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2017年05月26日

”ごめんね”を連発、母が遺した父への手紙

ごめんね。
お父さんごめんね。
辛かったね。
悲しかったね。
その表情からすべてを感じ取れた。
ごめんね。
私の頑張りがちょっと足りなかったかな?
(中略)
もう一度一緒に生活したいね。
必ず会いに行くからね。
ごめんね ごめんね ごめんね

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銀婚式を翌年に控えていた両親。
それを迎えることなく引き裂かれた夫婦。
父の介護を一手に引き受けてくれていた母が行きついた先は
幸せなひとときではなく、残酷な現実であった。

辛いことの連続。
誰の助けも受けずに母独りで頑張ってきた結末は
非情と言うよりは、当然の結果・・・だったのかもしれない。

私の頑張りがちょっと足りなかったかな?
その一文は私の心に痛烈に突き刺さった。

ちょっとも何も、頑張り過ぎ・・・いや・・・
頑張らせ過ぎてしまった。

父が脳梗塞を発症後、8年ほどは両親二人暮らしだった。
その間、週に一度程度しか実家に顔を出すことはなかった。
同居後、私が父の介護の手伝いをした記憶は薄い。

薄っぺらい手伝いしかやらなかった。
母の「いいよ、大丈夫だから」の言葉を真に受けるほどの
大馬鹿息子だ。
馬鹿に効く薬はないと言うが、本当だ。

自分が馬鹿だと認識できるその時まで
ずっとずっと馬鹿のまま。

同居していた意味がないじゃないか。
なぜ母が崩れるその時まで手を打たなかったのか?
何も気づいてあげることが出来なかったのか?

一生ついてまわる自問自答。
そしてそれに対する言い訳はいくらでも言える。

当時、自分のとった行動や考えを正当化することも出来る。
簡単だ、自分に都合の悪い部分を削除したうえで
もっともらしい言葉を重ねればそれでキレイに納まる。

自分の環境を否定できる人は素晴らしい。
自分を否定したうえで、自虐的にも悲観的にもならず
しっかりと前を見据えている人は、
生きる意味を本質的に理解できているのだと思う。

母は・・・母はどうだっただろうか・・・
父に宛てた手紙を手帳の最終ページのポケットに
そっと忍ばせた母。

そこには”ごめんね”を連発してあった。
自分の頑張りを否定してあった。
その上で、もう一度一緒に・・・と希望も綴っていた。

母のごめんねはいろんな状況で発せられた。
入院後、がん発覚後、退院後、通院中、自宅療養中・・・
闘病中だけでも、母は何度”ごめんね”を発したことか。

この手紙も捨てられない一枚・・・なのだが・・・
自分の子供たちに継承されても困るだろう・・・
必然的に、自分の代で処分する必要があると思うと
胸にとても熱いものがこみあげてくる。

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