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2021年02月14日

深夜の地震

夜中に地震があった。
震度5強だそうである。

東日本大震災で震度6を経験している私にとっては、それほど驚くことではなかったのだが、電気が切れたときには少し困惑した。

東日本大震災のときは、停電が朝まで続き、その後の計画停電でずいぶん悩まされたものだ。

停電すると、学校のライフラインが止まる。
幸い夜間だったのだが、日中だったらちょっと大変だっただろう。

今回は、電気は二度ほど切れたが、すぐに復旧した。
自室のUPS(無停電電源装置)が動いている時間内だったので、電気的な被害はなかった。

水槽の水が揺れでこぼれたり、冷蔵庫のドアが開いたり、リモコンシーリングライトが勝手に点灯したくらいだ。

それでも近隣では、朝まで停電していたり、体育館のガラスが割れ、屋根が落ちたり、など被害はあったようである。

幸い私の学校には被害はなかった。

学校は生徒をお預かりする場。そして、その命を守る場でもある。
教員一丸となって、全力で生徒たちを守らなければならない。
保護者は信頼して、学校に預けてくださっているのだ。

そのためには、災害に対すて周到な準備が必要だろう。
さまざまなシミュレーションも行っておくべきだろう。
日頃の訓練も大切だ。

世界は、予期しないときに、予期しないことが起こる。

その中で、人間は生きていく存在なのだ。

生徒たちはいつか成長して大人になる。
そして社会を支える人材となる。

そうした彼らの成長を支える立場にいられることは、何よりの幸せだ。

地震後、しばらくすると、彼らはまた笑顔に戻った…。

2021年02月13日

総合学習の発表会

中3で総合学習の発表会を行った。
たくさんの保護者が来校し、地元の教育委員会や地域の方の視察があった。

私は今日も撮影係だったが、今日の発表会でも、私はよく泣いた。
最近、すぐに涙が出てくる。

中3の学習テーマは「世界情勢」である。
彼らなりに世界で起こっている問題点を挙げ、その解決策を探るのだ。

学年から6人の代表発表ののち、12のグループに分かれての発表。
発表は中2も聞く。

今回の代表発表のタイトルは以下の通り。
1)映画界に迫る闇
2)イスラム改革
3)国民の自由
4)真理のもとの豊かさとは
5)Why are you suffering?
6)全体主義国家 中学を変えるために日本のすべきこと

どれも秀逸だった。
特にハリウッドがすでに中国の支配下にあり、中国に都合の悪い映画が作られないようになっているという指摘には脱帽した。

彼らがこれらのテーマを選んで研究したということは、どこか心の奥底にそうした分野を「何とかせねば…」といううずきがあったものと思われる。
それを感じつつ、志を織り交ぜながら語る彼らの発表には感動した。

視察に来られた方に講評をお願いしたが、これもいい話だった。
さすが、長く教育に携わっていた方という話しぶり、生徒を励ましつつ激励する様は、見習わなければなるまいと思ったほどだ。その話は、思いやりにあふれ、私はまたして涙したのだ。

私の学校では中学から高校まで、こうした総合学習を行っている。
発表能力や研究姿勢はもちろん、日本や世界の現状を知り、その問題点と解決策を探る中に、創造性も培おうというものだ。

きっと彼らは将来活躍していくに違いない。

それを思うと、私はまた目が潤んでくる…。

2021年02月12日

模擬授業

卒業生のA君がやってきて、模擬授業をした。
来年度の採用が決まっている若者で、教科が数学だったので、教科で模擬授業を評価することにしたのだ。

A君は私の教え子である。
中学時代は野球部で活躍した生徒である。
高校は系列校に転校してしまったが、とても感じの良い生徒だった。

肘が痛いと言えば、良いと評判の整体に新幹線に乗ってでも連れて行った。
人生を語り、いろいろなことを教えた。

中2、3のときは、私が担任でもあったのだ。

中2の1月。野球部でスキーに出掛けた。
そのとき、A君はアイスバーンになった斜面で一回転し、足の骨を折った。

その後手術が何度かあり、私は何度も病院に通った。
たくさんのビデオメッセージも作って送った。
結局中3の最後の夏の大会は、足にはボルトが入ったままで、任せていたキャッチャーをやらせることができなかった。

その後しばらくスキーには行けなかった。

そんなA君が、大学を卒業し、7年ぶりに戻ってきたのだ。

模擬授業は素晴らしかった。

先生方の評価も高かった。
「明日から、私と変わって欲しい」とさえ言う先生も何人もいた。

「何となく、丹澤先生の授業と似ていますよね。」
という先生もいて、私は思わず吹き出した。

私は、A君を余り教えていたかった。
彼は、私の担当クラスではなかったのだ。

私は、何だか涙が止まらなかった。

「戻ってきてくれてありがとう。」
という感謝の気持ちがぐっと湧いてきたのだろう。

私にとっては、A君の授業などどうでもいい。
おかしな授業をするとは思っていなかったからだ。

そんなことよりも、戻ってきたことが嬉しくて嬉しくて、ただただ感動。

もうこれで、私もいつでも引退できる。

授業後、「こうやって板書を消すんだよ」、と実際にやって見せた。

「じゃあ、また…。」

大して話をすることもなく、その日は別れた。

また会える日が来るのだろう…。

多くを語らなくとも、A君には私の気持ちが伝わっているに違いない。




2021年02月11日

老害

もう三十年くらい前になるだろうか。私が新人教員だったとき、年配の先輩方の仕事ぶりを見て、「もっと一生懸命やればいいのに…。何だかサボっているようなだな…」、と思ったことを思い出す。

当時の私はギラギラしていたのだ。
十年ぶりの一発専任で教員になり、他の講師たちや、従来の先生たちの目が厳しかったこともある。もちろん、憧れの教員生活に燃えていたということもろう。
「教師たるもの、命懸けの真剣勝負、全身全霊で仕事に臨むべきだ」と思っていたのだ。

だから、毎日の仕事に対しても、「まだまだ、まだまだ…」、と自分自身でハードルをあげて、頑張っていたように思う。

そんな自分のことしか考えられない状態だから、ベテランの年配の先生方の鈍い動きには、違和感と共に嫌悪感すら感じていたのだ。その上、そうした人たちが組合活動をして、生徒ほったらかしの様子を見て、さらに嫌な気持ちになったものだ。

その昔の話を思い出すには理由がある。

今の私自身が、当時の年配の先生方と同じ状況なのだ。
退職をカウントダウンし、面倒なことから逃れ、できれば静かにしていたい、という初任の頃見たその姿が、今の自分自身の姿なのだ。

おそらく若手や中堅の先生方から、「丹澤先生はどうして働かないのだろう」と見られているはずだ。

時折、念波が飛んできて、私の夢にまで出てきて、仕事をしないことを責められるくらいだから、相当なものだろう。

ひとたび戦意を喪失した動物は、再び立ち上がることは難しい。

これが今の私の状態なのだろう。

まさに老害である。
余計なことや、文句は言うくせに、自分では動かない、厄介者である。
学校現場という組織にとって、役立たずの存在でもある。

「何かお役に立たないとな…」、とは思ってはいるが、今ひとつ力が湧いてこないのは、なぜだろう…。

2021年02月04日

歳をとるということ

高校入試が終わり、そのデーター処理にエネルギーを注いだ。
絶対に間違えてはいけない仕事であり、些細なミスも許されない仕事である。

教員生活も三十年以上。その間、たくさんの過ちを犯してきた。
ささやかなミスは数知れず…。それでも、踏ん張って生きてきたと思う。

以前、父親の法事のとき、もう70を超えた叔父が仕事を首になったと聞いた。
ミスが重なったのだという。
「もう辞めてくれ」、と言われたのだそうだ。
仕事で大きなミスをして、多くの人に迷惑をかけたからだという。

歳をとると、年齢特有の勘違いやぼけにより、仕事でミスをすることは多い。
私自身も、老いを感じることがある。

さらに痴呆が進み、晩年周りに苦しい思いをさせてしまう人もいる。

今まで緻密な仕事をしている人が、定年退職などでパッと暇になると、いきなりぼけたり病気になったりするという。張り詰めていた気持ちが切れてしまうことが原因なのだろう。
あるいは、生きがいを見失うのかも知れない。

人生修行そのものの、多くの人の助けの中で生きていると言ってもよい。
たくさんの人に迷惑をかけて、人生が成り立っているのだ。

人という感じは、支え合う姿だと聞いたことがあるが、支え合わなければ、人としてなり立たず、生きていくことすらできない。

幼少年期は、ある意味、人からの支えのみで生きていく。
青年期も、お世話になりっぱなしだろう。
その支えを忘れ、一人前になり、ふと人生を振り返ったとき、自分は与えられてばかりの人生だったことに気づくのだ。
親に恩返しをしようと、思いつつ、先延ばしをしている間に、親は亡くなっていくものだ。

肉体機能は衰えても、精神面では衰えてはいけないと思いつつも、思うようにならない体に嫌気がさす。

その意味では「若さ」に憧れる。
私もそういう歳になったのだろう。

あの頃の「奢り」のツケを、この先取らされていくようにも思う。

これが歳をとるということか。

2021年02月03日

春一番

立春である。
暦の上では今日から春であるが、これからが厳寒期でもある。

今日は史上最速の春一番となった。
春一番は、立春から春分までの間に、日本海を進む低気圧に向かって、南側の高気圧から風速8m/s以上の風(関東地方)が吹き込み、前日に比べて気温が上昇することが発生条件。
今年は例年より一日早い立春の当日に、早くも条件をクリアしてしまった。

だが、私の住む地域で一番近いアメダスデーターでは、前日は風が強かったが、立春当日の風速はクリアしていなかった。最高気温も3℃ほどで、前日よりはるかに低かったので、春一番とは言えないのだろう。

とても寒い立春になった。

今日は高校入試で生徒は休日扱い。
私は少し時間が取れたので、部活を行うことができた。

最近、練習中、弱音を吐いたり、ふざけたり、という姿がほとんど見られなくなった。
もしかしたら、いちばん浮き上がっているのが、キャプテンなのだが、腰を痛めていることもあり、思い通りに行かないことの反動だろう。併せて、自己変革の真っ最中で、自分でもコントロールできない心に、ストレスをため込んでいるのかも知れない。

そんな姿に、近隣の方も「立派に活動しているな…」と思っているようである。
おかげで関係も良好。まるで自分たちの孫のように、温かく見守ってくれている。

一生懸命さがあれば、技術もアップしていく。
何事も、黙々とやり続けることが大事なのだ。

「最近、知らないうちに上達していることを感じている」
彼らの野球日誌にはそういう言葉が増えてきた。
今の時期は、野球の世界ではオフシーズン。

この先コロナの影響でどれだけ試合ができるか分からないが、できることを淡々とやり続けるしかないだろう。

近隣の公立中では、2月中の土日の部活は活動停止らしい…。

引きこもってばかりでは免疫力が低下する。
ゲームばかりでは知的活動を崩壊させる。

日本全体が滅びの道を歩み続けることだけは勘弁だ。

2021年02月02日

節分

節分の朝は雨になった。
今年の冬は雪も降るが雨も降る。
だから今朝の犬の散歩は雨の中だった。
雪になりかけくらいの気温なので、濡れて結構寒い…。

今年の節分は2月2日、例年より一日早い。これは124年ぶりのこと。
なんでも、来年は3日なるが、2025年からは4年ごとに再び2日になり、2057年と2058年は2年連続で2日になるなど、今世紀の末にかけて2日になる頻度が高まるのだそうだ。
ちなみに1984年には一日遅れの4日になったことがある。

私は昔、節分の日の学活で、生徒たちに節分豆を配ったことがある。
さすがに、教室豆をまくと、後片付けが大変なので許可しなかったが、彼らはそれなりに喜んでいた。

今朝は、コンビニのレジ前に節分ツールが置かれていたので、昨今は恵方巻きなのだろうが、それなりのニーズはあるのだろう。

今年は全国で節分祭が中止されたと聞くが、本来、邪気払いの行事。
人手を抑えるなどして、きちんと実施して欲しかったと思う。
このあたりが、日本人の信仰心と信仰観が危ういところだ。

正月に総理大臣が伊勢神宮に参拝に行かなかったのも、極めて世俗的だ。
かつて参拝を見送った村山前首相が、同年起こった阪神淡路大震災後、あわてて参拝に出かけたのをご存知なのだろうか。

たとえ、「国民からコロナ渦に出掛けるとは」、と言われても、「国民の平安とコロナの収束を祈っての参拝だ」、と堂々と言えるくらいの胆力が欲しい。
そうやすやすと、誤った常識と左翼マスコミの脅しに屈して欲しくないのだ。

程なく雨はやみ、その後ぐっと温度が下がった。

この地がいちばん冷えるのは今月2月。
少しずつ日は長くなっているが、まだまだ厳寒期が続く。

畑に植えられる野菜などまだ何もない…。

…節分豆を買い忘れて、今年は食べられなかった。

60個近く食べるのも嫌だな、とも思ったけど…。

2021年02月01日

体験入部

土日に来年度中学校に入学することになっている小6のK君が体験入部に来た。
来たと言っても、高校野球で体験したのである。

「硬式をやりたい」、「甲子園に行きたい」という親子共々の希望を叶えるため、学校として、できる限りのことをするのだ。

昨日の日曜日、中学野球も高校野球の練習の隣で練習していたのだが、その中でもK君は、高校生と一緒に硬式でノックを受けていた。

私も親御さんと少し話をした。
はじめは、中学校で野球部を盛り上げよう、という話でだったが、今日になって、「近くのボーイズに入って活動することにした」、と高校の部長先生から聞いた。

ボーイズに行けるのは土日だけだが、普段は高校野球で面倒を見ると言う。
当然、中学の野球部には入らない。

その話を聞き、私は一日落ち込んだ気持ちになった。
せっかくの経験者なのに、とても残念である。

きっと私と話をする中で、「この指導者には任せられない」と思ったのだろう。
また、あまりに下手くそな中学野球部の練習を見て、幻滅したのかも知れない。

いずれにせよ、私の責任であろう。

そう、思えば思うほど、自分自身が情けなくなり、何だか力が抜けたような一日になった。

「いろいろ面倒なことになるな…。」
私は、野生の勘でそんな風に感じている。

ふと、今の野球部のキャプテンの父親の言葉を思い出した。
「弱いチームでかまわない。そこでどう鍛えられるか、どう伸びていくか、子供たちの成長をそこで見いだしたい。」

K君の方は、甲子園やプロ野球選手を親子して夢見ているのだろう。

「なんだか振り回されそうで嫌だな…。」
私は、そうも思う。

いよいよ面倒なことになってきた。
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