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2017年11月20日

貧乏の想い出

幼少期・・・物心ついた時、
自分の家が貧乏であるという自覚が芽生えた。

自分の家だけが貧乏だったというわけではない。
隣近所、同級生にも貧乏と思われる家庭はあった。
私の家はそのうちの一つだったに過ぎない。

貧乏だったことを恥じる気持ちは大いにあった。
当時、家が借家で、トタン張りで、トイレはボットン便所だったことが恥ずかしかった。

だから、自分の誕生会を開くこと、友達を呼ぶことも嫌だった。
そう言う意味では、いい想い出は全くない。

それは友達の誕生日会でも同様だった。
誕生日プレゼントを買うお金がなくて
兄からのおさがりだが、当時お気に入りだったゲーム機を
包装して持って行ったこともある。

今思うと恥ずかしいが、あの当時の私にしては頑張った。
中学生くらいになると貧乏を隠そうとするようになり、
高校生になると、自分が大人になったらこうはならない
と心に誓うようになった。

高校生の時、私は野球部に入った。
スポーツはお金が掛かる。
それは野球も同じだ。
グローブ、スパイク、練習用と試合用ユニフォーム一式、ジャンバー、
専用のバッグ・・・等々その他諸々多くのお金が掛かる。

その殆どが万円単位・・・当時、昼も夜も働いていた母独りの稼ぎでは
賄えない金額だった。

自分が高校生と中学生の子を持つ親となった今、
あの時の母の苦労がどれほどのものだったのか、
自分なりに想像してみた・・・。

どうやってやりくりしていたのだろう・・・と、率直に思う。
母に関しては子供は3人いた。
夫は働かないうえに、借金も作った。
想像を絶する・・・と言うと大げさかもしれないが、
到底考えられない経済状況だ。

でも、いい想い出もある。
高校入学してすぐのこと、近所の二つ上の先輩が当時のキャプテンだった。
私の家の事情を知っていたからだろうか・・・
入部と同時に使わなくなったグローブとスパイクをくれた。

私はそれを3年間大事に使った。
我が家の家系的にはかなり助かった。
貧乏だったから味わえた優しさ、暖かさ、人情・・・
今でも忘れない。
あの日の感謝は思い出す度に増している気がする。

貧乏であったが故の幸福感。
時と共に膨らむ感謝と恩義。

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