俺の名は「黒田 行影(くろだ ゆきかげ)」。
風魔忍軍の末裔だ。
今日から行田市の紹介を手伝うことになった。よろしくな。
行田市(ぎょうだし)ってどんなまち?
行田市といえば「忍の浮き城」として名高い「忍城(おしじょう)」があることから「名城のまち」として知られている。
最近では野村萬斎が主演を務める「忍城の戦い」を描いた映画「のぼうの城」でもこの城が取り上げられていたな。
しかしなぜこの城が「忍の浮き城」と呼ばれるようになったのか。
その謎を紐解くには戦国時代まで遡る必要があるな。
忍城の戦い
1590年、忍城は豊臣秀吉の関東平定により豊臣軍に攻められることになってしまう。
忍城攻めの総大将はあの石田三成。さらに豊臣方には大谷吉継や真田昌幸といったそうそうたるメンバーが名を連ねていた。
まず三成は石田堤を建設して水攻めを敢行。これで決着はすぐ着いたかに思われたが、予想に反して本丸は一向に沈まなかったんだ。
しかし降り続く豪雨の影響でさすがの本丸も危ないと睨んだ成田軍は、堤防の破壊を決意。
これによって大雨で溜まりに溜まった水が溢れだし、豊臣軍約270人が死亡。さらに城の周囲は泥沼のようになり、豊臣軍はまともに立つことすらままならなくなってしまったんだ。
結局最後まで忍城は落城せず持ちこたえ、小田原城が落城したことによる開城という形により戦いに幕が下りることになる。
この戦いはのちのちにまで語り継がれ、水攻めの際にも沈まずに浮いているように見えた忍城は「忍の浮き城」と言われるようになったというわけだ。
行田市郷土博物館
忍城のあった本丸跡には現在城に似せた博物館が建てられている。
この建造物は当時の文献をもとに御三階櫓の外観を復興させたもので、内部は行田の歴史を写真や資料で紹介する展示室となっているんだ。
館内のジオラマを見るとこの辺りは利根川と荒川の間にあり、広大な沼地に囲まれた天然の要害となっていることがわかる。
石田三成が城を攻めあぐねたのもうなずけるな。
館内は撮影禁止だからジオラマを見てみたい者は実際に足を運んでみるといい。
まとめ
忍城は秀吉の小田原征伐で唯一最後まで持ちこたえた城だ。
行田市一の観光スポットなのでぜひ来てほしい。
博物館周辺には十万石まんじゅうやゼリーフライなどの名物をいただける店もあるから腹ごしらえもできるぞ。
これで忍城の紹介は終わりだ。では御免!
アクセス
・行田市駅から徒歩約12分。