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2019年12月23日

川内多々奴比神社と籾塚古墳

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多々奴比(たたぬひ)とは、縦縫(たてぬい)氏のことらしいですが、出雲地方からやってきてこの地に定着していたらしいのです。
 籾塚古墳も、その縦縫氏の古墳らしい。この古墳は高速道路建設でその下部になり、石が散乱しています。
 でもどうして、出雲からここまで来たのか、不明です。
 下板井から上板井地区は西紀地区の穀倉地帯だったのではないか、などと想像をめぐらしています。
 古代史は想像を膨らますのにもって来いの時代です。
 
 神社では毎年、神輿が盛大に担がれます。詳しくは、丹波篠山市観光課へ。
 あっ、川内は昔の郷の名称らしいです。

 

弥十郎が岳と洞窟

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 弥十郎が岳にやっと登れました。
 ただ、曽地(そうじ)中地区の窯ピザ屋から登ったためか、かなり険しいところもあり、片道2時間はたっぷりかかりました。
 高城山も下に見えて壮観です。
 大阪方面が見えないのでもっと展望をよくしてほしいという気持ちがありますね。
 でも、久々の運動でリフレッシュでき、帰りの「クワモンペ」の料理も格段美味しく感じました。
 この登山の途中に、昔ホームレスだった弥十郎さんが住んでいた大きな洞窟(右の写真)があり、石器時代の雰囲気もありました。

2019年12月12日

年末イルミネーション

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 今年も、あちこちでクリスマスに向けてイルミネーションを付けているところがあります。
 あまりきれいな映像ではないのですが、左は矢代地区のユニトピア入り口のシカをかたどったイルミネーションです。
 右は、産業高校の西方の西浜谷あたりの民家に華々しく点灯しています。
 他にも、南新町の交差点に大きなクリスマスツリーのイルミネーションがあり夜の散策が楽しくなりますね。篠山は街全体が暗いので余計に華やかに見えるのが不思議です。
 
 

2019年12月10日

最東端 奥山入り口

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 ここは、丹波篠山市の最東端である奥山地区の入り口にあたる三差路です。
 子どもたちが遊んでいると思いきや、これらは案山子なのです。
 リアルすぎて怖いほどですが、子どものいない風景も殺風景なものです。

 右の写真は、その近くにある喫茶店。
 朝から烟があがり、明かりが灯っているのは営業中の証拠です。
 山の中、ちょっとホットする場所でした。
 

災害に強い森づくり

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 奥畑地区の太寧寺(たいねいじ)は“格式”が高いと聞いていたので、行って見ました。
 深山に囲まれた堂宇がこじんまりとしていて清閑で、時期を過ぎた紅葉をかき集めている人がいました。
 “格式”とは、昔の公式差別と区別なのですね。
 
 今は、バッファゾーンなどを設けて獣害を防ぎ、直接の土砂災害に見舞われないようにしています。
 兵庫県のみどり公社が、この看板をつけて災害を未然に防ぐ森林を涵養しているようです。
 地球温暖化に対する「適応策」ということでしょう。

奥畑の太寧寺

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 太寧寺は奥畑地区の中ほどにあります。
 下からは望めない位置にあり、何やらゆかしい寺であることがわかります。
 入山してみると清閑。苔むした石階段に迎えられます。
 ちょっと、東本荘地区の洞光寺に似ていますが、それもそのはず同じ曹洞宗なのです。
 創建時期は、こちらのほうが早いのですが、観光としては洞光寺の方が栄えています。

2019年12月09日

福住本陣跡

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 丹波篠山市の東部の福住地区は、伝統的建造物群保存地区となっています。
 それは、宿場跡で当時の面影が残された細長い街道が奇跡的に残されたからなのです。
 その一角に、その往時の風景を損ねまいと、市営住宅が建っているのです。
 ところが、遠くから見た感じでは、昔の「本陣」ではないかと思しき建築物なのです。
 こういう建て方もできる日本の技術に感服しています。
 この先をさらに東に進むと「住吉神社」があり、重森美玲の庭園があります。
 散策をどうぞ。

高城山からの“矢文”

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 旧畑小学校区の和田地区の善法寺というお寺には、かの明智光秀が高城山と対陣したとき、この寺に陣取っていた高城山と同盟を組んでいた「畑氏」の地侍に、救援を頼んだという「矢文(やぶみ)」が残されています。
 篠山市の歴史紹介には書かれていますが、本物は見たことがなかったため、お許しを得て撮影しました。
 寺の本堂に掲げてあります。
 この「矢文」の正体については諸説あり、先の説明どおりには簡単にいかないかもしれません。
 400年以上前の紙が現存していること自体、なにか不思議な気持ちがします。また、書かれている宛名も史料には表れていないそうです。
 いずれにせよ、和田地区の北に隣接する大渕地区の長徳寺には隠れキリシタンのいた証拠をしめす「マリア観音」が安置され、その東側の山には奥村宗旦という高城山の家来が十字架を立て、その麓の般若寺地区に礼拝所として「天通寺」を建立したということは史料に記されているようです。歴史の流れは、支配層でのキリスト教流行→明智謀反→「お玉様」が謀反人の娘に→秀吉のバテレン追放令→隠れキリシタン増える、という順番になっています。
 つまり、キリシタン大名の高山右近が山向こうの高槻の城主だったころ、明智光秀の時代の遺物が残っていて、何故、明智の娘がキリストに帰依して「細川ガラシャ」となったのかわかるような気もするのです。
 畑宮地区には高山姓があるのとどういう関連があるのかはいまだわかりません。
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篠山永住権を持って篠山に住んでいます。わかる限り10代以上前から開拓しています。 篠山は宇宙の観念的中心と考える「丹波ささやまにぃの会」代表。 写真は篠山市のゆるキャラ、まるいの君。
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