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2022年02月25日

冷え性と癌

年々、歳と共に足先、指先を始めとして

足首、ふくらはぎ、二の腕、

冷え性の範囲だったり冷え具合の

変化を感じている。

癌を患って他界した両親も

身体の冷えを訴えていた。

特に、底冷えがキツかったようで

ある年、床暖房の話を持ちかけられた。

それから5年も経たない内に

母(享年68)が肺癌で倒れ、

更にその2年半後に

父(享年71)が食道癌だ倒れた。

冷え性の人の癌罹患の関係性は

医学的にも立証され、データもある。

ただ、だからといって

両親の癌罹患は冷え性が原因だった

という証拠はない。

他にも疑わしい要因はあった。

ただ、それら他の要因も含めた事象の

殆んどはストレスという言葉で統一できる。

そのストレスの要因を一つ一つ取り除く

ということは不可能なのかもしれないけど、

減らしてあげることはできた。

そしてその努力を私は怠った。

今出来る事から始めれば良かった。

それだけのことだった。

居住空間を心地よい気温に近づける為に…

底冷えを軽減してあげる為に…

私に出来る事は…あった。

でも私は行動に移さなかった。

とても寒い空間に両親を閉じ込めていた、

という事実は変えられない

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2021年04月27日

母の寝不足の悩み

肺がんを患い

脳に転移した腫瘍の摘出と

放射線治療の恐怖と

抗癌剤の恐怖とに怯え

それぞれの副作用に苦しんだ母。

最期まで苦しみもがき続けて息耐えた母が、

癌を患った元凶とは何かを

ずっと考えている。



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2021年02月23日

背中の痛みってどんな感じ





背中が痛い、という症状は危険である

と耳にしたことはございませんか?

例えば大動脈瘤解離という症状は

気になる痛みから激痛まで様々と聞きます。

一体背中のどの辺に痛みを感じるのだろう。

内臓疾患でも背中に痛みを感じることは

多くあるそうですが

先ずもって背中とはどこからどこまで

なのだろうか。

Wikipediaで調べて見ました。

背中とは人間の腹の裏側に位置する部分で

首(頸部)の下あたりから

胴のくびれあたりまでを言うそうです。

私は肩甲骨までは肩だと思っていましたが

どうやら背中の様です。

肩甲骨の下付近に違和感だったり

痛みを感じることが時々ありますが

今後は注視していく必要ありそうです。




2021年01月29日

最近気になる声のかすれ





日常的に、とまではいかないけど

自分の声が違うと感じることがある。

それは''かすれ''と言うより

がらがら声に近いのかもしれない。

痰が出るという感じでもないけど

うがいをしたくなる。

その症状が出るのは

比較的夕方以降が多い気がする。

昨年末に気付いてからずっと

かすれ声のような症状は

改善することも

悪化することもない。



2020年05月31日

癌の予兆





あの日あの時の母の発言は

今でも脳裏にある。

頭から離れないのではなく

思い返せばあの時…という繰り返しが

過去の記憶を取り戻し

新たに上書きされて残る。

だから記憶が鮮明なものとなり誇張される。

母の発言一つ一つに重みがあり

それぞれをいちいち真に受けていれば

間違いなく母の身体の異変に

気づくことができたであろう。

いくつかのヒントはあり

お墓の準備をしたいという相談はその一つ

母の心境こそわからないが

母をそう動かせた何かがあったのは事実。

疲れがひどくて動けないという訴えも

十分なシグナルとなっていた。

いずれも、そこから癌へと結びつけることは

不可能だったと推測する。

少なくとも当時の私には…。

それでは私に何が出来たか?

例えば、お墓の準備を手伝うことは

容易にできた。

身体が疲れ易いと言った母を連れて

病院に何らかの検査に行くことも容易だった

あの時の私に足りなかったものは多い。

心の余裕

単純な優しさ

面倒臭がらないで行動する機動力

そして何よりも

耳を傾けるということ。

なぜ気付けなかったのか…ではなく

気づける準備がされていなかった。



2019年09月04日

癌に強いと人と思っていた

父を食道癌で亡くして1年と4ヶ月

母の時と決定的に違うのは
死を受け入れるまでの時間が圧倒的に速い

母の死から学んだというべきか
慣れてしまったというべきか
自分でも分析するのが難しいが
結果としてそう感じている

その感情とは逆行する形で思う事・・・
それは父がなぜ癌になったか・・・という事

思い返せば父は私が幼少の頃から
アルコール依存症とヘビースモーカーの父親だった

幻覚を見ては暴れ
母を怒鳴り散らした
「毒を入れただろ!」
「裏の家が火事だ!!」

色々なことがあった

肝臓は決して健康な状態ではなかった筈
肺も同様に・・・

心のどこかで父が肝臓癌や肺がんになることを
期待していた自分がいたのだろうか?
そんなことを思ったりもした

しかしふたを開けて見れば
父は食道癌が起因した誤嚥性肺炎で他界した
脳梗塞になり左半身麻痺になったが
自業自得と思っていた。

生命力が強く悪運も強い
そういう人だと思っていた。
そんな父が癌になるとは
母の時とは違った意味で
驚いた

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2019年05月06日

気管支が弱い

父親ゆずり
こんな言い方をしたら
天国の父が怒るだろうか

私は気管支が決して強い方ではない
むしろ弱いと認識している

幼少の頃から
ひとたび風邪を患うと
咳がいつまでもいつまでも残る

長いときは二ヶ月以上
短くても数週間は残る
ただそれは
年齢と共に改善されている
少なくとも
三十代になってからはそう感じる

父は風邪を患う患わないに関係なく
日常的にむせ混むような咳だったり
痰を出したいような咳が多かった

そしてその要因は煙草だと思っていた
真実はわからないままだが
父の気管支があまりよろしくない
という結果論に結びつけていた

父が食道がんになった事との
因果関係としても気になる材料でもある

最近
なんでもないのに
むせ混みそうになることがある

結果としてむせ混まないが
咳をしないと喉元が
こそばゆい

その症状が
父を思い出させる

やはり私も気管支が弱い
そう感じる

2019年04月25日

好物

イチゴが好きだった父
イチゴだけじゃない
甘いものも塩辛いものもそう

コーヒー
緑茶
アルコール
煙草

父を動物に例えたら
なんだろうか?
これといって浮かばないが
雑食だと思う

なんでも食べる
なんでも口にする

特に煙草を断ってからは
食欲が増した父はまるでカブトムシ
そんな例えをしたら
父はきっと笑うだろう

母が他界してすぐの頃
父は突然煙草を欲しがった
何の前触れもなく
私の顔を見ると
煙草を吸う仕草で訴えた

身体にいいことはないからと
拒み続けたが
いざ父がいなくなると
最期に吸わせてあげれば良かった
と考えてしまう

あの時
父が食道がんに蝕まれていると
知っていたのなら
私はどうしていただろうか…

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2019年04月24日

理由探し

いつも気づくと理由を探している
そうやって何十年と過ごしてきた

理由を探している時
ほとんどの場合
現実と向き合おうとはしていない
それは
その癖は現在も変わらない

辛いことがあった時
悲しいことがあった時
悔しい時も
怒りを覚えた時も

常に理由を探していた
その原因と思われる事象を
探し求め
それに当てはめて
それらのせいにしてきた

理由付けは容易い
自分を正当化するための
理由付けは特に容易い

母の事
父の事
あの日も
理由を探して
自らを納得させて
逃げてきたんだと思う

多くの物事には
次がある
だから反省して
次に活かせばいい

だけれど
母も父もこの世にいない

次はない
だからなのだろうか
理由ばかり探し求めてしまう

それを思い出す度に…


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2019年04月17日

無言の恐怖

始まり
異変を感じ取ったのは
いつだっただろうか。

喉元の通りが不快に感じた
だろうか。

どこかに痛みを感じていた
かもしれない。

二度に渡る脳梗塞発症は
体の不自由だけでなく
言葉を発する自由をも奪った

伝えられないという現実は
歯痒いとか
イライラするとかだけでなく

時に恐怖を感じていたかも

そう思うと居たたまれない

父はその恐怖を
いつからともなく
独りで抱え過ごしていた。

気づき
母の時と同様
私は父の異変に気づくことはなかった

定期的に顔を出し
施設の職員さん達に伺いを立て
自己満足の連続の中

私は父の事を考えていたのではなく
自分の事だけを考えていた

何も気づかなかった訳ではない
変化に気づいていても
それがSOSだとは思わなかった
父への関心が薄かったから・・・

それが今知りうることのできる
当時の私自身の実態
それに気づくことが出来たところで
父はこの世にはいない

私の場合
気づきはいつも後からやってくる

恐怖
日々感じていただろうか
時々だったであろうか

父自身が感じていた体調の変化が
どのようなものであったのか

父はそれがなんなのかわかっていただろうか
痛み苦しんだだろうか
その苦痛を訴えたことはあっただろうか
施設の職員に・・・
姉に・・・
私に・・・

父のそれは多くの場合
ジェスチャーだった

父が感じていた恐怖を
くみ取ってあげられるチャンスは
何度あっただろうか

そのチャンスを逃す度に
恐怖が父を襲っていただろうか
その度に途方に暮れたであろう

そんな父の笑顔が
今になって心に突き刺さる


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2019年03月03日

癌に気づけなかった一年前

一年前の今頃

父は入院していた

お世話になった介護施設から救急車で搬送されて一ヶ月経っていた

度重なる肺炎と

嚥下の具合が思わしくなく

食事制限は断食となり

水分すら摂ることを許されなかった

食べれない

飲めない

その状況がどんなものなのか

いつか私自身が体験する時までわかることはないだろう

嚥下の検査を二度ほど受け

二度目の検査で食道を飲食物が逆流する症状を確認

すぐに検査は中止となり

後日胃カメラ検査を受ける運びとなった

それから二週間何もなく

やっと迎えた検査も立ち会えず

それから更に二週間以上

検査の結果は「食道癌」だった

末期で手の付けられない状況という

医者に言いたいことは沢山あった

波風立てたところで父の状況は変わらない

悔しいかったが

母の時も同様のことはあった

辿っていくと「なぜ?」は発生する

母の時も

父の時も

「癌」という疑いを持たなかった

それも気づけなかった一つの要因

気づけていれば何らかの手立てがあった

勿論今でもそういう後悔はあるが

単純に、

気づいてあげることが出来なかった

辛さに気づいてあげられなかった

一人で抱えさせてしまった・・・

そんないろんな「申し訳なさ」を感じている

昨年の今ごろ

父が良く成ればまた施設に戻って食事が摂れる

そんな期待を持たせるような言葉を投げかけた日もあった

知らなかったとはいえ

申し訳なかった・・・可哀想だった・・・


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2019年03月01日

癌に怯える

身体のどこかが痛む時

身体のどこかに違和感を感じた時

何かしらの変化を異変と捉えてしまう癖がついた

それは怯えから来る精神的な要素が大きいのではなかろうか

勝手に自己分析してして答えを出してしまおうというところも

なんだか自分らしくて滑稽である

母が肺がんであることを知った時

私自身の呼吸のリズムが崩れたのを覚えている

そしてその影響は今現在も続いているように感じる

母の脳内に腫瘍があると知った時

私自身の頭が痛いような感覚に陥り

常に違和感を感じるようになったこと・・・

父の食道癌を知らされた時から

喉元の通りが悪く感じたり

違和感を覚えるようになったのも・・・

すべて癌に怯えているからだと思う

母だけでなく父までもが癌に侵され

二人とも発見から一年以内に他界してしまった

何も時間を与えられなかった訳ではなく

一定の準備期間は与えてもらったと感謝する反面

その時間が十分ではなかったと感じてしまう

いつの間にか身体を癌に蝕まれてしまった両親

それぞれの辛さや苦しみを知るすべもなく

日に日に衰えていく様を忘れることはない

だからこそ?

私はこれからもずっと癌に怯えながら生きていくのだろうか・・・


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2018年12月13日

一年前の父

父がお世話になっていた施設では

この時期になると風邪やインフルエンザなどの

流行りに神経質になる

だからマスクの着用は必須

マスクを着用していても父は私を判別してくれた

父は認知症ではなかったから当たり前の事なのだが

そのリスクというか、心配とはいつも背中合わせだった気がする

やはり子供としては

親に忘れられたくはない

マスクを着用した父の表情が笑っているのか

不機嫌なのか

マスクで隠れた部分以外の情報からそれを読み取る

機嫌のいい時は物凄い笑顔で迎えてくれた

一年前

父は入れ歯が合わなくなり

食事が以前のように楽しめなくなっていた

最終的には入れ歯を外して食事を摂っていた

何度か歯科医に依頼して調整を試みたものの

父の入れ歯はすぐに外れてしまった

入れ歯が合わなくなったのは

父が急激に痩せたから

その原因に誰も気づかぬまま

父は食事を摂れない状況になり

その原因が食道癌であるとわかるまで

実に3か月近い時間を要した


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2018年12月06日

共に

共に生きる・・・とはどういう事だろうか

と時々考えることがある

人それぞれの受け取り方考え方があるから

100人いれば100通りあるだろう

そもそもでシチュエーションが違うのだから

私の両親は癌と共に生きた

それぞれ癌が発覚してから1年経たずにこの世を去ることになったが

それぞれの癌とどれほどの時間共に生きたかは不明

父に関しては癌を患う以前から脳梗塞を発症し

左半身麻痺という身体と共に生きた

その間ボーエン病も患った(こちらは手術で完治した)

母はその父の介護に追われ続け

最後は肺がんを患って他界した

両親にとって癌と共に生きた時間というものは

どのような時間だっただろうか

最初の違和感は何だっただろうか

父の食道癌もそうだ

父は言葉が発しにくい状況下だった為

自分の身体の変化を伝えることが困難であった

そもそもで自分の身体の不調を訴えることは少ない人だった

だからいつも悪化した時に家族が知ることになる

今回もそうだったのだろうか

我慢

というくくりで語れば

両親は共に我慢強かった

なんでもギリギリまで我慢する傾向があった

身体の変調に気づいてからどれほどの間

その身体と共に生きただろうか

何も知らない

ただ単に

癌を患い

癌に侵され続けた過程を

共に生きたという表現にしただけの事

それだけの事なのだろうか


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2018年11月29日

癌を恐れて

母は肺がん(肺腺癌)

父は食道癌

それぞれ、癌と共に生き

癌を直接の原因として他界した

我が家の家系図を追うのは難しい

特に父方は日本ではない

父はある国のハーフで

私はクォーターという事になる

国名は公表したくないのであしからず・・・

そんな諸事情もあり

祖父母、曾祖父母・・・と遡ることが難しい

母の母親・・・祖母が癌だったという事は聞いたことがある

その他は、母の実の弟さんが脳腫瘍で他界した

日本人の二人に一人が癌になると言われている昨今

癌家系というものがあるとして

それがどれほど確度の高いリスクなのかは不明

ただ

私の両親が癌になり、それが原因で他界した

その事実だけは変えられず

それが頭から離れることはない

自分の中でそれら事実を勝手にリスクという認識に置き換えて

毎日心の奥底でビクビクしながら生活している

だからと言って

他人から「ビビっているのか?」と問われたら

「ビビってない」と答えるだろう

ハッキリしているのは

いつかこの命は絶えるという事である

そうやって開き直る?ことで

癌を恐れる気持ちに蓋をする

どことなく天災に似ている

日本で言えば

大地震は必ず来る

ただそれがいつなのかがわからない

明日なのかもしれないし数十年後かもしれない

いつかその日が来たとして

それが原因で死ぬとも限らない

色々考えていると

だんだん自分が滑稽に見えてくる

ただ

現時点で、癌を恐れているという事は否定できない


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2018年11月04日

血筋

両親ともに血圧数値が高かった

特に父は最高血圧200前後になった実績を持つ

母に関してはそこまで高くはないが

180近くまで達したことがあったことは記憶している

そんな両親から生まれた私としては

血圧が高めである現状を当たり前のように受け止めている

それが両親から受け継いだものであるかの如く・・・

高血圧治療を開始して3年

生活習慣さえ変えれば簡単に下げることが出来るだろう

という安易な認識は

既に覆されてしまった

引き継いだ血なのか

悪生活習慣の積み重ねなのか

どちらにしても

今日現在で薬のお世話になっている事実は変えられない

両親がそれぞれ服用していた降圧剤の種類は知らない

しかしその服用で健康を維持してきた両親は

癌で他界した

脳梗塞、脳卒中、心筋梗塞、動脈瘤乖離、

色々な病気を危惧し続けた両親に突きつけられた現実

母の肺がんと父の食道癌

私のDNAにはどのような血筋が・・・


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2018年10月28日

授命から寿命まで

母も父も

なぜ癌に気付けなかったのだろうか

母に於いては会社の健康診断をパスしていた・・・何年も・・・

「異常の所見なし」

それだけで安心してはいけないということで十分な説明も出来る

健康診断は人間ドッグとは意味合いが違う

では、人間ドッグを受けていれば万全か??

皮肉ではあるがそうとも限らない

人間ドッグに毎年通っていても

ある時癌が見つかり

それが末期癌である人もいる

何にでも例外はある

未だに両親の癌の発覚が遅れたことに対する後悔の念は少なからずある

しかしながらそれが両親の寿命であったとするのなら

命を授かった時点で決められていた運命なのだとすれば

早期に癌が見つかったところで

寿命を変えることは出来なかった・・・のかもしれない

という答えに辿り着く

都合の良いように考えるか否かの次元であるが

授命した以上は

寿命を全うするのが使命であると考える

その全うの仕方がそれぞれであり

その意味を探ろうにも探れない

両親は寿命を全うした

両親がこの世に授命した理由も使命もそれぞれ違うだろう

父と母は半世紀にわたり苦楽を共にしたが

その人生はそれぞれであったと改めて思う

この世に命を授かった意味

私たち子供をこの世に導いたことがその意味の中の一つであったことは間違いない

ずっとずっと歴史を辿っても

その連続が今を形作っているのだから

どのような形であれ

寿命を全うする使命を課せられて授命した

両親の死を経てそう感じた


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2018年10月11日

虫の知らせ

お墓の購入を促してきた

ある時「千の風になって」について熱く語りだした

大腸がん検診を受けようとしたこと

「私(母自身)に何かあったら大きな音を立てて知らせて」と父に伝えたこと

互助会へ追加で加入した

「何かおかしい」と私に体調の異変を伝えてきたこと

いずれも母の肺がん発覚前の数年前の出来事である

更に・・・

闘病中に父宛ての書き遺した手紙に「私の我慢が足りなかったね、ごめんね」とあったこと

その他にもいくつか思いあたる出来事はある

しかしこれら出来事が深く記憶に残っている

上記に羅列した項目はそれぞれ何の関係もない

いわゆる一つの点だとしても

母に重い肺がんが見つかったことで

それら点と点が線で繋がった

私が強引に繋げたのかもしれない

それでもいい

私は母が何か異変に気付いていた・・・と考える

人は何か不思議な力を持っている

いや、動物全般にしてそう言った力が垣間見える事象は沢山ある

自己の命に危険が近づいているというシグナルを

キャッチしていたのではなかろうか

そんな推測が

すべての事象を線で繋いだ

きっと母は気づていたのだ、と

自分の命の陰りに・・・


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2018年08月23日

水道水と癌

癌の要因は一つではない

遺伝性のもの、ストレス、アルコール、タバコ、

放射線、空気環境、食事、身体の酸化・・・

要因は多数取り上げられているものの

未だに全容の解明には至っていない

母は自分たちの身体を気遣い

色んな健康法を取り入れていた

例えば健康機器・・・

恐いから金額こそ聞かなかったが

怪しい健康機器を購入していた

酢大豆、リンゴ酢、クエン酸・・・

疲れやすい身体だった母にとって

疲労回復には常に敏感であった

やがて浄水器の購入を検討する過程で

水道水の汚さに恐怖を感じた母

ほぼ躊躇することなく購入した

蛇口一体型のものではなく

大きな浄水器だった

しかし母はなぜかそれを持ち込まなかった

この家に来る際に私に気を遣ったのだろうか

結局理由を聞くこともなく母は逝ってしまった

この家の水道水もまた汚れている

なにせ水道管が古い

私たちも蛇口に取り付けるタイプの浄水器を設置した

使用後のフィルターを見るとそれが良くわかる

やはり錆を多く含んだ水道水は硬く

身体に悪影響を及ぼす

癌は身体が酸化することを好む

両親が癌になったの要因に

水道水が絡んでいたことは否めない

今思うと「なぜ?」と思うことが多くある

そのうちの一つがその浄水器だった

身体の60〜70%は水分で構成されている人体にとって

「水」の重要性は判り切った事実

なぜ故に浄水器の設置を勧めなかったのだろう

年老いた両親の身体をいたわる精神が欠如していた

あの時の自分が悲しい


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2018年07月29日

四つの癌との闘い

両親に初めて癌の疑いが掛けられたのが

母のピロリ菌事件だった

とある検査結果から

母の胃内部にピロリ菌という

胃がんの発生原因となりうる菌が発見された

母は酷くショックを受けたそうだが

薬の処方等で胃の内部を洗浄した結果

ピロリ菌を除去することに成功した

母の胃がんは未然に防ぐことが出来た

それから数年後父が脳梗塞を発症

母による父の介護が始まった

二度に及ぶ脳梗塞発症の末

父は半身麻痺の一級障害者となった

最初の発症から十年ほど経った頃

父に皮膚がん(ボーエン病)が発覚

癌の中では完治しやすいと言われていて

実際父も一度の手術で完治した

そしてその数年後

母の肺がんが発覚(ステージ4)、約一年で他界した

それから二年・・・

父が食道癌を原因に誤嚥性肺炎を繰り返し

入院三ヶ月目に他界した

四つの癌に踊らされた両親

一つは未然に防げたものの

結果として両親は癌が原因で他界した


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