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2018年01月30日
田中角栄に学ぶ社会人の勉強法
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本日は、社会人がどのように勉強するのかについて、田中角栄元首相に学びたいと思います。
田中元首相とは、ロッキード事件で逮捕、起訴された人物です。「金権政治」「田中金脈問題」といったキーワードで語られると、悪徳政治家の代表のようになります。しかし、現役当時もその後も熱烈な田中ファンが存在し、再来を期待する声がブームのようにして沸き起こることがあります。
最近も田中元首相に関する本がいくつも出版されたことがありました。
毀誉褒貶が激しいのですが、大きな業績を残したことは間違いありません。
高等小学校卒(昔の学校制度の学校で、今の中学1、2年に当たります)ながら、有力な政治家を束ね権力闘争に打ち勝ち、数多くの東大卒の官僚を掌握した人物です。
そして、議員立法33本という記録を打ち立てました。日本の国会議員は基本的に政府が提案した法律案を審議することが仕事になっているので、自分で法律案を作成することはまれです。熱心な野党政治家なら法律案は作りますが、実際に運用できるものとなるとめったにありません。田中元首相は今の税制の根幹をなすような仕組みを考えたりしました。
本日は、激務の大物政治家がどのようにして勉強していたのかを昨日の日本経済新聞電子版から紹介します。
日経電子版の「毎晩3宴席 起床は朝2時(田中角栄のふろしき) 小長秘書官の証言(8)」は次のように書き出しています。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26152300V20C18A1X12000/
午後6時、7時、8時――。1971年7月、田中角栄通産相の秘書官となった小長啓一の大事な仕事の1つは、毎日3軒の料亭を押さえることだった。
「通産相」とはかつての通商産業省の大臣のことで、現在で言えば経済産業省の大臣(経産相)に当たります。小長啓一氏は、通産相秘書官の後に、田中氏の首相秘書官となり、通産省事務次官などを歴任しました。
「秘書官」とは大臣や副大臣など中央省庁の幹部に就いた政治家を支えるために官僚が起用されます。あくまで省庁内の役職です。政治家が雇用する「秘書」とは異なり、「事務秘書官」と呼んで区別されます。これに対して、「政務秘書官」は、主にベテラン秘書が充てられる省庁内のポスト。仕事の内容は、基本的に「秘書」と変わりませんが、自らの親分たる政治家がトップにいる間、その省長の職員待遇となります。政治家が役所を去れば、元の「秘書」に戻ります。
今では、事務と政務の秘書官の区別がはっきりしています。キャリア官僚である事務秘書官が夜の会食場所の予約をすることはほとんどないでしょう。
そして、料亭とは、高級な日本料理店です。今回の記事では「懐石料理は1人前で5万円も6万円も取る」と出ていますが、田中元首相が通っていたようなところであれば安くても現在の感覚で言えば一人当たり数十万円でしょう。
会食ですから1軒で100万円程度。その資金は、元をたどると企業などから出ていたわけです。
1990年代に入るまでは、政治家同士、政治家と企業幹部や官僚が夜な夜な料亭に集まり、密談が行われていました。この状況は「料亭政治」と呼ばれ、政治とカネをめぐる問題の象徴のようになっていた時期もありました。
この記事の冒頭部分だけを読めば、「やはり、田中は金権政治家だ。しかも、役人にまで料亭の予約を毎日3軒もさせていたとはけしからん」ということになります。
しかし、当時は今のように政務と事務の区別が厳格だったわけではないので、小長氏が料亭の予約をしていたのは、それほど問題ではないでしょう。
そして、この日経電子版の記事の中でも書かれている通り、田中元首相は料亭が好きで行っていたわけではなく、人心掌握のための手段として使っていたのです。
さて、前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。
田中元首相は料亭での会合を午後9時に終えて自宅に帰り、本来の自分の夕食を食べると午後10時過ぎに寝ていたそうです。
ただし、田中元首相が常人と異なるのは次のくだりです。
確かに午後10時過ぎには寝るが午前2時にさっと起きる。そして今度は勉強を始めるのだ。役所が用意した資料を徹底的に読み込み、事実関係を把握し、データを頭に入れていくのだった。
小長氏は田中元首相について「天才たらしめる、ものすごい努力が陰にはあった」と証言しています。
小長氏をはじめとする官僚が必死になって支えたとしても、本人が応えなくてはどうしようもありません。
田中元首相は午前2時から起き、猛勉強を繰り返し、多くの人を魅了する政策、演説、著作を構想したわけです。
さて、私が若い皆さんにこのエピソードを紹介したのは、「午後10時に寝て、午前2時に起き勉強しなさい」ということではありません。
人によって体力、生活のリズムは異なります。
単純にえらい人のまねをしても失敗します。
まず考えるべきことは、自分の目標をしっかりと整理しましょう。その目標を実現するために、どのような手段が必要かしっかりと考えてください。自分で筋道を立てて、自分の頭で考えることが一番重要です。
田中元首相の場合は郷里を豊かにすることが第一の目標でした。そして、日本を活性化させたかったのでしょう。さらに、自分自身が歴史に名を残す人物になりたいという思いもあったに違いありません。
その目標を実現するために必要なことは、深夜から朝までの猛勉強、昼間と夜は権力基盤の拡大のための資金集めと料亭での会合だったわけです。
皆さんの目標を達成するためには、当然勉強が必要だと思います。
睡眠時間を削ったりすることができない人は日中の時間のやりくりをうまくやりましょう。
勉強できる時間がどこかにあるはずです。電車の中、待ち時間など隙間の時間を無駄にしないようにしましょう。
ただし、就職活動というのは受験勉強とは異なります。社会人になる第一歩です。昼間は人と会い、話をしましょう。私が前にもお伝えしたように、知らない人に声をかけましょう。そうやって知り合った人たちが、皆さんの社会人としてパワーの源になります。本や新聞、ネットの記事を読んでいるだけでは社会人としての力は身に付きません。
そう、私の文章を読んでいるだけではなく、行動に移してください。そして、必ずまた勉強に戻ってください。
これが社会人の生活です。
「面接が難しい」という方は、1月6日に掲載した「面接で緊張しないために」を読んでください。
「面倒だな」と思った人は、目標をもう一度見つめ直した方が良いと思います。
あなたが「自分の目標だ」と思っていることは、自分が本来望むものではないから、「面倒だな」という気持ちが出てくるのです。
自分が本当に望む目標であれば自然と情熱が湧き上がってきて、どのように努力すれば良いのか考えるだけで楽しくなってきます。
私は田中元首相に取材する機会はありませんでしたが、元側近の人たちとは親しくなりました。そういった人たちが田中元首相を絶賛するのは当然ですが、ライバルだった福田赳夫元首相の周辺にいた人たちも、田中元首相のバイタリティや能力は認めていました。
過日亡くなった野中広務元官房長官もそうですが、意欲的に仕事に取り組んだ方々は皆、人が見ていないところですさまじい努力をしていました。私が記者をして良かったなと思っているのは、他の仕事をしていれば目にすることができなかった偉大な人の陰の努力を垣間見ることができたことでした。
その気持ちが、今こうやって皆さんに向けて文章を書く原動力になっています。
引き続き質問をお待ちしています。
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田中元首相とは、ロッキード事件で逮捕、起訴された人物です。「金権政治」「田中金脈問題」といったキーワードで語られると、悪徳政治家の代表のようになります。しかし、現役当時もその後も熱烈な田中ファンが存在し、再来を期待する声がブームのようにして沸き起こることがあります。
最近も田中元首相に関する本がいくつも出版されたことがありました。
毀誉褒貶が激しいのですが、大きな業績を残したことは間違いありません。
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そして、議員立法33本という記録を打ち立てました。日本の国会議員は基本的に政府が提案した法律案を審議することが仕事になっているので、自分で法律案を作成することはまれです。熱心な野党政治家なら法律案は作りますが、実際に運用できるものとなるとめったにありません。田中元首相は今の税制の根幹をなすような仕組みを考えたりしました。
本日は、激務の大物政治家がどのようにして勉強していたのかを昨日の日本経済新聞電子版から紹介します。
日経電子版の「毎晩3宴席 起床は朝2時(田中角栄のふろしき) 小長秘書官の証言(8)」は次のように書き出しています。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26152300V20C18A1X12000/
午後6時、7時、8時――。1971年7月、田中角栄通産相の秘書官となった小長啓一の大事な仕事の1つは、毎日3軒の料亭を押さえることだった。
「通産相」とはかつての通商産業省の大臣のことで、現在で言えば経済産業省の大臣(経産相)に当たります。小長啓一氏は、通産相秘書官の後に、田中氏の首相秘書官となり、通産省事務次官などを歴任しました。
「秘書官」とは大臣や副大臣など中央省庁の幹部に就いた政治家を支えるために官僚が起用されます。あくまで省庁内の役職です。政治家が雇用する「秘書」とは異なり、「事務秘書官」と呼んで区別されます。これに対して、「政務秘書官」は、主にベテラン秘書が充てられる省庁内のポスト。仕事の内容は、基本的に「秘書」と変わりませんが、自らの親分たる政治家がトップにいる間、その省長の職員待遇となります。政治家が役所を去れば、元の「秘書」に戻ります。
今では、事務と政務の秘書官の区別がはっきりしています。キャリア官僚である事務秘書官が夜の会食場所の予約をすることはほとんどないでしょう。
そして、料亭とは、高級な日本料理店です。今回の記事では「懐石料理は1人前で5万円も6万円も取る」と出ていますが、田中元首相が通っていたようなところであれば安くても現在の感覚で言えば一人当たり数十万円でしょう。
会食ですから1軒で100万円程度。その資金は、元をたどると企業などから出ていたわけです。
1990年代に入るまでは、政治家同士、政治家と企業幹部や官僚が夜な夜な料亭に集まり、密談が行われていました。この状況は「料亭政治」と呼ばれ、政治とカネをめぐる問題の象徴のようになっていた時期もありました。
この記事の冒頭部分だけを読めば、「やはり、田中は金権政治家だ。しかも、役人にまで料亭の予約を毎日3軒もさせていたとはけしからん」ということになります。
しかし、当時は今のように政務と事務の区別が厳格だったわけではないので、小長氏が料亭の予約をしていたのは、それほど問題ではないでしょう。
そして、この日経電子版の記事の中でも書かれている通り、田中元首相は料亭が好きで行っていたわけではなく、人心掌握のための手段として使っていたのです。
さて、前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。
田中元首相は料亭での会合を午後9時に終えて自宅に帰り、本来の自分の夕食を食べると午後10時過ぎに寝ていたそうです。
ただし、田中元首相が常人と異なるのは次のくだりです。
確かに午後10時過ぎには寝るが午前2時にさっと起きる。そして今度は勉強を始めるのだ。役所が用意した資料を徹底的に読み込み、事実関係を把握し、データを頭に入れていくのだった。
小長氏は田中元首相について「天才たらしめる、ものすごい努力が陰にはあった」と証言しています。
小長氏をはじめとする官僚が必死になって支えたとしても、本人が応えなくてはどうしようもありません。
田中元首相は午前2時から起き、猛勉強を繰り返し、多くの人を魅了する政策、演説、著作を構想したわけです。
さて、私が若い皆さんにこのエピソードを紹介したのは、「午後10時に寝て、午前2時に起き勉強しなさい」ということではありません。
人によって体力、生活のリズムは異なります。
単純にえらい人のまねをしても失敗します。
まず考えるべきことは、自分の目標をしっかりと整理しましょう。その目標を実現するために、どのような手段が必要かしっかりと考えてください。自分で筋道を立てて、自分の頭で考えることが一番重要です。
田中元首相の場合は郷里を豊かにすることが第一の目標でした。そして、日本を活性化させたかったのでしょう。さらに、自分自身が歴史に名を残す人物になりたいという思いもあったに違いありません。
その目標を実現するために必要なことは、深夜から朝までの猛勉強、昼間と夜は権力基盤の拡大のための資金集めと料亭での会合だったわけです。
皆さんの目標を達成するためには、当然勉強が必要だと思います。
睡眠時間を削ったりすることができない人は日中の時間のやりくりをうまくやりましょう。
勉強できる時間がどこかにあるはずです。電車の中、待ち時間など隙間の時間を無駄にしないようにしましょう。
ただし、就職活動というのは受験勉強とは異なります。社会人になる第一歩です。昼間は人と会い、話をしましょう。私が前にもお伝えしたように、知らない人に声をかけましょう。そうやって知り合った人たちが、皆さんの社会人としてパワーの源になります。本や新聞、ネットの記事を読んでいるだけでは社会人としての力は身に付きません。
そう、私の文章を読んでいるだけではなく、行動に移してください。そして、必ずまた勉強に戻ってください。
これが社会人の生活です。
「面接が難しい」という方は、1月6日に掲載した「面接で緊張しないために」を読んでください。
「面倒だな」と思った人は、目標をもう一度見つめ直した方が良いと思います。
あなたが「自分の目標だ」と思っていることは、自分が本来望むものではないから、「面倒だな」という気持ちが出てくるのです。
自分が本当に望む目標であれば自然と情熱が湧き上がってきて、どのように努力すれば良いのか考えるだけで楽しくなってきます。
私は田中元首相に取材する機会はありませんでしたが、元側近の人たちとは親しくなりました。そういった人たちが田中元首相を絶賛するのは当然ですが、ライバルだった福田赳夫元首相の周辺にいた人たちも、田中元首相のバイタリティや能力は認めていました。
過日亡くなった野中広務元官房長官もそうですが、意欲的に仕事に取り組んだ方々は皆、人が見ていないところですさまじい努力をしていました。私が記者をして良かったなと思っているのは、他の仕事をしていれば目にすることができなかった偉大な人の陰の努力を垣間見ることができたことでした。
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