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2019年06月20日

総体の開会式

中体連の総体の総合開会式に出た。
今日は、陸上の大会。
私の学校では、昨年陸上部が廃止され、大会にも出なくなった。
だが、それだけで開会式を欠席するのは許されない。
地区の学校で、陸上部がある学校は全体の三分の一に満たないのだ。
陸上部のない学校は、陸上競技に出場出来そうな生徒を、各部から選抜し、にわか陸上部を作る。
規模の小さな学校では、全校大成で、この陸上大会に臨む。

だから、陸上の大会は、他の種目の大会と日程がずれているのだ。
陸上部があろうがなかろうが、大会に出てくれ、というのが地区の願いなのである。

「うちは、陸上大会には参加できません。」
と、懇願したものの、それでも開会式には校長ともども参加してくれと、我が野球部に白羽の矢が立った。

地区の駅伝大会も、町の駅伝大会もそうだが、地元に仲間入りするということは、大会にも『参加する』ということになる。

会場の陸上競技場に着くと、気合いの入った陸上部がアップを兼ねた練習をしている。
「リレーのバトンって 、こんな風に渡すんだっけ?」
「ハードルは本番用というのがあるんだ…。」
などと感心しながら、彼らの練習を見る。

合わせて、会場を一周し、知り合いの先生方に挨拶をして回った。

私の引率した中1の生徒は、興奮して駆けずり回っている。
早速、私にたしなめらられた。

開会式が始まると、これまでの賑やかさが一気に静まった。
近くで、カッコウが鳴いている。
シジュウカラが芝生を闊歩している。


開会式は短い時間で終わった。

熱中症対策であろうか。ほとんどは、生徒は座って話を聞く。
起立したのは、国旗掲揚と、宣誓のときだけであった。
これはいい…。
昨今は、高校野球球児でも開会式でバタバタ倒れる時代なのだ。

学校に戻ると、まだ一時間目の途中。
私の授業は代行で頼んだが、少し顔を見せられた。

帰りのバスで寝られても困るので、一人ひとり『君が代』を歌わせたら、いつの間にか、校歌の大合唱になっていた。

開会式は、生徒たちにも早朝の爽やかなひとときの気分転換になったに違いない。

早起きはいいね…。












2019年06月19日

ぴったり当たった降雨時間

「17時から雷が来るそうですよ。」
部活に出掛けようとしたら、窓から顔を出したサッカー部の顧問が声を掛けてきた。
「いつ降ってもおかしくない空ですからね…。」
と、構わず校外のグランドに行くも、空はどんどん暗くなってくる。

アップも何もすることなく、いきなりノック。
明日も明後日も練習ができないが、明明後日は試合なのだ。

小一時間ほど経った頃、吹いている風が冷たくなってゴロゴロと来た。

「はい、終わり!ダッシュで片付け!」
と、グランド整備もすることなく撤収。
程なく大粒の雨が降り出した。

天気予報完璧。
ぴったり17時に雨が降り始めた。

その後、何時間も雷雨が続いている。

天気予報の精度は最近高まっているようだ。

明治の初めに、日本で初めて天気予報が発表されたときは、全国一律だった。
降水確率が発表され始めた頃は、100%や0%の発表はなかった。

日差しが強くなったので、上空に寒気が流れ込めば、途端に積乱雲が発達する。
大雨が降る典型的なパターンだ。

「雨の降り始めは風でわかりましたよ。」
中1が得意そうに話す。

雨の直前には、雨の臭いがする。風が急に湿っぽく、冷たくなることが多いのだ。

日本は気象の変化に恵まれた素晴らしい国だ。
時候の挨拶も天気から始まる。

諸外国で、毎日が晴れているような地域では、そんなことは起こらない。
四季折々の気候が、生活に密着しているからこそ、挨拶にも文学表現にもつながっている。

この文化は廃れさせてはいけないだろう。

蝉や虫の音をノイズと感じるか、趣を感じるかは、国民性によるのだろう。

雨など降るもをかし。












2019年06月18日

職場での役割

「昨日のセンター試験で、空欄があるのはどうしてですか?」
「行き詰まって、それ以上解けなくなったのです。」

大学入試系は、こうして私の非力を責められる。
「え、三時間半も解いていたんですか?」

「もう途中でいやになりましたよ」、と答えたいところを、神妙な面持ちで、「すいません」、と答える。

役場の教育委員会からは、ガラス破損の顛末書の提出も求められている。
「弁償を求められている上に、顛末書か…。」

生徒のしたことだから、その監督責任は私もあるのだから仕方あるまい。
書類で済むなら、それもまたよし…。

午後は、校内サーバー、ネットワークの業者打ち合わせ。
面倒を見てくださっていた、大手業者の担当者が退職し、メンテナンスが宙ぶらりんになっているのだ。私だって、何もかもできるわけではない。

その後、久しぶりに旧職の同僚と会った。
世界的な音楽家である彼は、いつもポジティブで、元気なのである。
もちろん世界中を飛び回っている。
彼と話をすると、勇気と元気が湧いてくる。

「果たして私は、この職場で役に立っているのだろうか…。」
という思いが、時折よぎる。

そうそう、今朝は早朝補講をした。
中間考査で芳しくなかったメンバーを朝の7時15分から授業。
この時間でも、私の起床時間から2時間半以上経っている。

休み時間に、「丹澤先生、中2になったら、先生がαクラスを担当してくれるんですか?」、と尋ねられた。
そんなこと、誰にも分からないが、彼は、私の授業が受けたいらしい…。

授業では気に入ってくれる生徒もいる…。

私のできることは、さほど多くはないが、もうひと踏ん張りしてみようかな。












2019年06月17日

「ふー」の一日

『ため息をつくと、幸せが逃げていく…』、と大昔に聞いたラジオのパーソナリティが言っていたのを思い出す。

以来私は、可能な限り、ため息をつかないように心掛けてきた。
幸せが逃げる運人というよりも、ため息ばかりを聞いている周りの人が、不快になるであろうと思ったからだ。

だから、ため息が出そうなときは、口をとがらせて、「ふー」っと、強く息を吐いている。
広義のため息と言えば、ため息なのだろうが、少なくとも、私自身の無意識によるため息とは違う。

今日は、ため息ばかりの一日となった。

朝の会が終わると、すぐに昨日のガラス破損についての謝罪と状況説明のため、役場へ。
すぐに帰校し、新人の研究授業を見学。
『サラダ記念日』を題材にした国語の授業。
そして、自分の中3の授業。これは、なんだか気合いが入らなかった。
その後、役場から、「昨日の顛末書を作れ」と役場からFAX。

その後、教頭から「センター試験を解いて下さい」、と指示される。
通常は2時間なのだが、
「丹澤先生は、全部解けるまで、時間制限無しでお願いします。」
と来た。
結局、昼食も無視して、およそ3時間半。
恐らくは、出来も大したことないだろうから、何となく時間を無駄にした気分。

疲れて6時間目は、時間給。

放課後は部活に行くも、いろいろ粗相があり、途中で中断。

まさに、「ふー」の一日となった。

「こんな日もあるさ…」、と隠れ家の畑の手入れをする。
「明日は、良い日になるよ」、と犬の餌を作る。

夜の仕事は、若手が、「自分が代わります」、と開放されたのが、せめてもの救い。

毎朝夕の犬の散歩がてらに見えてくる景色が、癒やされる。

快晴の空なのに、何となく心が晴れない。

やっぱ呼んでいる山に行くしかないかぁ?









2019年06月16日

ガラスをガチャーン

野球部練習の雨天対策として、近隣の廃校となった小学校の体育館を借りているが、今日が、その最初の使用日となった。

二年前に廃校になった小学校の体育館は、振るいながらもまだまだ使えそう。
グランドが雨で使えない時にちょうどいいと、使うことにしたのだ。

快調に練習をしていると、調子に乗った中3が、いきなり全力でボールを投げた。
その球が、窓ガラスに当たり、ガラスが割れた。

「ガチャーン」、と音がした途端、辺りが静まった。
生徒たちは、どうしたらいいか分からなくなって固まった。

「片付けなさい…。」
と、私は静かに指示。

ちょうど窓を開けていたため、2枚を破損した。
窓にはボールよけのバーが付いていたが、突然投げたボールは軟式ボール。
そのバーの間をすり抜けて、直接ガラスに当たってしまった。

最初の使用から器物破損では、この先が思いやられるし、貸し出しも停止されてしまうかも知れないし、当然、弁償しなくてはいけないだろう。

生徒の中には、新しい環境になると、突然高揚して、予想もしない行動に出るときがある。
興奮するか、警戒しておびえるかの、どちらかであろう。
まさに動物的本能が目覚める、と言ってもいい。
大人への階段を上っている最中の特徴でもある。

今回がそれだ。

帰校してから、その生徒が、
「ガラスを割って、すいませんでした。」
と謝りに来たが、私は、
「調子に乗ったな…。」
と、一言たしなめるのとどめた。
彼は、これまでに何枚ものガラスを割っている。

明日は、朝一番で謝りに行かねばなるまい…。
















2019年06月15日

朝の会での話し

私が入れてもらっている学年の担任は、二人とも若手である。
そのうちの一人は、新人時代に私の学年に入り、私のクラスの副担任をお願いしたK先生。

私は学年主任時代に、「朝の会では、先生の話を聞かせて下さい。毎日毎日の話を通して、少しずつ生徒を成長させて下さい」、とお願いしていた。

担任の中には、連絡事項だけ話して、「あとは自習」、なんて乱暴な先生がいる。
さすがに、毎日自習はまずかろうと、チャッティングを取り入れ、時間を潰している人もいた。

チャッティングも上手に誘導すれば、効果があると思う。特に中学生だと、中1の後半くらいから、男女仲が悪くなるので、男女で話をする機会をあえて増やして、クラス作りの一助にすることもできるのだ。

だが、時間つぶしであったり、担任として話をすることがないから、チャッティングをするというのなら、私は納得できない。

いつもは、隣のクラスにいるのだが、時々覗いてみると、O先生はきっちりを話をしていた。

折々の話題を含めながら、お説教にならないように、上手く生徒たちに語りかけ、善導している。

「さすが、O先生。」

私は、「伝えるべきことは伝えられたのかな…」、とほくそ笑む。

昨日、あるクラスの担任も副担任も不在だったので、私が臨時にクラスを見た。
昨年度までクラスを持っていた時と違って、心に余裕を持って生徒と関わることができる。
「一体、以前の自分は、何だったんだろう」、と思う。

いつも誰かに監視されているようで、精神的にまいっていたのだろう。
事実、そういう存在は複数あった。

もう一つのクラスの学級文庫に、『勉強したくてたまらなくなる本』という書籍があった。
先日、面白そうだと思い、手に取ったら、翌日にはクラスからなくなっていた。
だから、仕方なく自分で購入。すぐに読み終えた。
担任に、「あの本、どうしたの?」、と尋ねると、ある生徒が、
「本の表紙に『ダメな人用』と書かれていたので、先生、読んで下さい」、と勧められたのだという。

失礼な話だが、その言葉を受けて、読んでみたその先生も偉い。

読後、私は数カ所、付箋をつけてあるので、何かしらは役に立った本である。
詳細は、後日紹介したいと思う。

そうした話題も、クラスでの話のネタになる…。


2019年06月14日

父の遺産

四十九日をかえ終えて、何故だか父との思い出が浮かび上がってくる。

始終、祖母と喧嘩ばかり…。
夕食時にテーブルをひっくり返すのも珍しくなかった。

ある晩、父が祖母に手をあげたとき、私は、父と祖母の間に入ってその拳を止めた。
小学高学年の頃である。

大酒飲みで、飲むたびに暴れたので、父とは仲が悪くなった。

そして結局、一緒に杯を交わすことなく、父は逝去した。

ただし父と私の共通していることに、「犬好き」というものがある。
父は毎朝、暗いうちから散歩に出かけ、一時間以上戻ってこなかった。

奇跡的に病気が良くなり、退院すると間もなく、飼い犬が死んだ。
母は、「父の身代わりになった」、と言った。
その後は、父は犬の散歩ができなくなった。
ほどなく、痴呆が進み、父は施設に入ることになる。
施設に入って二年あまりで、父は逝去した。

よくよく考えれば、私が家を買ってまもなく父が逝去。
家の準備に、父の弔意金が役だったし、犬を飼い始めたのも、きっと父の影響だ。

おかげで運動不足の私は、毎日犬の散歩によって歩くことを余儀なくされている。
起床時間も4時半になった。

朝晩、私が出かけても、一部の生徒たちは、犬の散歩だと知っている。
まだまだ生徒には慣れないが、いずれ仲良くなるだろう。

「先生、犬の名前なんて言うんですか?」
「餌をあげるときは『ポン太』、生徒と遊ぶときは『たかひろ』、血統書上の正式目は『将門』だよ。」

三つの名前を持つことに、皆が目を丸くする。
『たかひろ』とは、野球部の生徒の名前でもある。

この犬のおかげで、毎日リフレッシュすることができている。

『ポン太』こそが、父の遺産なのだろう。

日中はなかなか遊んでやれないから、奴はたいてい寝ている。
私はいつでも、犬の様子をライブカメラで見ることができるようにしてあるのだ。

あまりに寂しそうにしていると、ネットを通して声をかける。その声がカメラから出るのだ。
すると、ちょっと落ち着く。

いつしか、多くの生徒が遊んでくれたらいい。









2019年06月13日

山が呼んでいる

久しぶりの快晴になった。
山に雲がかかっていないのは、何週間ぶりだろう。
梅雨の晴れ間、中休みだ。
何と言っても風が心地良い。

山が呼んでいる。
「早く登に来いよ」、と語りかけてくる。私もうずうずする。

今日は、研究授業があった。
数学科の同僚Y先生による「組合せ」の授業。
教室内が混雑していたので、廊下で見ていたが、そのとき、山並みが見えたのだ。

前回上ったのは、3月の終わりだったな…。雪ですべて足を滑らせないように、注意して山頂まで登ったことを思い出す。

さすがにこの時期には雪はない。だが、山岳地特有の高山植物が咲いているはずだ。

「順列は並べることですね。それに対して組合せは…。」
Y先生は、組合せの導入のために、順列から導こうとしておられる。
だが、一生懸命生徒に促しても、「並べない」ための割り算の分母の意味が、生徒から引き出せない。

「空気が澄んでいると、遠くまでよく見えるだろうな…。」
さすがにこの時期に富士山が見えることはないだろうが、私自身山頂から富士山を確認したことは、これまで一度もない。

「この分母の3!は、なんだか分かりますか?」
一生懸命生徒に問うが、期待するような答えが返って来ない。
授業の初めの導入で、復習がてら確認しておけば良かったはずだ。

「今年は、許可を得て、生徒たちを山に連れて行きたいな…。」
山登りは、トレーニングにはとても良い。
もちろん、天気が良ければ、の話だが…。

生徒に考えさせ、それを発言させる授業が花盛りだ。
しかし、講義形式よりも、さらに授業準備に時間がかかる。

先生たちの負担をもっと増やすことになっているのだが、教員の世界で、新しいことが始まると、それは追加であって、以前のもので体系的破棄されることは、まずないのだ。

専門職ながらサービス業とも言え、いつしか、「やって当たり前」の状況になっていく。

「分かる人?」
と、尋ねると、授業を参観していたH先生が、「はい」」、と手を挙げた。
Y先生は、H先生に発言を求める…。

「授業の妨害をしちゃいました!」
と、H先生。

普段から考える習慣を怠っている生徒は、急に考えさせても、どうしたらよいか分からなくなる。

教育活動にはいろいろな刺激が必要なのだ。

「山に行けば、いろいろな刺激が得られる…。」
私は、そう確信している。








2019年06月12日

8度目のチャレンジ

『8つめの青春』という「さだまさし」の歌がある。
先輩が失恋するたびに、次々と大きな車に乗り換えて、後輩である僕をドライブに誘う、というコミカルな歌だ。

私は、昔はさだまさしのファンクラブに入っていたことがある。
それほどまでに、彼の歌詞と歌に心酔したということだろう。
もちろん、今だって彼の歌を聴く。

さだまさしの歌にはストーリーがあり、彼はそれをドラマチックに歌い上げる。

実は、昇降口に例のツバメのつがいが、またしても巣を作り始めたのだ。
そのつがいの巣は、出来上がるたびに、心ない大人たちに壊された。
その回数はすでに七回を数える。

壊す方もしつこいが、巣作りするツバメたちも、気合いが入っている。

「これで8度目の巣作りか…。」
私は感心して彼等の様子を眺めていた。
「出来上がった巣も、また程なく壊されるのだろうな…。」
と、悲しい気持ちにもなる。

ある生徒は、
「これって、動物虐待ですよね。」
と、興奮する。
私は、そうだ、とも、どうでないとも言えないで躊躇していると、
「僕、絶対訴えますから…。」
と、息巻いている。

私の学校には、年に何度か、学校に対する不満や要望を届け出るシステムがあるのだ。

私の心の奥底では、「やれ、やれ、どんどんやれ…」、という気持ちであることに間違いない。
私が訴えたことは、話を聞かれないが、保護者や生徒の訴えや要望は、すぐに対応される。
お客様第一なのだ。

この8度目のツバメの巣作りを見て、さだまさしの『8つめの青春』を思い出したのだ。

『8つめの青春』では、8度目の失恋はない。
8度目に先輩は、4トン車でやってきたのだが、その助手席には彼女が座っていたのだ。
だから、先輩は8度目にして、幸せを手にしたのだ。
後輩である僕は、助手席のその姿を見て、「先輩をよろしく」、と朝日を浴びながら先輩を見送るのだ。

果たして8度目の巣作りはどうなるのか。
ツバメたちに幸せはやってくるのか…。

私には、罪の意識を感じない某氏のニヤリと笑う姿が見える。














2019年06月11日

裏庭の蛍

今夕は、中一が蛍観察に出掛けた。
学校の近くで、蛍が見られるのである。
毎年、この時期に観察会が行われる。
「蛍なんて珍しくないよ…。」
という生徒もいれば、
「わー、すごい!本当に光っている…。」
と、ただただ感動するばかりの生徒もいる。

そんなことを思い出しながら、私の隠れ家の裏手の用水路に蛍が出る、と聞いていたので、私も愛犬を連れて見に行ってみた。
今月の初めには見えなかったが、今日は飛んでいた。

真っ暗闇に光る蛍はいい。
『闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし。』、と清少納言の『枕草子』にあるとおり、やはりいい。

これからもっと飛ぶのか、それとも最盛期を過ぎたのか、それは私には分からないが、今週末くらいまでは飛んでくれるに違いない。

ふと、「そうだ、私の隠れ家にも用水路があった」、ことを思い出し、家に戻り裏庭へ行く。
もちろん、真っ暗闇。
懐中電灯がなければ、小径すら見えない。
愛犬が先導してくれて、ようやく歩けるくらいである。

蛍がいた。
一匹飛んでいた。
懐中電灯の光が当たったら、葉の上に止まった。
それを再び、懐中電灯で照らしてみると、ゲンジボタルだ。
そして、またすーっと、飛び立つ。

蛍の成虫の寿命は一週間程度で、幼虫の時は、勇ましくカワニナを攻め、食べまくるのに、成虫になると、水しか飲まないという。
子孫を残すために、メスを呼び、メスへのアピールのために、オスの蛍が光り続けるのだという。

まさに、諸行無常。まるで人間の人生のようではないか。
あの世の世界から見れば、この世の世界はほんのひとときの時間。
このひとときを、どう輝かせるかが、人生だ。

東京生まれの私が、まさか裏庭で蛍が飛び交う家に住むことになるとは、思いもよらなかった。

まさに、「いとをかし」である。














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