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2017年03月17日

無き実家に帰ってみる・・・

私の実家はない
・・・今は・・・。
十年ほど前に取り壊された。

私が生まれ育った家は、賃貸だった。
自慢のボロ家だった。

屋根も、壁もトタンで薄い窓ガラスが入った木枠の窓。
住めば都・・・私の生家は居住用の建物ではなかった。
元々は内職作業部屋として建てられたものを
居住用に改装した部屋が全部で3部屋あった。

我が家はそのうちの2部屋を借りていた。
残りの1部屋は大家さんの身内である
おばあちゃんが独りで暮らしていた。
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脳裏に焼き付いている実家に帰る

玄関は引き戸だった。
木枠の引き戸で薄いガラスが入っていた。
開け閉めすると独特の音を醸し出す。
建付けが悪いので時々動きにくくなることがあった。

玄関はモルタル製で手作り感抜群。
下駄箱も引き戸式で木製のものだった。
下駄箱は建付けが悪くて開け閉めが大変だった。

玄関の次はいきなりリビング。
玄関とリビングの仕切りは障子窓だった。
障子が破れるとただでさえ来る隙間風が
より一層強く感じた。

リビングは約8畳で、押し入れが2か所。
壁は吹き付けで、壁の色は元は白だったと思うが
タバコのヤニで黄色っぽく染まっていた。

リビングを出ると正面にキッチンがあった。
もちろんその仕切りは障子窓。
障子窓を開けると狭い廊下が東西に走っていた。
左に行くとお風呂場で右に行けば別部屋
・・・通称、子供部屋があった。

私たち兄姉弟は川の字に寝ていた。
子供部屋は約10畳で、2畳ほどのスペースが
区切れるようになっていて、兄と姉はそこに
それぞれ部屋?を構えるようになった。

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お風呂場は意外と広くて洗濯機があった。
ベニヤ板だけで仕切られていたお風呂場は
ネズミが棲みついていた。
当然のごとく、蛇も登場した。
もはやセット商品だった。

トタン屋根の家は、夏の大雨に出くわすと
大音量にしてもテレビの音が聞こえないほどだった。
廊下の床板は今にも抜け落ちそうで
時々、走り抜けていくゴキブリを踏んでしまった
こともあった。

キッチンから子供部屋に行く途中にトイレがあり
そこはぼっとん便所だった。
子供のころからウジ虫の観察が出来た。

トイレのスリッパを履いた瞬間に
中に潜んでいたゴキブリが脚を伝って
登ってきたこともある。
とにかくゴキブリ率が高かった。

脳裏に焼き付いた実家に行くと
そこには笑顔の母が居る。
記憶と共にたくさんの思い出が蘇る。

・・・悪くない・・・時々こうして帰ろうかな・・・

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