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2019年04月20日

心の中のわだかまり

年度末で退任した前校長の挨拶が、今朝、全校集会で行われた。
十年あまり校長として、学校を創り上げて下さったことに、敬意を表したい。

一方で、どちらかというと馬が合わず、「いずれは私が去ることになるのかな…」、と思っていたら、急遽、校長が交代になったということ面もある。

私は彼に話しかけられるのが苦手だった。
できるだけ声を掛けられないように、努めて世間話をして、作り笑顔をして、防御態勢をはかっていたことを思い出す。

また、朝の会を覗かれるときは、監視されているように思えた。
今から思えば、彼の息子を預かっていたということもあるが、それでも、何度か話している内容についえ、「駄目出し」された。

授業も、生徒からの評価が比較的高かったこともあり、よく見に来た。
だが、必ず厳しい一言をいただいた。

そうこうしているうちに、自然に校長を避けるようになり、心を閉ざすようになってしまった。

そうなってくると、彼のどんな言葉も、素直には受け止められず、そのたびにその一言が突き刺さった。

そして、教員人生最大の深みにはまった。

まだ完全には這い上がれないが、今はずいぶん楽になっている。

仕事ぶりは尊敬できる。
ただ、私と性格的に合わなかっただけなのだが、長くそうした環境にいると、苦しさは増していく。

教員のみならず、およそ勤め人は、環境の変化や、時代の流れ、そして自己研鑽において、つねに自己変革を求められる。

私はその意味で、キャパオーバーになったのだろう。
自己変革が追いつかなかった、というより、変わることを自分自身が拒否していたのかも知れない。

一番悲しかったのは、私の言うことよりも、保護者の声を信じ、「いつも尻拭いさせられる」、と苦言を呈されたことだ。

今となっては、誤解なのだろうが、私はその言葉に未だに成仏できずにいるのだから、結構なダメージだったと思われる。

今朝は、講話のあと、職員室でいろいろな先生方と談笑していた。
だが、やはり私は話しかけられることを怖れた。

「丹澤先生、最近どうですか?」
と、尋ねられることを、心の奥底では拒否していたように思う。
それでも、必死に世間話をした。

本当にお世話になった先生なのに、この歳になってまで素直になれないのは、何故だろう。

きっと私の肝っ玉が小さいからに違いない。

「前校長、本当にお世話になりました。いろいろ学ばせて頂きました。」
勇気を出して、そう伝えればよかった…。












2019年04月19日

時間割作成から開放

「丹澤先生、ちょっといいですか? 時間割の件で、お話があるんです。」
と、教務主任に会議室へ連れて行かれた。

たいていそういう時は、私にとって都合の悪いときが多い。
前校長の時も、たいていは、私の心を揺さぶるほどの話が多かったと記憶している。

ただ、昨今は、何を言われても、あまり動揺しなくなった。
達観したと言えば、聞こえが良いが、ある意味こだわりがなくなったのである。

この世を去るときは、執着を捨てなければならないと言う。
有名な三途の川は、執着を捨てるための仕組みだ。
今の心境は、どちらかと言えば、そういう境地かも知れない。

「丹澤先生だけが、時間割を担当しているのは、よくないと思うんです。今回のようにお父様のこともありますし、ぜひ私に引き継がせて下さい。GW後には、何とか完成させたいと思うんです。ここまで作っていただきながら、そのままいただいてしまうのは、心苦しいのですが…。」

「それはそれはありがたいです。やっていただけるのなら、どうぞお願いいたします。私も今年限りにしたいと思っていましたので…。幸い、新しいバーションの時間割ソフトは、複数のコンピューターにインストールできますから…。」

「次年度からは、教科の代表者にも手伝っていただこうと思っています。」
「どうぞ、よろしくお願いします。」

と、言うことで、私は時間割係から解放された。
これで校務ソフトの設定に注力出来る…。
ほったらかしになっている、指導要録の所見にも取りかかれる。
少し数学の勉強時間も取れるだろう。

「ちょっといいですか。」
が、幸いした。

わがままで、思い通りに動いてくれない、初老の扱いにくい教員として、なんとか組織の中にいる。

老害にならないうちに、栄光がかすかに残っているうちに、職場を去ろうとも思ったが、退職金も次の仕事もない、ということが人質のようにのしかかっては来る。

一般的にも、たとえ60歳で定年退職しても、まだ二十年くらいは生きていることが多いのだから、その後、稼ぎもなく生活するというのは、とても困難なことだと思う。

二十年、遊んで暮らしてゆける収入など、そうそう得られるものでもない。

「やりがい」を感じられない仕事は続かない。

今回の出来事も、私への配慮だろうか。

まだまだ子どもたちへの情熱は失ってはいないはずなのだが…。














2019年04月18日

人は自然の中で生きている

久しぶりに急遽実家に戻った。
田舎暮らしも10年を迎えると、数十メートル毎の信号も、自動車の多さにも、駅で動けないほどの混雑にも、ストレスしか感じなくなってしまった。
都会での生活は、こうした自体を、ごく当たり前のこととして流していく。

そう感じるのは、私が東京生まれの東京育ちだからなのだろう。

久しぶりに電車に乗ったとき、このつり革広告や、モニター広告、そして車窓から見えるビル群、店舗の数々に、田舎育ちの若者は、誰もが憧れ、はしかのように、都会を訪れる。

その気持ちも分かる。
だが、何かはやり都会には、本来の人の心を失うものがあるように思えてならない。

以前生徒たちに、「田舎で生活するのは好きか?」、と尋ねたことがある。
「好きだ」、と答えたのは、ほんの僅かだった。
「ずっとではなければ…」、というのが約半分。
「絶対に嫌だ」、という声も三割程度あった。

離れてみてこそ、「田舎のよさ」が分かるのだろうが、若者には、何を言っても耳を傾けまい。

私の育った町は、東京の郊外とはいえ、人口が増え続け、次々と造成され、家ばかりになっていく。
上空から見れば、緑のどんどん削られ、マッチ箱が密集しているような感じに見えるのだろう。

そんな少ない緑にも、人は癒やしを求めて花を植える。

今朝訪れた『特老』の前庭も、花畑になっていた。
暖かな春の日差しを浴びて、どの花も元気がよい。

今朝、逝去してしまったので、もう父と一緒に花を愛でることはできなくなったが、
「一緒に花を見に行こう!」
と、施設の庭をのんびり巡ってみた。

「綺麗だね。ありがとう。」
と、聞こえたような気がした。

自然はいい。

人は自然の中で生きている。

どんな都会に住もうとも、そのことを決して忘れてはいけない。
それを教えてるのも、私たち教師の役目だろう。










2019年04月17日

春が来た

今年は何人もの中1が来てくれて、野球部も賑やかになった。
これまで数人で、ちまちまやっていたが、近々これで、ようやく単独チームも組めそうだし、練習も充実させることができる。

中3の連中が一年半かけて、一人そしてまた一人と抜けて、今は誰もいないので、じっくりと一年くらいかけてチームを作ることもできる。

幸い、高校生コーチも、新たに顧問になった野球部経験者もおり、ようやく浮上できそうな気配になっきた。

それでも、近隣のチームは、どこもレベルが高く、今戦えば、おそらく三回コールドだろう。

コールドは普通5回だが、我が地区には特別ルールがある。
以前、加盟していた私立学校が、なかなかアウトを取れず、何十点もの得点を取られ、それでいて、コールド成立は5回であったので、大会運営に支障を来したのだ。

以来そのルールは消えてはおらず、私も何度か、「もうなくしましょう」、提案したが、「また、そういうチームが出てくるかも知れない」、と変えてはもらえなかった。今度は、そういうチームは私の学校のチームになるかも知れない訳だ。

グランドまでは学校から5キロある。
放課後、4時になると、私の運転で部員たちをグランドまで連れて行く。
居残りなど、遅れる部員は、走ってグランドに来ることになっている。
さすがに往復走るのは大変だが、5キロくらい、野球部なら、よろしかろう。

今日も一人、中1が走ってやってきた。
近くの施設を遊んでいて壊してしまったので、その謝罪があり、そのため出発時に間に合わなかったのだ。
その生徒は、「走って行かないと、怒られますから…」、と言ったそうだが、私は、「そんな指示を出したっけ」、とも思う。
それでも、道の怪しい中一が一人走ってくるのだから、褒めてやらねばならないだろう。
「先生、遅れました。」
と、報告に来て、無事練習に参加できた。

後から聞いたのだが、道のりの半分を、担任が自動車で送ってくれたらしい。

一生懸命な生徒には、いろいろな先生が手を差し伸べる…。

今日は、地元の方がずっと練習を見ていた。

私たちが借りているグランドは、町の管理するものだが、もとは数十年前に廃校になった中学校の跡地でもあるのだ。

後に植えた桜がちょうど見頃なので、この時期は、卒業生がちょこちょこやってくる。

もちろん、一升瓶を広げて花見をする御仁もおられる。

この町にも春が来たのだ。

季節にも合わせて、野球部に春がきた感じだ。

私も少し元気が湧いてきたぞ。














2019年04月16日

知的正直さ

新年度の数学の授業が始まっているが、私は授業中に、いろいろな話をする。
特にこの時期は、勉強の仕方やコツ、取り組む姿勢などを矢継ぎ早に伝えている。

その中で、最近重要視しているのが、『知的正直さ』だ。
英語では、"intellectual honesty”、いわゆる「知的廉直」のことである。

要は、「自分を誤魔化さずに学ぼう」、ということである。

私は、数学は、「分かるか分からないかのどちらかしかない」、と教えている。
だから、「少し分かる」とか、「何となく分かる」、「分かったような気がする」などというのは、すべて、本当は『分からない』ということなのだ。

少しでも分からなければ、分からないとするのは、多少乱暴ではあるが、一方で、勇気がいる。
分からないことを自覚する勇気だ。

数学に限らず、およそ学問に関しては、「分からない部分をつぶしていく」、という方法が、学びのスタイルだ。だから、自分が分かった部分と、分からなかった部分を明らかにして、分からない部分を減らし、なくしていくという作業が求められる。

数学では、初めて読む証明ならば、おそらく一行一行を追いかけて、自分自身で理解できるか、納得できるかを検証していく。もし、「あやしい」部分があえば、そこが自分自身で「分からない」部分であり、正直に分からないと認め、その部分を潰していかなければ、その証明を理解したとは言えないわけだ。

学習活動をする上で、「どこの部分が分からないか」、をピックアップすることはとても大切である。
ある意味、そうしたあぶり出しができれば、解決への道は、確実に近づいていると言える。

数学では、分かったつもり」が一番危険で、そのままにしておくと、たいていは途中で土台ごと崩れ去ってしまうのだ。

『知的正直さ』をもって、数学を学習すれば、漫然と学習するより何十倍の効果を得るだろう。

だから、「分からない」という恐怖に耐え、克服していくという戦いを繰り返さなければならないのだ。

また、「分かる」、「納得できる」、「理解できる」、「自分で解ける」、「人に説明できる」、というプロセスも大切だ。

いずれにせよ、『知的正直さ』を持って、取り組まなければ、世の数学嫌いと同じ道をたどることになるわけだ。

さらには、「私の話を聞けば分かる」、とも言っている。
傲慢に聞こえるかも知れないが、「真剣に授業を聞く」、という姿勢があれば、ほとんどは理解できるような授業を、私は実践しているからだ。

そんな風に、熱く語りながら、新年度の授業が進んでいく。

私の話した言葉のフレーズが、いろいろなノートや生活記録表にメモされる喜びを感じながら、
「さて、明日はどんな話をしようかな…。」
と、考えている昨今。















posted by 丹澤三郎 at 19:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 数学

2019年04月15日

今朝の学活は朝の散歩

「丹澤先生、今朝は散歩ですよ。」
学年主任が忘れっぽい私に声を掛けた。

この学年では、週に一度程度、朝の学活時に散歩をすることになったのだ。
「全然、日光に当たらない子がいるんです。」
そう、問題提起し提案されたのは覚えていたが、今日がその初日だとは覚えていなかった。

天気良く、まさに春爛漫の朝。
昨晩の雨も上がり、山も見えだし、満開の桜が私たちを迎えてくれる。

学年で近隣を歩いて、一時間目に間に合うように戻ってくる。

「ちょっと、歩くの早いと思いますよ。」
終了後、そう言って見たが、私のように、足下の小さな花を愛でながら歩けば、当然その歩みは遅くなる。だからといって、皆でそのように歩くわけにもゆくまい。

「あれ、八重桜がまだ咲いていない…。つぼみも小さい…。」
「レンギョウの開花が、いつもより遅いなぁ。」
「ようやくツクシが出てきたか。」

そんなことを思いながら、一人ほくそ笑み、最後尾にのんびり歩いていた私は、どんどん引き離され、追いつけないほどになった。

「お日様に辺りながら、ちょっとした運動になれば、目も覚めると思うんです。」
と、学年主任。

確かにその通りだろう。

おもしろいし、季節を感じられる、有意義な企画だ。

「天気にかかわらず行いますから…。」
学年主任は気合い十分である。

以前野球部でも、朝練の前に散歩を行ったことがある。
歩きながら体温を上げ、身体を目覚めさせる意味あるが、もう一つ目的があった。
それは『観察眼』である。

散歩の後には、必ず、「今朝発見したこと」を、発表させた。

歩きながら、何かしらを発見することで、『見る(観る』ことを養わせようと思ったのである。

そうした視点が、いざ野球のプレーの時の観察眼にもつながり、「考え、予想することができる」、と考えたのだ。

学年のこの朝の散歩も、何かしらの発見があるといい。

「先生、先生、先生、○○見つけました。」
と、言った具合に、幼稚園生や小学生のような、純粋な視点も欲しい。

自然の恵みも感じて欲しい。

私にとってもうってつけの企画だ。














2019年04月14日

校長視察の部活動

久しぶりに10人を超える人数で練習を行えた。
元気な野球経験者の中1が、体験入部として友人を誘ってきたのである。

高校生コーチもやる気十分。
ノックだって、相手を見ながら強さや位置をさりげなく変えて打つ。

そんな折り、校長と監事の二人が練習を見に来た。
野球部は外部のグランドを借りて練習しているので、普段学校では練習しない。
だから、その活動の様子を皆に見られることはめったにないのだ。

彼らはノックの様子を見て、フレッシュな中1が上手に捕球するたびに完成をあげる。
何とも可愛くて可愛くて仕方ないのだろう。

外部のグランドを使うようになってから、校長が練習を見に来たのは初めてのことだ。
この春、変わったばかりの校長。なかなかフットワークが軽い。
…というか、これが本来の姿なのだが。なんだか新鮮さを感じる。

なんだか満足げに練習の様子を見て、野球部員の挨拶を受けながら帰っていったら、また30分くらいして、今度は差し入れを持ってまた現れた。

折しも、たき火で焼きいもを配っている時で、一緒にご相伴してもらった。

サツマイモは、焼くと甘みが増して、とても美味しい。
今日は、ちょっと火力が強すぎたようだ。

次はちょうどマシンでバッティング練習をするところ。

新入生に『打てた』感動を与えると、体験入部ながらも定着率が高く、その後入部する確率が上がるのだ。

初めてのマシンバッティング体験で、見ていないと危ないが、彼らもそれなりの緊張感があるので、その意味では安全だ。

山の中のグランド。
自作の木のブランコや、木登り練習用のロープも常設している。

彼らの好奇心をくすぐるには十分すぎる環境なのだ。
ちょうどグランド周りの桜も満開。
気温も高い。

「お昼はここで食べるのですか?」
監事が尋ねる。

「学校に戻って一息つくと、その後練習がきつくなるので、めったに午後までは練習しません。」
と、答えておいた。

日曜日フル出場だと、私の体力だってつらい…。

それでも、「彼らの希有な経験と、学びとなれば」、と部活動を続けている。

部屋に閉じこもり、保護者からあたえられたゲーム三昧の生活よりよほどいいではないか。

なるほど家庭の教育力低下が、部活負担増につながっているのか。

その保護者を教育したのも、我々なのだが…。












2019年04月13日

野球の指導者講習会

県の中心部まで野球の指導者講習会に出掛けた。

久しぶりに校外に出ると、何となくほっとするが、運転していて、しょっちゅう信号で引っかかるのは、もはや耐えられなくなった。

東京生まれの東京育ちだから、信号の多さも、渋滞も慣れっこのはずだったが、この十年ですっかり田舎の生活に変わってしまったようだ。

もう一つ変わったことがある。
以前は、地図を見ないと不安だったのが、最近は地図がなくても、スマホの音声だけのカーナビ(実際運転中には地図が見えないため…)でも、安心して出掛けられるようになった。

地図を頭に入れて、自分が運転していた頃は、カーナビも訳が分からない道ばかりを案内していたことも事実だが、昨今は非常に正確なナビをしてくれるようになった。

私は運転すら面倒なので、できたら早く自動運転になって欲しいと思う。

指導者講習会には、県内の野球部の顧問が全員集合する。
普段はユニフォームやらジャージ姿なのだが、野球関係者はこのときばかりはと、全員が背広なのである。そのギャップが面白い。

私もそうした服装で出掛けたのだが、「丹澤先生、背広なんすね…」、と言われるくらいなので、私自身にもギャップがあるのだろう。

「みんな子どもたちのために一生懸命なんだよな…。」

彼らの熱心な姿を見ていると、本当に教育者だと思う。
東日本では野球人口よりサッカー人口が増えてしまったが、それでも中学野球はまだまだ規模が大きい。ほぼすべての学校で野球部はあるし、少子化で人数は減ってきたとは言え、まだまだ活発だ。

だから一方で、野球部の顧問を、野球をまったく知らせない先生が受け持たなければならないことがある。
今回の講習会も、そうした先生たちを引き上げるという意味もあるのだろう。

中学の野球では、基本的に顧問が大会の審判を務める。
野球を始めて学んだ人にとって、この仕事は重いはずだ。

初めての審判など、先輩たちに叱られ、注意されながら、覚えていくのだ。
もちろんミスジャッジに、生徒や保護者の冷たい視線を感じながら…、である。

もちろん、さらに野球の指導技術、審判技術の向上を目指しての講習会だ。

こうした規模の集まりは、おそらく野球界だけのことではなかろうか。

行く度に、他校の熱心な先生方の熱い気持ちが伝わってくる。
基本体育会系ではあるが、私も、「もう少し頑張らねば…」、と力が湧いてくる。

これも教師としてのスキルアップの一つの方法なのだ。
指導技術は、授業技術にもつながっているはずだ。












2019年04月12日

じっと耐えねば…

来週からは平常授業になるため、そろそろ時間割を公開せねばならず、今日、遅ればせながら発表した。

すると、蜂の巣をつつくような大騒ぎをする先生がいた。
「この時間割は何だ。これじゃ、授業にならん」、とばかりに興奮されている。

私のコマ入れ技術不足なのか、今年度さらに厳しい条件がつけ加わったからなのか、定かではないが、とにかく、いろいろ不具合のある時間割になっていることは事実だ。

その中でも、
「時間割、お疲れ様です。」
と、声を掛けてくれた同僚もいた。
私よりも少し年齢が上の、以前は一緒に学年を組んだことのある先生だ。
そんな、何気ない一言が、救われた気持ちになる。

その後も、年齢にかかわらず、何人もの先生方に声を掛けて頂いた。

この先修正をかけながら、まずは一週間回していこうと思っての発表だったが、先生方の多くは大人しくはなかった。

「あぁ、これじゃ大変。」
「○○先生の時間割は半端ないですね。」
「これって、完成版の時間割ですか?」
などなど、まるで私に聞こえるかのようなうに、話をしている。

「そこまで言うのだったら、自分で作り替えなさい。」
と、言いたくなる寸前まで、責め立てられた。

それでも、じっと耐えなければなるまい。

今日はまた、十年来の同僚から、
「丹澤先生は、どうして担任、外れたの? ポリシー、変わったの? あんなに担任にこだわっていたのに…。」
と尋ねられた。

「外してくれ」、と前校長にお願いしたことも事実。
「今年は外れてもらって、充電してもらいます」、と新校長に言われたのも事実。
私自身疲れてしまって、退職まで考えてしまったことも事実。

おかげで、微力ながら学年のサポートに回っている。

今日の委員会では、「一緒に花を育てませんか?」、と提案してみた。

何人かの生徒が、種まきから花を育てるプロジェクトに賛同してくれた。

「どうか、花を対話してください。」
私は、そう挨拶してみた。

人は、自然に癒やされる。
人間以外の動物もそうだろう。

このところ、無性に犬と生活したくなっている。

そんな折、父親がそろそろ看取りの時期に入った、との連絡が入る。

すべてが連携しているようだ。














2019年04月11日

何が変わったのか

新年度になり、在校生は以前より落ち着いた雰囲気に思えるのは、あまりに新入生がバタバタしているせいだろう。

特に中1は、毎年のことながら、まるで動物園状態。
うちの学校の先生たちは、基本的に優しい(甘い)ので、怒声が飛び交うことはない。
99%は、「○○君、どうしたの?」、という感じで、たまに私が叫ぼうものならば、以前の校長に、「厳しいだけが指導じゃないでしょ」、などと嫌味を言われた。

中一ギャップは注意しつつも、まずはしつけだろうと思うのだが、うちの学校では大きな声を上げる指導をする先生は、ほとんどいない。

今年初めて中1の学年主任をするM先生は、さぞかし大変だろう。

先生がこんな風だから、生徒も大人しい生徒ばかりで…、という風にはならない。
時には、学校内では、絶対に禁止している、「死ね」、「殺すぞ」などの地獄的な言葉も、時々聞こえてくる。「うるせーんだよ」、という言葉も、気に入らないことがあった女子生徒はよく使う。

これらは、反抗期なので、想定済みではある。だが、そうやすやすと、彼らの心を穏やかにすることはできないのも事実だ。

わっと、叫べば、一瞬は静まるが、心の中まで鎮めるためには、寄り添った語りかけがいる。
生徒側に自分が認められているという自覚がなければ、話も聞かないし、自分の思いをぶつけることもない。

リーダーをやっている高2が、
「新入生が全然動いてくれなくって、大変です。」
と、言う。聞けば高1のことだ。

中1から四年間過ごした彼と、新入生とでは、考え方や価値観のギャップは大きいだろう。
だが、そうしたことも、一ヶ月もすればお互いを受け入れられるようになってくる。

いよいよオリエンテーション期間も終わりに近づいた。
一気に詰め込みすぎて、消化不良を起こしているかも知れないが、新入生は、それなりに新しい環境に適応しようと頑張っているに違いない。

以前勤めた高校では、オリエンテーションを合宿形式で行っていた。大規模校だったので、体育館のようなホールに、五百人以上生徒全員が座れるよう、長机が並べられ、実力試験はもちろん、様々なイベントが行われた。地方のホテルでの実施である。

確かに寝食を共にすれば、距離は縮まるし、ホテルに缶詰にすれば、学校側の思い通りにできる。

だが、今はなにより個性を大切にする時代。
そうした全体指導には馴染まない生徒も増えてきて、一律の指導ではうまくいかなくなった。

何故以前はできたものが、今は上手くいかないのだろう。

学校への不信感か。
あるいは、高学歴社会による教師への信頼喪失か。
はたまた、少子化による保護者の子どもへの溺愛姿勢か。

私の年齢にある方々は、誰しも「やりにくくなった」、と思っているだろう。

国の存亡を左右する教育。
やはり、一本筋の通った柱が欲しい。










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