2019年09月30日

駅伝試走

今週末の駅伝大会に向けて、今日は試走の引率として出かけてきた。
新人戦も終わったということもあり、また、野球部全員を駅伝メンバーにしている関係で、たまには顔を出さねば…、と大会前として最初で最後になるかも知れないが、老骨に鞭打って同行してみたのだ。

責任者をしている若手のY先生が、満面の笑顔で、「丹澤先生、運転をお願いします!」、とマイクロバスの鍵を渡しに預ける。「運転手もか…」、と久しぶりのバスを運転する。

たまには私が顔を出せば、メンバーたちも少しは気持ちが引き締まるかな…、とも思う。これが年の功。実際、アップが余り楽しそうで、締まりがなかったので、終了時の講評で少し注意した。学校の看板を背負っての参加だから、言動は当然いろいろな人に見られる。その意識が薄いことを指摘した訳だ。

秋の夕暮れは早い。
スタート地点の公園のイチョウの下には、すでに銀杏が落ちていた。

今日は実際にエントリーメンバーを決める試走。
私の姿を見て、普段より気合いを入れて走ってくれるなら、私も出かけた甲斐があったというものだ。

面倒だから…、疲れるから…、などと本来は走ることができるのに、駅伝メンバーに参加しなかった生徒もいる。
それぞれの得意分野で活躍してくれればいいとは思うが、怠け心で逃げてしまうのだ良くない。

先日の新人戦でも、お世話になった先生がご子息のことで、「うちのが、駅伝を辞めるって行っているんだよ」、と淋しそうに語っていたのを思い出す。中3にもなれば、親の思い通りには動かない。

一発勝負の試走が終わる頃にはあたりはすっかり暗くなった。
公園では分からなかった、バスの運転中、西の空低く、細い月が見えた。数日前が新月だったはずである。
生徒たちは何でもないというそぶりで、バスの中で談笑している。
ほんの数キロしか走っていないから当然だろう。

あるいは、身体を動かすと、肉体は活性化するということだろうか。

月曜日は夜の9時半まで仕事があるので、「さすがに月曜日は辛かったな…」、とも思ったが、終わって見れば結構、充実感はあった。

学校として大会に出るのはいい…。
10月末の地区の駅伝では、小規模校も同様に参加しなくてはならないという、酷なことも起こってはいるが、それでも学校単位のチームは一体感が湧く。

合同チームでは、優秀な選手を集めることができるが、一体感という面で、やっぱり不利になるようだ。

さあ、秋の爽やかな空の下、精一杯汗を流そう。

2019年09月29日

大会2日目

朝から審判である。
今や『負け審』が当たり前になっているし、集合時間も7時半とゆっくり。
何よりも、自分のチームの試合がないのは、その分のプレッシャーがなくてよい。
また、他のチームのプレーを審判をしながら、あるいは待機しながらゆっくり見られるのもいい。

本当はそうしたプレーを私の学校のチームの選手たちにも見せたいものだが、彼らにはそのモチベーションも集中力もない。

昨日も、試合後、私が審判をしていても、その姿はハイキング状態。
おにぎりを食べながら、楽しそうに談笑している。

途中、さすがに私も、「負けた悔しさを感じないのか。これではハイキングだ」、と注意したが、私の審判2試合目には、遊びだした。

中2が遊ぶから、中1が引きずられる。
必死で見ている中1もいるが、ごくわずかだ。彼らは野球経験者。
野球ノートに記録はさせているが、おそらくは「すごいな…」、くらいにしか感じないのだろう。

審判で出かけたときに楽しいのは、他校の先生たちと話ができることだ。
野球談義はもちろん、何気ない会話の中に、学校の様子や、子供たちへの『愛』が感じられて、とてもうれしくなるのだ。

本当に一生懸命やっている先生方だと思う。
一日、何試合も審判をするのだって、そう簡単なことではない。
打球を見極め、クロックワイズでフィールド内を駆けずり回っているのだ。
野球観戦しているのとは訳が違う。

それをお弁当一つでやっている。
公式戦ならばさすがに代休は取れるのだろうが、私の場合は一切の手当もない。
今回、公用車がうまく予約できず、自分の車で、自らガソリン代を払っての大会審判でもあった。

そうした先生たちの陰ながらの『愛』によって大会は運営されているのである。
生徒たちへの献身以外、考えられないものがあるが、大会で生徒たちは、泣いたり笑ったりしながら大きく成長している。

中学野球を卒業して、高校野球に進んだ生徒だって、球場にかけつけ、応援しているのが、先生たち
や先生たちのOBでもあるのだ。

私は、そんな彼らと親しくさせていただき、接点を持たせていただいていることに、本当に感謝したいと思う。

夜になって、大会の反省会と懇親会があった。
大会はまだ明日も続くが、県大会の代表も決まったところで、いわゆる「飲み会」があるのだ。
そこで離されている内容も、野球談義。
本当に野球好きなんだな、と思う。
私ももう少しがんばらなきゃ…。








2019年09月28日

悔しい敗退

一時は参加が危ぶまれる中で迎えた新人戦。
相手校は、私の学校のチームと同じ若いチーム。
技術は互角。どちらも下手くそ同士のチームの対戦。
練習試合で2勝しているので、「絶対に勝たねば…」、と思えば思うほど、当日までに緊張が走る。

一方で生徒たちも、チーム事情も悪く、なかなか大会に向けてのモチベーションを上げるのが難しかった。緊張しているのは、中1くらいで、中2は飄々としている…。

もっとも、怪我人続出で、大会出場すら危ぶまれたのだから、「出場できただけよし」、なのかも知れないが、こと勝負の世界なのだから、やるからには「勝ち」を目指さなくてはならない…。

試合は、初回から点の取り合い。
背番号1をつけたキャプテンでもあるエースが、怪我あがりで球の勢いがない。
だからか、ばんばん打たれる。
打ち取った球は、守備がことごとくエラーする。
何でもないセカンド後方のフライを、ライトとセカンドがとりにいき、ライトが滑って寝転んだり、ショートとサードの間のフライを、中2が二人で追って、結局落としたりと、ドタバタ喜劇にもならない悲惨な状態の中、少しずつ点差が開く。

ホームランを打たれてしまったのでピッチャーを変えねば、と思っていたところが、もう一つ、もう一つとアウトを重ねようと、判断が遅れた私の采配も負けの要員だ。

一年生ピッチャーにすると、試合がしまった。
相手の下位打線は、ほとんどボールに当てられなくなった。
もっと早く交代させれば良かった点。

相手校の応援もすごかった。
教頭、校長が野球出身者で、因縁の対戦とあって、一番大騒ぎして声を出している。
選手たちは、果たして、監督の指示を聞くべきか、教頭の指示をきくべきか、はたまた校長の指示を聞くべきか、と迷うほど。

一方私のチームにも応援はいるが、いつもながら小数なので、構わずチームを鼓舞する。

気がつけば最終回、点差は5点なっていた。

ここでホームランを含め、2アウトから4点を返すも、試合初参加の中1選手の打席で修了。

中2のスイッチがほとんど入っていなくて、自分たちで失点を重ねたことにより、9−8で負けた。

もちろん、負けは監督の責任。采配ミスである。
あと一点の重みを改めて感じた新人戦になった。

「試合に出れた。自分は打った。自分はホームインした。いい試合だった、でも結局負けてしまえば駄目なんだよ。」
と、諭しても一向に悔しさを感じない彼らを、どうすべきだろうか。

明日からは、駅伝練習と中間考査で、しばらく練習はできないのだが…。





2019年09月27日

看取り犬

『看取り犬 文福の奇跡』(東邦出版)
雑誌に書評が出ていたのだ。
犬好きの私には、興味をそそられる本であったが、買うか買うまいか、一週間ほど迷った末に、ようやく購入した。
なかなか感度的な書籍であった。

看取り犬とは、死期の近づいた人間に寄り添い、その死を看取る犬のことである。
ペットと共に入所できる特別養護老人ホームでの出来事をまとめたものである。

文福(ぶんぷく)というのは、数いる犬の中で、人の死期を感じ取る犬の名前だ。
彼は、施設の住人の死期が近づくと、その部屋の前から動かない。
そして、いよいよ臨終が近づくと、ベットの上に上がり、臨終が近づいた老人の顔をなめる、と言う。

そのときたいていの老人は、かすかな笑顔になり、安らかにあの世に旅立つのだそうだ。

こうした主として犬たちの物語臭が、この書籍の内容だ。

その中で、実際の物語とは外れるが、次のような気になる記述があった。

『愛犬、愛猫が4〜5歳になると、飼い主は皆、「あと10年一緒にいられるかな」と思うようになる。6〜7歳になると、「まだ寿命が半分残っているといいな」と考えるようになる。8〜9歳になると、「できればあと5年は生きて欲しい」と願うようになる。10歳を超えると、「せめて1年は無事生きて欲しい」と願うようになる。幸運にも15歳を超えることができたら、一日一日が、神様からの贈り物だと感謝するようになるのだ。』

私の愛犬は1歳。借りている成犬は9歳。

先日お世話になっている犬舎に行くと、14歳と15歳のカップルの柴犬が元気に私を迎えてくれた。

彼らは特に人間に媚びるわけでもないが、それでいてきっちり主人に忠実だ。
私は、そんな柴犬が好きだ。

私の愛犬P太は、相変わらず人見知りをして、生徒に散歩させると、すぐに草むらに逃げ込み隠れようとする。一方成犬Kは、何事もなく、楽しそうに歩いている。

先日は、あまりに動かないので、散歩の後半は私が抱きかかえた。
その後は、少し落ち着いて、しっぽを上げて歩いてくれた。

私との散歩のときは、Kばかりを追い回しているP太だが、あまり知らない人が来ると、途端に態度を変える。

もう一歳と一ヶ月を過ぎたぞ。

できの悪い子ほど可愛いのは、人間と同じだ。

2019年09月26日

生徒会選挙

新しい生徒会長が決まった。
若干、自意識過剰だが、信頼できる生徒である。
頼れる存在であり、私との関係も深い。

私の学校では生徒会長、副会長、執行役員3人がメンバーで、これとは別に中学の生徒会長もいる。

副会長は、中学の生徒会選挙の時には惜しくも落選した、女子生徒。
執行役員の二人は、中学時代にヤンチャで、学校に多大な迷惑をかけた生徒である。
彼等のうち一人は、中学の生徒会のメンバーにもなったが、今はすっかり更生している。

これまた私との関係が深い生徒である。

恐らくはこの学年の学年主任だったM先生は、「ここまで彼等が成長したのか…」、と大喜びだろう。
私も彼等を祝福したい。そして、この先の活躍を期待したい。

今回は、一方、投票した生徒たちの思いを思い巡らせてみた。
校則違反をして、停学処分された生徒は、周りからはどう見えるのだろう。
もちろん、公に処分のことを生徒たちに知らされることはないのだが、噂や、生徒の間では、周知のこととなっているはずである。
そうした生徒は、ある意味ヒーローなのだろうか。

そのヒーローが正義の味方になった場合、そうした人間を「格好良い」と思うのだろうか。

私は、生徒たちは彼等の『行動力』と『勇気』を見ているのではないかと思っている。
たとえ間違ったこととは言え、自分にはできないことをしたという『行動力』。
その上で、反省し、改め、乗り越えてなお、前進してゆこうという『勇気』。

思わず祝福せざるを得ないパワーが、彼等から溢れているに違いない。

「こうした生徒の方が、のちのち活躍する…。」
というのは、教育界では周知の事実だが、私の学校ではそのスパンが短い。

行っている教育が功を奏している部分も、きっとあるはずだ。

「何かあったときは、僕のようなものがこうして立候補して『恥』をさらけ出したことを思い出してください。何かしら役に立つこともあると思うのです。」

立ち会い演説で彼が語った。
原稿を見ながらで、決して見栄えのよいものではなかったが、得票数はピカイチだった。

2019年09月25日

ギリギリの決断

天高く、すがすがしい青空。
風も心地よく、この地の短い秋の日。
気分よく爽やかであるべきなのだが、何となくすっきりしない。

今週末の大会のことである。
10名で登録しているのだが、そのうち何人もの故障者が出てしまった。

中1の一人は、フライを捕るときにグローブではなく、反対の手の小指に当ててしまったというもの。以前、野球を始めたばかりの高校生が、同じくフライを捕ろうとして、頭にボールをぶつけ、そのまま病院送りになったのを見たことがあるが、今回の怪我もそれに似ている。
「へたくそ」、ということだ。
不幸の予言者(医者)によると、二、三週間はかかるという。
医者は、たいてい最悪のことを言う…。

中2の一人は、走塁練習中、切り返しをしたときに膝を痛めたという。
キャプテンでもある。
ここ数日、松葉杖で過ごしている。

野球はメンバーが9人を切ると試合ができない。不戦敗である。
また試合中、代わりのメンバーがいなければ、没収試合となる。

そんな風なので、
「丹澤先生、俺ら試合に出られるんですか?」
などという声も出てきて、いよいよ苦しくなってきた。

もし辞退するなら、今日辺りがリミット。
試合がなくなり繰り上がれば、同日行われる他校の試合時間も変わり、バスの手配だの、様々な部分に影響を及ぼす…。

そんな難しい判断を迫られた今朝、隣では女子バスケットボール部の顧問が同じような対応を迫られていた。
一人が入院し、一人が怪我をして、メンバーが足りないという。
「登録メンバーとは別のメンバーを出場させてもいいか…」、などと私から見るとあり得ない相談を、電話をかけ専門部長の先生にしている。

どこの学校もメンバーは少ない。
その中で、最大限の努力とやりくりをしながら、大会を迎えようとしている。

「だらしないチームは、大会前に怪我人が次々と出てくるんだ。まさにうちのチームだ。」
などと、選手たちを叱責してみた。

しかし、本当にだらしないのは私自信なのであって、本来生徒にかぶせてはいけない。
すべては私の責任である。

キャプテンは出場させるとして、何とかギリギリメンバーで試合の臨もうと決意した…。








2019年09月24日

犬にビビる中1

台風崩れの低気圧が運んだ暖かい空気で、朝の心地よさはなかったが、綺麗に星が見えていた。
いつも通り犬の散歩に出掛けたのが未明の4時30分。
そらは冬の星座が西に傾き欠けている頃。
ふと、北西の空低く、山際に明るい星が見えた。
はくちょう座のデネブである。
北東の空には、再び北斗七星が上がってくる。

夕方の散歩時に見る空は、北斗七星が沈み欠けているが、朝の空では、それが登っている。
なんだか、夜を股にかけた気分になる。

散歩中に辺りはすっかり明るくなり、我が家に戻る6時前には、まぶしく朝日を浴びての運転。
「今日も良い天気だ…。」
と、思ってはいたが、昼前から黒雲が湧き、激しい雨になった。

冷たい空気がやってきたのだ。
雨は夜まで続き、結局、部活で野球の練習はできなかった。

この雨で秋の空気と入れ替わった訳だ。

練習がなくなったので、中1二人を、隠れ家の愛犬の散歩に呼んだ。
中1なので、愛犬の散歩なのか、中1の散歩なのか分からなくなりそうだったが、小雨の降る中、私は散歩に出掛けた。

犬は大丈夫だろうという生徒を選んだつもりが、二人ともビビリ。
犬が少し近づいただけで怖がってしまう。

そうなると、ビビリの私の愛犬も同じくビビリ、散歩どころではなくなってしまった。

それでも、私がリードをしっかり持って、すぐそばに寄せたら、大分安心していたようである。

生徒たちは、自分がびびっているくせに、犬を驚かせようとする。
愛犬がビビる姿が面白いのだろう。

私は、びびっていないもう一匹の成犬を近づけ、彼等と遊んでもらった。

「だめだな、こいつらは…。」
と思いつつも、犬とのスキンシップをさせた。

人間が怖がれば、犬も怖い。
当然、慕ってくることもない。

あれ、なんだか人間社会と似ているな。
怖がって、警戒していたら、人は親しくなれないものな…。

2019年09月23日

かつての学年

私の手を離れた中3。昨今時間を守ることができなくなってきた。
朝の集まりは、それほどでもないが、その他の時間は、確信的に時間を守らない生徒が増えてきたのだ。

私は彼らの授業は担当しているから、授業でちょっと振ってみた。

「時間だけは守るという学年だったけど、半年にしてそれは消えたな…。」
そう語りかけたら笑いが起きた。
その笑いは、ある意味真実であり、ある意味自虐的であり、ある意味面白半分である。

今年度の学年主任のS先生は、集団をまとめるのが上手な先生だ。
うまく乗せて、パワーを引き出す。
一方で、悩んでいる生徒にも寄り添い、不登校生徒でも、クラスの輪に溶け込ませようとする。
個々人の可能性と創造性を発揮させ、成果を上げるのが得意な先生だ。

管理主義的な私とは、ある意味、対極にあり、そのせいか、中3はのびのび育っている。

「これでよかったんだ…。」
と、私は納得しつつ、一方で、「私の存在意義はなかったのかな…」、とも思う。

中学を卒業した生徒の中にも、
「S先生のおかげで立ち直れました。ご恩は一生忘れません。」
という生徒が何人もいる。

素晴らしい先生である。
彼の学年は、毎年こんな感じだ。
生徒の自主性を尊重し、一切の管理はせず、上手に彼らの力を引き出している。
さすが芸術家という感じだ。

以前、校内の教師塾で講師として若手先生に、得意気に、自信満々に語ったことが、今となっては恥ずかしい。

失敗を経験にして、捲土重来を期するべきなのだろう。
だが、半年経ってもまだ、私にはそのエネルギーが湧かない。

今、学年主任や担任をやれと言われても、そのパワーはないだろう。

子供たちが嫌いになったわけではない。

ただ、この世界に情熱を感じなくなってしまったら、それはこの仕事を引退すべき時だと心得ていている。

最近、若手の先生たちの頑張りを見て、ほほえましく思う一方で、「どうして私にはその力が湧いてこないのだろう」、と思う。

何とかならないものか…

2019年09月22日

3度目の草刈り

この夏、三度目の地元の草刈りを行った。
連休の中日ということで、今回は日曜実施。
「朝6時からお願いします」、という回覧板が数週間前に来た。

私は草刈り技術がまだまだ未熟なので、時間がかかるかと思い、今回も20分早くスタート。
草刈りしながら、「あれ? 前より上手くなってるかも…」、などと自画自賛してみたが、相変わらず、刈った草を散乱させてしまうのは、従来通りだ。

実際、草刈りは、一時間ほどで終わる。
以前の住人は、刈払機もなく、ただのゴミ拾いだったそうで、「これだけやってくれると助かる」、と毎回声を掛けて頂ける。

県道沿いの草刈りで、往来する車に注意しながらなので、なかなかやりにくいのだが、まずまず綺麗になった。

地元の共同作業は田舎では欠かせない。
地域によっては、参加しないと罰金があるところもあるというが、一人が欠ければ、その分他の人に負担がかかることになるならば、普通の責任感の持ち主ならば、参加しないという選択肢はないだろう。
以前、テレビ番組で田舎育ちのタレントが、「誰かが死ななければ休めない」、などと言っていたが、そのくらいの重みがあっても当然と言える。

地域では、皆が協力してこそ、生活が成立するからだ。

終了間際、皆が集まっていたので、私も挨拶がてら歩み寄った。
刈払機を動かしているときは、うるさいので挨拶などできないのだ。

「おはようございます。」
名前と顔も未だに一致しないが、少しは声を掛けてくれる。
今日は、刈払機の調整方法を教えてくださった。
「この人は、草刈りのプロだから…」
と、紹介された。

草刈りが終わると部活の練習。
心地よい気候になって、有意義な練習ができるかと思えば、このところのだらしなさにより、プレーが滅茶苦茶…。

次の土曜日が試合なのに、まったく見込みが立たない。

悔しいので、午後は中2に野菜の種まきをさせた。

明日も平常授業だが、少しは気持ちが晴れた…。












2019年09月21日

運転見極め

交通安全推進委員会の委員長をしていることが原因だが、私は時折若手職員の「運転見極め」を行う。
公用車の運転を許可するかどうか、生徒送迎を許可するかどうか、の最終判断を委ねれているのだ。

今日も、この春新採で来た若手職員の「運転見極め」を行った。
要は、私が助手席に座り、運転を見るとい訳で、その際にいろいろな注意事項だの、留意すべき点だのをレクチャーするというもので、これをたいていは授業の空き時間に行う。

「バックギアに入れるときは、まず後方を見てからシフトチェンジしてください。」
「一時停止時は、二段階停止を実施してください。」
「常にカーブでブレーキはやめてください。」
「ハンドルを握る腕をクロスした状態で運転しないでください。」
「交差点で曲がるときは、十分減速してください。」
「キープレフトで走行してください。」
「車庫入れで車輪の方向が分からなければ、前輪を確認してから動かしてください。」

などなど、今日は注意のオンパレードになった。
運転者は緊張しているだろうか、時折和ます意味で、運転とは関係ない話をして、リラックスさせようとしたら、今度はその話に夢中になり、運転が疎かになる。
困った運転手だ。

感じとしては、免許取得したばかりのような感じで、教習所の教官の気持ちが少し分かったような木がした。

本来私が見極めをするときは、生徒送迎時の注意事項などを話すのだが、今回は、そこに及ぶことなく、運転技術に終始した。

私が許可を出さなければ公用車に乗れない、と言うわけではないが、運転状況の方向は、運転者の直属の上司には報告する。

テストをしている訳ではないので、不合格というものもない。

ただし、「まだまだ運転技術が未熟です」という報告はできる。

今日の報告も、そうしたものになった。
「もっと練習してください。」
「急いでいるときは、公用車に乗らないでください。」

などなど、私としても消化不良の見極めになった。

途中で運転を代わったのも今回が初めて。

あまり心地よい仕事ではないな…。








 
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