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2017年03月23日

役職を降りた年・・・人生がざわつき始めていた

課長職を捨てた時

もうすぐ3年が経つ。
月日が過ぎるのは本当に早い。
あの年、私は課長と言う管理職を降りた。

あの年・・・色々なことが重なった。
辛い年・時期は誰にでもある。
それが自分にも起きた・・・それだけの事だ。

何があったかはどうでもいいことだ。
理由は何であれ、私は管理職を降りた。

優秀な部下に恵まれていた。
色々な種類の人を管理してきた。
人事、面接、人選・・・貴重な経験をした。

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反対側の景色

課長職を降りて数か月、
私はアルバイトをしてみた。
久しぶりに見た反対側の景色・・・。

面接される側の緊張感を味わった。
新しい職場の緊張感・・・忘れていた何かが
そこにはあった。

私は管理職と言う立場に浸り過ぎていた。
いつしか自分が優秀な人材だと思い込んでいた。

現実を見つめ直す良いきっかけとなった。
今自分のいる会社でしか活躍できない人間に
成り下がっていた自分に気づけた。

私はアルバイト初日に接触事故を起こした。
何が何だかわからなかった。
緊張していた。
自分の力以上のものを引き出そうとしていた。

背伸びしすぎて足が攣ってしまったのだ。
自業自得だった。

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ざわつきから得たもの

何をやってもうまくいかない年が続いた。
母が入院して更に落ちた。
年が明けて新しい年を迎えても
悪あがきは続いていた。

人生初めてのダマシにも会った。
親指を深く切創したのもこの年だった。
傷は深く、今でも後遺症が残っている。
ざわつき過ぎていたという印象だ。

この年・・・母が亡くなった。

何が何だかわからず、ゆっくりと立ち止まって
考えることもせずにいた。

見えなかったことが見えてきた。
見えなくなっていたものが見えてきた。
忘れていたことを思い出すことが出来た。

母の事に関しては一言では語れないが、
自分のざわつきに関しては一言で語れる。

「あのざわつきは自分の心が招いたことである」

ということだ。
なんでもそうだが、心の持ちようですべが変わる。

あの二年間の激しいざわつきはいい経験だった。
人生の教訓にもなっている。

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