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2016年10月20日

若くて綺麗・・・がプレッシャーに変わった

若くて綺麗と言われ続けてきた母

肺がんは全てを奪っていった。

そしてそれは一瞬だった・・・光陰矢の如し・・・

一年の短さを思い知らされた。

癌治療における三大治療を受けた母。

手術、放射線治療、化学治療・・・

母に残されていた一年間のうち七か月間は治療に費やされた。

そしてその七か月間で母は・・・母の姿は変わり果ててしまった。

脱毛・・・体重の変化・・・

母は私が幼少のころから若くて綺麗だった。

参観日では母のことを褒められた・・・

逆に褒められない時が無かった・・・それは先生からも頂戴した。

自慢の母だった。

四十路までは当然のことながら、

五十路を過ぎても、六十路を過ぎてもそれは続いた。

十歳以上は若く見られるのが日常だった。

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状況は一転した

そんな母も、病床に倒れたことで一気に変わってしまった。

やせ細ったのは体だけでなく、顔も・・・。

はたから見ると母は病的な痩せ方だったのだろう・・。

毎日顔を合わせると意外と気付けないこともあった。

がん治療の副作用で脱毛が始まった時は大変そうだった。

まるで春から夏にかけて犬の毛が生え変わる時のように

母の頭髪は抜け落ちていた。

ブラッシングして、その抜けた髪の毛を取り除いていた。

思い出すと辛い。

それでも母は気丈に振る舞っていた。

しかし・・・母は気にしていた。

変わり果てた自分の姿を見せたくなかったのだ。

昔から知っている人であればあるほど、

その想いは強く作用していた。

古い知人や旧友とは電話でのやり取りしかしなくなった。

食事に誘われても、温泉に誘われても、

旧友のお見舞でさえも行かなかった。

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自分の姿を見せたくなかった母

病気をしている姿を、弱弱しい姿を見せたくなかった。

いつも元気ハツラツで、弱音を吐かない人だった。

しかし、それが仇となった・・・のかもしれない。

母は誰にも・・・親友、旧友、古くからの知人、兄姉・・・

最期の最期まで会うことはなかった。

葬儀も子供たちだけで見送って欲しいとの遺言だった。

言われた通りにした・・・。

今となっては、それが母の本意だったのか否かはわからない。

ただ、病気を患って変わり果てた姿を見られたくない、

見せたくない、過去の自分と比べられたくない・・・

そんな感情は伝わっていた。

若いと・・・綺麗だと言われ続けた母が故の苦悩!?

だったのかもしれない。

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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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