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わび茶

わび茶(わびちゃ、侘茶、侘び茶)は、狭義には茶の湯の一様式。書院における豪華な茶の湯に対し、四畳半以下の茶室を用いた簡素な茶の湯を指す。また広義には、千利休系統の茶道全体を指す。

千利休はわび茶をさらに発展させ、国産の道具を用いるだけでなく自身で器具を積極的にデザインし、職人につくらせた。利休の時代、利休が作らせた楽茶碗は、代表的な唐物である天目茶碗と違って粗末な道具とされていた。また利休は高麗茶碗や呂宋壺などの輸入品も用いたが、これらは産地では雑器扱いの大量生産品であった。そのほか、彼は自身で竹を切って作った簡易な道具も用いた。

利休は茶を飲む空間にも革新を行った。現在でいう茶室の概念が成立したのは近代以降であり、利休の時代には茶を飲む空間は「座敷」「囲い」「数寄屋」と呼ばれていた。これは基本的には書院造の部屋に畳を持ち込んで茶席とするものであった。

京都府乙訓郡大山崎町に遺存する「待庵」(妙喜庵茶室、国宝)は利休の作とされる茶室で、利休の侘数寄の精神性が反映されている茶室であると評されている。待庵は柿葺切妻造の屋根が土間庇を作り、飛び石により客を入り口である躙口(にじりぐち)まで導いている。内部は主室二畳・次の間一畳の狭隘な空間で、主室の二条は客座と点前座から成る。杉材の床柱で三方の壁は土塀の室床を作り出し、天井は竹材で立体的な構成となっている。窓は3つの下地窓・連子窓で必要最低限の採光を取り入れる構造で、狭隘な室内の圧迫感を開放するものであると評されている。

こうした待庵の意匠から利休の侘数寄は茶室を茶を立てて飲む、茶だけのために設計したものであると考えられている。
   
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