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2021年04月24日

毎年恒例の限度額認定証

私にとっては保険のようなもの。

あの年、母が突然入院した時に

バタバタとする中、

限度額認定証の存在を知り

あわてて申請した。




それ以来、毎年恒例の如く

申請している。

必要か否かは関係ない。

家族が、自分自身が、

ある日突然入院し、緊急手術する

そんなことは無いだろう…という年齢は

とっくに過ぎていた。

毎月訪れる医療費の会計で

高額請求されたとき、その金額に

手が震えた時にはもう遅い。

何とかしてお金を工面しなければならない。




更に、自腹で払った限度額以上の支払い額が

高額医療費として支給されるまで

約3ヶ月間待つのは辛い。

限度額認定証が常に手元にあれば

突然の事態が発生したときに、

金銭的にバタバタすることは無いだろう。

そのために毎年申請している。

毎年申請しなければならないのは

限度額認定証の有効期限が最大1年だから。

出来れば3年とか5年あれば、

と思います。



2021年03月19日

リズムの崩壊





家族の誰かが入院をすると

日常生活のリズムは崩壊する。

崩壊という表現はネガティブかもしれない

けれども、それほどに一変する。

すべてが入院した家族を中心に動く。

二日に一度ないしは毎日病院に通う。

洗濯物の引取、着替えを持って行く、

持込み品や必需品の内容は

病院施設や病状により変わる。

例えば、食事制限はストレスが増幅する。

色々要求される中、

差し入れが可能な範囲で持ち込む。

食事制限が無くてもやはり病院食は

味も量も物足りない。

あれが食べたい、これが食べたいはある。

それらを管理したり調整するのも

家族が担う重要な仕事となる。

また、病院側からは幾度となく呼ばれる。

検査の度に書類が発生し、説明がある。

手術となると更に増える。

誰も病気や怪我をしない事が一番だけど

そうも言ってはいられない。

いざというとき心の支えになるのは

医者でも看護師でもない、家族だ。

家族が入院した時のストレスは

お互いで補い合うことが理想だけど、

お互いに不満が増幅する方がリアルに多い。

そしてそれは、入院期間に比例する。

常日頃の家族間の関係性に因って

大きく差が出てくる。

自分の生活リズムが崩壊した時

相手にあたる人の生活リズムも崩壊する。

逆もまたしかり。

であれば、自分をコントロールすることが

一番の近道なのかもしれない。





2021年03月07日

退院と卒業式

三ヶ月の入院を経て

退院となった母

その退院日が息子の小学校卒業式と

重なった。

私は息子を選んだ。

退院のお迎えは私の姉に委託した。

その九ヶ月後に母は他界した。

あれから六年、

私の選択は正しかったのか、

今でも答えがわからない。

人生には常に選択がつきまとう。



2021年01月29日

もしも





他界した両親が生きていたら…と

想い、嘆いて悔しいことは

いくらでもあった。

その反面、他界していて良かった…と

不謹慎ながらも考えてしまうこともある。

それは、今回のような有事の時。

両親が生きていたら、

父は74歳で母は73歳

毎日ヒヤヒヤするどころではなく

ピリピリに近い心境だっただろう。

居なくて良かった…

そういう意味では、そうなのかもしれない。



2020年07月20日

我が家の保険





生命保険は定期的に見直す

とはいえ、無知なので保険やさんに

促されるがままだった

そこで3年前に勉強し

ファイナンシャルプランナー2級技能士

を取得し、我が家のファイナンスは

私が担うこととした




2020年03月27日

お迎え





待ちに待った退院

11日間、2週間にも満たない入院期間は

長くはなく、短いが

私には長かった。

妻はどの様に感じていることだろう。

あいにくの天気となってしまったが

先ずは無事に妻を帰宅させること。

私も疲れがたまって来ていると

数日前から自覚している。
 
車の運転気をつけなければ…。



2020年03月18日

単純に淋しい





一晩経って痛感する

妻の居ない現実

子供たちが良く協力してくれるので

10日程度であれば何とかなる。

ただ

単純に淋しい。

何かにつけて

妻が居ない現実を突き付けられている。

日頃の感謝を改めて感じる。




2020年03月17日

いつもと変わらない朝





入院初日

出発の時間は刻々と迫る

泣いても笑っても…という流れの中

密かに、妻にばれぬように緊張する私

しばしの別れ、順調に行けば10日と

かからない見込みの入院期間。

かつて母親が3ヶ月入院した時と比較したら

なんてことはない期間。

ああ

緊張する。



2020年03月16日

カレーrice





明日入院

一家団らんで夕飯

息子がカレーriceを作ってくれた。

今日はずっと妻の側に居てくれたようだ。

我が息子ながら優しい男だ。

そうして欲しいと思っていた。

私も娘も勤め先に行ってしまうと

家には息子と妻だけになる。

息子かいつもの調子で出掛けてしまえば

妻独りきり。

日に日に泣く回数が増えている妻を

家に独りきりにはしたくないな…と

心配していただけに嬉しかった。

カレーrice旨かった。



2020年03月13日

入院中の洗濯





操作方法は教わった。

干し方は我流でやる予定だか

年頃の娘の下着の扱いが不安。

朝出社する前に洗濯ものを表に出し、

帰宅したら取り込む…

これでは少々遅いかも。

う〜ん

洗濯一つでこんなに考えるなんて

どれだけ妻に頼っていたかが

浮き彫りになってきた。



2020年01月12日

心の準備





妻の入院まで約2ヶ月

準備しなければならないこと

しなくても大丈夫なこと

そのライン決めは私次第

妻の入院期間は1週間前後

生活サイクルをひとつまみする感じ

毎日の食事はもとより

掃除洗濯や週に2度のゴミだしも

細かいことは沢山ある。

全部を完璧にこなす気もないが

必要最低限はこなしたい。

突然の入院でバタバタするよりは

事前準備が出来る方が良い

私にとっても妻にとっても。

ただ

緊張が止まらない。

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2019年09月19日

癌家系

母親は肺がん
父親は食道癌

この情報だけで判断するのは時期尚早なのだろう
その他の情報としてハッキリしているのは
母親の実の弟さんが脳腫瘍で他界したことと
母親の実母(祖母)が大腸がんで他界かけいそれ以外の情報はない

父方の家系は訳あって調べることが出来ない。
ただハッキリしているのは父が食道癌になったこと。
アルコール依存症だった父は肝臓癌にならず
超ヘビースモーカーだった父は肺がんにもならなかった。

客観的に見て食道癌と直結しそうなのはアルコール依存症だろうか・・・?
父はウイスキー好きだった。
アルコール度数の高いものは食道を刺激し
食道癌のリスクを伴うと聞いたことがある。

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しかしながら父は遡ること十数年前にアルコールを絶っている。
脳梗塞を患ったからである。
初めて脳梗塞を患ったのが2001年
少なくともその年から他界する2018年までは基本断酒。

稀に飲むことがあったのは缶ビール程度。
それも350㎖だった。
これら情報からだと素人目にはわからない。
むしろ食道癌とアルコールの関連性は薄いと感じる。

母はというと
ピロリ菌に感染していた過去があるが
薬の処方で完治していた。
それ以外はこれと言って大きな病気はなかった。

母は昔から疲れやすい体質(本人談)で
頭痛、肩こり、腰痛、膝痛を訴えることが多かった。
足裏は偏平足で足がかったるいともよく言っていた。

人当たりは良く元気いっぱいの人と見られがちだったが
実際は真逆だった。
誰にも自らのストレスを感じさせない生き方というものは
それなりに代償も大きかったというのだろうか。

それすら母の癌と関連付けるには安易な判断なのかもしれない。
今の私に残っている事実は両親が癌で他界したということなのだ。


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2019年03月08日

病室の天井

母は3か月

父は2か月

それぞれに病室で過ごした

一人部屋

二人部屋

四人部屋(大部屋)

賑やかな方が良いか

独り静かな方が良いか

様々だと思う

母が・・・父が・・・

そのどちらに属したかはわからない

しかし

病室のベッドで仰向けになった時

見えるのは病室の天井

その天井とずっとにらめっこ

何を想い

何を考えただろう

涙したことは間違いない

笑ったことはあっただろうか

悪いことばかり考えて眠れない日ばかりだっただろうか

天井に何を思い浮かべ

何を映し出していただろうか

一日中

ベッドの上

特に父はベッドから動くことが出来なかった

ずっと・・・


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2018年07月11日

母入院の日

今まで何度も触れてきたが

脳浮腫で圧迫された左前頭葉は

その影響を受けるか受けないかギリギリのところにいた

思い返せば・・・

思い当る節はあった

母の異常行動というよりは

あれ?と感じる行動

それは年と共に衰えるものように感じていた

しかし現実は違っていた

母が倒れたという連絡を受けた時

救急車に乗った時

病院で意識が戻った時

ほんの数時間の間の母の変貌ぶりが印象に残る

生あくびが多く意識があるのかないのかわからない母

突然我に帰ったように帰ると言い出す母

救急隊員の問いかけに、自分の年齢が答えられない母

自分がどんな状況に居ようとも常に父(夫)を気にしていた母

脳内に腫瘍らしきものが確認された母

テンションがとても高い母

母が倒れて入院というだけで

動揺するには十分な条件なのに

それ以外にも色んな不安材料が畳みかけてきて

パニックになりそうな自分を何とか落ち着かせることに集中していたあの夜

脳浮腫の影響で自分がどんな状況にいるのかさえ分かっていなかった母

母はあの日の事もそれからの数日間も、記憶は途切れ途切れで

覚えていないことの方が多かった

脳腫瘍は少しずつ拡大し

やがて患部付近に炎症を起こさせ

母の脳に少しずつ影響をもたらした

とても怖い脳腫瘍

その脳腫瘍を発生させたメカニズムは

肺がんからの転移であった

ほんとに恐ろしいのは何なのだろうか


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2018年02月05日

後から言われても・・・追加された懺悔

母の入院と転院、そのどちらも選択枠は無かった。

緊急搬送された時、係りつけの大きな病院が無かったこともあり、

搬送先は救急隊に一任する形となった。

最初の病院から、詳しい検査が必要と促された時

紹介先の病院は一つであった。

脳腫瘍の疑い・・・から始まった母の闘病劇に

病院選びという文字が薄かった。

「脳腫瘍なら、脳神経外科を・・・」

という私の言葉をやんわりとかき消すかのように

・・・いや、今思えばあの医師は母が癌であることに薄々気付いていたのだろう。

鼻から某大学付属病院を勧めてきた。

母はその病院で息を引き取った。

それからしばらくして・・・母と親しかった人に言われた言葉が

私の心をかき乱した。

「なぜあんな病院に連れて行ったんだ!・・・」と、

「あんなところに行ったらすぐに死ぬに決まってるじゃないか!!」

「・・・・・・・・・・・・・・」

私は何も言えない、何も言い返せない。

じゃぁ、あの時自分はどうすればよかったんだ・・・

肺腺癌、ステージ4、脳転移・・・

違う病院を選択していれば母は助かった可能性があったのだろうか?

もっともっと長生きできただろうか・・・?

もし、そうなのだとしたら・・・私は何て無知だったのだろう・・・

そんな噂も知らなければ、知る由も無かった。

が、しかし、調べることは可能だった。

あの時、私にできることは母の看病だとか

色んな手続きだけではなかった・・・そう言うことだ。

新たな懺悔が追加された瞬間だった・・・。

とても悔しい気持ちになった。

とても申し訳ない気持ちになった。

脳裏に浮かんだのは・・・なぜか母の笑顔だった・・・。

両目から、沢山の懺悔が零れ落ちた・・・。

そんなこと、後から言われても・・・と心で呟いた言葉が

言い訳でしかないと気づいたとき、

懺悔と後悔と反省が一気に押し寄せた。


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2017年12月16日

サイレン

師走になると鳴り響く回数が増える。
それは救急車であったり、消防車であったり・・・
サイレンの音はなぜだか胸がザワツク。
ドキドキ、なのかハラハラなのか・・・どちらの感情なのかわからないが
好きな音ではないことは確かである。

母と一緒に乗った救急車・・・まだ記憶に新しい。
2014年末に一度。
2015年始に一度。
2015年末に一度。
計三度、一緒に乗っている。

一度目、職場からの救急搬送・・・脳浮腫が原因の症状で
意識もはっきりしない、記憶も、自分の年齢も言えない状態だった。

二度目、転院時の移動搬送だった。
詳しい検査を受けるために大きな病院を紹介された。

三度目、最も悲しくて、最もつらい搬送だった。
意識レベルは低く、呼吸もかなり辛そうだった。
母の最期・・・壮絶なる闘いの始まりだった。

救急車のサイレンの音というのは、車内と車外とでは全然違う。
音色の事ではなくて、受ける印象の違いとでも言おうか・・・
あの緊迫した雰囲気、不安で・・・母を見つめれば辛さが伝わり
見ていられない・・・気を逸らそうにも、目の前には常に現実があり
その現実が悪い方向へ悪い方向へ動いているのが手に取るように伝わった。

何が起きているのか、分かってはいたが
心が全くついてこない・・・そんな感じだった。

救急車に乗る人達の境遇は様々なのはわかっているが
サイレンが鳴り響くたびに、その救急車の中の状況を想像する。
想像するのは辛い状況ばかりだ。
そして母の記憶も蘇る。

いつまでもいつまでもついてまわる記憶。
救急車のサイレンの音。


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2017年11月12日

脳腫瘍が見せた幻覚

入院して翌日、点滴投与によって落ち着きを取り戻した感のある母。

しかし、なにか違和感がある・・・それは異様とも思える母の「テンションの高さ」だった。

話すときの感じ、甲高い笑い声、すごく違和感を感じさせる。

もともと性格は明るいのですが、それにしてもおかしい・・・


「看護師さんからは、いつもこんな感じですか?」

と聞かれ、「こんなにテンション高くありません」と答えました。

母に何が起こっていたのか??


当時の母は脳浮腫により前頭葉が刺激されている影響で、

感情のコントロールができにくくなることがあるそうです。

脳腫瘍はその周辺の脳に炎症をもたらし、脳浮腫を引き起こすことがある。

母は別人格でした。


症状はこれだけではなかった。

夜になると、病院施設内に若者達がおしよせ、病院に火をつけようとしているらしいのです。

警察官が出動しても捕まらず、毎日やってくるらしいのです。

看護婦さんたちは逃げまどい、恐怖に駆られた母はパニックになり点滴中の針をむしり取り、

大量の出血・・・


こんな幻覚症状に見舞われていた・・・しかも数日間。

当然本人は厳格だとは思っていなく、真剣に訴えてきた。

その話を聞いた日のベッドもシーツも血だらけでした。

かなりのショックを受けて落ち込んだことを覚えている。


このままこの状態が続き、もとの精神状態に戻らず、となってしまったら・・・。

実際、私は入院して費用が掛かる母の銀行口座から預金を引き出しておく必要があると思い、

母にキャッシュカードの暗証番号を聞き出しましたが、

2度とも間違った番号を知らされ、カードはロックされてしまった。

母は暗証番号さえも思い出せなかった。


結局銀行窓口で説明して、手続きを取らなければならない羽目になってしまった。

母の症状はしばらく続き、今日の日付けもなかなか出てこない、

今が平成何年かも出てこない、自分の年齢もすぐには答えられない。


恐ろしい・・・その当時は脳内出血による脳浮腫との見方が強かったのだが、

検査を重ねていくにつれ脳腫瘍の疑いが強まり、

結果大きい病院施設への転院を余儀なくされた。

ふたを開けてみれば、肺癌で肺に腫瘍があり、

肺から脳に転移したことによる脳腫瘍から出血していたのである。


発見時、すでにステージ4・・・思考回路が停止する感覚だった。

脳腫瘍の疑いに脅かされながら、幻覚を見ている母に不安を感じ、

その直後にまさかの癌告知。

私が見ていた現実が幻覚ならよかったのに・・・。

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2017年10月30日

”誤診のせい”にしようとした

母の肺がんが発覚した当時、
私の心が一瞬だけ攻撃的になった。

それは、母の健康診断結果が異常の所見なしの診断結果をもらって
ほんの一ヶ月に救急搬送された母。
最初の病院では「脳腫瘍の疑い」止まりで、
もっと精密な検査を受けることを勧められ
大きな病院を紹介された。

転院してすぐに肺がんとの診断が出た。
しかも、脳腫瘍は転移したものだった。
その時点で、母の癌の病期がステージ4だということが決定した。


母が最後に健康診断を受けたのが2014年の10月。
診断結果が届いたのが同年11月。
母が倒れたのがその翌月の12月だった。

何処をどう見たら「常の所見なし」・・・なのだ・・・と、
そう考えると無性に腹立たしくなった。

これって・・・誤診じゃないか・・・
訴えようか・・・はたまた、訴えることは可能なのだろうか・・・
色々考えた。


あの時、私が出した答えは「今に集中すること」だった。
母のこれからの事を考えると同時に、
介護が必要な父の事で頭はパンク寸前だった。

あの当時、冷静になれる瞬間など殆どなかったと記憶しているが
ある時、怒りに任せた行動は慎もう・・・という感情が湧き、
それを自分に言い聞かせた・・・今大事なことは責任の追及ではない・・・
その感情だけはハッキリと確認できた。
そして、それに気付けたことで冷静になれた。

今やるべきこと・・・の中から「誤診の追究」を削除することが出来たことで、
一瞬ピリついた自分の感情が抑えられたのだと思う。


私は何か事が起こると、ついつい何かのせいにしようとしてしまう、
つまりは、心が弱い人間だ。
そう自覚しているつもりなのだが、それでもやはり心のどこかで
何かのせいにしようとしている自分に気づくことがある。

私があの当時望んでいたこと・・・それは、
母の病気が、肺がんが少しでも良くなることだった。
純粋に、願いはその一点張りだった。

その願いは、”誤診のせい”にしたところで何の進展も望めない。

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2017年03月19日

入退院を繰り返した父

父の入院歴を辿る

アルコール中毒

父の入退院履歴を語る時、
アルコール中毒の話が大半を占める。
他人様と比べられるものでもないが、
父は正真正銘のアルコール中毒だった。

ヘビースモーカーのアルコール中毒。
アルコールで身体が蝕まれると、
内臓の機能が低下し、仕事にならない。

飲酒運転、借金、事故、仕事放棄・・・
洒落にならない時期も多々あった。


骨折

仕事が貰えなくなり、
今でいうところの「ニート生活」ともいえる
生活を続けてた頃、
古くからの知人が何度か仕事を紹介してくれた。

しかし・・・体力も気力も低下していた父は
二度の骨折を立て続けに経験した。

一度目は脚立から転落。
二度目は通勤中のバイク事故。

この時、母の苦労を考えた記憶がない。
家族が入院することの大変さは
母の入院で思い知らされた。

母は子供の面倒を見ながら
父の面倒も看ていた。


脳梗塞

この時のショックは最大だったと思う。
母が受けた衝撃とショックと気苦労は計り知れない。
全ての事を独りでやり切った母。
どんな気持ちで毎日を送っていたことだろう。

父の脳梗塞は現在までに、二度発症している。
いずれも父と母の二人暮らしの時だった。

腸閉塞

夜中の出来事でどうしていいかわからず
戸惑い、左半身麻痺の父を連れて
夜間病院に行った時の大変だった様子を
切実に語ってくれたことがある。

電話してくれれば良かったのに・・・
そんな言葉しか出てこなかった自分が恥ずかしい。

比較的痛みに強い父が
相当に苦しんでいたことで
母の焦りはピークを超えていたはずだ・・・。

この時もやはり二人暮らしをしていた。

子供たちが独立して家を出てから
私が今の家に招き入れるまでの約8年間、
アルコール中毒以外のすべての入退院が
この期間に起こった。

悪いことが起こる時は
悪い条件が整っている・・・
人生あるあるではないが、
そう言うことってありますよね・・・。


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2016年05月30日

入院と言われても慌てる必要はありません。

急遽入院することになった時・・・それが自分でも
家族でも、友人だとしても、治療のことは医師に任せることとして、
それ以外で出来ることに専念することで、逆に落ち着くことも
あるかと思います。

まずは取り急ぎ何が必要なのかを把握することから始めましょう。


用意するもの

衣類・・・寝巻き・肌着・下着は各2〜3着程度

タオル類・・・身体拭い用とフェイスタオル各2〜3枚づつ

注)ホテルや旅館とは違い、荷物を保管するスペースが限られているので、必要最小限を求められます。
親族等でこまめに取り換えが必要です。病院施設によっては乾燥機付き洗濯機が利用できる所もありますが、勿論有料です。


その他日用品
@洗面・整髪用具
(洗面器・石鹸・髭剃り・くし・歯ブラシ・歯磨き粉・シャンプー・ティッシュなど)
A食事の時に使用するもの(箸・湯呑・スプーンなど)
B必要に応じてウエットティッシュなど
Cスリッパまたはシューズ

上記@とAに関しては、病院施設によって異なるため確認が必要です。
Cに関しては、入院中は運動不足になりがちのため院内
でウォーキングする方もいらっしゃいます。

スリッパでの長時間歩行や、ちょい移動の繰り返しは足への負担が多いので
運動靴とクロックスの併用がおススメです。

また、院内は空調完備の為に空気が乾燥しています。
特に女性の方はお肌の乾燥に敏感ですので、
保湿クリームや保湿効果のある
化粧水など使い慣れた化粧品も必需品となります。

テレビや冷蔵庫の使用料に関しても、病院施設ごとに規約が変わります。
大部屋と個室で料金を変えている病院施設と、
全室共通の病院施設、
個室または2人部屋では差額ベッド代にテレビ使用料と冷蔵庫使用料が含まれている
という良心的な病院施設もありますが、ほとんどの場合専用のカードを
購入して利用するシステムで、精算機のよる払い戻し制が適用されています。


携帯電話
使用できない印象の方もいらっしゃるかと思いますが、
利用可能区域等を必ず設定してあります。
個室になると、携帯電話の使用は基本自由です。
院内で医師や看護師さんたちが使用しているのはすべてPHSのため、
どこでも使用可能と勘違いされやすいので注意が必要です。


事務手続き

保証金・・・入院の際に「入院保証金」などの文言で数万円の現金を預けるシステムがあります。
こちらの金額も病院施設によって変動しますが、退院時に同額返金されます。

高額療養費の申請

事前に「限度額適用認定証」を交付されている方は
窓口で支払う限度額が決まっていますので、ばたばたすることはないでしょう。
但し、限度額適用認定証があっても、入院と通院では扱いが別になるので
同月内で支払いが重なると限度額を超えた支払いが発生する場合があります。

申請されていない方でも「限度額認定証」は申請してから交付まで1週間ほどかかります。
入院の際は、一番最初に申請しておきたいのが「限度額認定証」です。
限度額を超えて支払った分は「高額療養費」の申請をすれば2〜3か月後に入金されます。


同意書へのサイン
入院手続きの中で、病院からサインを求められるものが多数ございます。
・「保証人」についてのサイン(家族・親族が一般的です)
 同時に緊急時の連絡先として連絡優先順に3名ほどのサインが必要になります。

・病院からの説明の対する同意書、またはサイン
 入院する際の各種説明について、
 確実に説明をされた上で了承した旨の証拠としてサインが求められます。
 
説明例として・・・
「診療内容の説明」「入院治療、感染症検査、NST、安全確保のために講じる措置についての説明」「事故対策防止についての説明」「入院治療計画に関する同意書」「症状についての説明」「特定生物由来製品使用についての説明と同意書」などなど

上記以外にも、入院時や入院後の検査(例:カテーテル検査や造影剤の使用など)についての説明と同意書が別途必要になります。

病院施設の規模によって、細かい部分で異なる待遇や環境などに違いが出てきます。
上記を参考にして準備等に役立てて頂けると幸いです。


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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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