたあの日

S氏の表情を忘れることは出来ない

身だしなみには人一倍気をつけていたS氏

そのお顔には無精髭が・・・

目つきも私の知っているS氏のものではなかった

ただ呆然と・・・一点を見つめていた

いまではすっかり以前の表情に戻り

目つきも生き生きとして来た

今では、その5%と言われている枠内に入ることは当たり前

そんな雰囲気に包まれている

その気迫に

何の不自由もしていない私が圧倒されてしまう

応援しているはずの私が

S氏から勇気をもらう・・・

嬉しいような・・・悲しいような・・・

不思議な感覚


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2018年12月01日

装具

S氏の身体の回復はまずまずの調子

一週間に一度のペースでのお見舞も

気づけば12月となっていた

私にとっては「もう12月」でも

S氏にとってはどうだろうか・・・?

リハビリも順調に進んでいる

自分専用の装具も出来上がったようで

その立派な装具を見せてもらった

見た目よりも凄く軽くて驚いた

膝下から足首を固定しなければ

膝に力が入らずに転倒してしまう

その為にも今は装具が必要

そしてその装具も個人に合ったものが必須

靴選びとどこか似ている

新しい装具を着用してのリハビリは

とても調子が良く

歩行訓練中の身体への負担までも軽減される

石こうで脚型を取り

精巧につくられた装具

今はやせ細ってしまった左脚

その左脚に筋肉が付けば装具は合わなくなる

しかしながら、筋肉が付いた時は

左脚の筋肉が回復してきた証拠であり

それは装具の卒業を意味する

装具との付き合いは一時的なものだと信じている

目先の目標は退院であるが

S氏が再び杖なしで歩行する姿を早く見たい


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2018年11月24日

杖歩行で階段昇降

S氏がリハビリ開始して3か月

初めて歩行訓練している光景を拝見した

4点杖を使用して歩行する姿は

私の知っているS氏ではなかった

全てが衰えてしまい

介助が無ければ転倒してしまうかもしれない

そんな不安が一瞬過ぎる歩行レベル

杖に頼っている感が強いという印象を受けた

広いリハビリルームでは十数人の患者さんがそれぞれ頑張っていた

マッサージを受けている患者さん

脳トレのような訓練を受けている患者さん

S氏と同様に歩行訓練を受けている患者さん

杖なしで階段の昇降訓練をしている患者さん

そしてその患者さんを見守るご家族の方々

その中の一人としてS氏が訓練している光景は

なんとも受け入れがたい光景だった

それでもこれが現実である

一瞬、S氏が私に気付く前にその場を去ろうと考えた

S氏も私に見られたくないだろう・・・と考えたからである

が、そこは踏みとどまることにした

目を逸らしてはいけないと考えたからである

S氏が休憩している所に顔を出した

いつもの表情で迎えてくれた

今日初めて階段の昇降訓練を開始したらしい

そんな貴重な瞬間に立ち会えて光栄である

訓練用階段の段差は大きく3種類に分かれていて

患者さんのレベルに合わせた段差が設定されていた

S氏は15センチの段差から始めていた

動きの不自由な左脚が思うように付いてこない

昇る時は右脚から踏み出すが、不自由な左脚が時折引っ掛かるようになる

降りる時は不自由な左脚から降りる

バランスが取りにくく

後ろに倒れそうになっているのが良く分かった

それを付き添いのトレーナーが支えている

今回は昇降訓練を合計3往復試した

やはり回数を重ねるごとに違いがみられ

3度目が一番スムーズだった

このままいくと退院予定は年明け1月の半ば

年末の一時帰宅期間を換算すると

実質訓練期間は残り一ヶ月ほどである

このまま順調に・・と願うばかりである


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2018年11月16日

年内退院ならず

悔しいが仕方のないこと

一番悔しいのは本人

私が悔しがったところで何が変わるわけでもない

リハビリに尽力したS氏はやれるだけの事をやってきた

2回目のカンファレンスで予定した2019年1月中旬退院

何とかして年内退院にこぎつけようと奮闘していた

3回目のカンファレンスに一縷の望みを掛けていたが

目標に一歩及ばず・・・であった

しかしながら収穫もあった

少々無理やりな目標を設定した影響もあり

回復力に更なる拍車がかかった

リハビリは健常者が取り組む筋トレとは訳が違う

効果の現われ方もそうだが

かなりの痛みを伴う

乗り越えなければならない壁は多い

ここまでの頑張りでマイナスになったものはない

全てがプラスに転じている

自宅に戻れば次なる試練が待ち受けている

病院と自宅の環境の変化について行かねばならない

その為にも

環境の良い院内で大方の事が出来るようになる必要がある

目指せ完全復活

S氏の復活劇はこれからである


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2018年11月08日

精神力

入院して105日

S氏の闘いはまだ前半戦

ここまでの苦難は計り知れない

眼からは活力を失い

身体全体から出ていた独特のオーラも消えていた8月

私がS氏の入院を知ったのは

入院して3週目の事だった

知ったその日に病院へ駆けつけた時のS氏の印象である

あれから3か月

見る見るうちに持ち味の強い精神力を蘇らせ

今は年内退院を目論見ながら

リハビリに躍起になっている

例え短期間でも

人はここまで変貌する

良くも悪くも・・・だ

S氏の気持ちの落ち込みから

回復までのスピードがとても速く感じられた

改めてポジティブなものの捉え方の大事さを知った

本当に強いお方なのだ・・・と

「人間、最後は精神力だ」

S氏が言い放った言葉は生涯忘れることはないだろう


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2018年10月31日

杖で往復5分

S氏の部屋が変わった

これで3回目

部屋が変わるのが刺激となっているか

相次ぐ環境の変化がストレスとなっているかはわからない

しかしそんなことは気にしていられない

今するべきは一つだけ

リハビリに専念し年内退院にこぎつける事だ

ひそかに内に秘めた強い目標を掲げ

日々リハビリに専念しているS氏

部屋が変わったことで

集いの場として利用している食堂までの道のりは遠くなった

身体の機能回復に反比例するようにして

ナース室と病室の距離は開いていく

手の掛かる患者さんほどすぐに駆け付けなければいけない

だから病室がナース室から離れることは順調に回復している証拠でもある

まだ4点杖ではあるが

その遠くなった道のり(廊下)をリハビリとして歩いている

直線で50メートル・・・いやもう少しあると思う

その廊下の往復に係る所要時間は5分

驚いた

そこまで回復しているとは・・・

正に、目標に向かって突き進んでいる


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2018年10月29日

気合は十分だが、気負いが気になる

S氏の回復は順調だ

かなり良いペースで進んでいると思われる

彼の精神力と元々の運動能力からしても

一般の・・・平均的な回復力を大幅に上回る成果を出すだろう

そう期待しているし、そう信じている

そしてその期待をいい意味で裏切るのがS氏

私の予想以上の結果を出している

少なくとここまでは・・・

捕らぬ狸の皮算用になってしまうが

このままのペースで進めば年内退院が見えてくる

S氏本人がそこに照準を合わせて頑張っていることを

私は知っている

お互いにそのことに付いて言及しないが

会話の中でその想いがビリビリと伝わってくる

そしてS氏本人も何らかの手ごたえを感じ始めている

彼が心底頑張っているのも知っている

だから私は「頑張ってください」という言葉を発せない

帰り際はいつも握手してくれるS氏に対して

「また来ます」・・・と気の利いた言葉も発せないでいる

何としてでも年内に退院するんだ

という想いが強すぎて「気負い」さえ感じる

だから余計に「頑張って」が使えない

S氏の強さは私の想像以上で

私の力量では測れない

私にできることは限られている

時々こうして顔を見せて話を聞くこと

それだけ


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2018年10月23日

目標は一本杖

S氏の明確な目標が決まった

年始早々退院の目標で計画が作成された

あくまでも現時点の状況が基準となっている為

今後の状況次第では多少前後するだろう

しかしながら、病院側も何万、何十万人という患者を診ているだけに

その読みには大した誤差も生じないだろうとも思える

目指すは一本杖での歩行が可能になること

しかし、恐らくS氏の中ではそれは最低目標だろう

間違いなく杖なし歩行を目指しているはずだ

筋肉が吸い取られたようになくなってしまった左脚

それはズボンの上からでも容易に見て取れる

本人が一番ショックなのは言うまでもないが

以前の姿を知っている私にとってもショックを隠せない

スポーツ万能で筋肉隆々

その面影はまだかすかに残っているが

それは上半身であり

下半身は車椅子生活3か月ですっかり衰えてしまった

その下半身の筋力を少しでも復活させたい

しかしその筋力回復にブレーキをかけているのが食事である

塩分、糖分、カロリー全てに制限があり

あまりの味気の無さに食事を残すこともしばしばという

これでは必要な栄養が十分に行きわたらない

脳卒中患者に血圧を管理する必要があるのはわかるが

なんとも効率が悪いというか

歯痒い

私がそう感じているのだから

S氏本人はその何十倍も何百倍も感じていることだろう

兎にも角にも

一本杖で歩行が目標

来月11月のカンファレンスで

担当医師たちを驚かせてやりましょう!

S氏の本当の希望は年内退院

まだその目標が絶たれた訳ではない


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2018年10月18日

父は本当に幸せ者だった

S氏の回復力は凄い

始めは少しずつだった回復は

ここ数週間で劇的な変化を遂げている

椅子に座った状態から左腿を上げることが困難であったはずのS氏だが

ほぼ一週間で上がるようになっていた

それもいとも簡単に上げることが出来ている

まだ歩行には杖と補助がいなければ不安が残る状態ではあるが

このままいけば今月内に自立歩行が可能になるのではなかろうか

左肩の可動範囲も同様に

かなり期待の持てる状況に見える

しかしながら・・・

ご家族の反応は渋い

会話から読み取れるのは「拒絶」

介護に対する拒絶だ

S氏本人は年内退院を目指して奮闘している

それに対してご家族は厳しい意見

完全に歩けなければ退院できない・・・とか

左手が動くようにならなければ・・・とか

介護が必要な状況では退院されても困る・・・そういった心の声が聴こえてくる

その気持ちがわからない訳ではない

私が口出しするものでもない

ただ想う

父は幸せ者だったと

母は拒絶せず

拒むこともせず

ただひたすらに父を介護し続けた

それが当たり前であるかのように・・・

いつしか私もそう思ってしまっていた

母の行動は当たり前なんかではなかった

物凄く勇気のいることで

愛情の溢れる母の想い

それは・・・父の為ばかりではなく

子供たち・・・つまり私たちの為でもあったのだ

改めて尊敬する

そして我が母を想う

父を想う・・・


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2018年10月15日

麻痺の回復

麻痺と15年以上闘い続けた父

父の左半身麻痺はリハビリにより一定の効果が得られたものの

長期的視野では回復することは無かった

年々衰えていく筋力と

進行して行った半身麻痺

いつしかどこかで諦めていた父の回復

父より先に他界した母がどう思っていたかは

もう知る由も無いが

少なくとも私は諦めていたと言い切れる

今回S氏が脳卒中で倒れ

父と同じ左半身麻痺の状況になり

その姿を拝見した時は、正直「父と同じだ」と感じた

それは心のどこかで「父と同じ道を辿るのではないか」

という一抹の不安が過ぎったことを意味している

父の場合、右脳の機能の殆どが失われていた

絶望的だった

それに近しい感覚をS氏と重ね合わせてしまったことは

とても失礼極まりないことであったと反省している

脳は新たな神経回路をつくりだす

右脳の機能が奪われた以上

元通りの身体に戻ることは難しい

しかし元の身体に近づくことは出来る

右脳にできないことを左脳がフォローすることにより

回復が可能になる

人間の脳に限界は無い

そもそもで、現代人の脳は数パーセントしか使われていない

例え片方の脳が失われたとしても

残された一方の脳がカバーすることは何ら不思議なことではない


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