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2019年05月31日

ポジティブピッチャー

終日、野球の県大会の審判。
このところの暑さも一息つき、涼しくて助かった。

県大会に審判に行くと、500円の旅費と一試合につき500円の手当が支給される。
私の学校では、出張時の一切の手当がないので、もらえるだけありがたい。
その代わり、今日のような出張扱いでは、公用車が自由に使え、交通費はかからない。
だが、朝昼の食事代で消えてしまう金額であることも事実。

私の場合、お金云々より、中学生たちが必死でプレーする様子を見られるだけで喜びなので、手当などはどうでもいい。

今日の試合も、白熱した素晴らしい試合だった。

球場は高校野球はもちろん、時折プロ野球が興行するような立派な人工芝の球場。

地方の大会は、こうしため恵まれた球場で試合ができる。
今日は一回戦だ。

さて、試合だが、今日は「ポジティブピッチャー」が印象に残った。
ピッチャーは孤独だ。投球をするのは、ピッチャーただ一人。
打ち取ったと思った球をエラーされたら、ちょっといらつく。
実際、一人で投げて、一人で打ち取って、エラーされると激怒して、文句を言いまくるピッチャーもいる。
たいていそういう選手は、自分がミスしたときは、何も言わない。

だが、今日の試合のピッチャーは違った。
とにかくチームを盛り上げるのである。
中学の野球では、ピッチャーで4番打者でキャプテン、ということもが珍しくはないが、そうではなかった。まさに、「ポジティブピッチャー」だった。

一方、対戦相手のピッチャーは、「ポジティブ」ではなかった。良い投球をすれば喜び、ミスをすれば落ち込む、普通のスタイルである。
だから、四死球を出せば、あからさまに表情を曇らせ、落ち込む。
すると、チームも沈滞し、声が出なくなる。
勝負の世界では、そういうチームが勝利を手にすることは難しい。
つまり、普通ではだめなのだ。

そんな人間ドラマともいうべきものを、野球の中で、間近に見ることができることも、審判の醍醐味でもある。

まぁ、肉体的に過酷であることには間違いないが…。

いろいろ学びのあった充実の審判デーとなった。
試験前に自習にしてしまったクラスの生徒たちには申し訳ない。









安心のパートナー、ハローハッピーは即日融資です!


2019年05月30日

生徒のためなら…

模試の結果が出ると、職員会議で教頭が分析結果を説明する。
試験の行われた教科の先生たちは、じっと耐えながらその話を聞く。
「給料に関係ないんだから…。」
と、思う先生は、私の学校には一人もいない。

他の学校だってそうだろう。
生徒に学力をつけさせることは、教員にとって最も大切な仕事の一つであるからである。

それでも、上司から指摘されると、「自分の授業がマイナスに評価されるようでつらい」、と思うに違いない。

正しいと思って行ったことで、思うような成果が出ないと、人は全否定されたように思うのだ。 。

生徒指導で問題を抱え、心が弱っているときなどは、なおさらだろう。

兄弟校同士で比較されるのも、あまりいい気持ちはしない。

教師は生徒に試験をしているのが、こうした場面は、逆に試験をされていることになる。

だが、そうした試練(?)にめげずに精進し続けるのも、教員の務めであろう。

私の学校の食事を作っている業者が、またサービスを増やした。
一部、食べ放題のメニューを増やすという。

「経営は大丈夫なんですか?」
事務長も校長も心配して尋ねたが、「ギリギリだけれど大丈夫」、だと言う
それよりも、
「生徒たちが喜んで食べている姿を見ることができるなら、これに勝る幸せはありません。」とのこと。

いろいろあるけど、私たち教員も、もっともっと頑張らねばなるまい。

本来私たちも、生徒の喜ぶ姿を繰り返し見たくて、教員という職業に就いたのではないだろうか。

「生徒のためなら何でもする…。」
そんなスタンスで教育活動をしているからこそ、生徒からも慕われ、親たちからも一目置かれる。

もちろんできることに限界はあるが、できる限りのことをしたい。

権利ばかりを主張してはだめだ。

昨今は、そういう人が増えてきたように感じる…。












2019年05月29日

消しゴムのかす

中2の女子生徒が休み時間に私に訴えてきた。
「移動教室のあと、自分の机の上に、いつも消しゴムのかすがまとめられているんです。捨ててくれないんですよ。どう思いますか?」

確かに、自分の席に戻った時、机にかすがあったら、気持ちは萎えるだろう。

「そりゃあ、だめだなぁ…。」
と、なだめるも、「せっかく集めてまとめたならば、捨てるところまですればいいのに…」、と思った。

「まぁ、相手は分かっているんですけどね…。」
女の戦いは怖い…。

これが男子だったら、まとめる以前に、さっと床に落としてしまう人が多いのだろう。
時々、床が消しゴムのかすだらけの席を見かける。

彼らも自分の部屋なら、そのまま床に落とすこともあるまい。

私は、ほとんど消しゴムを使わないが、たまに使ったときは、自動車型をした消しかすクリーナーを転がし、集めてしまう。

数学の授業中などは、
「出来るだけ消しゴムを使わないように解こう!」
と指示している。  
書いては消して、をくり返している生徒は、概して落ち着きがなく、計算間違いも多い。
だったら、落ち着いてゆっくりでもいいから、じっくり説いた方がいい。
そんなときには、激しく消しゴムを使うことはないはずだ。

さて、訴えてきた女子生徒、「私に叱ってもらいたいのかな…」、とも思ったが、
「帰りの会で、提案してみたら? みんなが消しかすを捨てる習慣をつけるようにしたらいい。」
と、答えておいた。

先生が注意するより、自分たちで変えていく方が、効果も大きい。

中学生くらいになると、性格がだいたい出来上がってくる。
だらしない性格は、徹底的にだらしなくなり、きっちりしている人は、ますますきっちりしてくる。

当然、お互いを理解できずトラブルも起こる。
「そんなの個性じゃありません。」
と、訴えてくる訳だ。

そういう意味では、学校は社会性を学ぶのにとてもよい環境であると言える。

互いにもまれ、刺激し合い、時に助け合いながら、学校生活が進んでいく。

「たかが消しゴムのかす、されど消しゴムのかす」である。














2019年05月28日

犬との生活が始まる

柴犬と暮らすことになった。
今日は、生徒たちに遊ばせるために、練習に同行。

生後9ヶ月なので、もはや仔犬とは言いがたいのかも知れないが、新しい環境にビビっていることは事実。ちょっとした反応でびっくりする。

その中でも散歩は楽しそうだ。
無理にリードを引っ張ったりすることはないし、私が止まれば奴も止まる。道路を歩くときで、短くしているときも、ストッパーをかけずとも、そばにいる。

生徒たちにとって、動物と触れ合うのとても大切だろうと、連れて行った。
だんだんと慣れさせるのもいいだろう。

途中、何かに驚いてか、リードを振り切って、思いっきり走り出した。
一人の生徒が追いかける。
そしてもう一人も追いかける。
犬の方が速いので、走っても追いつかないが、生徒たちは走って追いかけてくれた。
ずっと走り続けることもないだろうと放っておいたら、タイヤにはまっているところを保護。

一種の脱走劇だったが、ほっとした。
新生活二日目にしての脱走は、洒落にならない。

そんなこんなで、いろいろハプニングはあったが、奴にとっては新しい経験になっただろう。

まだまだ懐いているとは良い方ないが、徐々に心を許してくれるに違いない。

「以前の飼い主が懐かしく、寂しいのだろうな」、と思う。

「一週間分の餌をつけておきますから…。」
などと、何から何までしてくださった。

「大事に育ててくれるなら、何でもしますよ。」
以前の飼い主は、寂しそうだった。

何とか、私が新しい主人として育て、生徒たちとも楽しく関わらせてあげないと思う。

「丹澤先生、僕にも散歩させてください。」
まだちょっと難しいかな、と思って今日のところは断った。

いつか、皆が良い仲間になるといい。

「…何でもしますよ。」
ここにも教育の原点を感じた。














2019年05月27日

体育祭を終えて

毎年体育祭を見ると、「生徒たちはすごいな…」、と思う。
「自分が彼らの立場だったら、このような全力プレーは絶対にできないだろうな」、と思うからだ。
「ただただすごいな」、と思うばかりである。

数日前、「丹澤先生、俺らの感謝の演舞を見て下さいよ」、と高3に念押しされた。
体育祭の昼休みにも、別の生徒から、
「先生、僕たちの演技を見て下さいよ。」
どうも彼らは、私には是非とも見てもらいたいようだ。

確かに演舞の中で、お世話になった先生への感謝の言葉があった。
特に固有名詞が出た訳ではないが、彼らは、言葉の中にそして演舞の中に、思いを込めているのだろう。

終了後、またしても高3がやってきて、
「先生、見ましたか?」
ときた。
そして、続けて、
「泣きましたか?」
と、尋ねるのである。
「泣いたさ。なんのために写真係をやっていると思っているんだ?」
彼らの嬉しそうな顔といったらない。

すぐに別の高3がやって来て言う。
「丹澤先生、泣きましたか?泣いた?」
と、いかにも嬉しそうである。

「君たちと過ごした三年間が、一番楽しかったかな…。」
彼らの姿を見て、そんなことを思った。
当時は、必死だったのだが、終わってみれば、すべてがいい思い出になるのだ。

体育祭では、中3の活躍も目立った。
二年間、私が関わった学年だ。
だが、これまでの私の呪縛から解放され、のびのびと育っているようだ。
学年団の先生たちが言う。
「こんな中3の姿を初めて見ました!これなら文化祭も安心ですね。」

皆、よく成長している…。

卒業たちも元気そうだ。
終わってみれば、すべてが懐かしい。

人生の終わりも、こんな風なのだろう…。














2019年05月26日

駐車場係

一年に一度の保護者総会での役割分担は、駐車場係だった。
このところ、よくこの仕事が回ってくる。
校門前に立ち、すべての車輌を止めて、臨時駐車場へ誘導するのだ。

誘導灯を持って立っていると、だんだんとその気になってくる。
私はこの仕事が嫌いではない。

自然の中の学校なので、いろいろがあるのだ。
今朝も、天高くトンビが飛び、乾燥している空に飛行機雲が消えゆく。
ソメイヨシノに、いくつかのサクランボを見つけた。
若葉緑の中に、赤い点が輝いているように見える。
まだら模様の蝶が、ふわりと飛び交い、日差しの強い日なたなのに、ブヨが顔にまつわりつく。

それでも、青空のもとにいるのは、なんだか気持ちがいいのだ。
チャイムが聞こえ、休み時間になると、遠くから生徒の声が聞こえてくる。
「あっ、丹澤先生がいる!」
遠くから私の姿を発見した生徒が声を上げる。

「来校して下さった方が、また来たくなるようなおもてなしを…」
今朝の朝の会で、若手の担任がそう生徒に語っているのを思い出した。
私たちだって同じ思いでなければならないだろう。

顔見知りの保護者がやってきた。
「丹澤先生、帽子、かぶらないと、頭が日焼けしてしまいますよ。」
そうだ。しまった帽子を忘れた。
午前中の比較的早い時間だから、気温もそう暑くないし、日差しも対したことないだろうと、高をくくっていたが、間違いだった。
昨日以上に暑い…。

「暑いのにおつかれさまです。」
そんな声を掛けてくれた保護者もいる。

「確かに少し疲れたかな…。これから2時間連続の授業。授業参観だ。」
と、帽子を忘れたことを悔やみながら、授業の組み立てを考える。

さて、次の分担の若い先生は、時間通りに来てくれるだろうか。
私の場合、どんなに遅くても5分前には行く。
この駐車場係の時は、移動時間もあるので10分前には行く。
だが、世の中には、時間ギリギリか、遅れてくることがへっちゃらな人もいる。
最近では、そういう人種であり、彼らは罪悪感なく、習慣のようにそのような遅刻生活を送っていることを理解しているつもりだ。

来た。正確な時間は分からないが、時間のほんの少し前に交代に来たようだ。

「遅れずに来て良かった…」、とほっと胸をなで下ろす。
彼の場合、おそらくは5分以上前の行動はできないだろうな…、と私とは違う人種であることを、やや残念に思いつつ、校舎に向かう。

家庭科室では、中2が解剖したイカを焼いて食べている。

あたりに磯の香りが漂っていた。















2019年05月25日

体育祭の撮影係

「丹澤先生、先生が撮って下さった写真、早速使わせていただきました。ありがとうございました。」

昨日の体育祭予行では、本番にそなえて、行われた競技はすべて写真に収めておいたのだ。
本番とは若干服装が違う生徒もいるが、幸い団ごとのTシャツを着ている生徒も多く。本番の写真として使っても遜色ないものもある。

それでも朝一番で声を掛けられると、私も多少は役に立っているのかな、と嬉しくなる。

今年も私は写真係である。
以前は、別の仕事も兼任してたが、私が写真ばかりを撮っているものだから、数年前から専属のカメラマンになってしまった。

カメラも個人所有のもの。
私の持っている一眼カメラだって、生徒の活躍するシーンを記録に残そうと、自分で買ったものだ。

昨今は、カメラの性能もよくなったので、だれでもそこそこの写真が撮れるようになった。
自ずと、臨時カメラマンが増える。
昨日の予行も、生徒も含めたくさんのカメラマンがスタンバイしていた。

本番は明日。
失敗の出来ない仕事だ。
例年はバックアップにもう一台のカメラも用意していたが、今回は生徒に貸してしまったので、途中で故障しては困る。

昨日撮った写真は約4000枚。明日の本番ではこの倍くらいの撮影枚数になるだろう。
途中でSDカードを入れ替えたり、バッテリー交換も必要だ。

幸い天気は良さそうだ。
だが、熱波でおそらくは真夏日になるのだろう。

かくいう私も、昨日の午前中だけで、やや熱中症気味になったので、歳を考え気をつけねばなるまい。

昨晩はカメラを掃除した。
グランドにいると、細かな砂が内部にどんどん入ってしまうから、私は素子だって自分で清掃する。

写真を見た保護者が喜んでもらえたら、また嬉しい。

明日は、来校する卒業生と会えるのも楽しみの一つ。

いつか彼らと隠れ家でパーティーなどできたら楽しいだろうな。

そうそう、今年8年ぶりにびわの実がなった。
「成長は、これほど待たなくてはならぬのか…。」
喜びと共に、また種を植えられることを嬉しく思う。
以前も実から種を取り、育ててみた。その後、無事成長している株がある。

なんだか教育に似ている…。














2019年05月24日

生徒の勘

「先生、最近よく荷物を運んでいますよね。どこかに引越するんですか?」
「丹澤先生、僕たちが卒業する前に辞めませんよね…。」

彼らは鋭い。
あまり目立たぬように振る舞いながら、手に持てる荷物を持ち、隠れ家に行くのが、最近の日課になっている。それを高3が見ているということだ。
今のところ、学年途中で退職する予定もないし、正式な引越は彼らの高校卒業後のつもりだ。

「ヒロアキは犬が好きか?」
「大好きです!」
「そうか…。それはいい。」

私は実は犬を飼おうとしているのだ。
数日後、幼犬を迎える。

今年は目立たないように静かにしていようと思ったが、なんだか他の部分で目立ちつつあるのかも知れない。

「丹澤先生、俺らの卒業式に出られるように、校長先生に直談判しますから…。」
「卒業したら、いなくなってしまうんだろ…。だったら、静かにいなくなって欲しいんだよなぁ。」

慕われていると思っていいのだろうか。
彼らとは、卒業後も、ずっと関わることになるのだろうか。

そう考えると、今の中学生は、そんなこと全く想像できない…。
なんだか、全く違う人間にも見える。

「もっと必死で、全力で関わってい過ごしたんじゃないのか? だから、そういう関係が築けたんじゃないのか?」
そんな天の声が聞こえてくる。

「慣れ」は恐ろしい。
いつしかそれが保身になり、全霊主義になり、老害になる。

今年度は担任を外れて、ちょっと視野が増えた感じがする。
一番大きいのは、保護者のクレームを気にすることなく、生徒と関わっていることだ。

全身全霊で生徒と関わることも必要だが、そればかりでも駄目だということだ。

彼等の笑顔を見るたびに、もう一踏ん張りせねば、と思う。

「大丈夫。君たちが卒業するまでは、引っ越ししないから…。」

そう言ったのか、心の中で言ったのか、よく分からなくなったが、一応そういうつもりだ。














2019年05月23日

振り上げた拳の下ろし方

「○○と△△が教室にいないんですけど…。」
教室で授業をしている先生から職員室に電話が入った。
私の学校では、全教室に電話がある。何かあれば、職員室にいつでも電話ができるのだ。
普段はめったに使われることはないが、考査中の質問対応やトイレ対応には役に立つ。

「了解しました。」
と、電話を受けると、女性の先生がトイレに走る。
二人は女子生徒だったのだ。

「トイレにいました!」
と、ほどなく先生が戻ってきた。

「教室に入りたくないんだよね。」
学年主任がつぶやく…。
「どうしたらいいですかね…。」
担任がぼやく。

「そんな手のかかる生徒が、いずれ立派になって、また先生として学校に戻ってきたりするんだよね。」
今は、お互い辛抱の時なのかも知れない。

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「何やっているんだ!」
担任が叫ぶ。
叱られた生徒たちはきょとんとしている。
かえって周りの生徒の方が、「このさきどうなるのだろう…」、と気になって仕方のないようだ。

振り上げた拳をどう下ろすか、は難しい。
対応を失敗すると、人間関係を崩壊させかねないからだ。

担任は、自分のクラスをきっちりさせようと努力する。
クラス作りの一貫でもあるが、上司や管理職の目もある。
だが、しばしばそれは、「人目を気にする」行為になり、生徒の思いから離れてしまう。
実際、私もそうだったと思う。

実際、個別にじっくり語り、お互いの思いをぶつけ合わない限り、真の和解はない。

ちゃんとさせよう、という思いが、ちゃんとしていない生徒ばかり目につくようになり、そうした生徒に「ちゃんとしていない」というレッテルを貼る。何度か繰り返せば、「またか…」と、だんだんと怒りの思いが湧いてくる。

大切なのは、正しいと思う自分の信念と、生徒たちを思う愛の心だ。

長く担任を続けていると、だんだん忘れてしまう観点なのだろう。
















2019年05月22日

ある団長の言葉

真の勇気は、死を覚悟したとき生まれると言われています。
僕はこれを実感しましたし、実際に体験してみたんです。
とは言っても、高校生の僕が、『死』を覚悟したり、体験したりすることは、日常からはかけ離れたことです。

ですが、今、体育祭直前のこの時期、僕は、「体育祭を終えたとき、自分の命がなくなったら…」、ということを考えてみたんです。

すると、「これじゃ、後悔するな。このままじゃ駄目だな」、
と思いました。
僕は、「自分が燃え尽きればいい」、と考えていたんです。

でも、それではだめなんです。
僕の団だけでもだめ、ここにいる全員が、「やり遂げた」、という達成感が必要だと思ったのです。
そう考えたら、まだまだ全然自分に勇気がない、ということが分かりました。

僕は宣言します。

今日から、勇気を持って、団長として、みなさんを引っ張っていきます。
絶対に後悔させない体育祭にします。

誰もが、充実感と達成感と、感動の中に体育祭が行えるよう、力を尽くします。

それだけではありません。
体育祭を見に来て下さった方々をも、幸せにし、感動を与えるくらいのものに創り上げたいのです。
だから、僕についてきてください。

団ごとに、競ってはいますが、我々は同志です。
共に、体育祭を成功に導こうと、命をかけている仲間です。
だから、みなさんも燃えて下さい。

一緒に最高の体育祭を創っていきましょう。

今朝の全校集会で、体育祭の一人の団長が、全校生徒に呼びかけた。
このところ、団長が一人ずつ熱く語っている。

団毎に練習する時間もあるが、彼等がすれ違うときは、ほぼ全員が
「お疲れ様です。」
と言いながらすれ違っていく。

いよいよ体育祭がやってくる…。

彼等はすごい。
毎年のことながら、脱帽だ。














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