2017年06月25日
陰と陽、光と影・・・太陽のような人
いつも明るく、何があってもくじけず
ポジティブ、かつアクティブで、
その人のそばに居るとなんとなく力が貰える気がしてくる。
そんな人が身の回りにいるだろうか??
私の身の回りには勿論いる。
自分がそんな存在でありたいと思ったこともあるし
そう願う気持ちも常に心の片隅にある。
太陽は光の発生源であり、光の届く範囲のものは
常に照らしてくれている。
太陽のような人も、そんな存在に近い。
しかし・・・悲しいことに・・・
照らしてくれる存在があるがために、
この世には影が発生してしまうという事実がついてまわる。
陽(光)が無ければ、陰(影)も存在しない。
陰ひなたの無い人に照らされた人は
パワーを貰える一方で、自分の影の部分をも知ることになる。
だからだと思う・・・太陽の様ような人と接すると
パワーをもらえる反面で、多くの事に気づかされる。
自分の陰と陽を知ることは決してマイナスにはならない。
今、陰になっている部分も、
違う向きから光を当てれば陽になる。
あなたはパワーを与える側の人ですか??
それともパワーをもらう側の人ですか??
私の母は、太陽のような人でした。
私をいろんな方向から照らしてくれました。
もっともっと照らし続けて欲しかった・・・。
母が生きている時、
そんな風に考えたこともなかったくせに・・・
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ポジティブ、かつアクティブで、
その人のそばに居るとなんとなく力が貰える気がしてくる。
そんな人が身の回りにいるだろうか??
私の身の回りには勿論いる。
自分がそんな存在でありたいと思ったこともあるし
そう願う気持ちも常に心の片隅にある。
太陽は光の発生源であり、光の届く範囲のものは
常に照らしてくれている。
太陽のような人も、そんな存在に近い。
しかし・・・悲しいことに・・・
照らしてくれる存在があるがために、
この世には影が発生してしまうという事実がついてまわる。
陽(光)が無ければ、陰(影)も存在しない。
陰ひなたの無い人に照らされた人は
パワーを貰える一方で、自分の影の部分をも知ることになる。
だからだと思う・・・太陽の様ような人と接すると
パワーをもらえる反面で、多くの事に気づかされる。
自分の陰と陽を知ることは決してマイナスにはならない。
今、陰になっている部分も、
違う向きから光を当てれば陽になる。
あなたはパワーを与える側の人ですか??
それともパワーをもらう側の人ですか??
私の母は、太陽のような人でした。
私をいろんな方向から照らしてくれました。
もっともっと照らし続けて欲しかった・・・。
母が生きている時、
そんな風に考えたこともなかったくせに・・・
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約束通りの投稿ありがとうございます。
心待ちしていました。
じっくりと読ませていただきましたが、
凄くよくわかります。
私は全面的に信じます・・・このようなエピソードには本当に興味があり
もっともっと聞かせていただきたい・・・そんな気持ちでいっぱいです。
タオル・・・暖かい空気・・・黒揚羽・・・
一つ一つのエピソードそれぞれに喰いつきました。
弥生さんが感じた通り、すべてお母様だと思います。
理由なんてありません・・・そう信じているからです。
死んだら無になるとも思っていません。
弥生さんと同じです・・・死ぬまで答えは出ません・・・
だからこそ信じ続けます。
昔から言うじゃありませんか・・・信じる者は救われる・・・と(笑)
私も、母に電話したら何事もなかったように出てくれる気がします。
・・・ホント・・・叫びたくなる時がありますよね・・・。
弥生さん・・・小さなことでも構いません・・・
浮かんだ想い出、小さな不思議、叫びたい想い、
なんでも構いませんので、またお立ち寄り願います!
by satorich
前にお話した母の気配の事を書かせていただきます。
実家に帰省する度に色々ありましたが、印象深い出来事を。
昨年7月母のお葬式の夜、湯船に浸かって泣いている時、壁にかかっている母のタオルがゆっくり落ちていきました。
まるで母が「いるからね」と言ってくれたような気がしました。
ある夜、なかなか眠れず、「お母さん」とつぶやきました。
すると左腕に暖かい空気が当たり始め気がつくと朝になっていました。
ある時は庭の水撒きをしようと玄関を出たら黒揚羽が飛んでいて「お母さんだったりして」と思ってたら隣の家に飛んでいきました。
反対側の木に水撒きをしていて気がつくと、飛んでいったと思った黒揚羽が耳元にいました。
本当にビックリしました。
色々な現象が母かどうかは私が死ぬまで答えが出ません。
母であって欲しいと心から思いますが、死んだら無になるのではと思う自分もいます。
実家に電話したら何事もなかったように母が出てくれるんじゃないかとか、
父と食事をしている母、大好きだったサスペンスドラマを見ている母が
いるんじゃないかと思う時があり、「いないんだ」と我に返った時の寂しさは大声で叫びたくなるような気が変になりそうです。
でも寂しさを抱えながら生きなければいけません。
またいつか夢の話を書きますね。
長々と下手な文章を読んでいただき本当にありがとうございました。