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2019年07月11日

壮行会で考えたこと

期末試験後の学活を利用して、夏の大会の壮行会が行われた。
数年前から壮行会を行うようになったが、一時間のコマを使って行うのは、今回が初めて。
全員がユニフォーム姿で、壇上に上がり、キャプテンが大会に向けての決意を述べるのは、なんとも頼もしい。

本当は「総体の壮行会」と言いたいところだが、総体ではない大会に出場する部もあり、結局、「夏の大会の壮行会」になった。

見ている私たちですら、彼等の雄姿を見ていると、「よし、頑張れ!」と、声援を送りたくなるのだから、この企画はいい。

願わくば、全校生徒でもっとお互いを応援し、各部の発表を盛り上げたらいい。

各部がそれぞれ戦うのだが、部の集合体としてのチームとしてチームで、学校をあげて戦うのだ。

校長が先頭に立って、応援するのもいい。
これが本来の姿だと思うのだが、以前はそうではなかったからだ。

今年は昨年の猛暑の教訓から、大会日程が少し変わった。
県大会の日程も余裕が持たれ、それに伴って地区の大会も早まった。
場合によっては、高校野球よりも早く、中学生の大会が終わってしまう。

三年間思いを込めて、朝と涙を流したそれぞれの部で、中3最後の大会。
これで、中学校の部活動としては、出られる大会がなくなり、引退。

引退と言っても、中高一貫の私の学校では、高校生と練習したり、少し休養期間を持ったりと、人それぞれなのだが、とにかくおしまい。

「一生懸命やって来なければ、泣けないんだよなぁ」と、心も中でつぶやきながら、「今年の中3は、少し軟弱だったかな…。そういう風に育てたのは、私かな。部活動は全然一生懸命でなかったな…」、などと思いを馳せる。

それでも、この時期になって、「これで最後」、と思った彼等は、少ない練習時間の中で、最大限の努力をしているように見えた。

部活動がもたらす教育効果は大きい。
教科指導では学べないことも数多い。
だから、教員が彼等と共に、部活動の時間を過ごしてきたのだ。

昨今、その負担が大きい、と叫ばれるが、長年、教員たちの献身的な奉仕によって、子供が育てられてきたと言ってもよい。

私は、「部活動の顧問をやりたくなければやらなければいい」、と思ってはいる。
そういうポリシーなら、強要しようとは思わない。

ただ全人格的な教育を目指すのであれば、部活動も大切な要素の一つだろう。

母親が、料理をするのが嫌だから、いつも出来合の惣菜やコンビニ弁当で食事を済ませようとすれば、その子供は、母が調理し、愛のこもった食事の味を知らずに育つ。
それでいいのでしょうか?、と言うことだ。

教員として子供と接する以上、いろいろな接点が大切だ。
部活動や様々な教育活動は、単なる時間の切り売りではないのだ。







2019年07月10日

定期試験の別室受験

今回の定期試験では、また別室受験が始まった。
もともと、体調不良者への保健室受験は可能だった。
だが、「教室に入れない、入りたくない」、という生徒のために、数年前に別室受験を行っていた。
ところが、その人数がどんどん増え、ついに別室受験会場として使っていた技術室がいっぱいになってしまうほどの状態になったのだ。
この姿はあまりおかしく、異常であることを、ようやく気づいた当時の校長が、英断を下し、別室受験を廃止した。
その後、別室受験がない状態できたが、ここにきて、再び復活。

新しい校長は、「せっかく保護者様から学費を頂いてお預けいただいているのだから、学校としてできることは、個別指導であろうと、何でもしたい」、との意向で、今回再度始まってしまった訳だ。

別室受験会場は、保健室を含めて時に三カ所になる。
「誰か他の人がいたら無理です。」
という生徒の対応に、一教室と監督教員をあてがう。
「教室には入れない、不登校傾向の生徒も別の教室で受ける。

何としても定期試験を受けさせようという、涙ぐましい学校側の配慮でもある。
診断書なく、試験を受けなかったら、基本的には0点となる。
こんな科目がいくつもあったら、進級は難しくなる。
私立学校で進級できないということは、転校を勧めるか、退学を想定することになるのだ。

たとえ転校しても、新しい学校側は、「○○学校は何やってるんだよ…」、と不快な思いをするはず。成績不良であっても、本人と保護者の強い意志とやる気が感じられたら、これまた特別対応で、進級させたりもする。当然、卒業だってさせる。

教育界は、いつしかこうした世の中になってしまったようだ。

今朝も、不登校生徒を学年主任が迎えに行き、半ばおんぶするような感じで、学校に連れてきた。
おそらく彼女はかまって欲しいのだ。
だが、いざ試験を受ければ、名前を書くだけで白紙で提出する。

出席人数はカウントされるが、試験が0点なら、成績面で厳しくなる。

「だって、いやなんだもん。」
と、あっけらかんとして言う。

「この時期にいかに愛を受けたかが、この先の彼女の人生を決めるはずだ」、という確信の下に、こうした特別対応をしている。

私は、「教育が完全無償化されたら、こうした対応できるのかな…」、と思った。
恐らくは教育のレベルは、いまよりさらに落ちるに違いない。

この話は、また別の機会に…。














2019年07月09日

真の教育

今朝のSNSに、「小学校のトイレで、男子も全部個室にして欲しい」、というものがあった。

個室に入ると言うことは、ウンチをするわけで、それが他の人に知られることで、精神的な抵抗を感じる、というものだ。
もしかしたら、その背後には、「冷やかされる」、という構図もあるのかも知れない。

私は「万事、生徒や児童の思いを満たすような施策をしてはらない」、と思う。
よかれと、思って手を差し伸べたことで、結果的にその人をダメにすることは多い。
「地獄への道は善意で舗装されてる」、という言葉もある。
一般的には、もっとたくましく育って欲しい。

トイレに関しても、別のアプローチがある。
人間に限らずすべての動物は、その排泄行動に安全性を求める。
それを脅かすような、社会性は、指導者が断固として排除しなくてはいけないのだ。
例えば、「冷やかす」ような雰囲気を野放しにしてしまうのは、教師としての失策であろう。
どうしても、小便ができない生徒は、個室を使えばいいが、そのように育ててしまったという教育面でのマイナスもあるはずだ。

物理的な環境を変えるよりまず先に、精神的な部分、集団での社会的な部分への対処を考えるべきだろう。

当然、個別対応しなければならない子供もいるはずだが、すべてが個別対応ならば、学校で集団生活する意味はなくなってしまうのではないだろうか。

時代の流れとともに、子供の数が減少し、より手をかけて育てるようになった。
そのためか、子供の要求をすべて大人が満たすような風潮も出てきた。

愛する子供に背を向けられるのが、何よりも辛く苦しいと感じる親が多いのだろう。

それ故、学校にもそうした対応を求め、「うちに子には…」、と始まる。

我が儘な子供が増え、学校での指導が成り立たない場面も増えている。
だが、もっと大局的な観点から教育を考える時期が来ているのではないだろうか。

一人一台のタブレットなんて、噴飯ものだ。
モノでは代えられない、『心』を教えてこそ、『教育』と言える。

今朝、ちょうど通学時間に自動車を運転していたら、前の車が通学中の小学生を横断歩道前で徐行し、道路を横切らせた。
すると、その小学生三人組は、全員立ち止まり、車に向かって深々と頭を下げたのだ。
朝から良いものを見た。
そういうことが、自然とできるようにするのが、真の教育だと思う。














2019年07月08日

期末考査始まる

期末考査初日。
中1の定期試験は、入学以来2回目。試験中、質問対応で教室に行くが、こんなときおかしな質問をしがちなのも中1である。

「先生、πと数字を足せますか?」
ある生徒Kがそんな質問をした。
ある意味答えを聞いているようなものなので、「それは答えられないよ…」、と流した。
時折、
「先生、この答えで会っていますか?」
などという恐ろしい質問もある。
「試験中に問題の答えを聞くな!」、と心の中で思いながら、
「そのような質問は受けられません。」
と、にこりと笑って席を去る。

掃除の時間の時、Kに
「何を質問したか覚えてる?」
と、尋ね、少し追及してみたら、
「覚えていません。僕、そんな質問をしたんですか?」
と、記憶喪失状態だった。

緊張すると、訳の分からない質問をしがちだ。
大人だって、焦っていると、書いている重要事項を見逃して、大失敗することだってある。

今日は中3の生徒が、
「面積の相似比ですか?」
と、尋ねてきた。
監督の先生が対応できずに、職員室で待機していた私が呼び出された訳だ。
「相似比だよ。」
と、強調して、その場を去った。
同じく、掃除の時間に、
「面積の比なら、面積比でしょうが…。」
と、確認したら、「はっ」、とした顔をした。

いずれにせよ、試験中はテンパってしまうものだ。

私だって、時間が制限されている中で入試問題などを解こうとすれば、信じられないようなミスを犯すことがある。これも、緊張か…。

今日から四日間、期末考査が続く。

午後は中学生がいろいろな所で遊んでいた。
身体を動かさないと、精神的に安定感を得られないのだろう。
いや、もしかしたら、単なる勉強拒否か…。

さて、採点を始めるか。












2019年07月07日

引退試合

土曜日の午後から隠れ家にこもった。

日曜日とは言え、明日から始まる期末試験に向けて、試験問題を完成させなければならない。
本来、一週間前には完成させるべきものなのだろうが、私の教員生活で、そうした芸当は一度もない。たいていは三日前。前々日には完成し、前日に印刷している。

中には、前日の夜中まで試験問題を作っている強者の先生もいるが、私はそうした危険なことはしない。

というわけで、今日は試験三日目にある代数の試験問題の仕上げ作業をした。
私は三学年6種類の考査問題を作るが、昨日3つ印刷しているので、残り3つ。

昨今はPCさえあれば、試験問題が作れるのでありがたい。
しかも、私の場合、自宅にいながら学校のPCを制御して問題作成ができるので、実質在宅勤務のような形になっている。

隠れ家で時折、家の仕事をしながら、昼寝もしつつ、試験問題を作ってみた。
一万円台のダイニングテーブルの椅子は、なかなか固くて仕事には適さないのだが、何とか目処がついた。

一日、小雨が降ったりやんだりの天気で、畑までは手が回らなかったが、春に入手した木の苗をようやく鉢植えにすることはできた。本当は庭に地植えをしようと思っていたのだが、適切な場所がまだ見つからない…。庭には至る所に花が咲き、どこを掘れば良いかもよく分からないからだ。

夕方、一日ぶりなのだが、生徒と会うと、何だか新鮮な気持ちになった。
「バスケの試合はどうだったの?」

数日前、高3の教え子が、「先生、僕もうすぐ引退なんです」、と寂しそうに声を掛けてきたのを思い出したのだ。土曜日が試合だったはずだ。

「負けました…。」
高1の部員が答える。
総体予選の試合だったと思う。

「これで現役引退か…。」
そういう思いと、後輩たちからのねぎらいの言葉に、複雑な心境でいるに違いない。

彼が中学直後に、私が連れて行ったのは野球の試合。
ユニフォームを着せて、ベンチに入れた。
だが、その後バスケ部に行ってしまった。

「彼も3月には卒業か…。」
一抹の寂しさとともに、「ご苦労様」、とねぎらいの言葉を心の中でかけて見る。












2019年07月06日

『失望』と名の楔

「このところマイナスの思いに押しつぶされそうになっている生徒が多くなっていますので、先生方からも『ひと言』お願いします。」

と、学年主任が朝の打ち合わせで伝える。その直後に、
「丹澤先生も、授業中にでも、お願いします。」
と、念押しされた。

最近このパターンが多い。
ただ飯食らいの居候に、「もっと働け」と、言っているようでもある。

私は、にこりと笑って、「分かりました!」、と元気に応えてみた。

悪魔が店じまいをするとき、これまで使った様々な道具が並べられていたという。
その中で、ひときわ値段の高い道具があった。
「これは、どうしてこんなに高いのですか?」
すると悪魔は、
「これは、『失望』という楔だ。これさえあれば、どんなものでも次々に押し込むことができる。怠惰であろうと、やる気のなさであろうと、苦しみ、悲しみ…、ありとあらゆるマイナスを次々と入れ込むことができるのだ。」
と、答えたと言う。

この世には、悪魔が暗躍している。間違った政治家や宗教的指導者に取り憑き、人々を迷わし、この世を苦しみと混乱の世の中にしようとする存在だ。
彼らは、手下を使い、多くの人間を惑わす。それが、小悪魔とか、悪霊(あくりょう・あくれい)と呼ばれる存在だ。

人は、知らず知らずのうちに、心の中に彼らを呼び込み、いつしかマイナスの思いに支配される。
それが続くと、そうした人も、いずれは彼らの仲間入りとなる。

人生は思うようにはならない。その中で、『失望』してしまうと、悪魔の思うつぼ、というわけだ。

上手くいかなくてあたりまえ。
だからこそ、「もう一踏ん張りするぞ」、というやる気を湧かしてゆかねばならない。
『失望』に負けるな。
『失望』するな。
疲れたなら、十分休んで、また立ち上がれ。

こんなことをこの話は教えているのだろう。

失敗を怖れずチャレンジする中に、充実感と発展の考えが生まれるのだろう。
「チャレンジしない者は、失敗しない」、とも言われる。

「マイナスの心に負けるな。」

私は経験を通して、このことは十分知っている…。














2019年07月05日

心を満たしてくれる愛犬

一時間目の授業を終えた後、中抜けをさせてもらって、愛犬を動物病院に連れて行く。

狂犬病予防接種を受けなければ、登録すらできないためだ。
8月で一歳になるので、そろそろ注射の時期だ。併せてフェラリア予防もせねばなるまいと、遅ればせながら、先週病院を予約したのだ。

女医さんの動物病院で、説明も詳しく、なかなか親切だった。
定期的に通院する必要があるので、この先も長いお付き合いをしたいと思う病院だった。

その後、愛犬を連れて生まれ故郷の犬舎にも立ち寄る。
順調に育っているのかを、ご主人に見てもらいたかったからだ。
幸い、順調とのことで安心した。
ただ、すぐに驚きおびえてしまう「びびり」については、飼い主の責任を叱責された。
「びびった時に、飼い主が何もしないのが、一番悪いんです。」

本当に犬舎に行く度に勉強になる。
犬舎では、仲の良かった雌犬と一緒に自転車で散歩に連れて行ってくれたり、母親に会わせてくれたりと、相変わらず至れり尽くせりだった。本当にありがたい。

「びびったときには、さっと寄り添って、大丈夫だよ、と声をかけてハグしてあげなければ…。」
この言葉が心に響いた。

反して私の対応は、「なんでびびってるの…」、と冷めた目で声を掛けていたのだ。

「もしかしたら、生徒と関わるときも、こんな感じだったのではなかろうか」、と思い至ったのだ。
私にとっては、毎年のことでも、彼らにとっては一期一会。
常に生徒に寄り添い、その思いを推し量り、手を差し伸べる。
こんな基本的なことが、おざなりになっていなかっただろうか。

「自分が癒やされたい」、と思って犬を飼い始めたが、一ヶ月以上経った今、実は私が学ぶことばかりで、何だか新鮮な気持ちでいっぱいだ。

そういう意味では、教員生活のリフレッシュにもなり、また、これまでの自分を見つめる機会にもなり、当初想定した以上に、私の心を満たしてくれている。

「犬が丹澤さんを見るようになりましたね。きっと、言うことを聞くようになりますよ。」
犬舎のご主人が言う。

私は、「頑張って育てます…」、と犬舎をあとにした。

6時間目の授業は、私自身、元気いっぱいであった…。







2019年07月04日

ただ飯食らいの居候

「丹澤先生、今年はどうして一学期の終業式が7月30日なんですか?」
「学校としてそう決めたということだ。」
「ゴールデンウイークが長かったからですか?」
「それもあるが、それだけじゃないと思うが…。とにかく、今年は学年主任じゃないから、そういう会議には出てないので、ワシにはわからんのだ。」
「えっ、先生は中2の学年主任じゃないんですか?」
「違うよ。M先生だよ。」
「M先生かわいそう…。」

そうなのだ。今年度の私は、中2に入れてもらった、言ってみれば、『ただ飯食らいの居候』なのだ。
「陰ながら学年やクラスを支えている」、と言えば、聞こえは良いが、まぁ、「ぶらぶらしている」状態だ。

「組織っていうものは、トップが決めたら、その方向に動くんだよ。たとえ、部下全員が反対しても、実行されるんだ。」

ここで、世の中の仕組みをちょこっと教える。

「上手くいけば、トップの実績。だが、上手くいかなければ、場合によってはトップが入れ替わる…。」

「社会ってそんな感じなんですか?」
一人の生徒が尋ねる。

いずれ彼らも社会人になれば、否応なしに社会の仕組み込まれることになる。
学校に通っているうちは、いろいろな意味で保護されている。

2022年から成人年齢が18歳になるという。
年齢的には、高校3年生から大人となるのだが、当初は、社会を知らない大人が大量に現れるのだろう。

人間は18年から20年かけて大人へと成長していく。
これほど長いということは、学ぶべきことがたくさんある、ということなのだろう。
それが、人類の文化を創り、地球文明を築いてきたのだ。

そんなほんの小さなお手伝いをするのが教師の仕事なのだろう。

とは言え、昨今の私は居候。

試験中に学年で食事会をするという。
残念ながら私だけが参加できない。
「東京から母が出てくるんです。」

やっぱりただ飯食らいの居候だ。
なんとか老害にはならないように、戒めよう。









2019年07月03日

保護者の思い

昨日、愛犬の生まれた犬舎を訪ねた。
野球の代表者会議が行われる学校の目と鼻の先にあるため、連絡なしに立ち寄ったのだ。

「金曜日に動物病院帰りに犬を連れてきます。」
と、話し、餌の材料も分けてもらった。

この犬舎では、いわゆる既製品のドッグフードでは育てていない。
品評会に出るような柴犬なので、長年研究した結果たどり着いたと思われる、オリジナルの餌を作って与えている。

譲ってもらった愛犬も、品評会に出たことがある犬でもあり、ここまで愛情込めて育てられた、ということもあり、私もきちんと餌を自作している。

もしかしたら、私自身の食事の準備より、犬の餌作りに時間がかかっているかも知れない。
一回に作る量は、だいたい4日分くらい。

圧力鍋と、フードプロセッサーと駆使して、さらに煮込む。

「母親が子供のために食事を作る、というのはこんな感じなのかな…」、などと思いを馳せながら、せっせと餌作りをしている。

「パパこれ、おいしいね…。」
などと、犬は答えてくれないが、食べっぷりを見ていると、少しは愛情が分かっているのかな、などと自己満足してしまう。

「本当は一日中一緒にいてあげたいんだけど、一日数時間しか時間が取れなくてごめんね…」、と思いつつ、「もしかしたら親もそんな気持ちで子供を見ているのではないかな…」、と思う。

概して男の子に対して、母親はなかなか子離れができない。
幼少期の男子は、とても弱いのだ。
それだけ手もかかる。だから、思い入れも大きくなってしまうのだ。

一方、息子の方は、早く親から離れたくなり、反抗期、思春期と母親を別の意味で悩ませる。

そんな一時期にお預かりするのが学校だ。

「保護者は自己中心的になって勝手なことばかり言う」
と、思いがちだが、その裏には、子供に対する思い入れが大きいということだ。

我々教員も、時々思い出さなければいけないことだろう。










2019年07月02日

考査前の部活動

「あれ? サッカー部は練習ないの?」
「試験前ですから、練習はありません。」

どうりでSが野球部の練習に来た訳だ。
彼はサッカー部で選抜選手に選ばれるほどなのだが、野球部に来れば。野球部以上に動き回る。
私が一言声を出せば、一番先にさっと動く。
「気が聞く」、というのはこういう奴のことを言うのだろう。

「試験前なのに、なんで助っ人を呼ぶの?」
ユニフォームを準備できずに練習に参加させてもらえなかったキャプテンがぼやく。
だが、Sは無理だが、もう一人の助っ人だって試合には出る。水泳部ながらも、野球部として選手登録しているのだ。
今日はこんな風だから、キャプテンは無視だ。
別の2年生が臨時キャプテンとなった。

総体の日程は同じなので、サッカーだって、試験直後に試合なのだが、あちらは練習をしない。

考査前ながらも練習をするかどうかは、顧問の判断にかかっている。

「生徒に任せているんです。」
そう、バスケットボール部の顧問は言った。
13日ですから、来週やるんです。

「来週って、試験中ですか?」
「そうです。」

練習をしなければ、怪我のリスクが高まる。
技術の向上というよりも、身体を動かしていないで、いきなり試合に臨むというのは危険なのである。
また、運動をしていないと、体力も落ちていく。

練習をやって、生徒も充実感もあり、試験の結果もそこそこならば良い。
だが、「試験前も部活、するんですか」、保護者からクレームが来ることも否めない。

この地域の中学校は二期制、私の学校は三学期制。当然、試験の日程も異なり、時に大会と限りなく近くなる。本当に大会と重なってしまったときは、試験日程すらずらしてしまうのだ。

部活も勉強も両立できるのが理想だ。
だが、要領の悪い生徒は、どちらも中途半端になる。

総体は単独チームだ。
一年生であっても、全員が試合に出るtyもりで準備をしておかなければならない。

今日、組合せ抽選があった。
冷房のない、蒸し暑い会議室での代表者会議。
その中の抽選で、私の学校の対戦相手は、これまで合同チームを組んでいた学校となった。

くじを引く前、うすうすそんな気がしていたのだが、私の後に引いた監督は、2校目にして、私の学校の対戦相手を引き当てた。

きっと、「これで春に引き続いて、夏も一勝できる」、と思っているに違いない。
校長同士も仲良くなった。

頑張らねば…。








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