2020年01月26日

隠れ家の修繕

昨年大晦日に風呂釜の漏電があり、急遽、地元の電気屋さんに見てもらったら、風呂釜の交換が必要だと言われた。その交換が、今日午後、ようやく完了した。

私も日中不在の日が多かったのだが、結局、一ヶ月もかかってしまった。
併せて、露出状態にあった風呂場と脱衣所のライトも交換した。
脱衣所が電源の集約ポイントだったので、そのメンテナンスもやってもらった。
「丹澤さん、このままでは感電死しますよ。」

そう脅されたが、確かにその可能性はあった。
風呂釜につながっていたコンセントは、さびて朽ちて、素人目にもショートしそうな状態だった。

古い家は、何が起こるか分からない。

コンクリートの家なので、内部に埋め込まれた配管の状態や内部の様子は計り知れず、この先もトラブルは起こるものと思われる。

同時並行で、もと用務員のMさんに、納屋の一部を犬小屋に改修する工事も行ってもらっている。
私には一切持ち合わせない技量をお持ちの方で、本当に頼りになる。
私はMさんに、「どうしてこんなことができるのですか?」、と尋ねるも、「丹澤先生とは、生まれた星が違うんだよ」、と笑う。

たしかに私は、「怠け者の星」が出身のようだ。

先日は、隠れ家に行くと、いつの間にか納屋の雨どいの改修が終わっていた。
「この先、天気が悪くなると思って…。」
恐るべき行動力である。

私の隠れ家に来るにも、往復150キロは超える道のりがあるはずだ。

朝、高校生のM君に、「梅を切ってくれ」、と頼んだのだが、渋っていたので来ないかと思って、自分で処理したら、午後になって自転車で駆けつけてくれた。
ちょうどコーヒーブレイクしていた時だった。

梅の剪定は終わってしまったが、裏庭の伐採竹がたくさんあったので、燃やしてもらった。
M君が燃やすと、「軽微のたき火」を遙かに超えて火柱が立ってしまうのだが、無事灰になった。

「いろいろな人が集まってくるのは、いい家だ。」
と、聞いたことがある。

なんだかそんな風に思い、幸せな気持ちになった。

もう一人の高校生のY君も、再生パソコンを復活させてくれている。

午前は英検で人数の少ない部活になったが、午後は充実していた。

こんな休日はとてもいい…。




2020年01月25日

偉人研究

中1で総合学習の発表会が行われた。
私の学校では、中1で『偉人研究』を行う。

自分が関心を持った偉人を決め、その実績はもちろん、その志、自己犠牲の精神、生き方を学び、自らの人生の糧とするのである。

自身が関心を持つということは、その本人が、どこか選んだ偉人に惹かれる部分があり、「そうなりたい」、「そういう生き方をしたい」、「そうした生き方に憧れる」、という意味がある。

彼らは歴史上の偉人から選び、何ヶ月間か研究する。
選んだ偉人の生き方は、おそらくは、生徒一人ひとりの将来に影響を与えるはずだ。

発表行事は毎年のことだが、彼らの発表には新鮮さを感じる。

今回の発表の中に、『肥沼信次』があった。
戦時中はドイツを中心に、人々を救った医師である。

「肥沼信次さんは、今でもドイツ人に愛されているのです。」

発表したK君は、小学校時代をドイツの日本人学校で過ごした。
その際、現地で『肥沼信次』の生き方を教えられたという。

私自身、恥ずかしながら『肥沼信次』を初めて知った。

それほど有名な方とは言えないのかも知れないが、そんなことは関係ない。
その人が、いかに人々のために生き方か、つまり、利他の生き方ができたか。
それを当たり前のように行い、天命として生きて、命を捧げたか。

そんな生き方に人は感動する。
人並み外れた、自制心と自助努力も必要なのだろう。

37歳にして、自らもチフスに罹患し、命を落とす。
薬はすべて別の患者に回し、自らは口にしなかったとも聞く。

偉人の生き様を学び、本来人間として備わっている利他の思いを思い出させることは、とても大切なことだ。
ましてや、中高生にとっては、その後の生き方や、職業選択を左右することになる。

以前は面接で、尊敬する人を聞いていた時代もあったが、「どの偉人を尊敬するか」、ということが、その人の思いを体現しているのかも知れない。

その意味で偉人研究は大切だ。
たくさんの偉人伝を読むことも、心に潤いを与えるだろう。

偉人研究を排除し、人間は皆平等なのだが、偉人などこの世に存在しない、とする左翼教育に負けてはいけないのだ。

まさか、学校の図書館から排除されていないだろうな…。




2020年01月23日

生きている証

今は立ち直っている高校生のY君。
だが中学のときは、大変手がかかった。
授業に参加しないのはもちろん、深夜徘徊、リストカット、自殺未遂…。
あらゆる悪しき行動に走った。

だが、私は、彼のおかげでずいぶん勉強になった。
そのときは試行錯誤だったが、そうした生徒とどう関わればいいのかという経験を積むことができたと思っている。

Y君は、今やもっとも信頼する人物でもある。

当時、彼に効いたことがある。
「どうして自分自身を傷つけるのよ。」

すると、彼は、
「血が出るのが面白いんです。」
と言い放った。
当時の彼は、テレビ番組でも、人が殺されるシーンや、死体の様子に興奮し、その様子を見て、ゲラゲラ笑った。

当時の私は、それを見て、
「何が面白いんだ。」
と、叱った。
すると彼は、
「血が出ていていい感じじゃないですか。」
と言った。

彼の心は、完全に地獄の世界と同通していたのだ。
それでも心穏やか時に、リストカットのことを尋ねると、
「血が出てくるのを見ると、生きている証を感じるんですよね。」
と、答えた。

ひとたび、存在意義について自問自答すると、「自分自身は、ここにいて良いのだろうか」、ということを反芻してしまう。だが、自分自身を傷つけ、血がにじみ出てくるのを見ると、自分の存在をかんじるのだと言う。

中2でも、ある女子生徒がこのところリストカットを重ねているという。
「明るくて、全然そういう風にみえないんですけどね…。」
と、ある先生が言ったが、その見方が一番危ない。

自分の存在意義の確認の裏返しは、「私の方を振り向いて」、という思いである。

明るく振る舞う中に、その思いを感じ取ってあげなくてはいけないのだ。

複雑な家庭環境の生徒は、すぐに行動に表れる…。




2020年01月22日

成績順の席

今年になってから、試験的に成績順の座席で授業を受けることにしてみた。
授業にも多少刺激が必要だろう。
ただ、定期考査の成績ではなく、時々行う平常テストの成績順よる席順だ。

当然、成績の良い者が前に来る。
「前の方の席に座りたいな…。」
という、意欲も期待してる。

中3では、平常試験の合計点による順番なので、そうそう大きな変化はないが、中1、中2は、毎回の試験の結果で席が替わる。

彼らはそれほど点数に執着していないようなので、いつもとは違う席から見える景色と、ある程度の刺激になればよい、と思ってやってみたのである。

中1は、楽しそうに、時に悔しがりながらやっている。
中2も、そこそこ刺激になっているようだ。
中3は、成績不振だが、卒業や入試が近づいているので、無理矢理クラスを変えずに残している生徒何名かが少し気になるが、まずまず…という感じ。

中1のテストは一問10点くらいのテストなので、ちょっとしたミスで順位が高下する。
それはそれで、一喜一憂があり、集中力アップに役立つだろう。

中2のテストは高校入試問題。これは難しい。よほどの準備をしておかないと、なかなか点に結びつかない。ただ、内容は冬休みの宿題冊子そのままなので、勉強すれば点を上げられる。

中3は数TAの総復習。これも宿題冊子から。
ただしこちらはテストの累積得点。
卒業までに、数TAを完全に復習しておきたいのだ。
今年はほとんど数UBを教えていないので、ひたすら数TAと中学数学の復習。

こちらの意図を感じてついてくる生徒もおり、今までやったことのない成績順は、なかなか興味深い。
中1、2は来週に実力テスト。その後、中2はさらに模試。中3は入試を控えている。

「丹澤先生、数学の勉強の仕方、分からなくなりました。」
と、ほとんど最下位の中1生徒が相談に来た。

この刺激が吉と出るか凶と出るかは、私の持って行き方次第だろう。

中3の最下位3人には、
「君たち2点差だよ。」

彼らの顔がはっとした表情になった。

次のテストが楽しみである。




2020年01月21日

練習後の送迎

「車が汚い」、と注意された。
毎日、野球部員を乗せて近隣のグランドに連れて行くのだが、練習後に着替えさせたとしても、どうしても車内が汚れてしまう。
この車は学校の公用車だが、野球部専用車ではない。
時々、来校するお客さんのお迎えにも使われるので、汚れていると困るわけだ。

この車は10人乗り、テレビ付きのグレードの高い車なので、全面高級そうなマットが敷いてある。
本来、野球部の練習で汚れた生徒が乗る車ではないのだ。
以前のように部員がたくさんいたときには、マイクロバスで送迎していたが、このときは毎日車内を箒で掃くことができたが、マットだとそうもいかない。
マットの性質上、ひとたび砂などが入り込むと、そう簡単に取れないのだ。
清掃するには、どうしても強力吸引の掃除機がいる。
だが、そうした掃除機はない。

そこで野球部員に次のような提案をした。
@練習後は必ず着替える。汚れていないから着替えないというのはだめ。靴下も替える。
A自動車に乗るときは、靴を脱ぐ。靴は各自用意した袋に入れる。
B着替えるために持ってきた服は、練習中は着ない。

練習後に学校に戻ってきたときは、車内の汚れもチェックしよう。

果たしてこれでどれだけ改善されるか分からないが、試してみようと思う。
そもそも外部のグランドまで自動車で送ってもらえるだけでもありがたいことなのだから、少しは生徒たちに手間をかけてもらおうと思う。

もちろん、着替えを忘れたりした者には、帰路は自動車に乗せず、学校まで走って帰ってもらう。
距離は5キロあるが、まぁ頑張ってもらおう。

練習しているグランドは砂と言うよりも、むしろ土だ。しかもこのところグランドが緩く、スパイクを履かずに練習しているので、練習で使っているアップシューズがそのまま移動時の靴にもなってしまう。

この時期、霜が降りたり、解けたりで、グランドのあちこちがぬかるんでいる。
スライディングでもすれば、それこそ泥だらけになる。

泥だらけになってなんぼの野球の練習。

自分自身、「なんだか矛盾することをしているな」、と思いつつも、どこかに中道を求めて模索するしかないのだろう。

近隣の学校の保護者送迎の時だって、着替えて乗用車に乗っている。




2020年01月20日

やんちゃな中3

私の手を離れて、9か月。
中3のやんちゃが止まらない。

先日、そのうちのリーダー格のT君に、
「そろそろ卒業なんだから。もう少し大人にならないと…。」
そう、声を掛けた。

T君は、珍しく殊勝な面持ちで、
「それを言われると、何も言えないんですよね…。」

おそらくその先に、
「自分でも、ガキだってことは、分かっているんです。もうすこし大人にならないといけないと思っているんです。でも、なんかやっちゃう。やめようと思っても、気づくとやっちゃってる。自分で本気で変わってゆこうとしないと、駄目ですよね。」

私には、そんな風に彼の心の声が聞こえてきた。

「こういうエネルギーが満ちあふれているパワフルな生徒が、ひとたび力を発揮すると、ものすごい成果をあげる」、ことを私はよく分かっている。
社会人になって活躍するのも、こういうタイプの生徒が多い。

中高生の時代に、親や先生たちに、たくさん迷惑をかけ、そのために特別に愛情を注がれたことが、その先の成長の肥やしになっているのだ。

「静かにT君の成長を待つか…」、と思っていたら、早速、何人かで授業を抜け出した。
早速、生活指導部隊がスクランブル発進。

生活指導部長の先生も、昨今丸くなった。
「最近熊が出没しているから、そっちが心配でね…。」

これまで何人もの生徒が、何度も脱走しているので、手慣れたものである。
慌てているのは、彼らの若い担任の先生たち。

結局は自分で返ってくるのだが、学校管理下にあるのだから、その責任は問われる。

「ちょっと冒険したくなって逃走する犬みたいだなぁ…。」
と、私はほくそ笑む。

彼らは、後日私に、「脱走犯」として話のネタにされることになろう。
それを彼らも見越しているのか、それを望んでいるのかは分からないが、私に声を掛けられることは、まんざらでもなさそうである。

15歳。
彼らは大人の愛を感じつつ、それを成長の糧としている…。




2020年01月19日

受験当日の欠席

受験生が、受験当日に入学試験を欠席しても、欠席連絡をわざわざ学校に連絡することはない。
実際私が関わった学校は、どの学校もそのようであったし、それが普通のことと思っていた。

だが、今、私が勤めている学校は違う。
受験生が欠席すると、一人ひとり自宅に連絡するのである。
「このサービスはすごい」、と思う一方、「何らかの事情で受験会場に行けなかった生徒の親御さんにとっては、つらい電話かも知れないな」、とも思う。

私立学校の中学入試受験では、「親は受けさせたいのだけれれども、子供は受けたくない」、ということが起こる。地元の友達と別れ、中学から一人、別の学校に進学することは、勇気のあることだ。
反抗期になった子供は、すねるか、暴れるか…。

受験は人生の一大行事。
そこにはたくさんのドラマがある。

もちろん、家を出ているにもかかわらず、受験会場に到着していないということもあり得る。
交通機関の乱れや、なにか事故あるときだ。
その意味では、連絡した方が良いようにも思えるが、この場合は自宅に電話してもつながるまい。

昨今は、家の固定電話をやめて、携帯電話にする家庭も増えたように思う。
以前は、固定定電話が定住の証明のような意味外があったが、昨今はあまり気にならないらしい。

それでも、私などの年齢の者は、少し心配になる。
だが、電話が多機能化し、ひとたび停電したときは使えなくなることを考えれば、携帯電話の安心なのかも知れない。
もちろん、災害時には携帯電話もつながりにくくなる。

欠席した受験生に電話連絡をしたところ、やはり子供が受験を渋っている、ということだった。

「受験料をいただいているので、念のため、確認して下さい。」
教頭が、そう指示をする、

クレーム対策の一つでもあろう。

だが、かかってきた家庭としては、家の恥をさらすようで、たまらないかも知れない。
よかれ、と思っていることが、相手の領域にずかずかと入り込んで、かえって迷惑になったり、不快な思いをさせてしまうことがある。

千人単位で受験する大規模人気校なら、こんな面倒なことはしないだろう。
受験料は大切な財源のひとつ。
当日たとえ欠席したとしても、すでに支払われた受験料は学校の財源になる。

私は、思うようにいかなかった家庭をもフォローする覚悟があるのならば、連絡して、抜苦与楽してあげたらよい、と思っている。








2020年01月18日

センター試験

毎年のことだが、私の学校では中学入試とセンター試験が重なる。
入試だけでも全員出動であるにも関わらず、ここにセンター試験がからむわけだ。
当然、高3の学年所属の先生らは、入試業務からは外れ、センター会場に向かう。

センター会場では、ほとんどが待機時間になるわけだが、生徒からしてみれば、近くに先生がいるだけでも安心できるのだろう。

センター試験に出発するときは、そのバスを皆で見送る。
教員はもちろん、後輩たちもたくさん集まってきて、旗を振ったり、バスが見えなくなるまで追いかけたりする。
毎年のことながら、ほほえましく見える。

高3正への応援メッセージビデオも作られる。
一部写真動画だが、教員全員が出場する。
本番が近づき、多少なりとも不安になっている彼らを励ますには十分なツールだ。
楽しそうに笑っていても、人生を分ける大切な試験。
余裕などあるはずがない…。

「丹澤先生、何ですか? あのメッセージは…。」
昨日、高3のM君に責められた。

「夢はかなう。」
と、紙に書いて、ニコッと笑い。直後に、
「さらばじゃ。」
と新たな紙を見せたのだ。

彼らは、私が中1から中3まで学年主任と担任をした学年。
「もしかしたら、これが私が関わって卒業した最後の学年になるかも知れないな」、と思いつつも、「彼らとの別れは、3年前の中学の卒業式時に終わっている。今で会っているのはおまけのようなものだ」、という認識である。

センター試験が終われば、ほとんどの高校3年性は登校しない。
あとは、卒業式前のほんの一日、そして卒業式当日。

「丹澤先生、俺らの卒業式に出ないって言ってるけど、俺ら部屋に迎えにいきますから…。」

高校3年生でありながらも、かわいい生徒たちである。

心の中で「頑張れよ!」、と祈りつつ、センター試験のバスを見送る。
満面の笑顔で、手を大きく振る高校3年生たち。

ふと、東日本大震災時、メルトダウン恐怖に東京に避難した生徒たちを送り出すシーンを思い出した。

バスの見送りは、以来、トラウマになっている…。








2020年01月16日

卒業生が来た

卒業生が来校して台湾訪問をまとめた映画を上映、その秘話を話してくれた。
卒業生のS君たちは昨年、香港、台湾と立て続けに訪問し、「自分たちは世界のために何ができるか」を考え続け、積極的に活動している強者である。

「香港に行ったとき、改めて自分の無力さに気づきました。日本人で応援している人がいる、ということで歓迎はされましたが、自分たちができることは、ほとんどみつかりませんでした。」
と、語る姿は神々しく見えた。

その経験を受けての台湾訪問。
「香港が落ちれば、次は台湾、そして日本」、というのが現在のアジア情勢である。
香港が中国政府に完全制圧されれば、次は台湾がそのターゲットになる。
一国二制度など嘘っぱちだと分かった若者たちが、「自由と民主」を求めて戦っている。
かの国には言論の自由も、信仰の自由もない。
政府を非難する人間は、告発され、どこかに連れて行かれ、収容所に送られる。
再教育と言う名の拷問を受けたのちに戻ってくることもあるが、たいていはそのまま行方知れずになり、時には臓器を取り出される。

自主制作された映画には、台湾で中国政府を避難し、それを全世界に発信した大学生とのインタビューも登場する。
ごく普通の気さくな青年だが、心に秘めた情熱は、自らの命よりも正義と自由を貫いている。

「今の自分たちにできることは、こうした現状が香港や台湾で行われていることを、一人でも多くの人たちに伝えること。そのためにできることは何でもしたいと思っているんです。」
そう熱く語るS君らは、昨年3月に卒業したばかりなのだが、一回りも二回りも大きな人物になっていた。

お金はないけど、時間はあるのが大学生。まだまだ彼らは活動を続けていくに違いない。
S君と共に来校したY君は、中学・高校と野球部を続けた根性ある青年だ。
野球部員でありながら、過去唯一成績優秀賞を受賞した人物でもある。

後輩たちにとって、先輩たちの勇姿は励みになる。

世界は、一国平和主義ではすまない時代に入っている。
日本は、世界のリーダーとしての振る舞いをしなくてはいけない。
そのために、日本国内のみならず、世界に関心を持つことは、とても大切なことだ。

「今、世界で何が起こっているか。」
「その背景はどこにあるのか。」
「その解決には何が必要なのか。」

こんなことを高校生くらいになったら考えられるようにしたい。

「世界のことなんて関係ないや…。」
などという大人(日本人)を作ってはいけないのだ。








2020年01月15日

冬の雨

雨である。
私の住むこの地域は、11月中頃から4月初めからは降れば雪なので、めったに雨が降ることはない、
ところがここ何年間か、真冬でも雨が降る。
今朝も雨であった。
正確に言うと、みぞれ混じりの雨なのだが、日の出前の明け方に激しく雨が降るさまは、冬の景色とはかけ離れている。

「地球温暖化が進んでいるのだ。」
などと、環境左翼たちが騒ぎ出すのだろう。

どうやら全国的に雪不足のようで、例年稼ぎどころの会社は、大幅減収になってしまうに違いない。

大雪になれば、それはまた面倒でもあるのだが、「本来あるべきものがない」、というのも、なんとも不気味な様相で、一年の初めにしては、なかなかあやしいものがある。

山では雪が降っているのだろうから、ようやくスキー場が白銀に包まれるのだろうが、まだまだ雪は足りないはずだ。

この地域の冬場は、屋外での農作物が全くなくなるので、枯れ草色の田んぼや畑がどこまでも続く景色になる。
それが、雪で覆われれば、「冬だね…」、などと趣に浸ることができようものの、今のままではいかにももの寂しい…。

「先生、今年は雪は降らないのですか?」
生徒たちは私にそう尋ねる。

私は、天の神様ではないので、いつ雪が降るかなどはわかないのだが、気候的には、大陸の寒気団が日本になかなか流れ込まず、冬型が続かない。まるで春先にように、低気圧と高気圧が交互にやってきて、温かくなったり寒くなったりするわけだ。

「早く雪が降って、君たちに雪かきしてもらいたいね…。」
「雪かきが終わったら、雪合戦してもいいですか?」
「もちろん!」

そんなたわいのない会話をしながらも、外はほのかに温かい日差しが降り注いでいる。
授業中、ある生徒があくびした。
私は窓を全開にする。
山からギンギンに冷やされた空気がどっと教室になだれ込む。
暖房を切っていた教室は、あっという間に冷気に包まれた。
「空気が入れ替わって気持ちいいべ…。」
と、私は笑う。

本当は緊張感のない、腑抜けた、飽きる授業だったのだろうけど、ちょっと教室内の二酸化炭素濃度を下げてみた…。








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