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2022年02月08日

ムセこむ咳は年齢と共に

食事中にムセこむと

酷く苦しい思いをする。

ちょっとした拍子にそれは発生する。

コロナ時代となった現代、

外食先でのムセこみは気まずい。

私も比較的ムセこむ事が多いと思っている。

私のそれは、食事中よりも平時に起きる。

平時とは、飲み食いをしていない時。

唾の嚥下でムセこむ。

稀ではあるけど、他人よりは多いと思う。

特に、就寝中のムセこみは困る。

年齢を重ねる毎に

少しずつ増えている回数。

誤嚥性肺炎という言葉を聞くと

ドキッとする。

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2021年07月19日

食欲はあっても食べられない癌

父親の癌闘病は生き地獄。

食べたいのに食べられない日々。

食道癌は手のつけられない状態で

飲み込んだものが通らない状況だった。




嚥下したものはすべて逆流する。

唾液でさえもそうだった。

そのため、父は常に肺炎のリスクと

背中合わせの状態だった。

父は誤嚥性肺炎を三度味わい

三度目に他界した。

とても苦しそうだった。

せめて最後に

美味しいものを食べさせてあげたかった。

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2021年04月06日

タバコと酒と親父と癌と





タバコの煙をとてもストレスに感じる。

これは幼少時期からの積み重ねで

脳裏と身体に焼き付いている。

原因は親父で、物心ついた時から

家中タバコの煙で覆われて、

親父の後のトイレは息が出来ないほど。

毎晩のようにタバコと酒を呑んでいた。

親父の口からはいつも嫌な臭いがした。

アルコール依存で数回の入退院を

繰り返していた親父。

私の幼心にも、いつしか親父が癌になる

という心配をするようになった。

肺癌になるか、肝臓癌になるか

その二択だった。

そしてその子供心の素人予測が

的中することはなかった。



2021年03月07日

父親の香り

歳を増すごとに

体臭がきつくなる。
 
俗にいう、加齢臭。

私自身、それは感じる。

初めて自分に感じた「親父臭」は

中学生の頃だったと記憶している。

あれから三十数年、

しっかりと親父化し

現在進行形で進化しています。

父親から感じた体臭、口臭は

今でも思い出せる。

特に口臭は思わず顔を背けたくなる程

私にはきつい臭いだった。

入れ歯の影もあったのだと推測するが

いずれにしても、それが父親の香りだった。

車椅子を押していると、

常に下から父親の香りが漂う。

あの中に、「癌の臭い」って

あったのかなぁ。



2021年01月23日

動く父





それはまだ母が生きていた頃

姉が撮影した父の動画がある。

当日の私が使用していた携帯電話は

旧タイプのもの、

いわゆる''ガラパゴス携帯''だった。

今のように手軽に撮影する事をしなかった。

あの時手元にスマホがあったなら…

などと嘆いても始まらない。

今は姉が撮影してくれた動画が

存在することに感謝している。

スマホの中では懐かしい父が動いている。

何気ないたった27秒の中にドラマがあり

無表情の父と笑顔の父が混在している。

強くて元気だった頃の父の想い出よりも

病気を患って不自由になった父の

想い出の方が濃く残っている。

変わらなかったのは

決して多くを語らない人だった。








2020年04月22日

誤嚥性肺炎で死亡の父が





末期の食道癌に侵されていた父が

他界したのは2年前こ春。

食道癌が原因で日常的に誤嚥が起こり

誤嚥性肺炎で他界した父。

それがもしもこの最中に起きていたら…

そう考えるとゾッとする。

いろいろ処遇が違っていたことだろう。

当時、父は39度を超える熱にうなされ

痰が絡み、息苦しそうだった。

レントゲン写真に写った肺には

白い影が映り

典型的な肺炎だった。

コロナウィルス渦中だったら

病院はどのような対応だっただろう、

お世話になっていた介護施設は…

そして何よりも私自身はどうだっただろう、

想像するとすべてが怖い。



2020年04月17日

儚くて尊いもの





別れてというものは

準備ができている時と

そうでない時があって

そのどちらも悲しい。

私は未だにそのどちらが良いのか

答えが出せないでいる。

母親はある日突然倒れてしまい、

その1年後に他界した。

父親もある日突然脳梗塞で倒れたが

それから15年以上生きた。

当初は母親よりも父親が先に逝くと

考えていたのにもかかわらず

結果はその真逆となった。

勿論準備は出来ていなかった。

人の命の儚さを思い知った。

それからの父親のことを思うと、

命と言うものが尊いものであると

思わずにはいられない。

私を産み、育ててくれた両親。

両親がそれぞれ死する瞬間を

見届けることが出来た私にとって

命がとても儚いものであると感じた。

しかしその2つの命が与えてくれたものは

とても尊くて大切な物事ばかりで

無駄な物は何一つなく

嫌だった想い出もすべてが

美化されて行く。

不思議な心理状態だと思う。

一次はあれほどに憎んだ父親でさえも…



2020年01月30日

がんのシグナル





ある日を境に

父の入れ歯が合わなくなった。

歯科医いわく、

入れ歯とはそういうものらしい。

口内環境は日々変化するらしく

定期的に検査して

必要に応じてリサイズしたり

仕立て直ししたりする。

思い返せば父の使用していた入れ歯は

当時、母親他界前から思い返しても

4年以上そのままであった。

父が入所していた施設に

急いで歯科医を手配してもらった。

しかしながら、仕立て直しの調整が

上手く行かず四苦八苦。

半身麻痺の父親とのコミュニケーションが

上手く取れないことが一番の要因。

この一連の流れ…

これがすべて「がんのシグナル」だった…

父は末期の食道がんで手の施しようがない

手遅れの状態だった。

入れ歯が合わなくなったのは

急激な体重の変化が原因。

実際、父親が痩せてきていることは

気がついていたのだか

病的な痩せかただとは思わず

なんとなくスルーしていた。

それは入所施設の専属看護師も

気づくことが出来なかった。

ただそれが父にとって不運だったのか否か

それはわからない。

父は病気治療や手術が大嫌いで

そもそも大の病院嫌いの人だった。

治療の術がなかったことは

父にとっては不幸中の幸いだった

のかもしれない。



2020年01月18日

気づくタイミング





早期発見

そのきっかけは様々で

定期的に人間ドックに通う人…

たまたま別件で立ち寄った病院で…

家族等周りの人に指摘されて…

何らかの自覚症状が出て…等

私の母は自覚症状はあったと推測され

しかし病院に行くに至らなかった。

結局職場で倒れて緊急入院した。

肺がんだった…

父の場合は入所先で誤嚥性肺炎となった。

それがきっかけで入院し

検査でがんが発見された。

食道がんだった…

早期発見のタイミングは何時だったのか

それを知ったところで

どうにもならない。

父の場合は明らかに痩せ始めた

その変化に気づいたものの

病気を疑わなかった。

母の場合は昔から疲れやすい体質で

年間を通して定期的に身体の不調を

訴える習慣のある人だった。

だから、と言うと言い訳にしかならない

けれどもやはり病気を疑うに至らなかった

少なくとも「がん」とは考えもしない

すなわち、私の両親に関しては

家族が気づいてくれる環境とは

程遠い環境に居たといえる。

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2018年08月29日

独り癌と闘った父

父の苦悩はいつからだったのだろうか

若い頃からアルコールが体内に入っていないといられない状態で

幾度となく入退院を繰り返した父にとって

いつの時代が幸せであったのだろう

少年時代か・・・それとも青春時代・・・

はたまた母と結婚してからの新婚時代だっただろうか

ひょっとしたら母に介護してもらっていた十数年間だったのかもしれない

先日もそれに近い回想をしたが

やはり今となっては何も知り得ることはできない

脳梗塞で入院した時

動かない左足を右手で叩き続けていた父の姿を今でも覚えている

あの時から父の新たな闘いが始まっていた

母も共に闘ってくれていたことは父にとって大きかっただろう

その母が居なくなって

父はより一層孤独感に包まれていたことだろう

ひょっとしたら自分の身体の異変に気付いていたのかもしれない

だとしたら父は新たな不安と違和感と痛み?!と闘い続けていたのだろうか

父が癌と闘った期間は不明だ

少なくとも自覚症状を感じてからは

癌との孤独な闘いが始まっていたはずだ

誰にも伝えることも出来ず

誰にも理解してもらえず

ただ独り・・・癌と闘った父


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2018年06月15日

食道癌が判明するまでの誤嚥性肺炎3か月

食道癌を患っていた父

そのステージは最終段階まで達していた

父が食道癌だという事に気付かせてくれたのは

誤嚥性肺炎の発症だった

それが昨年末の出来事だった

連絡が来たのは丁度、年末年始休みに入った初日

当時はまだ誤嚥性肺炎だという事には気付けず

処置も施設内で対処していただいた

高熱、低血圧、顔面蒼白

それら症状は一過性のものであるという判断だったし

私自身もそう思っていた

そこから遡ること二年前

市から「肺炎球菌予防接種」補助の連絡が紙面で届いた

確か2000円くらいの負担で接種を受けることが出来る旨の連絡だったと思う

一応父に伝えたのだが

根っからの病院嫌いの父がそれを承諾するとも思ってはいなかった

あの時・・・無理やりにでも接種させておけば・・・

そんな後悔の念が消えたのは

奇しくも父の誤嚥性肺炎の原因が「食道癌」であると知った時だった

食道を塞いでしまった腫瘍が食物の通りを悪くして

逆流した食物が肺に入り込んでいた

ステージは最終期に達していたことと

発生部位が食道の入口に極めて近いということから

治療の余地は無いという判断だったが

それでもご家族が希望すれば癌センターを紹介しますとのことだった

・・・3か月前に判明していたら何か治療の手段はあっただろうか

治療は摘出手術だったのか、抗がん剤治療だったのか、

それとも放射線治療だったのかはわからない

ただ、いずれにしても病院嫌いの父が治療を受け入れたかはどうかは疑念が残る

ひょっとしたら

父にとって治療の余地があることの方が辛いことだったのかもしれない


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2018年06月14日

食道癌になった父はウイスキー愛好家

食道癌が原因で他界した父は

アルコールが大好きな人だった

アルコールを体内に取り入れると

発がん性のあるアルデヒドが呼気中に発生する為

喉頭がん・咽頭がん・食道癌になるリスクが高まる

父はアルコール度数の強いウイスキーが大好きで

薄めずそのまま口にしていることは少なくなかった

そんな父が食道癌になったのだから仕方のない出来事・・・

と思いたいのだが

父は15年以上前にアルコールを絶っている

それは脳梗塞発症がきっかけであった

結局のところ

アルコールと食道癌の因果関係は不明

ただ

父が食道癌で他界したという事実だけが残っている


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2018年05月20日

錯綜した3ヶ月

父の死因は食道癌

食道が腫瘍で塞がれていて

行き場を失った食物や水分が逆流

気道から肺に入り肺が炎症を起こしていた

事の始まりは昨年末のこと

顔面蒼白、血圧低下、高熱という順で父の容態に異変が起きた

食事後の肺の音が気になるというナースのご指摘もあり

3日入院して嚥下のVR検査を受けた

当時の目的はただ一つ

父に口から食事を摂らせてあげたいという気持ちのみだった

水分も栄養もすべて点滴から・・・という状況から

いち早く脱してあげたい一心でした

嚥下VR検査では嚥下時の反応が低下しているという事が解り

誤嚥性肺炎を起こしていたという事も解った

それから2週間後父は再び入院

救急車で運ばれての緊急入院だった

原因はやはり誤嚥性肺炎

高熱にうなされて苦しそうで辛そうな父

飲まず食わずが続いている父に

何としても食事を摂らせてあげたい

体力をつけるには点滴よりも食べさせたかった

二度目の入院後に再び受けた嚥下のVR検査では

食物が逆流してくるという状況を確認

検査は途中で急遽中止となり

後日内視鏡検査を受けることになった

何がなんだかわからず

早く食べさせてあげたいという気持ちへの焦りが

日に日に色濃くなっていた

検査を受けて2週間後の知らされた事実は「食道癌」

父が他界する3週間前だった

情報が・・・私の想いが・・・いろんなことが錯綜した3か月であった


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2018年04月05日

父が逝去しました

みんなに囲まれて・・・


病室のベッドの上


半開きの目の向こうで


黒目が四方八方に動いていた


最期の最期を迎えた時


ベッドの両脇には


私と姉がいた


意識がない中


父は最後に涙を流した


とうとう父も逝ってしまった


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2018年04月02日

転院はできそうにない

二日に一度のリハビリケア

週に二度の入浴

散髪サービスもあり

色々と期待していただけに

転院が叶いそうにない状況となってしまった今

残念な思いは強い

父は今、生と死の境を彷徨っている

生きる力の強い父は

今現在も頑張ってしまっているように見えてしまう

もう、頑張らなくてもいい・・・

父を目の前にその一言が言えなかった

「オヤジ!」
「色々とありがとう!」
「色々とごめんね!」
「生意気なせがれでごめんね!」

色んな言葉を掛けた・・・

その一言以外は・・・

父の最期の場所は

どうやら今いる病室になりそうだ

全く予測していなかったわけではないが

もしそうなったとしたら

何だかとてもあっけないな


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再々発した誤嚥性肺炎で危篤

危篤

もって数日

父の呼吸が荒かったのは

誤嚥性肺炎を発症していた為であった

意識レベルは低下

酸素マスク着用し、現在は3リットルの設定で

血中酸素濃度は97〜100を推移しているが

呼吸が荒く、心拍数は115前後と頑張っている状態

夕方に病院から連絡をもらってからは

久しぶりにバタバタした

母親の時以来の危篤

あの時とはまた違った感じだが

それでも所どころで重なる部分も多い

いちいち母の事が想い出される

父の意識は・・・ない

話しかけても何しても反応はなく

右手の握り返しも全くない

同じ繰り返しだ

心の準備は出来ていた筈が

いざその時が来ると

何が何だかわからなくなりそうになる


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2018年04月01日

荒い呼吸と眉間のしわ

これで何日連続になるだろうか・・・

スヤスヤ寝ている時もあれば

イビキをかいて寝ている時もある

いずれにしても

父は寝ている

そしてその父を起こさずに帰る

そんな日が連続で続いている

一日中病室のベッドの上に居る父にとって

目を開けても景色に大きな変化はない

寝ている方が良いのではないか・・・

最近そう思い始めた

今日もまた父は寝ていた

いつもと違うのは荒い呼吸だった

少々大げさだが100mダッシュした後のような息づかいだった

それでも父の表情はいつもの寝顔

しかし時々一瞬だけ垣間見えるのが

眉間のしわだった

不規則ではあるが

時々表情が崩れる時があった

眉間にしわを寄せて・・・

そしてその表情は辛そうに見えた

苦しいのか

痛いのか

それとも悪い夢でも見ているのか・・・


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2018年03月30日

寝ている方が良いのかも・・・

末期の食道癌

治療の余地は残されておらず

それでも治療を熱望するのであれば

放射線治療であれば選択枠にないわけではない

その時は癌センターを紹介してくれるらしい

今の父に治療なんて考えは毛頭ない

口から物を食べたり飲んだりが出来ないのであれば

辛い時間が長引くだけ

飲みたい・・・食べたい・・・

父からのジェスチャーもなくなった

もう力が出ないのだろう

気がつけば3月も終わろうとしている

年末のバタバタ劇から

もう3か月

色んなことが変わってしまった

父は寝ている

起きている時の父は

何を想い、何を考えているだろう

今の父は眠っている方が良いのかもしれない

沢山の夢を見ている方が良いのかもしれない

その夢に母は出てきているだろうか?

夢の中では食べたり飲んだり

歩いたり・・・山歩き、釣り、

父は夢の中で色んなことが出来ているだろうか?


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2018年03月29日

中心静脈栄養点滴開始・・・していた

末梢点滴だけでは

摂取カロリーが限られている

一日当たり200キロカロリー程度しか摂取出来ないそうだ

父のやせ細りは何処まで・・・

骨と皮に近い状態になったことで

脳梗塞で動かなくなった左腕と

動く右腕の太さがハッキリと浮き出た

父の左腕がこんなにも細かったなんて・・・

掛け布団をまくり上げる度に

その現実を目の当たりにする日々

逞しかった父も

食べ過ぎと運動不足で太った父も

食事制限してスリムになった父も

骨と皮になってしまった父も

目を逸らさず

最期の最期まで看取る

母の看病の時に感じた後悔は

今に生きている

そろそろ中心静脈栄養点滴に切り替えて欲しい・・・

いつから開始してくれるのだろう・・・

たまたまお会いしたソーシャルワーカーさんに訊いてみた

すると・・・一週間前から開始していた

中心静脈栄養点滴は

鎖骨付近から点滴注射すると思っていた

父の場合は、股下からだった

これで今までよりは元気が出るだろうか??


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2018年03月28日

痰が硬いと言われた

父に装着された機械

一体なんだろう・・・と思ったが

すぐに心電図を計測しているという事は理解できた

でも

そこは素人・・・

父に何が起きているのか不安になり

すぐにナースステーションへ向かった

父に何かあったのですか?と訊いてみた

父の痰が硬くなってきた様で

今までに比べると

喉に詰まりやすくなっている状況

心拍数など常に監視してくれているらしい

当の父は・・・というと

スヤスヤと気持ちよさそうに寝ていた

その寝顔を見て

帰宅した

私が子供の頃

父もきっと、夜の子供部屋へ来て

こうして兄姉と自分の寝顔を見ていたのだろう

また来るね

心の中でそうつぶやいて

病室を後にした


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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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