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2016年02月12日

末期の肺がん、最後の一週間は何も出来なかった

母の最期の一週間を綴ります。
何も出来なかった、
何も・・・です。

呼吸さえもままならない状態で
高濃度酸素吸入装置につながれた母は
もはや最大出力5.0リットルの酸素量では
間に合わない、末期の肺がん。

苦しい・・・眠い・・・痛い・・・

ベッドに横になることも出来ず、夜も眠れず、
椅子に座ったまま意識が遠のく末期の肺がんの母。

トイレに行こうにも、むくんだ下半身が
文字通り足を引っ張る。

牛歩でトイレに向かう姿を今でも思い出す。
キャスター付きの椅子を車椅子代わりにして
トイレに行った、末期の肺がんの母。

食事の用意はできないので、私が用意をした。
洗濯は姉が持ち帰ってくれた。

何もできなくなっちゃった・・・
そう嘆く母の声は、弱弱しく、力も無い。

最後の一週間・・・食事の量も細くなり、母の平らげるご飯の量は
私の一口の量でした。

その量のご飯を30分以上かけて食べる母。
お味噌汁を飲むために、口のそばまで持っていき
その状態で意識が遠のき、動きが止まっている。
これが末期の肺がん症状・・・!?

最後の一週間・・・とても見ていられなかった・・・
かと言って、母がもうすぐに逝ってしまうとも
思わなかったし、思いたくもなかった・・・末期の肺がん。

入院すれば、酸素吸入量も5.0ではなくて
倍以上の酸素量を吸入できる。
だから、今よりは楽になれるはずだ・・・と、

末期の肺がんを軽視していたのかもしれない。
軽率だった、というよりは甘かった、最後の一週間。

何も出来ていない母が、病院へ行ったからと言って
何かが出来るようになるなんて、そんなに虫のいい話はない。

母は末期の肺がん患者で、途中からは治療もしていない末期の肺がん患者だった。
虫歯と同じで、放っておいても良くなるはずもなく
悪くなるのが自然の摂理だった。

昨日より今日、今日より明日・・・
末期の肺がんの母は確実に悪化していた。
だから、動けなくなった。
最後の一週間だということに気づくことも出来ずに・・・。

寝たきりにもなれない状態で、座ったままの状態が続くと
母のお尻の痛みは限界を超えていた最後の一週間。
お尻が痛い・・・お尻が痛い・・・と何度も言っていた。

そんな日が一週間前後続いた・・・そしてそれが最後の一週間となった。
数日後に母が他界するとわかっていれば・・・
間違いなく私の行動は変わっていた。
それが悔しい・・・悔しくてたまらない・・・最後の一週間。


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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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