2020年02月07日

続・ぎっくり腰

結局、欠勤することになった。
ぎっくり腰がさらに悪化し、ほとんど動けなくなったのだ。

一番のミスは、初動の失敗。
身体が冷えているからだろうと、がんがんに暖めたのだ。
確かに、ぎっくり腰になるときは、たいてい冬の時期。身体が冷えているに違いない。
だが、今朝になってネットで調べてみると、
「お風呂も湯船に浸かってはいけない。ぎっくり腰の初期は、とにかく冷やすこと。暖めると、痛みが増す」、とあった。

時すでに遅し…。
結局ベットから起きるのがさらに困難になり、学校を休んだ。
幸い授業も一コマだけで、迷惑も少ない。

午前は、保冷剤で徹底的に冷やして、午後からは、「動かないと治りが遅くなる」、とのことで、少し動くようにした。
部活は休みにしたがが、犬の散歩には高校生を連れて出掛けた。

運転時間は10分にも満たないので、運転席に座ることも何とか耐えられる。
愛犬の散歩で、強く鎖を引かれると危険なので、たいていは高校生を連れて行く。
私は小屋でえらの準備をしながら待つ、という具合だ。

ふと不安になったことがある。
「今は周りに生徒たちが大勢いるが、いざ一人でクラス用になったら、もしかしたら孤独死かぁ…」。

そういう心配をしているうちは、大丈夫なのだろうが、本当に必要なのは、犬のためのカメラではなく、私自身の生存確認のためのカメラなのかも知れない、とも思う。

人生100年時代とすれば、ようやく折り返し地点を過ぎたに過ぎない年齢だが、ここ数年、体力にはめっきり自信がなくなった。

腰が痛いと、何となく気分も滅入ってしまい、何だか、どこもここも調子が悪くなるようにも思える。

「丹澤先生、大丈夫ですか?」
と、皆に尋ねられても、
「大丈夫ではありません。」
としか答えられない。

私は、「I'm fine.」、とは言えないひねくれ者だ。

皆が声を掛けてくれる。

「丹澤先生、無理をなさらないで下さい。立志式は大丈夫ですから…。」

優しいお声かけだが、一方で、「つくづく自分は役立たずだなぁ」、と改めて思う。




2020年02月06日

ぎっくり腰

またしてもぎっくり腰になった。
ここ10年来、時々再発し、そのたびに苦しんでいる。

今回は、ぬか漬け。
冷蔵庫に入れて、しばらく放ったらかしにしていたので、久しぶりにかき混ぜ、それを最下段の野菜室に入れたところ、電気が走った。

「しまった。またやってしまった…。」
と思っても、もう遅い。

今回の症状は、これまでのぎっくり腰の中で、一、二を争うほど重症だ。
まず、寝返りができない。

寝返りしようと身体を動かすと、激痛が走る。
それが、7秒ほど続き、全身動けなくなる。
思わず叫びたくなる痛さだ。

昨晩は、これがずっと続いた。
そうなると心配なのが、犬の世話。
普段は4時半に起きて、隠れ家まで車を走らせ、散歩に出掛けるのだが、今朝はさらに早く起きた。
起きたというよりも、痛くて眠りが浅かったと言って良い。
ベットから青き上がるのに十数分、靴下を履くのに五分以上かけ、老骨に鞭打って散歩に出掛けた。

今朝になって、ネットで調べてみると、「ぎっくり腰は冷やす」、とあった。
「しまった、暖めてしまった…。」

遅ればせながら、冷蔵庫から保冷剤を取り出し、椅子と腰に挟むようにして冷やす。
朝になったら、激痛の時間は5秒程度になった。
「一、二、三、四、五」、と数えると痛みが和らぐのである。

「今日は、一日静かにしていよう!」
と、決意した朝である。

先日からの左手に痛さに、腱鞘炎の疑いもある中、さらにダメージを受けた。
これも加齢によるもの、なのだろう。

朝、高校生のY君が、私を心配して見に来てくれた。
彼は、中学生の時から、私がぎっくり超しになると、介護をしてくれている。
「あ、生きていますね…。」
と笑って。安心して去って行った。

私も経験値が増し、ぎっくり腰の時の対処の仕方を学んでいる。
以前のように、欠勤するようなことはしない。

それでも、授業はけっこうつらい…。




2020年02月04日

反抗期のY君

中3にY君がいる。
心臓に疾患があり、入学当初、一切の運動が禁止であったため、中1、中2と私が担任をすることになった生徒だ。

今はY君も、状況が改善し、他の生徒とほとんど変わらない日常生活を送ることが出来ているのだが、最近、やや甘えの心が芽生えてしまったようだ。

まず、いろいろな場面で、与えられた仕事から逃げるようになった。
また、クラスでの学習会にも参加しない。
そんな風だから、勉強に対する取り組みも、あまり積極的ではない。

中2の前半までは、母親にべったり、だったので、少し遅れた反抗期とも言えるだろう。

担任も手を焼いており、先日も、私の数学の授業中をまるまる使って、説教をしていた。

これまで、すべてにおいて健康を優先し、わがままをすべて聞いてしまったことへの、ささやかな抵抗。大人への階段とも言える。

皆と同じに活動できなかったことは、苦しく悲しかったに違いない。
インフルエンザが流行れば、母親が長期にわたって学校を欠席させたりもした。
親は、子供を守るために、ありとあらゆる手段を講じたのだろうが、それを子供は、「愛」とは思えず、「抑圧」や「管理」と感じていたのかも知れない。

それと、思春期の反抗期があいまって、今のY君がある。

「今が、自立の時だ。早く目覚めよ。早く気づけ…。」
と、私は祈るようにして彼を見ている。

ある意味、時を待つしかあるまい。
つまり、彼自身の成長を待つのだ。

中学の卒業式までに、吹っ切れる、かどうかは分からないが、今は見守る時期だ。

ふと、「私が担任だったらどうするかな…」、と考えてみた。

たぶん、抵抗しようが、反発しようが、厳しく叱って、当たり前のことを当たり前にやらせるのだろう。

それが良いかどうかは分からないが、以前の私だったら、必ずそうしていたはずだ。

「今は見守るしかない」、などと他人ごとのように思えるのも、クラスや学年を離れたからだ。

少しおおらかになった。
だが一方で、少し無関心にもなっている。




2020年02月03日

雨降って地固まる

野球部の練習中、私は頻繁に全員を集合させる。
練習がマンネリ化しないためでもあり、また、全体への技術指導や指示の徹底のためである。

和気藹々とするのはいいのだが、いざという時には、しまりのある行動が取れなければ、そうした甘い習慣は、緊張した場面や試合中に現れる。
「このあたりで引き締めておこう」、と、私が指示している最中、緊張感なく笑っていた中1生徒がいたので、その時点で練習を中止した。

外部グランドだが、私はそのまま帰ってしまった。
彼らは片付けをし、戸締まりをし、5キロの道のりを、自分たちの荷物を持って走るなり、歩くなりして返ってもらった。

その後、中2に生徒だけでのミーティングを求めた。

ここで、中2の中1に対する積もりに積もった不満が爆発したのである。
笑っていた中1の話が落ち着いた後に、別に中1のT君が責められることになった。
「お前はだらしない。一番悪い…。」

その後、ケンカのようになり、中1は泣き出し親に泣きつき、態度が改まらないと中2は憤慨。

翌日、彼らを呼び私から諭す。

こうしたことは、たいてい一晩寝ると気持ちが落ち着くものである。

「だらしないけじめのない態度はプレーに出る。こんな状態でチームとしてまとまって試合をすることなどできない。一人ひとり、全員に反省すべきところがある。」

と、優しく諭した。

今日の練習は良かった。
準備も素早かったし、中2も上手に中1をコントロールしていた。

一番泣きじゃくっていた中1がぽつりと言う。
「雨降って、地固まるですね…。」

一人態度が悪いと責められ、憤慨していた中1のT君が野球ノートに書く。
『チームとして、少しずつ形ができてきた。仁でやるのではなく、チームプレーが野球にとっての命なので、これからは、チームプレーに力を注いでいきたい。』

確かに今日のチームは違った。
これが継続され習慣化すれば、チームは変わって行くだろう。

部活指導は、こうした成長が面白い…。




2020年02月02日

高校入試

先日の中学入試に引き続き、高校入試を迎えた。
例によって私は本部詰め。
中学入試と同じルーチンなので、今回はスムーズに仕事が進む。

一つ違いがあるとすれば、今回は中3が高校入試を受ける、ということだ。
彼らは、自分たちが普段使っている教室で、高校の先生監督の下、ちょっとだけ緊張して試験に臨む。

世の中3生と比べたら、とても楽に高校入試を迎え、基本的にそのまま進学できるのだから、中高一貫はありがたいだろう。
その分、私立学校では中学校の学費がかかる。

高校入試は、かつては15歳にとっての大きなプレッシャーとされたが、昨今の進学率98.8%(平成30年度)、もはや全入時代。
どこかの高校には進学出来るわけで、高校の義務教育傾向がますます進んでいることになる。

一方で、「勉強したくない高校生」が大量に出現し、もはや「自ら学ぶ」という高校本来のスタイルからはかけ離れたものになっている。

私の学校でも、「高校へ行くのは当たり前」になってしまったので、当然、学力不振者もいる。
それでも、何とかモチベーションを高めさせて、各自の将来の職業選択の幅が狭くならないように、いろいろな方策を採っているのである。

終了後、私が担当している生徒たちに、「どうだ、できたか?」、などと尋ねてみた。
嫌らしいといえば、嫌らしいのだが、成績を集計する立場にある私は、直接採点することもない。
どれだけの緊張感があるかを、肌で感じてみたかったのである。

「信じられません。2人、入試だというのに遅刻してきたんです。」
中3の担任が叫ぶ。

そのうちの一人に、声を掛けてみた。
「入試当日に遅刻したんか?」
「いやぁ、集合時間から始まるまで長過ぎですよ。だから、始まるまでトイレに行っていたんです。」

緊張感のかけらもなかった…。

中高一貫校は、こんなものなのかも知れないが、「親の心知らず、教師の心知らず」、ということだろう。

願わくば、彼が高校上級生担ったとき、
「高校入試なんて何でもないよ。俺なんか遅刻扱いされたくらいだし…。」
などと、豪語することのないように、ますます彼に愛を注がねばならないのだろうな。

入試は人生の節目の時。

自らの人生をかけて奮闘している高校3年生の姿を見習って欲しいものだ。




2020年02月01日

高校の卒業式

高校の卒業生が一ヶ月後に近づいてきた。
学年が変わり、会場に入らなくてもよくなったし、割り当てられた係分担が警備なので、もしかしたら校舎外の外回りかも知れない。それはそれで良い。

一方、卒業式後には簡単な謝恩会がある。
保護者主催のもので、生徒と親と先生とその他学校関係者が参加する。
毎年私は、これには参加しないで逃げ回っているのだが、どうやら今年は、参加せざるを得ないようだ。

先日発表された式次第に、記念品贈呈の招待先生の中に、私の名前があったのである。
「中学担任」、とのことだが、三年前の卒業生のときは、これはなかった。
座席も指定され、また舞台にも上がらなければならず、これは逃げられなくなった。

「仕方ない…。彼らの卒業を祝福してやるか…。」
と、私は半ば諦めかけている。

程なく、保護者会から 招待状が届いた。
いよいよ逃げられなくなった…。

私にとっての彼らの卒業式は、3年前に終わったと思っている。
ときおり校舎内で見かけ、そのたびに「丹澤先生」、と高い声を掛けてくれるが、そういう彼らとの別れも近い。
別れの苦手は私は、「消えるように、静かにいなくなってくれればいい…」、と願うばかりだ。

もちろん、今生の別れというわけでもないので、そんな大げさなことではなかろうが、6年も一緒にいると情が湧く。

私立の学校には、中1から高3まで同じ担任というシステムの学校があるそうだが、そうなったら、別れはかなり苦しかろう。

高3のある生徒が私に語りかける。
「丹澤先生、もうすぐ俺ら卒業ですよ。」

その言葉の裏には、いろいろな意味がある。
「本当にこれでお別れですよね。お世話になりました。」
という思いと、
「先生、僕たちの成長を見ていて下さいよ。」
という自負。

中学を卒業してからなお、慕ってくれるのは嬉しいが、その分、別れが辛くなるのだ。
だから、表には出たくないと、思い続けていたのだ。

卒業式当日、私は彼らにどんな声を掛けてればいいのだろうか。

例年、訪ねてくる卒業生には、ただただ握手をするだけだ。
何かを話せば、涙が溢れてくる。

今は、それで十分だと思っているのだが…。
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