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2019年06月28日

清兵衛の碑

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 「清兵衛」と言えば、藤沢周平の「たそがれ清兵衛」を思い出します。
 属している世代がわかると思います。

 しかし、丹波篠山で「清兵衛」と言えば、酒作りとしての出稼ぎの許可を求めて直訴した清兵衛を思い出します。
 この決死の覚悟で直訴した決心を讃えて、ここに石碑が建てられています。
 カビやコケが生えて見えずらいのですが、なんとか解説プレートを添えてほしいですね。
 日本遺産になったデカンショ節は見えないものですが、この功績も見えないので「見える化」に努めてほしいものです。右の写真の碑は、「波部」、「園田」両名の碑が立っています。
 ここは、デカンショ祭りが行われる三の丸公園の片隅です。

篠山・江戸時代の闘い

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 江戸時代は外国からの侵略もなく、戦国時代が終結した平和で安穏とした時代だっというイメージがつきものですが、身分制度の軋轢はひどいものでした。
 この丹波篠山でももちろん年貢の搾取や武士の横暴に苦しんだのです。
 飢饉でコメが獲れないので柿まで年貢として治めさせたという記録があるくらい、圧制を強いたこともあるのです。
 あまり記録に
残らない農民一揆や反乱、逃亡などを記録しているものはないのですが、旧兵庫農大などの努力により、様々に研究されています。
 この碑は、その一つの記録が残されていて、歴史を研究し学習する若い人たちにも見てほしいものです。
 これは、デカンショ祭りが開催される三の丸公園の片隅にあり、祭りのライトのため陰になっています。
 「人権教育」のゆがみもあり、一筋縄ではいかないことを重々承知の上で、眺めてみるのもいいでしょう。 
 

2019年06月27日

真南条上谷中分水界

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 ちょっと長い名前ですが、真南条(まなんじょう)地区の上に位置する谷中の分水界という意味です。
 そう、この場所が、滔々と流れる武庫川と加古川の最上流であり、右に流れれば武庫川、左に流れれば加古川の下流までたどり着けるのです。
 右の写真が「別れ田」という田んぼ。
 今年の6月の空梅雨のため田んぼが干上がり、ひび割れしているのが分かりますかね。
 日本でも珍しい田んぼであることは間違いありません。
 「別れ田」=「わかれた」につながる言霊から新婚さんには「いらっしゃい」とは言えませんが、円満に別れようと最後の決意をする場合は最高の場所でしょう。
 昔、北海道で「幸福」という駅に行くことが流行りましたが、この場所が不幸な結婚からおさらばできる場所になって、逆に新たな出発を誓える場所になればいいな、と思っています。
posted by sasayamayani at 13:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 紹介

豊水潤郷

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 ここは、篠山産業高校西側に広がる野尻(のじり)地区の水田です。
 「豊水潤郷」は読んで字のごとく、豊かな水が郷を潤すということでしょう。
 バックの盃山から豊かな雨水を無駄がないよう池にためて、田畑を潤すようにされました。
 これが、丹波篠山の典型的な風景でしょうね。

2019年06月13日

篠山の軍用地跡

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 篠山の戦跡はいろいろあり、産業高校横には練兵場跡の碑が建立されています。
 この写真は郡家(ぐんげ)地区から西岡野(にしおかや)に向かって下り小谷池のあたりにある墓苑の一角にある石碑です。この石碑が昔からここにあったがどうかは不明ですが、平和になった日本で「軍」という言葉が出てくるとぎょっとしますね。
 「陸軍用地」と読めば読めますが、「陸」の部分は判読しづらいものがあります。
 この横には、戦死者の墓がずらっと並んでおり、見るだけでつらくなります。
 
 兵庫県丹波庁舎が、この近くにあり、その住所が「練兵の坪」になっていて、この付近一帯が篠山練兵場だったことをうかがわせます。

 篠山産業高校に向かう新しい道路建設の際に、5世紀頃の遺跡が発見され話題になりましたが、その時一緒に発掘されたものに兵士が使っていたであろう陶器の破片も見つかっています。
 
 

丹波篠山市場完成!

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 新しい丹波篠山市場ができると聞いていましたが、この場所にできるとは思いませんでした。
 もともと戎産業の用材置き場だった駐車場と小谷木材の材木加工場を合わせて誕生しました。
 無駄のない使い方だと思います。
 篠山市議会では助成を見送ることになったようですが、多くの生産者がつどう良い場所になればいいなと祈っています。
posted by sasayamayani at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 紹介

2019年06月12日

丹波栗の花

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 大きい丹波栗の写真はよく見ることでしょう。
 あの硬い栗も花が咲きます。
 この白く伸びた枝状のものが花なのです。
 6月半ばともなると丹波篠山じゅう栗の花の匂いで充満します。
 少し塩素臭がしますので嫌う人もいますが、この花が咲くともう夏が近いということですね。

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感想(1件)



posted by sasayamayani at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 風景

泉地区の「蜜苗」とは?

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 これはヤンマーの提唱する水稲栽培の方法です。
 「密苗とは、通常100〜150g(催芽籾125〜187g)で播くところを、乾籾250〜300g(催芽籾312〜375g)で播くことで大幅な省力化・低コスト化・労力軽減などを実現する技術です。」と説明されています。
 これを、この泉で実証しようとしています。
 篠山でははじめて見ました!
 あちこち回ると、最近は「あずさゆみ」はじめいろいろな実験をやっていることに気づきました。
 これからも、篠山ではもっといろいろ実験的な農業をすることでしょう。
 そのパイオニア精神が、黒豆の「波部黒」や「川北」を作った丹波篠山と言えるのではないかと思うのです。また、発見があればブログに掲載しましょう。

 左写真の手前に黒く見える三角の山が、高城山です。
 
posted by sasayamayani at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 紹介

小野新 熊野新宮神社

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 国道372号線を折れて小野新の狭い道路を北に向けて降りると、小さい神社があります。
 これが熊野新宮神社を分祀した神社です。
 9月1日の「ハ朔祭」と呼ばれる祭りがあるそうです。
 なかなかよさそうな祭りですわ。一度行って見たいものです。
 
posted by sasayamayani at 13:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 紹介

2019年06月11日

篠山藩校『振徳堂』

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 現在、丹波篠山の核になる篠山藩の学校を『振徳堂』と言いました。
 藩士の子弟は全員入学し(義務制)、他藩と庶民も含めて授業料は無料でした。
 詳しくは、写真を拡大してください。
 
 ここは現在、南新町の南の馬出の堀端になっています。
 義務教育無償は篠山ではここが原点なのでしょう。何歳から何歳までなのでしょう。
 教育精神は現在の県立篠山鳳鳴高校に引き継がれているといいます。
 しかし、建物は現存せず位置のみ示されています。
posted by sasayamayani at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 紹介
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篠山永住権を持って篠山に住んでいます。わかる限り10代以上前から開拓しています。 篠山は宇宙の観念的中心と考える「丹波ささやまにぃの会」代表。 写真は篠山市のゆるキャラ、まるいの君。
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