2021年10月18日

学校視察

近隣の校長先生たちが視察に来た。

私立学校は、公立とは違った独自の教育がなされているので、公立の先生たちからは、興味津々なのだ。

ほとんど教育委員会の縛りのない中での学校運営。
彼等、校長先生たちは何を思っただろうか…。

逆に私は、野球部の関係で他校にお邪魔する時は、たいてい教室や廊下をのぞき見することにしている。

自分たちの学校にはない文化や、工夫がないか、物色するのだ。

たいてい何個か発見と、それをもとに、自分の学校に生かすべくアイデアが浮かぶ。

同じ学校教育の中でも、見れば、何かしらの参考になる部分があるものだ。

校長先生たちの感想の中に、次のようなものがあった。

「ここの先生たちが、生徒に寄り添った教育をしていることは分かりました。ですが、昨今問題になっている、働き方改革による教員への負担削減は、どのようになっているのか、心配になりました。」

とにかく、教員に負担減が大上段に掲げられ、校長としても死力を尽くさなくてはいけないのが、公立学校らしい。

公務員という縛りもあるのだろう。

だが、私の学校では、こうした配慮はあまりなされていない。
たいていは、各人の判断に任されている。

授業や行事にあまり影響を及ぼさないのであれば、自由に時間休みも取れる。

場合によっては、早朝から深夜まで仕事があるが、その間、「うまく休息を取れ」、というのが暗黙の方針のようである。

その意味では、かなりの自由裁量があり、ゆるく管理されているように思える。

「全員横並びで、画一的な指導」となると、時間も同一管理されがちだが、少なくとも、私の学校はそればかりではないようだ。

以前、ある校長先生と話をしたとき、次のように言われた。

「丹澤先生の学校に勤める人は、なかなか集まらないないのではないですか? 少し過酷すぎますよね。まぁ、お金さえ出せば、なんとかなるのでしょうが…。」

残念ながら、私の学校の給与体系は、公立と比べて半分から三分の二程度だと思う。
あくまで、私の肌感覚だが…。

とにかく、教員の仕事の原動力は情熱と志。そして仕事そのものが菩薩行だ。

2021年10月15日

一ヶ月遅れの新人戦

野球は、チャンスを逃すと大ピンチが訪れる。

私たちのチームにも何度もチャンスが訪れたが、それをことごとく捨て去ってしまったがために、その後やってきたピンチで、次々と点を入れられたのだ。

結果はコールド負け。
初試合としては苦い経験になった。

文化祭の翌日の新人戦には、あまりにひどいと思ったが、大会に出場できただけでもありがたかった。

本来なら、合同チームのところ、何とかメンバー不足を助っ人で補い、何とか大会を迎えることができたのだ。

「出場辞退」という言葉が、終始頭をよぎった。
今は、「無事、試合が終わって良かった」、というのが率直な感想だ。

即席チームではあったが、中1がメインなので、この先、まだまだ強くなる。
教えるべき事は山のようにあるが、3月の公式戦までには、ある程度の形にすることもできるだろう。

結果は、さんざんだったが、チームとしていろいろな課題も見え、彼等には貴重な試合経験になっただろう。

なんと言っても、試合経験者2人だけの中で、よく戦ったと思う。

いろいろ課題を共有して、来年に向けて準備を始めよう。

「もっと練習試合したいな…」、と思う。

基本相手校は土曜日のみ、うちの学校は土曜日は授業。

なかなか日程が調整できない…。

相手校はヒット3本で8点。うちのチームはヒット2本で1点。

まだまだやるべき事は山のようにある…。

2021年10月14日

文化祭第二弾

文化祭の舞台部門の発表が行われた。

本来、9月の初めに行われるものだったが、コロナ禍により延期されたのだ。

舞台発表は、主として中学生。
一ヶ月以上の延期に、モチベーション維持が難しかっただろうが、若手の担任の先生たちは奮闘したようである。

私は、客席の一番前に設けてもらって、終日撮影。
普段は保護者が陣取っているが、今回は保護者は来校できないので、心置きなく座席を占有し、彼等の雄姿を撮影することができた。

準備片付け時間を含めて25分の短い劇だが、どの舞台も良く仕上がっていた。
特に中1のレベルが高く、学年が上がっていくこの先が、とても楽しみだ。

朴訥とした台詞ばかりではない。
プロのような演技者もいる。

つくづく芸術性の高い学校だなぁ、と感心する。

舞台発表は担任の腕の見せどころ。
「どれだけ生徒をまとめられるか」、が勝負だ。

結局、「謙虚にこつこつ努力し続けたクラス」が上位に入った。
しかも、中3を抜いて、中2が優勝。

感動させる演技とは、心のひだに、ぐいぐい入ってくるものだ。

私は、涙することはできなかったが、どれも感動した。
写真撮影をしながらも、はらはらドキドキ感があった。

数日前にカメラのレンズが故障し、代替レンズを、中古で急遽購入する羽目になったため、一眼レフの二刀流で撮影した。

…いいものを見せてもらった。




2021年10月12日

『常識』

「そんなの常識だろ」、というのは誤りである場合が多い。
人間心、社会的風潮で、その『常識』が大きくぶれるからだ。

現在、『常識』とされることは、かつては常識ではなかったのだ。

例えば、LGBT問題にしても、彼等の人権や権利は保証されるべきだが、これが行きすぎてしまうと、今度は社会崩壊を起こす。

クラスに数人はLGBTがいると予想されるので、制服を男女どちらの制服を着られるようにしたり、男女のトイレを配慮したりするというのは、もはや、その人権尊重思想を著しく逸脱している。

某Fコンビニでも、「お母さん食堂」という商品名が変更になるそうである。
聞けば、行きすぎたジェンダー教育を受けた高校生が署名活動を始めたとのことだが、この裏には別の勢力があるようにも思える。

どうやら、「桃太郎」の話でも、お婆さんが川に洗濯に行くという設定はいけないらしい。
そもそも、鬼退治が、他国侵略にもなるのだそうだ。

こんな時も、「もう『常識』だから…」、ということになるのだろうが、やはりその常識は、間違っていると言わざるを得ない。

未成年の性行為にしても、初体験を競ったり、体験した人数を競争するような風潮は、『常識』ではない。スマホでいくらでも性的な動画が検索できるのも、それを未成年が、容易に見ることができるのも、『常識』ではないのだ。

古くは、「あの世がある、神さまがいる」ということも、現代社会は否定することを『常識』とするが、本当に存在しないことを証明できた人はいない。

現代では、どの分野でも、「あると困ること」は、『常識』から外れるらしい。

時の権力者が都合が悪いときも、誤った『常識』が流布される。

今、日本や世界の伝統が破壊されつつある。

地球温暖化にしても、おそらく間違いだろう。

ここ百年以内くらいで新たにできた『常識』は、どれも一度疑ってかかる必要があるのだろう…。

2021年10月11日

養蜂の師匠

夕方暗くなってから、犬の散歩のために、隠れ家に行くと、巣箱が整備されていた。

ご近所のMさんが、日中来てくださって、屋根とスズメバチ対策のネズミ捕りをおいてくださったのだ。

この巣箱は、先日オオスズメバチに巣門を破られ、侵入され、ミツバチたちが逃去してしまったものだ。

だが、日中には、蜂たちがしきりに巣箱に入って行くので、「戻ってきたんだべ…」、とTさんが言っていたものだ。

だが、実際は、巣箱に残った蜜を求めて来ているだけのようだ。
群全体が戻ってきているのではない。

どこかで営巣しているのか、女王を失ったはぐれ蜂が、餌を求めてきているのか。

そこに、時折来るのがオオスズメバチだが、ひところのような猛攻撃はなくなってきた。

新たに設置したネズミ捕りにもあまりかからず、ほとんどトンボだらけになってしまった。

一度かかると逃げられないので、トンボたちには申し訳ない。

先日、捨てた巣のそばにおいてあったネズミ捕りで、不思議な光景を見た。

ネズミ捕りにかかった仲間を、一生懸命引っ張りだそうという一匹の大オオスズメバチがいたのだ。

半分くらい粘着テープ領域からはずれていたようで、仲間が必死で引っ張っている。

しばらくしてから見に行ったらいなくなっていたので、おそらく救出劇は成功したのだろう。

あまり殺生はしたくないが、オオスズメバチに襲撃されると、人間の命さえ危険になるので、仕方あるまい…。

Mさんは、私の養蜂の師匠でもある。

困ったときにはすぐに来てくださる。

今回も、「じゃあ、見に行くべ」、と早速、来てくださって、いろいろアドバイスをしてくださった。

私が仕事で、早朝と夕方しか見ることができないときでも、ちゃんと気にかけて下さる。

愛犬たちも、ほとんど吠えなくなったくらいだから、相当通ってくださっているのだろう。

田舎暮らしの人間関係ならのことだろうが、本当にありがたい…。




2021年10月10日

ピアノレッスン

少し時間ができたので、かねてから頼まれていたT君のピアノレッスンをした。

せっかくの大会前の休日だったのだが、英検で午前も午後も練習できなくなってしまったのだ。

天気が良かったので、柿を収穫したり、焚火をしたり、ミツバチの世話をしたりと、午前中を過ごし、午後T君を誘ったのである。

コロナ禍で、閉鎖された空間である音楽練習室が使えないので、私の隠れ家に呼び、電子ピアノながらもレッスンをした。

T君は学年合唱の時、『大地讃頌』の伴奏をする。
本格的にピアノを習ったことがないT君には、少しばかりの背伸びになるが、練習を始めて、もう何か月も練習しているので、何とかなるのだろう。

私はまずは聞いてみようと、庭木の手入れをしながらT君の演奏を聞いた。
メトロノームを120にセットしているが、テンポが遅れることはなかった。

一所懸命テンポが外れないように弾いているのだろう。
実際は、指揮者に合わせ、また、時にテンポも変わる…。

唯一弾けない部分がトレモロの部分だという。
さすがにオクターブのトレモロが弾けなければ、和音のトレモロはさらに難しいのだろう。

私は、打鍵の強弱、音楽性との関係などをアドバイスした。

今月末に、一度お披露目があるようなので、間に合うか分からないが、一応は「弾ける」状態なので、音楽の先生もあまり心配していないのだろう。

小一時間、レッスンをして終えた。

翌日、音楽の先生から、開口一番、「昨日T君のレッスンしたんだって!」と来た。

別に内緒にしようと思っていたわけではないが、バレるのが早すぎる…。

T君が、また教えてもらいたいと思うのかどうか、分からないが、とりあえずは、彼の要望どおり、レッスンをしたことにはなった。

少し難しいけど、頑張れよT君!




2021年10月09日

K君の人徳

「つくづく、人徳というものはすごいな」、と思う。
中1のK君。

クラス内でも努力家で人望も厚い。
恐らく、「K君を悪く言う人はいないのではないか」、と思えるほど、皆に信頼されている。

そんな風だから、彼の一言には思いがある。

K君は、野球部員である。

中3が高校野球に移り、中2も数名抜け、野球部は試合出場できるかどうか、というくらいの人数不足の危機に陥った。

私自身、何度出場を辞退しようか、と考えあぐねたくらいだ。

そんな中、K君は、次から次へと助っ人を誘った。
もちろん、中2のキャプテンも動いてはくれたのだろうが、とにかくK君の誘いに断る人は、滅多にいない。

と言うわけで、あっという間にたくさんも助っ人が集まった。
お陰で大会にも出場できそうだ。

確かに参加するだけの状況かも知れないが、それでも、貴重な試合経験になる。

K君の人徳には脱帽である。

以前は、私が一人ひとり声をかけ、お願いしていたが、K君がいる限り、大丈夫だ。

「人徳がないと、いくら誘っても、来てくれないんだよな…。」
かつて、そんなことをある生徒に言ったことがある。

誘えば誘うほど、逃げていく人もいた。

なんだろう。

なぜだか、幸せになりそうな波動が、K君からにじみ出ているのかも知れない。

K君ありがとう!




2021年10月08日

前を向いて…

「夢地図」の続報になるが、もうひとりK君の言葉も素晴らしい。

『下を向いて泣いていないで、前を向いて笑おう』

入学時には泣き虫で、思い通りにならないときには、すぐに涙が流れていたK君。
最近はずいぶんたくましくなった。

相変わらず、体重三十キロ台の小さな生徒だが、根性はある。
努力家だし、向上心もある。

そんなK君が、「自分自身を鼓舞し、自らの力で変わっていこうと思い、この言葉を選んだのだろう」、と思うと、感動する。

「エラーしてもエラーしても下を向くな。前を向いて、なにくそ!と思って、大声出して、もう一度、もう一度!と、果敢に立ち向かおう! 泣いている暇などない! 相手に向かっていくだけだ! 『下を向いて泣いていないで、前を向いて笑う』んだ」

私は、試験後の最初の練習で、こうやって彼らを鼓舞した。

寄せ集め下手くそ集団だが、「あきらめずに立ち向かう姿」は見せて欲しい。

皆が怠けて遊んでいる中でも、練習を繰り返してきたという自負も持って欲しい。

私自身だって、いろいろなショックなことが起こる。
そんな時、やはりこの言葉を思い出したい。

下を向いていても何も始まらない。
転んだら立ち上がるだけだ。
失敗したら、再度チャレンジするだけだ。
誤解されたとしても、信念を貫き、邁進するだけだ。

言い訳をして弁解して、いつまでも落ち込んで、ウジウジしている暇などない。

人生は、「前に前に…」と、前進していく中にこそ、新たな道が開けていくのだ。

落ち込んでいる暇などない。

K君のように、前進してゆこう!




2021年10月07日

母親の呪縛

長らく中学生を教えていると、昨今、「子離れできない母親」があまりに多くなっていることに気づく。

特に男子。
母親にとっては、離れがたき存在である。
だから、いざ息子に一大事があると、一番心を痛めるのが母親でもある。

学校では、お子様をお預かりしている。
親たちは、自らの手元を離れることに寂しさを感じながらも、学校へ送り出す。

全寮制ならば、なおさらだ。
断腸の思いで、手放しているのだろう。

中1くらいだと、男子でも、まだまだ母親に甘えたい年頃。
家では、母親の膝の上に座るような子どももいる。

勉強だって、母親が面倒を見ていることもある。
そのために、母親は、必死になって勉強するのだ。
だから、学校の試験の成績が悪いと、「教え方の悪い先生のせい」になる。

あまりに教員が手を掛けすぎると、母親に嫉妬される。
歯をむき出しにして怒り狂う母親は怖い。

たとえは悪いが、以前、母猿が死んだ子猿をいつまでも抱きかかえる映像を見たことがある。
動かなくなって冷たくなった子猿を手放すことができずにいる、母親の姿だった。

思春期になると、男子は母離れを始める。
あれほど「お母さん」と慕っていたにもかかわらず、「うるせぇ、くそババァ」に変わる。

母親の子離れが早いか、子どもの親離れが早いか、これがほぼ同時に行われるとスムーズなのだが、時期が大きくずれると、お互いが不幸になる。

世の母親たちは、子どもの反乱に戸惑い、打ちひしがれるが、たいていの場合、成長するにつれ、子どもは再び母親を慕うようになる。

学校では、時に、「子どもを人質に取られている」と、親に思われることがある。

これも嫉妬心に近い。

嫉妬される側にも徳がないことも事実だろう。

教員たちは、その程度の差こそあれ、母親の呪縛と戦っている。




2021年10月06日

可能性は1%

中1の教室の後には、「夢地図」が貼ってある。
クラスの一人ひとりの目標シートでもある。

S君が「夢地図」に書いた一言が、心に突き刺さった。

『可能性は1%で十分だ』

これはすごい。
勇気の言葉だ。

「絶対無理だろうな…」、と思うときは、たいてい30%未満くらいの時だろう。

人は簡単に諦める。
本来の自分自身の力を信じ切れない上に、外的な原因を過大視する。

だから、「冷静に考えても、無理だろう」、と判断し、それを自分自身にすり込むことになる。

結果、予想していた通りになって、「やっぱりな…」と納得するのだ。
いわゆる負け犬根性タイプだ。

私はどちらかというと、ネガティブな指導をしてしまう。

だが、高校野球の監督は、常にポジティブだ。

「そんなこと絶対にあり得ないだろう…」
ということでも、平気で自信たっぷりに言ってのける。

そういう言葉の繰り返しは、自然に選手たちにやる気を与え、通常ならざる力をも引き出してしまうのだ。

これは見習うべきことだろう。

「やる気を出せ! やる気は自分で出すものだ! 下を向いていないで、立ち上がれ!」

こんな指導だけじゃ、現代っ子は動かない。

ポジティブになれないのは、自分自身の中にある「逃げ」なのかも知れない…。




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