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2022年02月08日

減少と低下の抗癌剤

抗癌剤を投与すると、ある一定の期間中は血液の数値が異常になる。
これは骨髄抑制といって・・・

なんて始められると、話が頭に入ってこなくなってしまいます。

抗癌剤副作用については、医学的に1%以下の可能性の事象についてさえ触れているほどで、とても細かいです。

その症状の内容も、
投与される抗癌剤によっても多少の違いがあるようですが、
それら見込まれる副作用症状の一つ一つが患者さんのリスクとなり、
心と体にずしんとのしかかってきます。

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免疫力低下

母の受けていた抗癌剤
「アリムタ+カルボプラチン」といって
それぞれ2種類の抗癌剤を投与する治療法で、この組み合わせも複数あるようです。

投与して10日目〜16日目の一定期間中、
抗癌剤を投与したことによって
血液の数値が極端に減少・低下するそうです。
特に「白血球の減少」と「血小板の低下」それと「ヘモグロビンの減少」
ずばり、この数値の減少・低下は「免疫力の低下」を意味していて
この期間中の日常生活には、医師推奨の「規制」が加わります。


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期間中の規制

この期間中は、人ごみを避けるようにしていましたが、
外来で病院に行くときや、その他の施設、買い物時などはマスク着用は必須。
もちろん不要な外出は避けましたが、ストレスも癌には悪薬となるため、
調子を見ながらですが、知人や友人と外出してお茶などしていました。
今思えば…ですけど、コロナ禍でないこと自体が幸せでした。

この期間中、食事にも気遣いは必要で、基本「生物」は禁止です。
生物は、魚ばかりではなく
野菜や果物も生物に入るのでこの時期の食事には特に注意が必要です。


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2022年02月01日

去れど口内炎


気づきの後に

自分に口内炎が出来て感じたこと、それは

抗がん剤治療を受けていた頃の母の気持ち。

当時「大したことはない・・・」

そう言っていた母。

あくまでもそれは、母のさじ加減。

鬱陶しかったに違いない。

当時の私は、母のその言葉で

安心していたけれど

母が大したことない程度の症状で収まって良かった・・・と、

食事も普段通り摂ることが出来ていた・・・だから安心していた。

しかしどうだろう・・・自分の口内に炎症があると

とても不快で鬱陶しい。

何もしていなくても痛い。

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”気づき”の繰り返し

痛みの種類は全然違うが、見えない棘が刺さった時に似ている。

大した痛みでもないが、痛いことは痛い。

何かが触れると中途半端な激痛が走る。

物凄く鬱陶しい。

その鬱陶しさが口の中にある。

食べることに躊躇する自分がいる。

美味しいのだが、美味しくない。

私の場合、ちょっと風邪気味なのだと思う。

久しぶりの口内炎だが、定期的にあることだし

あと数日で収まるだろう・・・。

しかし母は、抗がん剤治療中ずっと感じていた。

21〜28日毎に抗がん剤を投与すること6回。

母はその間、いろんな副作用に耐え続けた。

あの時、母に掛けた言葉、

「口内炎が大したことなくて良かったね・・・」

ではなく、「鬱陶しいでしょ・・・ご飯食べるとき痛いね・・・」

とか、もっと気の利いた言葉が出せたはずだった。

何かある度に恥ずかしさが込み上げる・・・私はこうやって、

時間差の「気づき」を繰り返しながら生きていくのだろう・・・。
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2022年01月26日

初めての抗がん剤

ステージ4の抗がん剤治療

母は合計で6回、抗がん剤治療を受けました。

母は肺がんで、脳に転移していた。

ステージ4・・・その告知は母本人にとっても家族にとっても、とても辛いものとなりました。

抗がん剤治療を受けるか受けないかで悩んだ日々…と記憶しているけれど
きっと、母の心の中では治療を受けることは決まっていた。

しかしながら、医師や周りからいやでも入ってくるネガティブ情報がそんな母の心を阻害していたのも事実。

最後の意思確認の時の母のセリフは
「やらなきゃしょうがない」
そんな感じのセリフだったと記憶しています。
母は抗がん剤治療を受けることを自分で決めました。


アリムタ + カルボプラチン(ペメトレキセド) 

母が唯一投与した抗がん剤です。

2015年同時、非小細胞肺がんに投与される
代表的な抗がん剤療法の一つ(導入療法)

投与回数は全部で6回でした。

投与方法は点滴で
一度の治療時間は10分程度。

1クール21〜28日で、投与後10日目から16日目くらいの間は白血球や、血小板の数値が減少・低下し、免疫力が下がるため、
外出を控えたり、マスク着用や食事の制限(生もの注意等)があります。


抗がん剤を投与した日

投与した初日のことは良く覚えています。

抗がん剤投与初日は、母はまだ入院。

初回の投与は、何が起きてもすぐに対応できるように…と、入院投与はガイドラインで決められていました。

その日は、仕事中から落ち着かなくて、時計を見ながら独りでドキドキしていました。

仕事を終えると、一目散に病院へ駆けつけました。

母はきっとベッドで寝ているだろう・・・

ゲロゲロ吐いていたら、なんて声を掛けようか・・・

ひどい口内炎が出来て話も出来ない状態だったら・・・

悪い妄想しかできませんでした。

実際は、病棟に着くとすぐに母が居ました。
ケロッとした表情でした。

何しているかと聞くと、身体がなまるから歩いていたという。

こちらの心配をよそに、母は既に夕飯も終えていた、という肩透かしのような結果でした。

その後、5回の投与を受けた母。
もちろん、治療期間中は副作用もありました。

吐き気、倦怠感、舌の痺れ、味覚の変化・・・

それらは投与した日よりも、翌日から2週間後位に集中していたように思います。


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2022年01月25日

副作用ゼロの期間


2クール目の副作用は良好
二回目の抗がん剤投与を終えて2週間
これといって重篤な症状はなかった。

食欲あり、活力あり、体力は少しずつだが回復している様子だった。
味覚障害も克服?して好き嫌いなく食事が出来ていた。

確認できた副作用症状
極めて軽度の吐き気 : 何となく気持ち悪く感じることがある

口内の違和感 : おそらくは口内炎症状のうちの一つと思われる症状と痺れるような違和感あり。

便も良好、倦怠感もほぼなしであった。

仕事復帰を検討していた
それまでは人に会いたくないと言っていた母もコロッと手のひらを返したように、あの人に会いたい、この人に会いたい
・・・、と日に日に感情に変化が表れた。
自宅に引きこもっているよりも、人と接する方が心の健康を保つためには良いはずでる。

今思えば、あの時に旧友たちに会わせるべきであった、と悔やまれる。

結局仕事復帰後、自転車通勤は不安だったので、徒歩の通勤となった。
徒歩で約10分程度のところに
会社があるのは好都合だった。

心でもがん治療
やはり、7年務めていた会社の仲間と顔を合わせて
何気ない会話をすることも必要。

抗がん剤治療で、食事で、サプリメントで・・・などの治療はもとより
心を朗らかにすることも重要な治療の一つと考えます。

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2022年01月24日

抗がん剤と輸血

点滴や輸血の必要性

抗がん剤投与副作用の一つ、骨髄抑制により
血小板の低下や、白血球の減少、貧血など・・・

症状が重い患者には輸血や点滴の処置がなされる。
毎日血液検査をしていた母。
結果的には数値的に問題なく、
輸血することはありませんでした。

点滴ならまだいいが、輸血は少々構えてしまう。
そんな心境でした。
母はどんな心境だっただろうか。

癌と闘う患者とその家族が、この世に何家族いるのだろうか?
日々、一喜一憂なされているのだろうか・・・?

そんな思いが駆け巡る中、母をいち早く病院生活から
抜け出させてあげたい気持ちでいっぱいでした。
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どうしようもない倦怠感


肺がんの抗がん剤治療

ペメトレキセド(アリムタ)+カルボプラチン


ひどい倦怠感
今までにない感覚が母を襲ったのは
抗がん剤治療が始まって15日目のことでした。

一日中どうすることも出来ないほどの倦怠感が母を襲った。
起きていてもダメ、目をつぶっていてもダメ。

寝てしまいたい・・・でも寝れないから辛い・・・。

母が言い表すことが出来ないくらいの倦怠感とは
いったいどのような感覚だったのか・・・。
言葉で伝えることは難しいであろうという
歯痒さを感じた。
私はその状況が悔しかった。

この日はリハビリもキャンセルして
ほぼずっとベッドで過ごした母。
体力の回復には人一倍力を入れていた母だけに、
その予定をキャンセルせざるを得なかった。倦怠感の深刻さが伝わった。

医師や看護師さんが訪れてくれるが、続く倦怠感に
その受け答えさえ鬱陶しいというほどでした。

おそらくは、私が色々と聞いていることさえも鬱陶しかったはず。

そんな日に限って面会者は多かった。
昼間は姉が、夕方は私と兄が・・・。

夕飯が来ても手を付けようともしない。
来週には退院の予定が着々と進んでいる
・・・そんな時期だった。

退院後、自宅での療養に少々の不安要素を残した・・・
と同時に、自宅なら精神的にも今よりは楽な方向に行くだろう・・・と思っていました。


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口が乾く副作用

口の乾き
母の肺がんステージW治療は「アリムタ+カルボプラチン療法」でした。
意外に落ち着いている感のある副作用症状ですが
まったくなんでもないというわけでもなく・・・
そんな感じのゆるいスタートでした。

吐き気はあるが嘔吐はしていない。
倦怠感はあったようですが、症状は神出鬼没。
味覚の変化は現れているが、食品を選べば食べることが出来る。
食欲事態に影響が出ないようにうまく付き合っていたと思います。

安定して食欲があったのは朝・・・「朝はお腹が空いて朝食が待ち遠しい」
これは入院していた当時の母のセリフです。
7時半ころの朝食時間に対して、6時ころからソワソワして待っていたようです。

そんな母が一番最初に手こずった症状が「口の乾き」でした。
投与4〜5日目くらいで症状を訴えました。
喉の渇きではなくて、「口」の乾きに困っているようで、喉が渇いていなくても
口を潤さないといられない、会話をしていても「口」の中が乾いてしまうので、
物凄く気にしていました。

また、水分を摂りすぎてしまう傾向にあるので、トイレも近い。
母は「緑茶」ばかり飲んでいたので、緑茶は利尿作用があるから”水”にするよう
促しつつ、2リットルの天然水ボトルを常備していました。

緊張して「口が乾く」ということは経験したことがあるので想像はつくのだが
一日中口が乾くというのは、想像しただけでもうっとうしいと思います。

飴で解消!?
考えた母は、飴を舐めるという単純作戦を決行しました。
最初はそれなりに効果があるように感じられ、
しばらくはそれで様子を見ようと過ごしていたのですが、
その後やってきた副作用「口内炎」という症状に会えなく撤退・・・

この口内炎という症状ですが、人によっては抗がん剤投与直後や
投与中にみるみる口内炎が発生し、何も口に出来なくなる人も
少なくはないようです。
そんな患者さんの中には、投与直後に抗がん剤治療を断念するという
方もいらっしゃるようです。

私の母もそうでしたが、このような副作用が怖い為に
抗がん剤治療を受けるということを一つ返事で答えられない人が
多いのだと思います。
しかし、こうした様々な副作用症状に対して即効性の薬も開発されています。
吐き気一つにしても症状を緩和させる薬が存在します。

薬の副作用を薬で抑えるので、いっそう薬漬けのイメージが強い
という方もいますが、そういった情報があるのとないのとでは
受け取り方や心構えが変わってくるのではないかと思います。

がん治療は日々進歩しているものの、まだまだ発展途上・・・
良い情報も悪い情報もどちらも豊富にあるために
情報に流されてしまわないように、未然に知識を取り入れておく
というのも賢い方法なのかもしれません。

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2022年01月23日

抗がん剤の痛み

体の痛み

痛みは、治療開始4か月ころから少しずつ感じていたらしいです。
痛む箇所は、「全身・・・!?」というのですが、詳しく聞いてみますと
例えば、で説明してくれました。

聞けたのは、首元から肩にかけて「コリ」とはまた違った痛みがあると教えてくれました。
痛みの度合いは、そんなにひどくはなく、我慢もできるとのことでした。
我慢も個人差があるので何とも言えませんが、当時の母の表情自体は悪くなかったので、
特にやせ我慢をしているわけではなかったと思っています。

後は腰から足元にかけても症状があり、腰については以前にも記事にしましたが、
やはり腰の痛みはつらそうでした。
ただ、肺がんの症状の中に首から肩の痛みや、腰の痛みもあるそうで
母の症状はがんの症状が色濃かったのではないかと推測します。

膝(ひざ)は痛みよりも力が入らず踏ん張りがきかないので、よろよろしてしまう。
ふくらはぎから足元にかけては、熱があるかのようにポカポカしている・・・
そう言っていました。

母は性格上、後になって「実はね・・・」って感じで
報告してくれることがありました。
頻度としては稀ではありますが、やはり体調に関することは
タイムリーに教えてほしいかったのですが、母の言い分は「心配かけたくない」
とか、「ちょっとしたことだから、大したことないと思ってたんだけど・・・」
と、こんな感じでした。

なんか、気持ちはわかるのですが、やはり気になる症状は常に伝えてほしいものです。
そんな母は今はいませんが・・・。

その他の副作用症状
吐き気が、気持ち悪いに変化した。
抗がん剤治療初期の1クール目に、2度嘔吐しましたが
それ以外は一度も吐きませんでした。
その後も吐き気は続いていましたが、4クール目を境に吐き気の程度に変化が表れ、
「気持ち悪い」と「だるい」のセットが多くなりました。

口内炎は初期から軽度の症状のまま、口内にできものも出来ません。
ただ、6クール目に入っても口内に多少の痛みやしびれは残っていました。

味覚障害
入院中に味覚障害が発生し、ご飯・肉類・魚類・牛乳・チーズなどに
拒絶反応を示しました。

しばらくして、全般に味覚障害を克服した時期が一時ありましたが、
すぐに再発してしまいました。
再発後は、肉類と魚類の摂取を避けていましたが、やがて
食欲全体が低下するようになりました。

日中は
近所のお友達とお茶したりして気分転換させてもらっていました。
もちろん調子の悪い時は断ったりもしましたが、
それでも日を改めて、再度誘ってくれていました。
ありがたいことです。
誘ってくれた近所のお友達には今でも感謝しています。

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2022年01月22日

腫瘍が消えた時

肺腫瘍が薄くなった
3クール目直前の抗がん剤効果の確認が出来なかった為
今回4クール目直前の検査確認となった母。

この日は家族も呼ばれ、今後の治療についての確認
も行われました。

まずはレントゲン写真の確認
治療開始前(約4か月前)のレントゲン写真と見比べながらの説明
ですが、説明が始まるよりも先に写真が気になった私・・・、
見てすぐに違いにわかるほどの効果に、驚きを隠せない私でした。

母の肺腫瘍は大きなものこそないのですが、小さな腫瘍が肺全体に
ちりばめられたように広がっている状態でした。
既に頭部への転移があった為、抗がん剤治療開始前に摘出手術を
済ませていました。
摘出の2週間後に頭部放射線治療を合計10回済ませました。

転移が確認された時点で、母のがんは「ステージW」と診断されました。
医学的に、転移した=ステージWとなるそうです。


現状維持なら「◎」が・・・

治療開始前は、がんの状態が現状維持なら「良し」としようと思っていた。

ふたを開けてみれば、効果歴然
こんなこともあるのかと、目を疑ったほどでした。

大きめの腫瘍は小さくなり、小さなゴミ粒のような腫瘍は
薄くなっていた。
中には消えているものさえありました。

ステージWなので、好きなことをさせてあげてください
担当医師が家族に告げた、深い深いお言葉。
「覚悟をしておいてください」
とでも言われたかの様な感覚で聞いていました。

言葉では告げられませんでしたが
渡された用紙には、医学的な統計による余命が
ステージごとに明記されていました。

母の病名は「非小細胞肺がん」
ステージWの予後は、治療をしなければ3か月〜・・・
治療をすれば6か月・・・

1年以降生存は、%表示で早見表になっていて、
5年以上の生存率は数%となっていました。
あくまでも確率の話です。

母は入院した時点で、ステージWでしたので、
同時すでに半年以上経っていました。
抗がん剤治療が効いていることが確認された時、
更なる効果に期待が膨らんだことを思い出します。


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2022年01月18日

肺がん治療と抗がん剤

              
ステージ4肺がん治療
アリムタ+カルボプラチン療法

全6回(6クール)の投与を予定

1クールを21日間(〜28日間)としている。

抗がん剤選定
抗がん剤の選定はもちろん医師団によるもの。
投与する抗がん剤が効くか効かないかは個人差があり
わからないとのことで、効果が確認できない場合は
投与する抗がん剤を変更して仕切り直しになるという。


抗がん剤効果の確認
投与した抗がん剤が効いているの効いていないかの
確認が出来るのは2回目の投与後、骨髄抑制の影響で
血小板の低下や白血球の減少が見られる時期に、
造影剤レントゲン撮影や血液検査などにより
確認することが出来るという。

ハツカネズミやモルモット状態
ともとれるこの状況、唯一の頼みの綱は、過去のデータ。

過去に同じ病状で抗がん剤治療を行って頑張った
患者さんのデータが参考になっているのは間違いない。

闇雲に選定されたのではたまったものではない。
抗がん剤は強い副作用も伴うため、
気安くチェンジという代物でもない。                                                                                 
なのに、それなのにである。
結局効いていないことが判明すれば
いくら頑張っていても抗がん剤を変更
しなければならない。

当然、抗がん剤治療を拒否する権限は患者側に
あるのだが、「命」を天秤に掲げられると
どうしても「命の選択」を迫られている心境に
なるのは致し方が無い。


ずるいのは個人差という言語 
結局のところ、抗がん剤ががん治療に効くのか効かないのかは
個人差がありますので、やってみなければわかりません。

この文章ですべてがまとめられてしまうのが現実です。
何をどのように質問しても、良いことも悪いことも
どちらも「個人差」で説明されます。

医師にもわからないのです。

わからないことに立ち向かう患者は
もっとわからなくなります。

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2021年03月12日

結果を知っているから言えること





母は抗癌剤治療を嫌がっていた。

それでも私は治療を受けて欲しいと

抗癌剤治療を受けることを促した。

更には、

最終的には自分自身が決めることだけどね、

という卑怯な捨て台詞も使用した。

母は覚悟を決めて

抗癌剤治療を受けることにした。

抗癌剤治療は約半年間続いた後

母はその後の抗癌剤治療を受けることを

止めた。

それから4ヶ月後に他界した。

抗癌剤治療を受けたから、その結果を

知っているから言えることだけど、

抗癌剤治療を受けないという選択は

ありだった。

そう考えてしまう。

抗癌剤の副作用は母にとって

少なからずストレスになっていた。

私が最期にしてあげられること

それは限られていたのだろうか。




2019年10月01日

抗がん剤治療、受けると受けないでどっちが辛い?

母が受けた抗癌剤治療はペメトレキセド(アリムタ)カルボプラチン療法
誰が受けても同じ副作用が起きるわけでもなく
個人差があるのが抗癌剤である。

人の我慢強さを数値で表すことが出来れば
母が受けた抗癌剤治療の副作用がどの程度のレベル
であったか
それを知り比べることが出来る。

しかしながらそこまで医学も科学も進んでいないのが現実。
母の当時の状況から推測するしか手立てがないというのが
私個人の感想である。

母の髪の毛が抜け落ちたのは抗癌剤ではなく
放射線治療の影響が強かった。
抗癌剤治療を受ける約1か月前に受けた放射線治療
その約2週間後に髪の毛は抜け始めた。

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抗癌剤を投与した日
母は病院の廊下をウォーキングしていた。
初日はまずまずのスタートだった。

しかし、投与回数を重ねていくうちに
徐々に徐々に母の身体は弱り始め
口内炎や食欲不振、倦怠感等
日常生活を楽しく過ごせない要因が多かったとも感じた。

ペメトレキセド(アリムタ)+カルボプラチンチン療法の効果が失速し
次の抗癌剤治療のメニューを提示された時
母は抗癌剤治療の停止を決断した。

母の中での葛藤がそうさせた。
抗癌剤投与の結果と副作用のリスク
このまま続ける意味と期待値

抗癌剤治療の辛さを知った母は
抗癌剤治療を受けなかった場合の苦しみとを天秤にかけ始めた。
そしてその答は経験した者にしかわからない。

母の選択は・・・
抗癌剤治療を停止したという判断は
人生に於いて大きな岐路となっているのだろうか?

人生に於いて
辛く厳しいことへの挑戦は
常に明るい未来への挑戦となりうるのだろうか?

抗がん剤治療を受けるのと、治療を受けないで過ごすのと
どっちが辛いのか

私にはわかり得ないが
母は知っているのかもしれない・・・

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2019年03月22日

癌治療と犠牲〜本当に大切な事〜

初めて母の病気を知らされた時

子供としてのショックは相当なものだった

それは母も同様

本人が一番辛いことは言うまでもなく

母においては

私たち(子供たち)の事や残される父の事など

自分の事に対する恐怖心よりも

「申し訳ない」という感情が優先していたことだろう

そんな母に対して

「頑張って欲しい」

そう願いを込めたことは言うまでもない

その想いは十分すぎる位に母に伝わっていたはず

そもそもで

闘病中に人間に「頑張って」は禁物なのかもしれない

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あの時の母にとって

本当に大切なものは何だっただろうか?

少しでも永く生きる事だったのか

父との時間を大切にすることだったのか

色々なところに連れて行ってあげることだったのか

そもそもで

抗がん剤治療や放射線治療を受けたことは正しかったのだろうか?

勿論、医学的にではなく、母にとって・・・という意味合いで・・・

治療を受け続けたことにより

犠牲になったものは多々ある

それこそ私が知り得ないものも沢山あっただろう

母にとって「生きる意味」は何だったのか

ご飯が美味しく感じられない

脱毛、倦怠感、だるい、口内炎、気持ち悪い、吐き気・・・

これらの犠牲は価値観の違いで良くも悪くも

取り方は真逆になりうる

頑張って欲しい・・・そう願った・・・

少しでも永く生きるという選択を母に課してしまっただろうか・・・

癌患者にとって

母にとって

一番大切な事とは何だっただろうか


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2017年05月01日

薬剤師は抗がん剤を使わない

書店で、一冊の本が目にとまった。

薬剤師は抗がん剤を使わない/宇田川久美子著

思わず手に取ったが・・・考えること数秒・・・

元の位置にその本を戻した。

理由は・・・逆に読みたくなかったから・・・。

母が抗がん剤治療を選択したことを否定される。

母が抗がん剤治療の継続をしないことを選択したことを

肯定される・・・。

この本を読んだら、いろんな懺悔や後悔が

自分の心を襲うだろうという怖さが先だった。

母は入院中、元気だった。

この人のどこが病人なのだろうか・・・

それに近い気持ちは母も感じていたことだろう。

入院してからは、血圧も安定し、血中コレステロールも

平常値になり、長年服薬していた薬が止められた。

更には低体温症が改善され、平熱は36度台半ばをキープした。

長年、35度台が平熱だった母の体温は1度前後上昇した。

辛かった肩こりも感じなくなり、とても嬉しそうだった。

頭部の開頭手術は仕方がなかった。

入院した直接の原因は脳腫瘍だった。

ただ、それが肺がんから転移したものだったということ。

腫瘍は摘出できるが、ステージWの肺がん治療は限られていた。

抗がん剤治療・・・。

正直、母は受けたくなかったのだと思う。

しかし、私は受けて欲しいと願った。

母に対して、自分で決めていいよ・・・と促しつつも、

自分の意見は意見として母に伝えたのだ。

あのまま・・・元気なままの状態で暮らせていたら、

母は抗がん剤の辛さを味わうことはなかった。

結果も重要だが、過程も重要だ。

どちらを選ぶか、という問題でもある。

抗がん剤を使った後の母の状態と

その移り変わりなど、気になる部分は多々ある。

・・・何が正しいのか・・・。

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2017年04月27日

”抗生剤”で蘇った母の記憶・・・あの時・・・

抗生剤を打ちます・・・
母はその医師の言葉に反応した。

抗生剤は・・・いやだなぁ・・・

呼吸が荒々しく、息苦しさはピークだっただろう・・・。
母が再入院した日の正午頃。
肺が殆どの機能を失っていた母。
その状態で、朝食を摂り、自宅で過ごしていた母。

しかし、それだけ・・・朝食を摂るのがやっとだった。
意識が途切れ途切れの母、
味噌汁をこぼす。
咀嚼が止まる。
意識は朦朧としていた母。

それでも、病院に行くことは母にとって辛く悲しいことだった。
それは、号泣した母の泣き声にすべてが語られていた。
今でも思い出すと胸が苦しくなる。

母は、抗癌剤が大嫌いだった。
アリムタ+カルボプラチン療法を6クール受けたが、
母の期待する結果は得られなかった。

抗癌剤は、もう打ちたくない・・・
それが母の選んだ道だった。
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あの日、母が抗生剤に拒絶反応を示したのは、
「抗生剤」を「抗癌剤」と間違えたのだろう・・・
咄嗟に私が抗癌剤じゃないから大丈夫だよ・・・と耳打ちすると、
苦しそうにしながらも、母は首を縦に振った。

壮絶な死との闘いの最終章の幕開けとなったあの瞬間、
母は既にいっぱいいっぱいだった筈だ。
本当に、本当に苦しそうだった。

母の死を看取れたことが、良かったのか・・・
時間が経てば経つほどわからななくなる・・・。
知らなくて良かった・・・ということもある。
見届けてあげることが出来た・・・という考え方もある。

分からない・・・わからないが・・・答えを探している訳でもない。

ただ・・・ほんとに苦しそうで、
目の前の生き地獄とも思える状況に何も出来なかったことと、
早く逝かせてあげたいと強く強く感じた記憶は残っている。

抗生剤・・・小林麻央さんのブログ記事を読んで・・・
突如として蘇った記憶・・・母の記憶・・・。

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2017年01月29日

コメントありがとうございます。ガビさん・・・ですよね・・・この度はご愁傷さまでした。





ガビさんお久しぶりです。
以前はお父様が苦しそうにして眠れず、
見ていられない状況下でのご相談でしたね。
何もしてあげることが出来なかった・・・と
感じたりしていませんか??

もし感じているとしたら、
その心の葛藤はしばらく続きます。
自分を追い込まないよう気をつけて頂ければ幸いです。

私は母を亡くしましたが、父は健在です。
逞しかった父が、脳梗塞を患って以来
年々少しずつ弱っていく様を目の当たりにしています。

ガビさんにおかれましては、さぞ辛かったこととお察しします。
最後の10日間・・・忘れることはできないでしょう・・・。

お父様が他界されたことのご報告に併せて、
当ブログへの感謝の意まで頂き、誠にありがとうございます。

出来ることなら、今後も残された遺族として
いろんなことを語れたら・・・と感じます。

ご丁寧にコメント頂きまして
ありがとうございました。

またいつでもお立ち寄りください。

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本当の意味での癌治療を考える

推奨された癌治療

がんを患った患者さんの多くが、この抗がん剤治療という
治療方法を選択肢の一つとして提示・推奨されます。

がんの種類や、がんの進行度合いによって、抗がん剤治療の
種類もたくさんあり、その選択は病理検査の結果から一番
適していると思われるものが選択される。

抗がん剤はがん細胞を死滅させるための薬ですが、
がん細胞自体が、もともと自分の細胞が変異したものである
がゆえに、正常な細胞も同時に攻撃してしまうというリスク
を伴う治療方法・・・それが抗がん剤治療。

またそれによって生じる色々な症状が、俗に言う「副作用」
といい、この副作用についても様々です。

比較的副作用が強く出てしまう傾向にあるものから、
そうでないもの・・・そこには個人差もあるために
実際、治療を開始するまではどのような影響がでるのか
医師にもわからないことが多いのです。

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癌によって

がんのステージ(病期)の分類もがんによって違います。
大きく分けると、ステージ1〜4の4種類ですが、
ステージ4aなど、アルファベットを付けてさらに細分化
されています。

早期発見されると、腫瘍を手術で除去してお終いです。
あとは、以後5年間定期的に検査を繰り返し、その間で
再発や転移等が確認されなければ完治とされますが、
発見された時、既にがんが進行していることの方が多い
というのが現状のようです。

特に、転移が確認された場合、体中にがん細胞が散らばっている
可能性が高く、放射線や抗がん剤による治療を勧められることが
殆どではないでしょうか?

この場合、抗がん剤治療はただ単にがんの進行を遅らせるための
延命的な処置なのか、はたまた根治を望めるものなのかが焦点と
なると思われます。

抗がん剤でがんが消えた、という症例も数多く実在していますし
その真逆の症例?もまた数多くあるのも現実であります。

私の母は、非小細胞肺がん・ステージ4でした。
脳に転移していて、その脳腫瘍が原因で倒れたことで
肺がんが発覚しました。

抗がん剤治療はペメトレキセド+カルボプラチン療法で
6クールを約5か月間掛けて受け続けました。
辛い副作用もありました・・・食欲への影響はやがて母を
骨と皮だけにしてしまいました。

母は入院から12か月と3日で永眠致しました。
抗がん剤治療をしたから寿命が延びたという認識です。


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とある症例

ここで、私の手元にある本にのっているある肺がん患者さんの症例を
紹介させていただきます。

喘息の疑いで訪れた検診で、CT検査を受けた所
ステージ4の肺がんが見つかったそうです。
既に全身に転移しており、データ上ですと
半年以内の死亡率が約50%、3年生存率は10%という状況。

この患者さんは抗がん剤治療を受けず、肋骨と肺の痛みが
強くなった時だけ放射線をかけて、あとは何も治療せずに
タバコを吸い続けること3年と9か月間生きることが出来た
そうです。

単純に、私の母の4倍近くを生き抜いたことになります。

私の母にとって、抗がん剤治療は延命の為だったという認識
でいるのですが、この症例と比べてしまうと、致命的な治療
だったと言われても何も言えないのが本心です。

本当の意味の治療って、一体・・・何でしょうか?

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2016年11月29日

毒ガス兵器から始まった・・・抗がん剤発見の悲しい過去

毒ガス兵器・マスタードガス

1917年、ドイツ軍がカナダ軍に使用した化学兵器。
マスタードガス・・・毒ガスでシクロスファミドの元となる物質。

このシクロスファミドをご存知の方・・・そうです・・・
シクロスファミドとはDNA合成を阻害するすることで作用する
抗がん剤のことです。

このシクロスファミドが発見された裏で何があったのか!?

もともと農薬の研究過程で合成されたものだったそうですが、
その毒性の強さ故に、開発途中でSTOPがかかったと言います。

マスタードガスは、「ゴムを透過」するという兵器としては
優れもので、戦場でも恐ろしい化学兵器でしかなかった。

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抗がん剤になったきっかけとは?

1943年、大量のマスタードガスを積載したタンカーが
沈没するという事故が起きた。

その時、多くの乗組員たちが海に投げ出された。
この時、救助された人にある症状が現れた。

その症状が血圧の低下や、白血球の減少だったそうです。
この白血球の減少に目を付け、白血病治療に効果があるかもしれない、
ということが最初の扉だったようです。

やがてドイツで開発されたのが、シクロスファミドなのだそうです。
ですので、シクロスファミドの元々のルーツは
「毒ガス」であったということになります。

悲劇から生まれた世紀の発見。
抗がん剤が今でも毒薬だと言われ続ける裏には
このような抗がん剤の歴史も関係しているのかもしれませんね。

日本でも、昔から言われている「良薬、口に苦し」
という言葉がありますが、
出来れば抗がん剤もこのような存在であって欲しいです。


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2016年10月05日

ステージ4で癌治療を受けた母・・・放射線治療から化学治療へ切り替わった時

母の病名
非小細胞肺がん(肺腺癌)⇒ステージ4

母の受けた放射線治療内訳

◎放射線照射部位
・頭部への全脳照射

◎放射線量と放射線照射回数
・総放射線量=30Gy(単位:グレイ)
・放射線治療回数⇒10回
・1回の治療で受ける放射線量⇒3Gy(単位:グレイ)

◎放射線治療時間
・1回の治療につき「5分」

◎その他
・頭部全体に対する放射線照射の為、放射線治療中に顔面が被爆
 しないように保護するための専用マスクを着用。

〜母が放射線治療を受けた経緯〜
頭部に腫瘍が発見されたことをきっかけに、精密検査で肺腫瘍も確認。
ステージ4であることも判明。
医師団が総合的に考慮した結果、頭部の腫瘍摘出手術+頭部放射線治療
を優先することに決定。

当時の母の副作用症状


★吐き気・嘔吐
・1日の中で不定期に数回来る吐き気の症状はあるが、
 嘔吐までは至らない、比較的軽度の吐き気のみ。

★脱毛
・放射線治療を終えて1週間後位に脱毛のピークを迎えたが、
 その後は落ち着いていた。
 頭髪は見た目ではまだ40%前後は残っていた。

★味覚障害
・味やにおいに過敏になり、白米・肉類・牛乳・チーズ
 については身体が受け付けない状況がしばらく続いた。

★食欲の低下
・吐き気や味覚障害の影響もあり、病院で出された食事の7割は食べれず。
 ただ、なぜか朝食だけは9割以上の確率で完食できていた。

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ステージ4の母の受けた化学治療
抗がん剤治療

・がん治療の一つに、薬を使う治療として化学療法があります。
 主に抗がん剤やホルモン剤を使用し、その治療方法としては
 「注射」や「飲み薬」での投与方法になるそうです。
 母の場合は「抗がん剤を注射(点滴)」による治療でした。

アリムタ + カルボプラチン 療法

起こりうる副作用
◎アレルギー症状
・かゆみ
・じんましん
・発熱
・息苦しさ
・血圧の低下など

◎点滴部位の血管の痛みや炎症

◎点滴部位周囲の皮膚の炎症

◎骨髄抑制
・白血球減少
・ヘモグロビン減少
・血小板減少

◎吐き気・嘔吐

その他
◎倦怠感

◎味覚障害

◎口内炎

◎便秘

◎脱毛

◎手足のしびれなど・・・

このように予想される副作用症状を羅列されてしまうと、
これから開始する抗がん剤治療に対する恐怖が湧き上がってくる。
もともと痩せ形の母は、入院前は42キロ・・・この時点では38キロ。

数字にすると3キロマイナスなので、それほどでもないようにも
感じるのですが、母の体感している体力や筋力の低下具合は、
それ以上に感じていたようでした。

精神的にも不安定な日が多く、何かと涙を流していました。
もうこれでお終いにしてほしい・・・
もう治療はしなくていい・・・
そんな母の心の声が聞こえてくるかのように、
手に取るように心情がうかがえました。

ステージ4の肺がん・・・

「抗がん剤は効果がない」なんていう世論も見聞きすることもあり、
母が「抗がん剤治療は受けたくない」と言ったら、
否定せずに受け入れよう・・・そう心に決めていました。

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2016年10月04日

ステージ4肺がんの治療で抗がん剤を選定する時の心の壁

 
ステージ4肺がん治療

アリムタ+カルボプラチン療法

全6回(6クール)の投与を予定

1クールを21日間(〜28日間)としている。

抗がん剤の選定

抗がん剤の選定はもちろん医師団によるもの。
投与する抗がん剤が効くか効かないかは個人差があり
わからないとのことで、効果が確認できない場合は
投与する抗がん剤を変更して仕切り直しになるという。


抗がん剤効果の確認

投与した抗がん剤が効いているの効いていないかの
確認が出来るのは2回目の投与後、骨髄抑制の影響で
血小板の低下や白血球の減少が見られる時期に、
造影剤レントゲン撮影や血液検査などにより
確認することが出来るという。


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ハツカネズミやモルモット状態

そうともとれるこの状況、唯一の頼みの綱は、過去のデータ。

過去に同じ病状で抗がん剤治療を行って頑張った
患者さんのデータが参考になっているのは間違いない。

闇雲に選定されたのではたまったものではない。
抗がん剤は強い副作用も伴うため、
気安くチェンジという代物でもない。                                                                                ななのに、それなのにである。
結局効いていないことが判明すれば
いくら頑張っていても抗がん剤を変更
しなければならない。

当然、抗がん剤治療を拒否する権限は患者側に
あるのだが、「命」を天秤に掲げられると
どうしても「命の選択」を迫られている心境に
なるのは致し方が無い。

個人差という言葉の保険
 
結局のところ、抗がん剤ががん治療に効くのか効かないのかは
個人差がありますので、やってみなければわかりません。

この文章ですべてがまとめられてしまうのが現実です。
何をどのように質問しても、良いことも悪いことも
どちらも「個人差」で説明されます。

医師にもわからないのです。

わからないことに立ち向かう患者は
もっとわからなくなります。


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