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2018年11月07日

下足箱とトイレ

その学校の様子を知りたければ、「下足箱とトイレを見ればいい」、というのは、今も昔も変わらないだろう。

さすがに昨今は荒れた学校は少なくなったが、荒れた学校は、たいてい下足箱(昇降口)がボコボコになっていたり、トイレがきわめて汚い状態にあった。

私が最初に勤めておいた学校では、下足箱のフタがボコボコになっていた。
いらついた生徒が殴ったり、蹴っ飛ばしたりしていたのである。
そのたびに、用務員さんが木づちで叩いて、ゆがみを直したり、あまりにひどい場合はフタを交換するなどして対処していたが、直しても直しても、殴られ続けた。

生徒は今日の見えないところで、ストレスを発散する。
下校時に通る下足箱は格好のストレス発散の場所でもあったのだ。

私の学校の下足箱は、フタがない。だから、いわゆるボコボコにはならないが、残念ながら、お世辞にも綺麗とは言えない。きわめて狭く、靴を脱いで何メートルも歩かなければならない様式で、言ってみれば当初からの設計ミス。根本的に狭いので、大きな靴箱も入れられず、当然長靴などは入らない。

近隣の学校に出かけるたびに、昇降口の美しさに感動する。

一方のトイレだが、こちらは私の学校もピカピカだ。
まだ新しいということもあるが、トイレは結構気合いを入れてきれいにしている。
だから、ここは見られても大丈夫。

だが、教室のロッカーは危うい。
ここにはトビラがついているが、歴代のやんちゃ坊主たちが、少しずつへこまして、今や痛々しいフタがいくつかある。

少しへこんだ部分を直して、直して何年も経つと、さすがに苦しくなってくる。
トビラだけ交換できれば、見栄えも良くなるのだが、そこだけの交換ができるかどうかは、メーカに問い合わせてみないと分からない。

少し前、事務に交換要請をし、来年度までに直してもらうよう約束をとったが、
「毎年、教室の整備を確認して欲しい。」
と、念押し。その通りだ。
「壊しっぱなしで、持ち上がるな。」

「学校の備品のほとんどが寄付で頂いたものばかりですから、物を大切にするようにご指導ください。」
事務長の声が虚しく響く…。

学校生活に慣れると、物をぞんざいに扱うようになる。あたかも、自分の物かのように、使うのだが、自分の物ではないので、大事にはしない。

「そのロッカー、自分の物じゃないんだぞ。」
名前をつけられたロッカーは、彼らには、もはや公共の物という意識はない。

「なんで殴るんだ!」
「…いや、何となく。」
「物に当たっちゃだめだろう。」
「ああ、そうですか。」

こんな生徒だっている。

学校からも家庭からも、教育力が失われつつあるのか…。









2018年11月06日

先生、ちょっといい?

自分も褒め上手とは、とても言えないのだが、私の学校の校長も同じだ。

私が好調に声を掛けられるときは、
 保護者からのクレームか、
 私の失言か、
 学年運営上、「これは困る」と、思われたとき
に限られる。

だから、日常でも校長から、
「丹澤先生、ちょっといい?」
と、呼び止められると、少なからずの恐怖を感じ、身構えてしまう。

これまで何度も苦言を呈されてきたことが、どうやらトラウマになってしまっているらしい。

また、学歴にしても、何かしら心にわだかまりがあるようで、以前夢の中に校長が出てきて、
「丹澤先生は、どうして東大を受けないのですか?」
などと、責められた。

そういう状態だから、私が朝の会や学年集会で生徒に話をしている時、ずっと校長に聞いていられると、歪んだ心の私は、なんだか監視されているような気持ちになる。

このところ、3日連続で私の話を聞いているので、大分慣れてきたが、話の後に、
「丹澤先生、ちょっと…」
などと、声を掛けられる恐怖と戦いながら、
「それでも、生徒に伝えたいことは言う。」
という、強い決意で話をしている。

「もしかしたら、校長自身、私の話の中から何かを学ぼうとしているのではないか…。」
とも考えられるので、ここ二日間は、絶対に校長が知らない話をわざと入れて、話をしてみた。
不良教師でもある私は、教育活動の後、ほとんど校長に報告することはないので、その報告の意味もある。もっとも、そういう報告の文化のない職場であることも事実だ。

ふと、自分が校長になった姿をイメージしてみた。
いやいや、そんなことはあり得ないと思いながらも、頑張って想像してみる。

「校長は孤独だろうな…。必要な情報もなかなか上がって来ず、いろいろな人が、まったく正反対の意見を好き勝手に言う。それでいて、『成果を上げなければならない』と、さらに上の立場の人からのプレッシャーもある。突拍子もない意見を出せば、『狂った』とそっぽを向かれ、例年通り進めようとすれば、『改革の意識のない保守的考え』と揶揄される。結局、子供と関わって、彼らの成長とその成功を、一人密かに願う以外、すべはないだろう。」
と、思うに至った。

「もう少し、校長に近づいてみても、いいかな…。」
と、思った瞬間だった。








退職された方たちのこと

3月末で親しかったら用務員のIさんが退職し、7月末で尊敬していた学年主任をしていたE先生が退職された。

半年の間に二人も、親しい人が退職してしまうことへの寂しさは、とても大きい。

用務員のIさんは、私より少し年上の方だが、営繕に関することはプロ並みで、学校に必要なものは何でも作ってしまうほどの技量の持ち主だった。野球部のコーチも務めて下さったし、大会ともなれば、いつもご一緒くださり、生徒の面倒を見てもらった。部内での恒例行事にしている小旅行でも、バスを運転してくださり、ご同行くださった。

2月に生徒を連れてスキーに行った時、同行してくださったIさんが、
「丹澤先生、私、3月で退職することにしました。」
と話された。
「最近、Iさん、元気がないな」と思っている矢先だったので、「やっぱりそうなのか…」と、感じたことを今でも覚えている。

私の職場は、どちらかというと冷たい。
何でも『自己責任』として片付ける傾向があり、親身になって相談に乗ったり、優しく話を聞いたりするという文化が薄いのだ。だから、退職の挨拶のあと、
「Iさんは、学校にとって、なくてはならない存在でした。」
などと校長が言っても、「何を今更…」と、私は憤慨していたのだ。

人材こそ組織の宝であるはずなのに、その人材を大切にしない傾向がある。

実は、Iさん。4月からの仕事は決まっていなかったのだ。
次の仕事が期末前に、辞められてしまった。幸い、何でもできる方なので、すぐにお仕事を見つけられ、引き立てて下さったと思うが、直属の上司(事務長)も、仕事に対する感謝の気持ちも薄く、冷たく扱っていたように見えた。

E先生は、引き延ばされて7月まで勤められた。
奥様と一緒に昨年度から赴任されたが、奥様は仕事の負荷が大きすぎて、3月に退職。そのまま故郷に戻り、I先生はそのまま一人暮らしをされて、7月まで過ごされた。だが、室内にはもう何もない状態で生活されていたという。4月からの数ヶ月は、「辞めること」を考えての生活をされていたことになる。

I先生とは、一緒に学年運営をして、一緒に退職しようと、私自身勝手に思っていたのだが、先を越されてしまた。

冬が近づき景色も寂しくなった昨今、お二人のお姿が思い出され、私も寂しさと共に、悲しみを感じている。

人が変わっても、組織は運営し続けられる。
「あの人がいなくなったら、本当に困るよな…。」
と、言われ続けたとしても、いなくなってしばらくすると、ちゃんと回って行く。

まさに諸行無常。

上司は、部下に機嫌良く仕事してもらうことを、第一に考えねばならない。
そうした環境であれば、彼らも長く勤め、より多くの奉仕をしてくれるはずだ。

冷たい風が吹き抜け、色づいた葉が、ぱらぱらと落ちていく昨今。
寂しさを感じるのは、景色だけのせいではあるまい。









もう一踏ん張りせねば…

「先生、大丈夫ですか? もう治ったんですか?」
昨日、部活に出かける時、一人の生徒に声をかけられた。

このところ体調が優れず、昼から夕方まで時間休をとっていたのだ。
時間給といっても、ただ横になって寝ているだけなのだが、そのくらいの休養でも結構身体は楽になる。

こうした時期に限って、行事が立て込んでいるもので、昨日の夜も特別指導があって、夜まで教室で仕事があったし、今朝も学年集会、今週は校外行事や大会と、目白押しだ。

「まだ、良くなっていない…。」
と、言いながらも、ニコッと笑って仕事に戻ったのだが、そんなときこそ、隙が出ないように、心して勤めなければならないだろう。

人は、体調が悪くなると、ついつい自己中心的になる。
そんなときこそ、できるだけ他の人のことを考えて、仕事に臨みたいと思う。

私には昔からそういう傾向がある。
大学院時代に、かかりつけの医院の娘を家庭教師として教えたことがある。

その日は、体調が悪く、肉体的にも苦しい状況だったが、構わず先方の家に仕事に向かった。
つつがなく、勉強を教えて帰宅すると、気が抜けたのか、そのまま倒れ込んだ。
そのときは、自宅で点滴を打つまでの状況で、その医者に往診してもらった。
医者の家に行き、ご両親と挨拶を交わしたのだが、
「具合が悪いなんて、全然気づかなかったわ。」
と、後から言われた。
私には、昔から意地を張るくらい、仕事への責任感が強い。
「そんなときは、迷わず休め。」
と、言われそうだが、私としては迷うことなく仕事を続けてしまうのだ。

自分自身でも、「ちょっと元気がないかもな」、と思いながらも、授業をこなす。
おそらくは、今日の授業でも、私の体調不良など、誰も気づいていないはずだ。
私はプロだから、そうした思いを生徒が抱かないように授業しているからだ。

昨日の生徒は、副担任の先生が、私について、何か余計なことを言ったに違いない。

昼休み、教室で合唱の練習をしている一人の女子生徒の顔が曇っていたので、私は、廊下から思いっきりの変顔で笑わせた。
「ふー、やっと笑ったぜ…。」
と、職員室に戻る。

もう一踏ん張り頑張ろう。









2018年11月05日

子供たちの『つながり』

中3がオーストラリアの海外語学研修から帰ってきたので、どんな生活だったのかを、授業中に一人一人発表させてみた。
私は、情報収集とお互いの共通のため、帰国後最初の授業は、いつもこの発表会をしている。

その中で、一番気になったのが、現地でお互いが『つながっている』ということだった。
いつの頃からか、「写真撮影をするため」という大義名分で、生徒のスマフォの持参が許可されるようになり、彼らは現地でも使いまくる。

ホストファミリーにお世話になるやいなや、まず、「WiFiを貸してくれ」、と頼むのだそうだ。
Wifiさえあれば、海外でもネットにつなげられる。それよりも、お互いメールだの、Lineだので会話することができるわけだ。

ホームステイは2人ずつ、ホストファミリーに入るが、「言葉が通じず、意思の疎通ができない恐怖」から、少しで解放されるために、お互い連絡と取り合う。

本来は、「そうした不安を乗り越えて、何とか現地の人と交流し、コミュニケーションを取る」、べきだろうが、普段から『つながっている』彼らは、つながりが切れると、生きていくことすら辛くなるのかも知れない。

恐ろしい世の中になった。

「3日目にして、やっとお父さんからWiFiの許可が出て、友達と話すことができました。」
と、嬉しそうに発表する彼らに、何となく違和感を感じ、
「それでいいのか…」
と、年寄りの苦言を言いたくなったのだが、そこはぐっと抑えた。

お互い励まし合い、「うちのファミリーはね…」、などと話に興じ、「明日も頑張ろう…」、と会話しているのだろう。もしかしたら、自分の親にも連絡を取っているのかも知れない。
しかし、これでは英語漬けにはならない。

現代は、そういう世の中だのだろう。
わざわざ、自分自身を隔離された空間に置くとことに、意味を見いださないのだろう。

時代はいつしか、深い人間関係の『つながり』から、ネットでの『つながり』へと変わっている。
この『つながり』で、face to faceの本当の「つながり」が得られるのかは、私には分からない。

ただ、そういう『つながり』の中に子供たちが生きていることだけは、理解しておかなければならないだろう。












父親からの逃避行

「先生、僕んち防犯カメラが4台あるんですよ。」
DVで親が離婚した生徒の自宅の話である。

昨年何回か面談したときは、とても仲が悪そうではなかったのだが、周到な計画のもと、母親が子供たちを連れて出て行った。その後、父親からは行方をくらまし、現在離婚調停中であるという。

「父親が文化祭の時、学校に来るかも知れませんので、息子に合わせないで下さい。」
などと、文化祭前に相談された。それは、さすがにできないので、お断り申し上げたが、父親からの問い合わせで、住所を尋ねられても答えられないことにはなっている。

生徒の方は、中1のときは、多少暴力的であったが、今はすっかり落ち着いた。
幼少期から、父親から暴力を振るわれて育ったようで、心の奥には、深い傷を負っているだろう。
普段は気丈に振る舞っているので、なかなか周りからは分からないが、一定のキャパシティを越えると、爆発する。

「生活のめどがついたので、家を出ることにしました。」
そう、私あてに連絡があったときは、さすがに驚いた。

子供三人(小5、中2,高3)を、母親一人で育て上げるのは、並大抵ではない。
学校通わせる費用も、かなりの高額だ。私立学校にも通わせているので、金策にはかなり苦労しているに違いない。

以前、
「僕んち、お仕置き部屋があるんです。」
と、聞いたことがある。小さいときは、悪さをすると、お仕置き部屋に閉じ込められたという。

電気のつかない、真っ暗な部屋で、反省をさせられたそうだ。
「でも、途中から電気のつけ方、わかっちゃったんですけどね…。」
と、にこり。

そのときは、父親は、面白い教育方針だな、と思って聞いていたが、今から思うと、暴力の延長にあったのだろうと思う。

「お母さんは、監視カメラ、もう一台つけるって言うんです。まったく、どんだけつければ気が済むんだよ。」

本人は、あまり父親に対して恨み心のようなものを持ってはいないようだが、母親には、積もり積もった不満と我慢が、すべて吹き出している状態だ。

思いやりのある優しい生徒で、私にも時々お茶を点ててくれるし、祭りにも参加した。

だが、父親からの逃避行は、まだ続いているようだ。













2018年11月04日

永遠のお父さん

三者面談時に、
「先生は,高校の担任はやらないんですか?」
と聞かれた。
このところ、中学の担任が続いており、授業も中学ばかりになっている。
面談生徒の兄も、授業担当していたので、そんな風に聞いきたのだろう。

「やりません。」
と、きっぱり。
「私は、『愛別離苦』苦手なんです。」
と答えた。

「やりません」と言っても、本来決めるのは校長。

学年は配置などは管理職が決めるわけで、私自身の自由になるものではないのだが、私自身は高校での別れが辛いので、(「最大の苦しみは、『愛別離苦』」

打診されても、避けるようにしている。

高校生ともなれば、大人の話もできるし、分別もつく。
それを天秤にかけても、やはり『別れ』が嫌なのだ。

「やれって言われたら、学校、辞めちゃうかも知れません。」
このあたりが、私の強い思いでもある。

確かに、中学生は大変。
授業も生活も保護者対応も、どれも一筋縄ではいかない。
しかし、そこにやりがいがあるし、何と言っても、彼らと、『中学時代に、少しだけ私に関わらせてもらえた…』という自負が生まれる。

昨今は、中学校教員のブラック化が、激しく報道されているが、世の多くの先生たちも、少なからず私と同じ思いをしているのではないかと思う。

そのモチベーションが、ある意味、過酷(?)な職場環境であっても、元気よく機嫌良く仕事ができているエネルギー源なのだろう。

その保護者は、
「先生は、永遠のお父さんなんですね。」
と言って、にこりと笑った。













本当に成果が上がっているんですか?

毎週、火曜日と金曜日の放課後、成績不振者が教室に集められて、強制参加の補講が行われている。
その放課後補講が始まって半年。
「このシステム、成果を上げているのでしょうか。」
三者面談で、ある女子生徒の保護者からこんな声を聞いた。

「相変わらず、成績の悪い子を集めているんですか。」
はじめは、その保護者の意図がよく分からなかったので、当たり障りのない返答をしていたが、話しているうちに、どのような考えなのかが分かってきた。
要は、こうした『成績の悪い人を集めて行う放課後補講は意味がない』、と言いたかったようだ。

「先日、弓道の大会を見に行ったんですけど、あまりにかわいそうで、かわいそうで…。」
この方は、結論を一番最後にお話される方で、これだけ聞いても、何のことだか全く分からなかった。

「的に矢が届かない子がいるんです。これって、大会運営側にも失礼じゃないですか? それに、全然練習していないと言うことではないですか?」
要は、「勉強ばかり強制的にやらせて、部活をさせていないので、試合に出ても恥ずかしい状態で、これではあまりに生徒が気の毒だ」、と言うのだ。

私の学校では、特別に許可された部以外の部活の活動日は週3日。月、水、土である。

「火曜日や金曜日に練習することはできないんですか? とにかく練習不足で、かわいそうです。どうしてもっと、やらせてあげないんですか?」
と言う。

「大会前は、特別に練習が許可されることもありますが…。」
と、恐る恐る答えると、
「それって、どのくらい前ですか?」
「一週間前くらいですが…。」
「それじゃ、足りませんね。」

そして、畳みかけるように、
「ほんとうに大丈夫なんですか? このままのシステムでいうんですか? 生徒たち、ストレスがたまっていませんか? 勉強が苦手な子は、思い切り体を動かして、ストレスを発散させてから、勉強させた方がいいんじゃないですか? 本当に成果が上がっているんですか? 検証したんですか?」
と、来た。

昨年度は、『たくましい子を育てる』という校長からの方針のもと、部活は希望すれば、回数を増やすことができた。ところが、今年は一転、『勉強重視』に方針が変わり、大幅に部活動が制限されたのだ。
おそらくは、「放課後に勉強させない学校ならば、うち子は預けられません。」などという意見を聞いての方針転換だろうが、現状では、大した成果も上がらず、教員も生徒もそのシステムに疲れている。

「中学生なんだから、もっと体を動かさせて、文武両道で鍛えて下さいよ。」
そう、強烈に訴えられた。

すでに次の面談時間になっていたので、話は打ち切らざるを得なかったが、納得はされてはいなかった。

学校宛てにお手紙でも書いてくれないかな…。

私の学校の場合、教員が何を言っても管理職は耳を傾けないが、保護者の一言には過敏に対応する。












2018年11月03日

山車を引く

今日は地元の秋祭り。
江戸時代中期から伝えれている伝統的な祭りだ。
昨年は、高校が出店を出し、何人かが山車を引かせてもらったが、いよいよ今年は、中学生にも山車を引かせてもらった。私が面倒を見ている部活を中心に、有志を10名をほど集めての参加だ。

山車には囃子連が乗り、祭り囃子を演奏し続ける。その山車を、大勢で町中を引き回すのだ。
上町と下町の二台の山車が練り歩く。
途中、二つの山車が出会うところが、祭りの最高峰。激しく祭り囃子が競い合う。

学校は、地域に受け入れられてこそ、一人前に近づいていく。
だから、地域からの要請があろうがなかろうが、地元の行事には、できる限り参加するのが、たとえ私立学校いえども、大切な仕事となる。

「先生、どこまで行くんですか?」
「何時に休めますか?」

大体、私自身が初めての参加なのだから、分かるはずがない。
「知らん。分からん。」
で、通し続けた。

時々気を利かせてくれたお世話人が、私に予定を伝えてくれたのだが、面倒なので、いちいち子どもには伝えなかった。

引率の私は、生徒たちの安全確保が最大の仕事。
全員、保険に入れてもらっての山車引き参加だが、無事に役目は果たした。

途中いろいろな方に、声を掛けられ、励まされた。
そのたびに、地元の方々の祭りにかける熱い思いが伝わってきた。

たとえ、地元を離れていても、この祭りに合わせて帰省するのだと言う。
また、祭り囃子も、代々若者に引き継がれている。年中練習している。
さらには、祭りを運営するのは、若衆たちで、長老たちにアドバイスを受けながら、自分たちで運営していく。

二つの山車が出会い、祭りが最高潮に達したとき、祭り囃子がさらに激しくなる。
自信と誇りの中で、若者が太鼓を叩き、笛を吹く。
それを目の前で見ていると、何だか、泣けてきた。
心を激しく揺さぶられる。

夜にも、もう一度、山車が出会う。だが、今回は時間の関係で参加しなかった。
来年はこれにも、参加すべきであろうと思う。

果たして、生徒たちは地元から可愛く、そして頼もしく見えただろうか。

来年の祭りに、どのくらいの生徒が
「また参加したい!」
と、言ってくれるだろうか。

帰校して教頭に報告すると、
「こちらでもきちんと報告しますから…」
と言う。
昨今は、学校が地域とどれだけ関わっているかも、報告対象らしい。

どうも、私の感覚とズレている。

私は、生徒たちには、普段はなかなかできない希有な経験をさせたいと思っているだけなのだが、管理職は、どうやらそうは思っていないらしい。

「先生、来年も参加できますか?」
生徒の一人が言う。祭り男が一人いた。

「疲れたけど、地元の人が喜んでくれるなら、僕たちまた行きますよ。」
そう言ってくれると、私も嬉しい。

「逆にちょっと、地元の人に、気を遣わせ過ぎたかな。」
とも思う。まだ、ちょっとお客さん扱い…。

さらに一段と、地域へ溶け込んでいかねば…、と感じた一日になった。












泣いた担任

「私のクラスの生徒が、あなたを傷つけてしまって、本当に申し訳ありません。すべては、私の指導力不足です。本当にすいません…。」
と、いじめ謝罪の時、感きわまって若い女性の担任が泣き出した。

私の学校では、いじめの謝罪は、当事者およびその担任、学年主任、生徒指導担当らが同席して行う。感情的になり、話をややこしくする恐れがあるので、保護者は同席させない。

その姿を見て大慌てしたのは、当の生徒たち、「自分たちの担任を泣かせてしまった!」と、その後、大急ぎで職員室にやってきた。
「先生、泣かせてしまってごめんなさい。」
神妙な面持ちで、彼らはそう言った。

今回の件で、心から反省できたかどうかは分からないけれども、少なくとも、自分たちのせいで、担任を泣かせてしまったことは事実。だから、「今後は、同じような過ちはしないように気をつけよう」、という気持ちにはなっただろう。

精神的発達の遅れがちな中学生は、何度も過ちを繰り返す。
一つのことが駄目と分かれば、そのことはやらないけれども、また別の問題を起こす。
大人の目から見れば、どちらも同じようなもので、関連づければ分かること、だと思うのだが、彼らには、それが通用しない。それぞれ全く別のことだと認識してしまうようだ。

反省し、謝罪が終わっても、彼らは、また別の関連した間違った行動をするだろうとは思う。
認識力が上がってくるまでは、何度も指導を重ねなければならないだろう。

昨今の中学生は、自分たちを客観視できない。
刹那的な日常の反応によってのみの、喜怒哀楽を作っており、関連性によっても物事を見ていないのだ。

テレビドラマも、最近のものは、精神面の描写が薄いように思える。役者の演技力が落ちている面もあるが、ライトノベルの実写化による影響も大きいだろう。

人間の心の奥底には、他の誰とでもつながっている光の筋がある。
そのつながりを愛と呼ぶことにすれば、人が互いに引きつけ合うのも愛があるためだ。

どんな指導法にせよ、生徒の心の奥にある愛の部分をくすぐり、呼び覚ますことができれば、生徒指導はうまくいく。

そのためにも、教員自身が、心を磨き続けていなければなるまい。













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