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2020年09月16日

床磨きは心磨き

今年の私の掃除時間の担当は、食堂の廊下。掃除場所には一部配膳コーナーの床が含まれる。
そこに中1から中3までの生徒がやってきて、15分間掃除を行う。

私は、たいてい配膳コーナーの床を水拭きする。
給食の配膳を行っている関係上、床はかなり汚れてしまう。

ご飯粒を落とせば、黒く固まり、へらでそぎ落とさなければならないし、食べ物の汁が垂れたあとを、多くの人が歩くことになり、あらに汚れが広がってしまう。

そんな床を、両手に雑巾を置き、四つんばいになって、床を拭くのである。

なかなかの重労働だが、私はこの時間が好きだ。
さながら『作務修行』である。

「床を磨きながら、心を磨く」、ことを心掛ければ、それはもはや掃除ではなくなる。

自分の身の回りなかなかきれいにはできないが、せめて掃除担当の床くらいは磨きたいと思っている。一日のわずかな時間に、そうした思いで床に這いつくばる…。

そんな菅を見た古参の先生が、
「丹澤先生、そんなことまでされているのですか? ご苦労様です。」
と言われたこともある。

私は照れながら、
「いやぁ、私のできることはこのくらいですから…。」
と答える。

給食の業者も、
「先生、ありがとうございます。」
と、声を掛けて下さる。

「私が拭いているのだから、君たちもやりなさい」、などとは生徒に言おうとは思わない。
自然に、その姿が浸透すればいいし、私の思いは全く別の所ににある。

やってもやっても、なかなかきれいにならないのは、私の心が汚れているからなのだろう。

汚れた雑巾は洗って戻すが、これをさらに洗濯してきれいに洗い、また畳んで、次にまた使えるようにするのは、給食業者だ。本当にありがたい…。

「丹澤先生、雑巾が真っ黒になりますね…。」

それに気づけばそれでいい。

私はトイレの床であっても同じことをする。

心を磨くのが床磨きなのだ。



2020年09月15日

校舎に入れない…

学校から連絡が入る。
生徒の一人が倒れたと言う。

私は、急いで急いで学校に向かい、さあ校舎に入ろうとすると、ある女性教員が立っていて、「丹澤先生は、校内に入れません」、と言う。

その女性教員とは確執がある。
以前、私の発言によって、深く傷つけてしまったようで、以来、口をきいてくれなくなった。
本当に必要な時だけ、感覚的には一ヶ月か二ヶ月に一度くらい、ちょっとだけ会話を交わす、という関係である。

以来、私自身も彼女のことが好きになれなくなった。
何となく母につくのである。
人を見下すような、そんな雰囲気すら漂っているように見えるのだ。
あたかも、「穢れてる」と言わんばかりだ。

確かに私は穢れている。
彼女のような、純粋さはないのだろう。
自分ががさつで、しばしば人を傷つけ、また、心のコントロールもできない未熟な人間であることはよく分かっている。「穢れている」ことくらい百も承知だ。

おそらく、私が穢れているから、校内に入ることを許さないのだろう。
純粋な生徒に、私を近づけたくないのだろう。

「生徒が倒れているんですよ。どうして私が入っちゃいけないんですか。」

私は激しく反発した。
それでも彼女は、かたくなに「だめです」と、私が行くことを拒んだ。

私は、さらに心が乱れた。
激しく抵抗し、制止を振り切り、教室へ駆け上がっていく…。

その途中で、目が覚めた。

目覚めても、状況がありありと分かる。
リアルな夢とは、こんな夢のことを言うのだろう。

「彼女と和解しなさい」、というメッセージか…。
それとも、「穢れているあなたの心をきれいにしなさい」、という警告か…。

嫌な夢を見た。

2020年09月13日

最優秀賞

中3の文化祭の二日目の舞台は、やや元気に欠けた。
一日目の舞台からは、彼らの緊張感が伝わってきて、それがパワーにつながったが、今日の舞台はそうではなかった。
審査は今日なのだ。

私の見るところ、役者たちの演技にやや空回り感があった。

テンポ良く展開はできたが、随所にセリフミスもあった。

二日目の舞台は、どの団体もレベルアップしていたので、「これで最優秀賞を取れるかな…」、と思いながら、私は写真撮影に勤しんでいた。

昨日より良くなったところは、多少まとまりが良くなったことくらいだろう。

「R君、間違えちゃったね〜。」
と、主役級の生徒に声を掛けると、「気合いが入り過ぎちゃいました」、とのこと。
それでも上手かった。

舞台演劇の評価は、「脚本と役者の演技と、舞台の一体感、そしてテンポの良さ」、だ。
中3の劇は、これらはクリアしていた。

あとは、審査員次第。
プロ2人がどう評価するか、だが、幸い、結果は『最優秀賞』だった。

R君も最優秀演技賞、脚本も脚本賞を取れた。
大道具も、シンプルかつ必要最小限だった。

もちろん生徒たちは大喜び。
途中、いろいろなトラブルはあったが、結果良ければすべてよしだ。

「おめでとう!」
私は、素直に彼らを祝福する。

もっともっと磨けるのだけれど、文化祭ではこれで十分なのだろう…。

もちろん、他の団体の劇もよかった。
随所に光り輝く部分があった。

私の学校の生徒たちは、なかなかの芸達者だ。

この成功体験が、彼らのエネルギーになる…。

彼らの純粋さとエネルギッシュなパワーに、自然に泣けてきた。

だから生徒たちと関わるのは面白い。

2020年09月12日

生徒の成長

文化祭の高校生の展示の受付にT君が座っていた。

T君は、中学時代は、やんちゃで、「これでもか…」というくらい、迷惑をかけまくった生徒の一人である。
彼も中学を終えると徐々に落ち着き、今や立派な高校生になった。

思春期は精神的にも不安定で、いろいろな失敗をする。
その都度、親や教員たちは、寄り添い、時に励まし、時に叱責しながら、彼らと向き合う。

T君は、授業でしか接点はなかったが、放っておけなく、よく声を掛け、「遊んであげた」生徒の一人である。
そのT君も高校2年。
今年が最後の文化祭になる。

私は思わず、
「立派になったね〜。」
と、頭をなでた。
T君には、今でも、週に一度くらいは声を掛ける。
たわいのない、ほんの一言なのだが、T君のまんざらではないようだ。

私は、そのとき「うっ」ときた。
涙が出そうになったのだ。
このまま彼と話をしてたら、号泣してしまいそうな、そんな感じが湧いてきたのだ。

生徒はこんな風に成長していくのだろう。

高3になって、受験勉強して、いずれ卒業していく。
卒業後は、もっと変わって行くのだろう。

彼も私も、中学時代や高校時代の記憶は、どんどんと薄らいでいく…。

我々教師は、そんな仕事だ。
次々とやってくる生徒たちと関わり、卒業させていく。

何のことはない、彼らの成長を傍らに立ち、見守るだけだ。

何故、号泣しそうな感情が湧いてきたのか分からない。
こんな感じだと、学校を辞めるときは大変そうだ。

彼らはどんな人生を歩んでいくのだろうか。
夢と希望溢れる彼らの人生は、無限の可能性を秘めている…。
文化祭は、彼らの成長を見る場でもある。

中学時代、一番荒れていた学年だった彼らも、高2。
生徒会役員の代替わりも近い…。

2020年09月11日

舞台リハーサル

週末の文化祭に向けて、中3の劇の舞台リハーサルがあった。
本番前としては、舞台で稽古ができるのは今回が最後。

私も舞台稽古は何度も見ているが、さすがに少しクオリティが上がってきた。

本来クラス発表なのだが、中3は、学年を二つに分け、展示と舞台に分かれての参加である。
「劇をやりたい」、という人が集まっているわけで、それなりのレベルは上がる。
それでもまだまだ、最優秀賞をいただくには、ほど遠いように思えた。

今日も私は、ダメ出しを行う。
担当の女子生徒が、舞台の通し稽古後、必ず私のもとに走って訪れ、「先生、アドバイスを…」、と尋ねるのである。
これが毎回のことなので、私も機嫌を得して、気になったところを指摘するようになった。

確か練習の度に、良くなっている。
「暗転は5秒に抑えなさい」、という私の無茶ぶりも、必死で頑張り、違和感ない場面展開にもなった。

もちろん、今回も新たな課題や、改善すべき所が見えたので、今日は、舞台を見ながらそばに生徒を座らせ、「ぶつぶつ」言った。

大昔、演劇部の顧問時代に勉強した「演劇」が少し役に立った。

「カーテンコールをかっこよくするにはね…。」
「もっと、動きをシンクロさせないと、きれがなくて、面白みが半減するよ…。」

などなど、好き勝手なことを言っている。

人は、素直になると上手くなる。
だから、『いや・でも・だって』は、進歩を妨げるのだ。

何でもそうだが、まず言い訳をする人は、大した成果を上げられない…。

こうなってくると、明日、明後日の本番が楽しみになってくる。
まだまだ、いじりたいことが多いが、まぁ、本番は何とかなるだろう。

「高校生はもっとクオリティの高い劇になっているだろうからなぁ…」、と思いつつも、彼らの成長二ほくそ笑む。

明日は楽しみな文化祭になりそうだ…。

2020年09月08日

『助っ人』たち

「丹澤先生、野球部って、『助っ人』の方が多いんですよね。」
中2のある生徒が、そんな風に私に話しかけた。

このところ野球部人気なのである。
私が、「できるだけ『助っ人』を連れてきなさい」、と指示していることもあり、他の部活に入っている生徒も、野球部にやって来る。他の部は週3回の活動日、野球部は週6回の活動日なので、彼らが参加できる日があるわけだ。

実際、正規メンバーだけで試合をするのは苦しいので、もうずっとそうした要員を確保しているのだが、最近はそうしたメンバーも10名を超えるようになった。

「下手でも一生懸命やっていれば、時間はかかっても上達していく。教えることも勉強になるし、人数がいた方が、練習のバリエーションも増える。」

当初、キャプテンのT君は気に入らなかったようだが、最近は増えたメンバーも含めてまとめるようになってきた。

確かに、全体としてのレベルは下がる。
だが、その中で、『助っ人』たちが、必死について行こうという意欲があれば、自ずと底上げになり、チームの層も厚くなる。
正規のメンバーも、刺激になるから、「もっと上達せねば」、と思うだろう。

そんなわけで、私も久しぶりに中型バスを運転してグランドに向かった。

練習時間は短かったが、練習に活気もあった。
最近は、『助っ人』のメンバーも、野球日誌を書かせて欲しいと言ってくるくらい意欲的だ。
おまけに、彼らは自主練習にも参加している。

野球部での練習が学び多く、また、その根底にあるものが、強い心であることを感じ、自らさらに向上したいという思いが芽生えたようである。

大会の目処がたっていないのが淋しい限りだが、この先、大きく飛躍しそうなムードだ。

皆で活動すると楽しい。
『助っ人』たちも、それぞれに部に戻り、さらに頑張ろうという発信もできる。そして、その言葉は説得力を持つ。

これを機会に、学校全体の運動部に対する思いも変わって行くといい…。

「べーランが遅かったから、自分でも走る練習しようと思います。」
彼らの日誌にはそんなことも綴られていた。

今、野球部は元気がある…。

2020年09月07日

コロナに負けるな

近隣の中学校の前を通ったら、『コロナに負けるな』という横断幕が張り出されていた。

普段なら、部活の大会結果を宣伝しているのだが、このところ大会もほとんどないので、スペースが空いていただが、その一番上に、『コロナに負けるな』、があった。

生徒の活動してる写真もあり、「学校は元気にやっていますよ。子供たちもげんきですよ」、とアピールしているようにも見える。

マスコミ報道で、コロナに対する恐怖心を煽っているようで、人々は思うような活動ができない。
もちろん、感染良い棒のための対策は必要かと思うが、過度な反応や恐怖心、人間不信は、かえって免疫力を低下させる。

感染症対策のもと、できるだけかつての平常時の生活に戻さないと、経済活動も停滞し、日本や世界は転落の一途をたどってしまう。

私は、「なかなか粋な横断幕だな」、その横断幕見た人に、元気を与え、勇気を鼓舞し、「よし、頑張ろう」という思いを抱かせる。

子供たちの活動は、ある意味コロナ時代の希望の光だ。

「これからの社会を担っている子供たちは、元気で活動していますよ。皆さんもがんばりましょう」
というメッセージである。

私の学校でも、子供たちは元気に生活している。
たいていのことは、普段通りに行っている。

時々やってくる来校者は、彼ら子供たちの姿を見て、エネルギーをもらって帰って行くのだ。

初めは夜の町、次に病院や職場、今では感染ルートは家庭だ、などと言う。
一切の接触を断ち、社会生活を停止すれば、感染はなくなるのだろうが、それでは人間社会は成り立たない。

少し気分が滅入った時は、学校に行って、子供たちの元気な姿を見ればいい。
彼らの元気な挨拶を聞けばいい。
生徒たちの純粋な思いを、素直に受け止めたらいい;

そうした中に、コロナ社会を生き抜くヒントがあると思う。

私の学校でも、文化祭が近づいている。
さすがに外部の方は、お控えいただいたが、たくさんの保護者が来校することになっている。

「親たちも。きっと元気になる。」

私はそう信じている…。

2020年09月05日

菩薩行

昨今では、発達障害の生徒も多く入学してくるようになった。
以前なら、入学時にお断りしているのだろうが、募集人数が減っている昨今、そうした生徒も受け入れ、大切に育てなければ鳴らない状況になっているのだ。

私の肌感覚では、軽度の発達障害の生徒はクラスに三分の一くらいはいる、というのが数年前の様子。だが昨今は、その中に、極度の発達障害生徒も混ざっている。

本音を言えば、その生徒対応に担任を初めとする先生方は、大変手を焼いているのが実情だ。

あるときは、授業中、何かの気に障ると抜けだし、校内を徘徊する。
トイレに引きこもるくらいなら、まだかわいいが、場合によっては、学校外に行ってしまう。

そうした生徒は。ほんの些細なことがトリガーになり、いわゆる「切れる」状態になる。
その都度、先生たちが寄り添うわけだ。

「特別支援学級って、こんな感じかしら…」
ある担任がつぶやく。
彼女の机の上には、発達障害生徒の指導に関する書籍があった…。

あの世では、天使たちが悩み苦しんでいる人に寄り添うという。
天使たちも、そうした経験を通して、魂を磨いている。
仏教的に言えば、『菩薩行』である。

私は、「もしかしたら、先生の仕事って、『菩薩行』なのかもしれないな」、と思う。

言うことも聞かない生徒や、気に障る生徒たち、はたまた盲目的になってしまった保護者と関わる中で、そうした人たちをも導いてゆこうという、高度な修行をしているのかも知れない。

そう考えると、あまり頭に来なくなるし、「これが教師本来の仕事なのかな…」と納得することもできる。

授業は、毎時間が勝負だが、それ以外の学校活動中も、私たち教師の仕事は続く。
決して、時間の切り売りではない、それでいて、『愛』を振りまく。

かつて、「先生も人間なんだから、頭にくることがあるんだ!」、と叫んだ先生を見たことがあるが、この考え方でいくと、少し違うということだ。

「もう、最後は祈るしかないんだ。」
万策尽きた音思ったときは、本当にそうなのだろう。

圧倒的な善念をもって子供たちに関わればこそ、それがいずれ成長した彼らの、肥やしになるのだ。

そう思う事で、今日も頑張れる…。

2020年09月03日

この子らのために

現在、中1、中2、中3の授業を担当しているが、このうち中2と中3の授業は雰囲気がいい。
生徒たちは、『授業を聞く』という姿勢ができているし、提出物もスムーズ、小テストの結果もまずまずである。

教室に入ると、私は楽しく嬉しい気持ちになる。
きっと、「今日はどんな話をきけるかな…」、という思いで彼ら生徒たちも授業に望んでいるのだろう。

本来、授業というものはこのような雰囲気の中で行われるべきなのだろう。
こうした状況の中で、さらに「学びあい」などの要素が加わるに違いない。

「昨日、久しぶりに怖いことがあってね…。」
と語りかけた途端に、
「先生質問です!」
という、空気の読めない生徒もいるのだが、それもご愛敬。

彼は、誰よりも早く学校に来て、始業前に勉強している。
これは中2の生徒。

「丹澤先生、解すべての実数なのに、どうして判別式が負で解なしになるのですか?」
二次不等式の授業で、すべての実数が解となる式と、二次方程式、2次関数の関係が分かっていないのであるが、こんな時こそ、さっと横道に入る。

分からないことを分かった振りをすることなく、とことん理解しようとする姿勢は、とてもよい。
こうした『知的正直さ』が、この先の勉強には大いに役立つはずだ。
こちらは中3の生徒。
「高校への数学」の計算ブロックや高数オリンピックを難なく解いてしまう生徒である。

私が新人だったとき、「教師は授業で勝負する」、と教えられたことを思い出す。
以来、授業には力を注いできた。

たとえ、部活顧問も、担任も、学年所属もなくても、「授業」を重視して教員生活を送ってきた。
ある学校で非常勤講師だったときも同じだ。
結局、授業で勝負できなければ、その他の指導もままならないのは、確かだろう。

授業をしていると、「この子らのためには、何でもしてやろう」、という気持ちにすらなる。

もちろん、授業以外で彼らと関わっている時の方が楽しいのではあるが、それは余興であろう。

「先生、問題が違います。」
一通り例題を解き終わったとき、ある生徒が言う。

老眼が進んで、私がテキストの問題を見間違えたのだ。

「また、間違えちゃった! 教えてよ…。」
「だって、丹澤先生、僕らが口を挟む余裕がないほど、熱く語ってるから…。」

楽しい授業は、まだまだ続く…。





2020年09月02日

朝の日課

毎朝の私の日課は、中学の教室の鍵を開け、ドアを開け、窓を開け、教室を換気することだ。

以前は、自分の学年だけ行っていたが、「隣も開けよう」、「どうせなら、全部開けよう」と、いつしか6クラスすべてを回ることになった。

出勤すると、職員室に置き、すぐに教室に向かう。
これが大体7時頃。
そんなに時間のかかることではないし、日課になっているので、大変さは全くない。

教室を回っていると、いろいろな発見がある。

学年のカラーや担任の特徴、クラスの雰囲気やその波動までもが伝わってくる。
黒板や掲示物、机の整頓状態や、机の中、ロッカーの上など、その一つひとつがクラスを象徴している。

もわっとした嫌な空気は、窓を開けて換気をすればなくなっていく…。
その意味でも、朝、窓を開けることは大切だろう。

生徒たちが登校したときに、「いい感じ」の教室を作り上げるためだ。

本来こうした仕事はクラスの担任の仕事であろうが、私は陰ながらこれを支えている。
おそらく生徒たちの中で、私が朝、全クラスを回っていることを知っている人は誰もいまい。
先生たちですら、知らない人が居るだろうから、私としては、しめしめである。

来週末の文化祭の準備が始まり、いろいろな道具も教室に置かれるようになった。
放課後は生徒の歓声が聞こえる教室だが、私が見るのは朝の静寂。

「整備されている教室のクラス運営は上手くいっているんだよな…」、と思いながら、カーテンをまとめたり、椅子を直したりと手直しもする。

だが、そのことは誰にも言わない。
さすがに一晩エアコンが付けっぱなしだったような時には声を掛けるが、それでも担任たちは「どこ吹く風」のようなときもあるので、最近はそれも黙っていることにしている。

以前のように鬼の首を取ったように、激しく主張していた私ではなくなっている…。

教室を見回りながら、今、担任をやれって言われたら、躊躇するだろうな…、とも思う。

それでもかすかに彼らと関わり合う生活に幸福感を感じている。

朝の日課は、こんな風に過ぎていく…。




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