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2019年11月20日

雪雲到来

「あれ、今朝は雲が多いな…。あまり星が見えないや…」、と愛犬の朝の散歩を始めると、なにやらちらちら降り出した。山で降っている雪が、風で飛ばされて来たのだろう。

これからのシーズン、この地は、晴れていても時折雲がかかると、山の雪が飛ばされてくる。
明るくなってから山を見ると、すっかり雪雲に覆われていた。
風が強いので、おそらく山は吹雪なのだろう。

いよいよ雪雲到来である。
冬型の気圧配置が強くなると、山は雪になる。
その雪を降らせた乾燥した風が、今度は下界に吹き下ろしてくる。

だからこの地の冬は風が強い。

風速は1メートル増えるごとに、体感温度は1℃下がるというが、この強風のためとても寒く感じるのだ。

この風を防ぐため、この地域の集落は、たいてい北側に風よけの杜がある。
「杜があっては、せっかくの山の景色が見えないではないか」、と思ったが、この防風林が寒さ対策を担っているのだ。

かく言う私の隠れ家も裏庭の屋は林になっている。
杉の巨木もあり、古くからの杜であったことは間違いない。
そして、杜を抜けると川になる。・

最近の高気密住宅と違って、古い家はすきま風がきつい。
隠れ家を得て初めてのこの冬、どんな試練が待っているのか、考えるとなかなか面白い。

「ほら、あの山に雲がかかっているときは、山は吹雪なんだよ…。」
休み時間に生徒たちにそう伝える。

この地に住み着いて十年。いくつかの観天望気を経験の中から得た。

山までは二十キロあまり。
全然天気が違う時があって、これまた面白い。

私は高校時代、気象観測に明け暮れたことがある。
大晦日も元旦も、観測のために学校に行き、欠測なく気象観測を続けた。
神奈川県の学校だったが、丹沢山系にかかる雲や風向きで、独特の天気が生まれることにも気がついた。

日本の地形は複雑なので、アメダスだけでなかなかデータを取りきれない。
県ごとの天気予報も、実はおおざっぱで、ほとんど当たらない地域だってある。

そうした地域に住む人は、独自の観天望気で、天気を予測しているはずだ。

この地でも、そうした特徴を探し出してみようと、私は今日も空を見上げる。

2019年11月19日

心に残る言葉

心に残る言葉

『JAF Mate』(JAFが発行する月刊誌)の巻頭言に、元プロ野球選手の高橋慶彦氏が書いている記事がある。

「人生は出会いでできている」、というタイトルがついているが、彼がこれまで出会った人からアドバイスを受けた言葉が、すべて自分の今に至るための道であった、という。

確かにその通りだろう。

人は、様々な人の中で生きている。
その中で、出会いがあり、その出会いによって、互いに影響を与え合う。
通常は、その出会いによって、良くなることもあれば、悪くなることもあるだろう。
しかし、本当は、どんな出会いでも、自分の人生の肥やしにすることができる。

要は、適切なアドバイスなり、箴言を、素直な気持ちで受け入れることができるか、ということだ。

『プロ野球選手は"みんな「よーいドン」でスタートして、ゴールに進んでいく。早くゴールするやつもいる。でも、途中でもがかなあかんのよ。もがいてもがいて、道のりを長くするのは自分よ。だから努力しろ。』

プロ野球選手になるだけでも、かなりの努力とその代償が必要だろうが、プロになればなったで、さらなる努力を積み重ねることが、プロとして長くやっていく、ということなのだ。これをさらりと言いのける指導者もすごい。

そして、それを素直に受け入れ、努力を重ねた高橋氏もすごい。

振り返って、私たち教師は、たくさんの生徒たちと出会う。
その中で、適切なアドバイスをし、善導し、将来の糧とすることが、果たしてできているのだろうか。

多感な年頃で、素直に大人の話を聞けない年代ではあるが、中には、私たち教師の言葉を、それこそ一生記憶する生徒もいるかも知れない。

それでもたちは、結果がどうあれ、生徒たちに、時には耳の痛いことを訴え続けなければならないのだろう。

小文は、
『いろいろあったけど、全部今に至るための道だったんじゃないかと思う。今が一番幸せかも知れません。』
と、結ばれている。

人は、心の持ち方で、幸せにも不幸にも慣れる。
すべてを人生の糧にできれば、人生は幸せでしかないのだろう。

その達人の域に達するには、まだまだ私には難しそうだ。

いつしか、心の糧になる言葉を語ってみたいものだ。

2019年11月18日

自己主張

「自分が、自分が…」、という思いは醜い。
何かしらの成果を上げたとき、確かにその功労者はいるのだが、
「これは、僕の力で成功したんです」、などと言われると、祝福しようという気持ちが萎えてくる。

「やったことを自分で言ってしまうと、価値が消えてしまうんだよ。」
「それじゃあ、誰がやったか分からない内じゃないですか…。」
「見ている人は見ているんだよ。それに神様はみんな知っているんだよ。」

日本人の美徳と言えば聞こえは良いが、欧米ではきちんと自己主張しないと、その実績が評価されないらしい。

「丹澤先生、髪、切ったんですか?」
6ミリの坊主頭に整えた私の頭を見て、隣の先生が話しかけた。
「何で、見れば分かることを、取り立てて言うのだろう…」、とひねくれた私は、そう思ってしまう。
そう言えば以前「女性は周りの人から些細な変化に気づいて欲しいという生き物である」、と聞いたことある。

新しい服を着れば、指摘してもらいたいし、髪型を変えても、何か言ってもらいたい、と言った具体だ。

元来無骨な私は、世の女性陣のそうした「変化」を発見することもできなければ、声を掛けることもできない。一方で自分も、「できれば声を掛けて欲しくない」、と思ってしまうのである。

勝ったばかりの服を着て、「新しく買ったんですか?」、などと声を掛けられると、赤面するくらい恥ずかしく思ってしまう。

おそらく、人間付き合いが苦手なのだろう。
「女性には声を掛けるものだよ」、などと言われると、逆に意識しすぎて疲れてしまうのだ。

そんな私だから、たいていの自己主張は、あまり好ましく思えない。
多くの人は、本当は褒めて欲しくて、何かしらの声を待っているようなのだが、それに気づかないふりをして、心の中で声援を送る、という私のスタイルは、世の中には受け入れられないらしい。

私は、生徒をそういう風に見てしまうので、とてもとても褒め上手とは言えないようだ。
また、上司もそういう見方で部下を見て欲しいと思っているので、上司から「あなたの実績はなんですか? 良い点は何ですか?」などと尋ねられても、答えることに躊躇してしまうのだ。

上司ならば、部下の長所をきちんと指摘して、
「○○をされて素晴らしいですね。さすがです。先生の長所ですね。ところで、それは、どういう意識で取り組まれたのですか?」
などと、聞き出せばいいのになぁ、と思ってしまうのだ。
そうでないと、結局は何も見てくれていないんだなぁ、とやや失望感が漂ってしまう。

どこまで自己主張をするのかどうかは、私には分からない。
ただ、言い訳を強調して、さも自らの責任を回避しようとする様は、やはり醜い。

ともあれ、やっぱり私がおかしいのだろうか…。

2019年11月17日

午後の芋掘り

午前の練習を終えて、午後から隠れ家に行く。
今日は、さつまいもの収穫をしなければならないのだ。

そろそろ茂ったさつまいもの葉も色づいてきたし、そもそも苗を植えたのがゴールデンウィークの頃なので、そろそろ引き上げる時期だろう。

練習を終えた野球部の生徒に、「芋掘りしないか…」、と振ったが、「用があるから」、と逃げられた。

いつも同行する高校生のY君はそうした面倒なことはしない。
近所の農家に籾殻を頂に行くときだけ、つき合ってもらって、芋掘りは私だけでやった。

つるを外すのが思ったより大変で、大変な力作業になった。
その上、芋は結構深いところで直立している。
土もやや硬く、なかなか掘り出せない。

スコップや鍬を使ってしまうと、芋を切ってしまうので、すべて手堀り。
汗だくになった。

それでも、全部は掘りきれなかった。
「今日はこれで終わり!」、と自分自身に宣言した、ふと見上げると、柿の木が目に入る。

「そうだ、柿を頼まれていたんだった」、と竹棒で収穫しようとしたが、うまくいかない。
しかたなく、選定用のはしごを持ち出し、自分が登って十個ほど収穫した。
「まだまだあるが、これも次の機会にしよう」、と途中で打ち切る。

次に、犬舎の床に籾殻を敷く。
臭いが軽減されるか、試してみようと、ご近所からいただいてきたのだ。
犬小屋に籾殻を敷き詰めるなど、聞いたことがないが、実験のつもりで、しばらく様子をみようという訳だ。

シャワーを浴びて、少し休んでから夕方の散歩に出掛ける。
戻ると、高校生のY君がコーヒーを挽いて、入れてくれた。

研究熱心なY君の入れたコーヒーは、とても美味なのだ。

私は、至福の時を迎えた。

あたりは日が沈み、薄暗くなってきた。

「もうすぐ返るぞ…。」
そうY声を掛けつつ、「いい午後だったな…」、と幸福感を噛みしめる。

最近、こうした何気ない日常に喜びを感じている…。




2019年11月16日

強化練習会

今年も中高強化練習会が行われた。
高野連と中体連のコラボによる、年一回の合同練習会である。

高校生や高校の監督たちが、中学生を指導し、少し硬式に触れさせる。
高校生のほとんどは、地区の学校の野球部の卒業生でもあり、これまた説得力がある。
高校の監督も、中学生からは雲の上の存在のように思えるので、一言ひとことを真剣に聞く。
対象は中2なので、リーダーとして意識の芽生えた選手たちが、学んでこれを一年生に教えようという気持ちで聞いているので、吸収も早いのだ。

私の学校からは、今年は4名参加させた。
バッテリー、内野、外野に分かれての練習。

「最低十五人とは、練習中や急の話をしなさい。」
という私の指令の下、内弁慶の彼らは、必死で話しかけたようで、
「先生、目標達成しました!」
と、嬉しそうに言う。

「本当の目標は、野球を学んでくることなんだけどな…」、と思いつつも、彼らの奮闘に私はほくそ笑む。

考えてみれば、全員が同級生。同じ中学二年生だ。
野球という共通項を通して、互いに交流できるのは、とてもいいことだと思う。

この練習会は、「中学生が昼食を食べながら高校野球の試合を間近で見る」、というイベントも用意されている。

中学生たちは、彼らの有志に感動しながら、高校野球の技術とスピードの違いを肌で感じるのだ。
「試合中ベンチに入ってきていいですよ。実際どんな声を出しているか、聞いてみたらいい…。」
高校の監督から、最大限のサービスもあった。

試合を見るのは、中学の先生たちも同じなのだが、こちらは見る視点が違う。
試合に出ている生徒たちは、かつての自分の教え子たちでもある。

高校の選手たちは、かつての恩師に勇姿を見せたいだろうし、中学の先生たちは、自分の教え子であることを誇りに思い、何となくいい気持ちになる。
中学で野球をやっていると、実際に高校野球の試合を生で見る機会は、意外と少ない。
試合のあるときは、中学でも練習しているからだ。

そんなたくさんのプレゼントをもらって、いよいよ野球部も冬のシーズンに入る。

「これだけトレーニングをやれば、中学生はヘロヘロだろうね…。」
と、私がつぶやくと、近隣の先生は、
「うちは、毎日これ以上トレーニングさせていますよ。」
と言う。
その結果は、春以降に効いてくるのだろう。

私自身も、いろいろヒント得られた練習会でもあった。




2019年11月15日

一夜の生徒部屋生活

23時からのミーティングが終わって、部屋に戻るととても寒かった。
生徒たちは、もう寝ているようだ。

「窓が開いているのかな…」、と窓に近づいてみたが、空いているようには見えなかったので、私もそのまま寝てしまった。

今回の宿泊研修では、男性教員は三つに分けた男子生徒の大部屋で一緒に寝ることにした。
その方が見回りの手間も省けるし、夜中に騒ぐこともなくなる。
私以外の男性の先生は、若手の担任なので、同じ部屋で生徒と一緒に過ごすこともできるわけだ。

これは私が提案した。
昨年は、少人数の小部屋で、見回りが大変だったが、大部屋であれば、一気に生徒指導ができる。
指導と言うよりも、生徒と一緒に過ごすという時間も、先生にとってはそれもいい経験になるはずだ。

それでも、夜中に寒くて目が覚めた。
夜中と言っても,普段目が覚める早朝4時。
今朝は愛犬の散歩をしないから、もっと寝ていてもいいのだが、寒いので一旦起きた。

廊下に出ると、廊下の方が暖かい。
エアコンからも冷たい風が吹いてくる。

もう一度窓に近づくと、窓は全開であった。
生徒たちは、全員が頭から布団をかぶって寝ている。やっぱり寒いのだ。

私は壁のエアコンの設定を見る。
だが、老眼で暗いところが見えない。スマホをかざそうと、懐中電灯アプリを探したが、そんなアプリはインストールしていないことに気がついた。

「んー、見えない。」
壁には、「冷房は使えません」、とは書いてあるが、どうやら設定温度が最低になっているようだ。

しかたなく、やみくもに設定温度を上げてみる。
ほどなく少し暖かい風が吹いてきた。

私はひとり、食堂に行き、ソファーに座りながら、ひたすら時が経つのを待っていた。

生徒たちの起床時間は6時半。

私は、6時を過ぎ頃、あまりに時間をもてあましたので、部屋の電気をつけ、生徒を起こし始めた。

部屋はすっかり暖かくなっていた。

生徒たちは、寝ぼけ眼だが、黙々と片づけをしている。

いつしか空は明るくなり、新しい一日が始まった。

寒かった朝も、少しずつ記憶から消えていく。
これが、先生の仕事なのだろう…。




2019年11月14日

初めての宿泊行事

中2全体で、宿泊の研修に出掛けた。
これが入学以来初めての、学年としての宿泊行事になる。

私は、昨年のこの行事で、参ってしまった。
生徒たちはあまりにだらしなく、引率責任者である私自身が、心を乱してしまったのだ。
学校に戻るなり、「連れて行かなければ良かった」、と吐き捨てた私は、その後、坂道を転げ落ちるように落ちてゆく。

私が落ち込んだ一つのトリガーでもあった。

だから「今年はどうだろう…」、と一抹の不安を抱えながら。同行したが、今年の中2は違った。
すべてがいいのである。

私は、お風呂担当と一部給仕をしたが、どちらも何も問題なかった。
誰一人、風呂場に忘れ物をする者もいなかったし、脱衣所をびしょびしょにする者も、誰もいなかった。
私が、味噌汁をよそえば、ほとんどの生徒が、「ありがとうございます」、と言う。

学年主任の強いリーダーシップと、周到な準備で、「研修宿泊は大成功であった」、と言ってよい。

そうなると、昨年の私の不甲斐なさが身にしみる。
今回も、昨年度の失敗を活かすべく、いろいろな工夫をしたのだが、この学年の生徒たちは、とても素直なのだ。

「全責任を負う」、という立場を逃れ、心に余裕を持って引率できると、こうも世界が変わって見えるのだろうか。

その一方で、「私には無理かな…」、という思いが強くなる。
「24時間生徒のことを考え続ける」ことを、無意識のうちに拒否しているかのようだ。

生徒たちはかわいい。
彼らを、「何としてもサポートしてゆきたい」、という気持ちはある。

それでも、現場を離れて、畑仕事をしたり、愛犬の散歩をしているとほっとする。

「皆さんたちは、とても素晴らしい行動でした。先方からはお褒めのお言葉をいただきました。」
研修担当の若手の先生が、最後の反省会で全員にそう告げた。

おそらくは、学年主任も担任たちも、かつての私のように、その言葉どおりには受け取れないのだろう。

だが、私自身は、まさにその通りだと思った。
まさに、お墨付きをいただいたような気分だ。

「君たち、立派だったよ。」

今の私なら、彼らにそう告げたい。





2019年11月13日

『見ざる、言わざる、聞かざる』

「この指導の仕方じゃだめだ。」
「これは、こんな風に誘導しないと、生徒が一回で出来ない。」
「こんな話し方で、生徒たちはうまくできるようになる。」

思えば、毎日がそうした思いの連続であった。
若手の動き一つひとつが、何とも頼りなく、「こうすればいいのにな…」、「こんなやり方じゃ、まずいな…」、などと、やきもきしながら見ていたのだ。

私の狭い心は、常にカリカリしてしまい、何とも落ちつきのない毎日であったように思う。

「丹澤先生は、ものすごく忙しいですよね…。」

当時は、「たくさんの仕事をしているから当然」、と自負していたが、今になって思うと、「忙しそうに見えて、とっつきにくい」、と思われていたわけだ。

この歳になって、ようやくそのことに気がついた。
「自分のやり方でなければ駄目だ」、と我を張って、若い先生たちに押しつけていたのは、他ならぬ私自身であり、そうすることによって、「自由にやらせてほしい」、と思っている若手から煙たがられていたのが、私自身だ。

今年度は、次々と仕事が減っているので、少し客観的に自分自身を見つめられるようになったわけだ。だから、今は何も言わない。
あえて何も言わない。

「好きにやってごらん。失敗したらフォローするから…。」
と、少しおおらかになって、若手の動きを見ているのが、ここ最近の私の姿だ。

どうしても口を出したくなっても、ぐっと我慢して見て見ぬふりをする。

「若手も育ってきたし、私がしゃしゃり出なくても、新しい方法で解決できるに違いない」、と考えられるようになったのだろう。

『見ざる、言わざる、聞かざる』ではないが、たいていは知らんぷりをしている。

ちょっと怖いのは、もしかしたら、私自身が「単なる無関心」に陥っているのではないか、ということだ。もしそうならば、「教育への情熱がなくなった」わけだから、この仕事を去らなければならないだろう。

経験豊かな先生のアドバイスは、時短にもなり、無駄がなくなることは事実だが、時には試行錯誤も必要なのだろう。

「○○先生には、まだ担任は無理です。」
そう、管理職に進言していた慢心しきった私自身を、ふと思い出す。

少し謙虚になるためには、立場の違いが必要であったようだ。

2019年11月12日

夢占い

午後、休みをいただいて、寝ていたら夢を見た。

私が大型のバスを運転している。
生徒を送迎しているようだ。

本来私は、中型までしか免許がないので、運転できないのだが、夢だから仕方ない。

順調に送迎を終えたと思ったが、どうも目的の場所を間違えたらしし。
これはまずいと思った私は、少し焦りながらも、本来の場所へとバスを向かわせる。

ところが、 走る道がどんどん狭くなってしまうのである。
大型バスなので、たとえギリギリ通れたとしても、交差点で曲がることができない。

だから、時々バックで道を戻ったりしながら、次々とやってくる細い道を走り続けた。

すると、気がつくと、学校の廊下のような所を走っている。
「いつの間にこんな所へ来てしまったのか…。ここから出られるのだろうか。」
と、思いながらもバスを運転し続ける。

いつしか、誰も乗っていないバスになっていた。

「ここを曲がって、昇降口から出れば、外に行けるかな…」
そう思って右折しようするも、置かれた物や壁が邪魔になって通れない。

すると、どこからか人が集まってきて、障害物をどけたり、一部壁を壊したりしてくれているのだ。
私も一度、バスを降りてみたが、いつの間にかバスは、傷だらけになっていた。

「さぁ、これで通れるぞ!」
という声がしたので、私はスペースに空いた昇降口から外に出た。

何段かの階段があるので、ガタガタ揺れたが、無事外に出られた。

その途端、バスは五百メートルとも千メートルとも思われる崖から落ちていった。

私が見たのは、バスがそのままの状態で、遠く眼下に広がる町の、駐車場のようなスペースに、軟着陸している様子だった。

しかし、次の瞬間、私は運転席にいて、バスごと、上空から落下している様子だった。

そこで目が覚める。
時間は部活の集合時間を少し過ぎていた。

いろいろ考えられるが、この夢の意味は何だろうか。

いずれにせよ、強烈で印象深い夢で、しかも後味が悪い…。

毎日生徒を乗せて運転しているプレッシャーだろうか。
学校から逃れると、転落するというイメージだろうか。

2019年11月11日

怠け者同好会

中3のT君に、
「最近運動している?」
と尋ねたら、何もしていないという。

彼はバスケットボール部で活躍していた生徒である。
両親も、姉もバスケットをしているバスケット一家だったが、そのプレッシャーから、中1の頃は、バスケから離れたこともある。

その後、両親もあまり干渉しないようにして、プレッシャーを克服すると、またバスケットを始めるようになった。

もとより運動神経もいいし、背もそこそこあるので、有望な選手として毎日活動していた。

私の学校は、中高一貫なので、受験勉強のための引退というものはない。
しかし、中学総体が終わると、参加できる大会がなくなってしまうので、中学校としての部活動は終わってしまう。

ほとんどの部活で、高校生もやっているので、「そのまま高校の練習に入る」というスタイルを推奨しているが、最高学年から、いきなり下っ端という立場、そして、「少し休んでから行こう」、という誘惑に負け、結局、高校の練習に参加している生徒は少なくなってしまうのだ。

彼らの多くは、放課後ぶらぶらしている。
勉強は、学校で出される宿題程度で、受験勉強をする者はほとんどいない。
もっとも、希望すれば全員が高校に進学でき、本番の試験で落とされることもないわけで、そうした甘い環境が、こうした事態を招いてはいるわけだが、ほとんどの生徒は『怠け者』になる。

私は彼らを『怠け者同好会』、と読んでいる。

人は、一度楽をすると、辛い立場にはなかなか戻れない。

部活の練習が厳しくても、毎日やっていれば身体も慣れてくるが、たまにしかやらなければ、結構苦しい。

という訳で、T君は、『怠け者同好会』のメンバーになった。

毎日放課後は、部屋でぐだぐだし、ごろごろしながらスマホで遊んでいるに違いない。

かすかな希望としては、T君は少し勉強するようになったことだ。

先日の中間考査でも、学年トップクラスの成績の科目もいくつかあったので、それなりの努力はしたのであろう。

人には休息が必要だ。
その休息が、次のエネルギーを充電することも多い。

T君は、今、そういう立場なのだろうか。
それとも、ほんとうに、『怠け者』になってしまったのだろうか。

結果は、高校生活を見てみなくては分からないが、これが、「積極的な休息」であることを願いたい。
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