2019年04月30日

インプットとアウトプット

雨が降ったので、合同練習が中止になったのを幸いに少し自分自身のことをした。

思えば、教員になってから、ほとんどすべて生徒優先、学校優先にしてきた。
だが、そうした生活にも少し疲れてきた。
齢を重ねてきた、ということもある。
それよりもむしろ、「インプット以上アウトプットはできない」ことを身を持って感じたのである。

教員にとって大切なのは、「教育への情熱」と「常に学び続ける姿勢」、だろう。
このうち特に後者が、「常に新しい刺激を子どもたちに与えるため」には、必要不可欠なのではないかと思う。

私はどちらかというと多趣味ではあるが、それだけの知識では、子どもたちの教育においては全く足りない。

だから、常に新しい知識をインプットし続ける必要がある。
それが、あるとき昇華して、生徒に対するアウトプットにつながっていく。

最近、地元に中古住宅を買った。
正式な引っ越しは、まだまだ先だが、職場からも近いので、しばらくは秘密の隠れ家的な使い方をしようと、いろいろな準備をしている。

築45年にもなる古い家なので、あちらこちらに不具合もある。
それを手直しする金銭的な余裕は全くないが、まるで無限とも思える、『やるべきこと』を、一つひとつ片付けていく、という楽しみもある。

今日は、そうした家の整備をしていたのだ。
畑も耕し、肥料を加え、この先の野菜を植えねばならない。
何故か移らない地デジも、今日は近隣の電気店に手配をした。

費用ばかりがかかり、この先の整備の余裕すらないが、心の底では何とも喜ばしい気持ちにすらなる。

持ち家はこれで二軒目だ。
一軒目は、マンションだった。今回の購入価格は、その時の五分の一だ。
この歳になれば、住宅ローンなど組めない。

今日は、指に豆を作り、皮をむきながら、テーブルや椅子を組み立てた。

まずは一部屋ずつ住める形にしてゆこう。

近隣への挨拶もまだだ。

午後は、久しぶりにもと同僚が我が家を訪ねてきてくれた。

「ここならいいリフレッシュができますね。」
と、言われたあとに、
「いろいろやるべきことがたくさんあると、身体も良くなってゆきますよ。」
とも…。

ここでの生活と体験が、いいアウトプットにつながればいい…。










2019年04月29日

教員運転の引率

今日から4日間、合同練習で往復100kmの学校に通う。
同じ地区の端から端同士の学校で、こんな距離になってしまうのだ。

私はこれが苦しいので、この学校との合同練習を避けてきたのだが、とりあえず春の大会までは、今日を含めた4日間で終わるので、辛抱しようと思う。

とは言っても、引率は私。
運転して生徒を連れて行くのも私。
それなりに体力と精神力を消耗する。

だが、最近私は、運転中眠くなったら、臆面もなく途中で寝ることにしている。
道路の少し広い所や、コンビニ駐車場で仮眠をする。
時間にして恐らく15分から30分。
運転席で、頭をもたげるだけだから、熟睡とまでもいかないが、その後すっきり眼が覚めることは事実。

同乗している生徒からすれば、いきなり先生が寝てしまい、運転が止まってしまうわけで、内心は「早く学校に戻りたい」だろうとは思う。

だが、居眠り運転をして事故を起こしたら、さらに面倒なことになる。
私は学校の交通安全委員会の委員長でもあるのだ。

本来は、教員が運転して生徒を連れて行くものではない。
多くの学校では、禁止されているか、特別な事情がない限りは許可されない、というのが一般的であろう。

だが、私の学校では、教員が運転して出掛けなければならない事情がある。
それは親元を離れて生活しているためだ。
地元の学校は、出掛けるときは、年数回の大きな大会以外はすべて保護者の送迎。
公共交通機関のほとんどないこの地域では仕方のないことだが、全国的にもこうした方法が一般的なのだろう。

私は、乗用車のみならずマイクロバスも運転する。
学校として、中型免許の取得を勧められる、というシステムすらあるのだ。
たとえ免許取得にかかる費用は個人負担なしであったとしても、その責任の重さと、事故あるときの対応は、甚だ不安でもある。ましてや生徒の命を預かっているのだ。

そういう意味で、数年前から一部業者委託も可能になった。
学校側が、運転を許していない教員の場合と、公用車がすべて使われている場合、そしてかなりの遠方で、教員の負担が極めて大きくなる場合、また、大型バスなど、特別な事情に限られる。
だが、一般的には教員が運転することになる。

「先生、そろそろ返りましょう。もう起きましたよね。」
今日は、こんな風に生徒に念押しされた。

昼食前だったのに、急に眠くなった私は、コンビニの駐車上で寝てしまったのだ。
寝ているといっても、うとうとしているといった方が正しいかも知れない。
生徒たちの会話も結構覚えているし、椅子をリクライニングする訳でもない。

明日も雨でなければ合同練習。
さっと出掛けて,さっと戻って来よう。














2019年04月28日

争いを避ける性格と試合

今日は地元の町と姉妹都市提携をしている町との親善野球大会が行われた。
今年は、是非とも出場して欲しいと、町からの強烈なプッシュがあり、少人数ながら合同チームを組んで参加することになった。

合同チームの責任者は私で、登録上、私が監督となった。

よその学校の生徒たち、特に中1はかわいい。
いや、中2の生徒たちも、みんな良い子に見える。

実際、皆、野球好きで、一生懸命野球をやっているくらいだから、何となく波動がいいのだ。

今日一日限りの特設チームで、私のチームのキャプテンが、一日キャプテン。
彼は、きっちり責任を果たしてくれたし、プレーでも大いに活躍してくれた。

一緒に練習をしたこともない寄せ集めのメンバーが、アップを終えるとすぐに試合が始まったのだが、これがなかなかうまくいった。

伸びしろのある、今後の楽しみなチームになった。

相手チームも純朴。
確かに、我が町と同じく、人口2万人くらいの小さな町だからか、みんな良い感じの生徒だ。
といって、一歩引くでもなく、勝負感も競争心も根性もある。
手抜きのプレーなど一つもない。

昨今の中学生は、かつてのように『荒れている』生徒は珍しく、逆に『草食系』というか、無気力化が進んでいるように見える。

生きるバイタリティが弱いのだ。
一日、部屋に閉じこもり、ゲーム三昧で過ごした世代だ。
友達同士集まって同じ部屋で遊んでいても、それぞれが別のゲームをやっていて、まともな会話すらない。

外でチームプレーの野球をする方が、よほど健全だと私は思う。
そうした子でも、我の強い生徒が少なくなった。

かつてピッチャーは、「わがままで、自己中」が、代名詞だった。
打ち取った球を、誰かが取りこぼしたり、アウトにできなかったら、にらみつけたり、文句を言ったりする。

「ちゃんと捕れよ」、と怒りだしたりもした。

だが、「我が道を行く」性格で、打たれ強く、強いピッチャーではあった。

それを、大人が上手にたしなめ、チームと同化させるが、それでも強気のピッチングは続けられた。

しかし今は、そうした選手は極めて少ない。
小学校時代から、矯正されてしまうのか、争いごとを極端に避ける生徒が増えてきたのか、その理由は分からないが、なかなかそうした生徒を見ることがなくなってきた。

争いを避ける性格は、試合での戦いでもその傾向が現れ、一歩引いてしまうこのだ。

だから、強気の性格の選手、チームには勝てなくなる。

『良い子』がこうした単なる『草食系』ならば、それは本当の「良い子」ではないのだろう。

とにかく、今日は楽しかった。
久しぶりに、『野球』をしたように思える。

「冬場にでも、一緒に合同練習どうですか?」
合同チームを組んだ監督から、そう声を掛けてもらった。

生徒同士の交流という意味でも、本気で考えてみようと思う。

部活動のあり方も、少しずつ変わりつつある昨今、本当に変わってきたのは生徒だったりする。















2019年04月27日

練習試合で

春の大会はなんとか合同チームで出場できそうだ。

今日は、その最初の練習試合だった。
相手校は、今年は部員数が足りているので、私のチームは、まさにお客さん。

合同チームを組みに際しても、
「今年は、単独で出場できる最後の機会なんです。うちの選手がスタメン出場で構わないなら、チームを組みます。」
などと、何とも失礼なお話を受けたのだ。

それでも、春だけは組ませてもらおうと、「ぐっと我慢して」、チームを組んでいる。
以前から組んでいたチームで、選手たちもよく知っているので、気を遣うよりよいだろう。

だから、私の学校の生徒たちには、
「君たちはサポートね。サポートが優秀だと、チーム全体としてのレベルが上がるんだよ。○○中は、これが最後の単独チームで、この先は廃部が待っているようなので、協力してあげなさい。」
と、諭している。

幸いというか、中3がいないので、昨年の大会不参加に引き続き、今年も我がチームが何かしらの貢献をしよう、と思っているわけだ。

そんなお手伝いもよい、と思っている。

事実、今日は途中から守備についた私のチームの選手は、きっちり役割を果たしたし、代打で出た選手もヒットで出塁している。

実際試合にでなくても、さまざまなサポートをしつつ、チームを盛り上げてくれている。

その中で学ぶことも、とても大きいのだ。

もちろん、試合に出て学ぶこともあるが、そうした機会は、また別にやってくるだろうから、今はこのスタイルでよいと思う。

この連休は、明日だけ市町村主催の交流試合で、別のチームと合同を組んで試合をするが、それ以外は、この学校と合同練習やら、試合を行う。

何も役に立っていないのは、私だけのようにも思うが、まぁ勘弁してもらうことにしよう。

2チームのダブルだったので、午後2時頃には学校に戻ってきた。
今日は土曜日なので、4時間きっちり授業をしていた。

何となく、一足早くゴールデンウイークに入ったような、そんな錯覚がする…。









2019年04月26日

明日登校したらGW

インフルエンザが猛威を振るっている…。
と、十日ほど前に書きたかったのだが、悪い話をわざわざ報告するのも気が引けるので、時が経ってしまった。

猛威を振るったインフルエンザも、ここに来て収束しつつある。
感染者は延べ70名を越え、状況によっては学校閉鎖になるところであった。

全員がマスクをしての登校。
少しでも調子がわるくなれば、すぐに休ませた。

中学一年生などは、友達がインフルエンザになったと聞くだけで、
「僕も、頭が痛いかも…。」
と、そのままインフルエンザになってしまう生徒もおり、まさに気が弱ってくると、一気に感染するようだある。

ウイルスはそのあたりをウヨウヨしているから、要は抵抗力の問題なのだろう。
今年は一月下旬にも流行ったので、ワンシーズンに二度も流行させてしまった。

「ゴールデンウイークが近づき、長い休みが来る」、という油断も、抵抗力を落とす隙になっているだろう。

このところ、姿を見なかった生徒が、続々と復活してきた。
出席停止なので、解熱後も二日間は登校できない。
発熱時は苦しかろうが、熱が下がったら、時間をもてあますに違いない。

「おっ、○○復活したか…。」
「はい」!」
幸せそうな笑顔を見せながら、が元気な声が返ってきた。

私の学校でも、明日登校すれば、史上最長のゴールデンウイークだ。
かつてなかった悲壮感が漂わない即位の礼もある。

「一生で何度も経験できることではないから、よく見ておくように…。」
生徒たちには、そう伝えている。

私は、ほぼ毎日部活動。

新しい我が家もできたので、忙しい連休になりそうだ。

明日から登校してくる生徒が言う。
「一日行ったら、GWか…。」

なんとも複雑なようである。










2019年04月25日

日本の誇り

「河合、思ったより良かったですよ。」
教え子の高3が声を掛けてきた。

「将来何をしたいの?」
と、尋ねると、
「軍事開発に興味があります。」
という。

左翼史観にどっぷりの先生方は、
「何言ってるの?」
と、怒り出すだろう。

だが、私はすかさず、
「それはいい…。」
と、答えた。

日本はいつから、かくも無防備になったのか。
近隣に、ひたすら軍事拡張をして、あわよくば日本をも奪ってしまおうという国家があるのに、ニコニコ笑って、パンダ外交をすれば、すべては丸く収まると思っている人もいる。

犯罪者が溢れている町で、「私は争いごとは嫌いですから…」、と無防備で、家に鍵もかけず、何か難癖をつけられたら、ヘラヘラ「どうぞどうぞ」、と相手のいいなりになっている。

私にはそんな風に見える。

自衛のための手段は、必要不可欠なのだ。
そのために必要ならば、核兵器を保持していたっていい。

「かつての戦争は、侵略戦争だったので、私たちは反省しているのです。」
という。

日本人は、この先も未来永劫、反省し続けなければならないのだろうか。
単なる侵略目的だ、という主張も極めて怪しい。

これもかの国の、巧妙な戦略かも知れない。

「自分の国は自分で護る」、という考えは、国として当然の権利だ。
国民の命を守る、国としての義務でもある。

相手の兵器を無能化する配備ができたたら、最高じゃないか。

世界に間違った指導者が現れる限り、そして世界から独裁政治国家がなくならない限り、国防を無視した国は、侵略され滅びていく。

日本の国に誇りを持とう。
かつての若人たちは、自らの命を賭してでも、国を護ろうとして戦ったのである。
その命の上に、今の日本の繁栄があるのだ。

「軍事開発」、大いに結構ではないか。














2019年04月24日

GWの宿題

昨日、「GWでは、思いっきり楽しんで、10日後にみんな元気で登校してきてくれれば、それだけでいい。だから、GWには宿題はいらない」、というような小学校の先生とおぼしきツイートがあった。
「確かにその通り」、と思った私は、すかさず「いいね」を押す。

ただ、実は私の学校では、昨日の数学科の教科会で、「数学科としては、きちんとGWの宿題を出しましょう。毎日数学を解くことが大事ですから…」、という方針になってしまったので、残念ながら私も宿題を出さねばならない。

確かに高校受験や、大学受験を意識したら、「勉強しない」、ということはあり得ないだろう。
だが、「宿題があれば勉強する」、という訳でもなく、ただただ答えを写すだけの作業の宿題ならば、やらない方がいいかも知れない。

本当は、宿題など出さなくても、勉強する生徒を育てなければならないのだ。

『三日書籍を読まなければ、人は、普通の人以下になる。』
という話を聞いたことがある。

大人でも、お互い話をしていて、本を読んでいる人と、そうでない人とでは、その知識量が圧倒的に違う。

週刊誌から得られた情報だけで話をしている人と、その分野の深みを知っている人では、当然判断材料も変わり、簡単に世俗に流されなくなる。

昨今は、マスコミも嘘のニュースを報道する。

「スマフォを捨てて本を読もう。」
などと、日本一の最高学府の総長が、入学式で話をするくらいなのだから、日本人のレベルは、この先危ういことは間違いない。

「勉強の好きな人を育てて下さい。」
私の学校には、このような教育方針がある。

「勉強はやらされるものではなく、自分からやるもの。本来楽しいもの。知識を得ることは、人間にとって、大きな喜びなのだ。」
と、経験を通して分からせることができれば、「勉強は楽しくなる」し、「毎日、勉強することは当たり前のこと」にもなり、知的好奇心をさらに高めることができるだろう。

中国語では、「勉強」は、「無理強いする」、という意味だと聞いたことがある。
今の日本のスタイルにぴったりだ。

宿題を通して、勉強がたのしくなっていくならいい。
しかし、その逆に、宿題によって、ますます勉強が嫌になってしまうようなら、それは、教師の世金が大きいと言わざるを得ない。

ふと、今年の私の自由課題プリントのタイトルは、『楽しい数学』であったことを思い出した。
週に何度か、私が問題を出題し、解けた人が自由に提出できることになっているプリントだ。

すぐにあきらめず、じっくりと解いて欲しいので、あえて、期限も設けていない。

本来、学問は楽しいものなのだ。
それを諭し、伝え、そのような気持ちにさせていくものも、教師の役割だ。

さて、GWの宿題はどうすべきかな…。














2019年04月23日

春の日差しに背中を温められて

暖かくなって虫が出てくるようになった。

一昨晩、東京にいたときは、夜、虫の音が聞こえてくるくらいだったが、ここ田舎でも、田植えにそなえ田んぼに水が入れられ、嫌われもののブヨも湧いてきた。
寒くてじっとしていたカメムシも、元気よく動いている。

「ぎゃー。」
朝の散歩で女子生徒が叫んでいた。
足下を毛虫が横切ったのである。
そういう季節になったわけだ。
毛虫は、鳥に食われなければ、蛾になるのだろう。

最近は、虫を怖がる生徒が増えてきた。
いわゆる虫嫌いの人も多い。
「カブトムシでもだめか…」、と尋ねても、「だめだ」、と言う。

幼少期から虫と遊んでいないことが原因かも知れない。
男子でも、教室に一匹のチョウが入り込めば、教室内を逃げ回るほどの大騒ぎになることだってある。

「わぁっ…。」
今度は私が叫んだ。

足下のカエルを潰さないように、踏み出す足の位置をずらしたら、そっちに方向にジャンプしてきたからである。
危うく踏み潰すところだったかが、何とかニアミスで済んだ。

「何かを発見しなさい。」
今朝も、「陽に当たるだけならば、中庭でいいじゃないですか」、と訴えてきた生徒に、諭した言葉だ。彼は、何を発見したのだろう。

私は、紅葉の花芽を見つけた。
最近、庭に紅葉を植えようと調べていたら、紅葉に実がなることを知ったのである。
実がなるということは、花が咲くということで、その花が咲き始めるようである。

「これはおもしろい…。」
と、一人ほくそ笑む。

花が咲き終わって種が取れたら、植えて育てみたいと思った。

春の柔らかな日差しが、そっと背中を温める…。










2019年04月22日

自然の癒やし力

ネットで知り合った仲間に、昨晩初めて出会うことができた。
「私は、子どもたちに自然を体験してもらいたいんですよ。」

たまたま実家の近くにお住まいで、顔出し住所公開という、昨今では珍しいスタンスで、ネットビジネスをされている方で、私とそう年齢は変わらない。

「どんな子どもでも、自然の中で過ごせば、必ず心は癒やされると思うのです。」

私もその意見には賛成だ。
田舎に連れて行っても、きっと最初はスマホを手放さないかも知れないが、大自然の中には、スマホは色褪せて見えるはずだ。

一週間も過ごせば、人間としての本来のあり方を思い出すのではないだろうか。
その間、大人は近くで寄り添うだけでいい。
すべては自然が癒やしてくれる。

動物などもいればもっといい。
大自然は、人の悩みをちっぽけなものとして思わせるだけの、癒やしの力があるのだ。

「今の子は、脱走するだけだよ…。」
そう仰る方もいるだろう。

「こんな田舎に暮らせない。」
と、わめき叫ぶ子もいるだろう。

だが、これが本来の人間の生き方であり、希有な体験と、強烈な刺激、そして愛情たっぷりのかかわりがあれば、必ずや子どもは変わっていくだろう。

別に昔返りを推奨しているのではない。

「ちょっと人間らしさを忘れていませんか。」
と、問題提起したいのである。

私の住む町も、少子高齢化による過疎化が進んでいる。

この町を元気にする一つの方策として、いつか提案してみたいと思う。










2019年04月21日

諸行無常

「丹澤先生、ちょっと…。」
そう教頭に呼ばれた。父親が逝去しているのに、校内をうろちょろしているから、いつから休むのかを知りたかったようだ。
実際は、昨日口頭で、報告したはずなのだが、文書でなかったので忘れてしまったらしい。

私は以前から、身内が亡くなっても、ほとんど授業を欠くことがなかった。
役者だって、舞台があれば、何かあっても抜けることができないと聞く。
それに準じて、という訳でもないが、できるだけ迷惑をかけまい、と心掛けてきたのだ。

親族では私一人、遠方に暮らしているし、特にすべきことなくこれまで過ごしてきた、ということもある。
しかしそれより、身内が亡くなったとしても、そんなことを他の人に知らせるべきではなく、普通に過ごしていたい、という自分なりの美学があったのかも知れない。

という訳で、今回もほんの僅かの人だけに知らせ、大げさにはしていない。
自分が告別式等、すべてを取り仕切り、その後の手続きをすることになれば、こんな風にのんびりしているわけには行かぬだろうが、今回もほぼ顔を出すだけで済みそうだ。

「お金がないから、通夜も告別式もやりません。」
そう、皆に言って回るのも、おかしな話なので、黙っているしかあるまい。
それでも、噂を聞きつけた何人かの先生が、香典を持ってきた。
学校からも弔慰金が出るらしい。

亡くなって四日目になるが、通夜、告別式をすることなく、ちょうど今日、遺体を荼毘に付した。
そのお骨をもって、明日、菩提寺で供養をしていただくことになっている。

最近は、以前のように大きな葬儀をする人が減っているのだそうだ。
樹木葬などの墓石を持たない簡素化した埋葬方法も増えているという。

日本人の信仰心が薄らいでいるというよりも、高齢化に伴い、見送る側の家族も定年後の高齢で、葬儀にお金をかけられない人が増えていると、先日、住職が話をしていた。

今朝は、部活を少し見えてから、実家へ移動。
そのまま火葬場へ赴く。

今日の火葬は27件。これほど多い火葬場も珍しいのかも知れない。

人は生まれて、その人生を生き、また土に還っていくのだ。

人生をどう生きたかにかかわらず、人は等しく骨となる。

まさに、諸行無常である。
時代が変わっても、この普遍の原理は変わらない。











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