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2018年02月18日
羽生選手は「絶対王者」?
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昨日は、平昌冬季五輪のフィギュアスケートで金、銀のメダルを獲得した羽生結弦選手と宇野昌磨選手の演技に魅せられました。
特に、私は宇野選手が最初のジャンプで失敗したにもかかわらず、その後は立て直し、羽生選手に劣らない素晴らしい技術を見せてくれたことに感動し、涙が出てきてしまいました。
しかし、私は本日の新聞朝刊を見て不快な気分になりました。スポーツ新聞なら、最初からエンターテインメントだという理解が読者にもあるので、いいのですが、一般紙でこんな礼賛一色では「報道」に値しないと感じています。
例えば、羽生選手のことを「絶対王者」と表現している新聞がいくつもあります。
産経新聞は一面の記事で「絶対王者『人生史上、一番幸せな瞬間』」という見出しを掲げています。
http://www.sankei.com/pyeongchang2018/news/180218/pye1802180002-n1.html
この記事の中には、見出しにある「絶対王者」という言葉はありません。「(羽生選手が)世界王者を奪取した」という下りがあるだけです。
Ceek.jp(非常に便利なサービスです。機会があれば、このサイトの説明もしたいと思っています)で「絶対王者」「羽生結弦」で検索すると、18日午前11時時点で、高知新聞、産経新聞、日本経済新聞、共同通信、毎日新聞などの記事が出てきます。これらのメディアは、羽生選手を「絶対王者」と位置付けているのでしょう。
羽生選手を形容する言葉としてかなり定着しているようですが、一体どういう意味なのでしょうか。私には「絶対王政」を連想させる言葉ではあるものの、具体的なイメージが思い浮かびません。
ネットで検索すると、ウィキペディアに出てました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%8E%8B%E8%80%85
ただし、「この記事には複数の問題があります」と注記されており、出典が不十分で「独自研究が含まれているおそれ」が指摘されています。
要は、「絶対王者」とは、きちんと定義づけされていない言葉だということですね。
ウィキペディアによると、「絶対王者」は「王座、タイトルを保有するものの中でも、通算獲得数や連続獲得数で抜きん出た記録を持つ人物・組織に付けられることが多い通称である」とあります。
ただし、具体例を見ると、最初にプロレスの力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木が挙げられています。かなりいい加減な表現だということですね。
確かに、フィギュア男子の五輪連覇は66年ぶりの快挙なので、日本人選手に対して何か特別な呼称を付けたい気持ちは分かります。しかし、一般紙が使うべき表現なのかどうかというと私は疑問に思います。
羽生選手に対して「孤高」という表現も目立ちます。「孤高」とは、「俗世間から離れて、ひとり自分の志を守ること。また、そのさま」です。https://kotobank.jp/word/%E5%AD%A4%E9%AB%98-500303
羽生選手は、フィギュアに真剣に打ち込み、禁欲的な生活をしているのでしょう。しかし、それは羽生選手だけでなく、多くの五輪出場選手に当てはまることだと思います。
記者に心を許すことはなかなかないかもしれませんが、23歳の若者が全く一人で世界一になることはできません。多くの人の助けがあって業績を積み上げてきていることは本人だって試合直後のコメントで語っていました。
何か一つのエピソードをきっかけに、「スポーツ報道」では選手を偶像化する傾向があります。今回の「孤高」にも、それが感じられます。
今回、羽生選手にミスがなかったわけではありません。素人の私でも分かる失敗がありました。
宇野選手は自分が完璧に演技すれば逆転できると思っていたそうです。おそらく宇野選手が最初のジャンプに成功していれば、羽生選手が金メダルを手にすることはなかったでしょう。宇野選手だけでなくフェルナンデス選手や他の入賞を逃した人たちが全力を出し切っていれば、異なる結果が出たでしょう。
羽生選手が絶対的に強いのではなく、他の選手との相対的な比較で2回連続して金メダルを得ることができたわけですから、「絶対」という表現は不適切です。
けがから立ち直って快挙を成し遂げた偉業をたたえることとは別に冷静な視点も必要だと思います。
五輪のたびに、私は戦争中、大本営発表で日本軍が連戦連勝をしていたときの新聞を読んでいるかのような気分になることがよくあります。だから、今日の新聞を見ても、嫌な気分になりました。
どうも、日本の「スポーツ報道」はエンターテインメントとの境界がはっきりなくて、今回のように日本人選手が大記録を打ち立てると理性が吹き飛ばされたような見出しと文章が氾濫するように思います。
引き続き質問をお待ちしています。
下のコメント欄にお書きください。
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特に、私は宇野選手が最初のジャンプで失敗したにもかかわらず、その後は立て直し、羽生選手に劣らない素晴らしい技術を見せてくれたことに感動し、涙が出てきてしまいました。
しかし、私は本日の新聞朝刊を見て不快な気分になりました。スポーツ新聞なら、最初からエンターテインメントだという理解が読者にもあるので、いいのですが、一般紙でこんな礼賛一色では「報道」に値しないと感じています。
例えば、羽生選手のことを「絶対王者」と表現している新聞がいくつもあります。
産経新聞は一面の記事で「絶対王者『人生史上、一番幸せな瞬間』」という見出しを掲げています。
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この記事の中には、見出しにある「絶対王者」という言葉はありません。「(羽生選手が)世界王者を奪取した」という下りがあるだけです。
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羽生選手を形容する言葉としてかなり定着しているようですが、一体どういう意味なのでしょうか。私には「絶対王政」を連想させる言葉ではあるものの、具体的なイメージが思い浮かびません。
ネットで検索すると、ウィキペディアに出てました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%8E%8B%E8%80%85
ただし、「この記事には複数の問題があります」と注記されており、出典が不十分で「独自研究が含まれているおそれ」が指摘されています。
要は、「絶対王者」とは、きちんと定義づけされていない言葉だということですね。
ウィキペディアによると、「絶対王者」は「王座、タイトルを保有するものの中でも、通算獲得数や連続獲得数で抜きん出た記録を持つ人物・組織に付けられることが多い通称である」とあります。
ただし、具体例を見ると、最初にプロレスの力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木が挙げられています。かなりいい加減な表現だということですね。
確かに、フィギュア男子の五輪連覇は66年ぶりの快挙なので、日本人選手に対して何か特別な呼称を付けたい気持ちは分かります。しかし、一般紙が使うべき表現なのかどうかというと私は疑問に思います。
羽生選手に対して「孤高」という表現も目立ちます。「孤高」とは、「俗世間から離れて、ひとり自分の志を守ること。また、そのさま」です。https://kotobank.jp/word/%E5%AD%A4%E9%AB%98-500303
羽生選手は、フィギュアに真剣に打ち込み、禁欲的な生活をしているのでしょう。しかし、それは羽生選手だけでなく、多くの五輪出場選手に当てはまることだと思います。
記者に心を許すことはなかなかないかもしれませんが、23歳の若者が全く一人で世界一になることはできません。多くの人の助けがあって業績を積み上げてきていることは本人だって試合直後のコメントで語っていました。
何か一つのエピソードをきっかけに、「スポーツ報道」では選手を偶像化する傾向があります。今回の「孤高」にも、それが感じられます。
今回、羽生選手にミスがなかったわけではありません。素人の私でも分かる失敗がありました。
宇野選手は自分が完璧に演技すれば逆転できると思っていたそうです。おそらく宇野選手が最初のジャンプに成功していれば、羽生選手が金メダルを手にすることはなかったでしょう。宇野選手だけでなくフェルナンデス選手や他の入賞を逃した人たちが全力を出し切っていれば、異なる結果が出たでしょう。
羽生選手が絶対的に強いのではなく、他の選手との相対的な比較で2回連続して金メダルを得ることができたわけですから、「絶対」という表現は不適切です。
けがから立ち直って快挙を成し遂げた偉業をたたえることとは別に冷静な視点も必要だと思います。
五輪のたびに、私は戦争中、大本営発表で日本軍が連戦連勝をしていたときの新聞を読んでいるかのような気分になることがよくあります。だから、今日の新聞を見ても、嫌な気分になりました。
どうも、日本の「スポーツ報道」はエンターテインメントとの境界がはっきりなくて、今回のように日本人選手が大記録を打ち立てると理性が吹き飛ばされたような見出しと文章が氾濫するように思います。
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