2018年11月22日

強制補講

ベネッセの速報が出たので、学年ごとに成績を集計してみると、どの学年も2ポイント以上成績がダウンしていることが分かった。

「この結果出ても、放課後の補講は続けるんですかね。」
隣の担任が、ぽつり…。

入学生徒のレベルが落ちてきたので、学力アップと、保護者のニーズに応えるためにと、主として成績不振者を集めての補講を始めたのが今年の4月。原則部活動をやらない、火曜日と金曜日の放課後に、7時間目、8時間目の時間帯に行われている。

昨年は、
「『たくましい』生徒を育てよう。」
という校長の号令のもと、希望すれば火曜日と金曜日にも部活動ができたのだが、今年度からは一転、方針が変わり、部活は禁止になり、『強制補講』が実施されるようになった。

この『強制補講』、実は、生徒も先生も不幸せなことになっている。

対象生徒が成績不振者であるためか、彼らは補講を「逃げる」のである。

だから、担当教員らは、校舎内を探し回ってでも、彼らを教室に連れてくる。
そうした教員たちの心労に加え、そこまで逃げ回る生徒たちのモチベーションもきわめて低い。
しかも強制的にやらされている中での、成績アップは望めない。

「宿題をやらない生徒を居残りさせて宿題を解かせる」、のであればまだしも、特定の生徒ばかりを呼び出して、プリントやら宿題を解かせるというシステムは、うまくいっていない。

どうやら、お互いが疲れてしまって、もはや機能不全を起こしているようだ。

昨年一年間は、どんどん成績が上がった。
そのときは、強制の補講はなかった。

「何故この結果出たのか、分析しなさい。」
などと、校長からの大号令がかかりそうだが、もとよりこの方法では向上は難しいことは見えていた。
生徒が意欲的に勉強することができれば、成績は自ずと上がっていく。

保護者対策、募集対策としての意味合いもあったのだろうが、主役は誰なのかを忘れてはならない。

「教員がどんなに意見しても、校長は話を聞かないからなあ…。」
そんなぼやきが聞こえてくる。
保護者からの意見は、クレーム対策としてすぐに対応するが、教職員たちの意見は、なかなか反映されない。

模試対策をして、クラスで目標を決め、個人の目標もクラスに掲示し、授業でも対策をしてなお、この結果であるということは、何かが間違っていると言わざるを得ない。

教育の世界は、現在進行形で生徒が存在する。
失敗が予想されるような実験は、慎まなければならないのではないだろうか。








2018年11月21日

授業準備 〜若手の先生方へのアドバイスB〜

「一時間授業をするのに、その3倍の時間をかけろ」、とか、「10倍の時間をかけろ」、などと言われることがあるが、残念ながら、通年を通しての授業準備で、これだけの時間を掛けることは難しい。
授業だけやっている『教員』ならまだしも、通常は、学校に関するありとあらゆる仕事をしなければいけないのが、日本の教員だからだ。
中には、
「授業の準備に、思う存分時間をかけられたら、どんなにいいだろう…。」
などと、かなわぬ夢を持っている先生もいるだろうが、それはそれで、また淋しいものだ。

現実的には、「どこかでまとまった時間をとって、一週間分の授業案を作る」か、「毎日、他の仕事に追われながら、翌日の授業準備をする」、ことになるのだろう。

特に、新任の場合は、その準備に膨大な時間がかかる。
だが、「机に向かって授業ノートを作るだけが、授業準備ではない」し、「授業プリントを作ることだけが、授業準備なのではない」、ということは銘記しておきたい。

新任の頃、先生の先生に、
「ずいぶん親切なプリントを作るね。」
と、言われたことがある。そして、
「このプリントだと、板書を力はつかないね。」
とも言われた。
私の教科は数学だが、そのとき、穴埋めばかりのプリントを作っていたのである。

今から思えば、確かにその通りだろう。

『生徒に良かれと思ってやったことが、実は生徒の成長を妨げる』、ことは、教育活動の中では、随所にある。

私の場合、授業準備で机に向かっている時間は、きわめて少ない。
授業の準備は、どちらかと言えば、何か別のことをしている時の方が多い。
たとえば、「歩きながら」でも、授業の構想を考えているし、他の仕事をしながらでも、授業中に話をする話題を考えている。
だから、机に向かって準備しているのは、どうしてもそこでなければできないことだけに限っている。
だいたい、ずっと座っていることは性に合わないし、教師はあまり座っている時間がないのだ。

一回一回の授業には、コアとなる部分があるので、「ねらい」と共に、そこから押し広げていけば、50分のストーリーは作れる。それを頭の中でイメージしながら、肉付けしていく。それを、定型文章化すれば、授業案になるわけだ。

もちろん、初めての教材の場合は、十分な時間をかけることが必要だろう。
関連の参考図書も読んでおきたいし、教材のねらいも熟知しておきたい。

しかし、それもすべてを机に向かってやる必要はないはずだ。

若手の先生は、自分の「授業ノート」や「授業プリント」、「テスト問題」などを、是非先輩の先生に見せてアドバイスを受けることを、勧める。

絶対に、自分が気づいていない指摘をしてくれるだろうし、たとえその指摘が、自分の方針に合わなかったとしても、必ずや何かしらの学びを得られるはずだ。

『教わるのではなく、盗め』と言われ続けた教員の世界だが、職業柄、聞けば答えてくれるのが教員だ。
だから、「教育実習生ではないのだから…」、などと恥ずかしがらず、勇気を出して声をかけてみたらいい。

何年も生徒を指導している先輩教員は、目に見えない智慧をたくさん持っているのだ。

教師は、一人前に授業ができてこそ、その一歩を踏み出せる。
だから、その準備は手抜かりなく、いろいろな場面で、楽しんでやりたい。

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着ぐるみパーカーを着た生徒

「先生。プリント。」
と、叫びながら職員室に入ってきた中1の女子生徒。
ぬいぐるみパーカーで身をまとい、フードをかぶった頭からは、動物の耳が出ていた。
職員室は一瞬どよめいたが、誰も何も言わなかった。

彼女は、若い担任のところに直行し、用件を済ませると、さっと出て行った。
その後、驚くべき事が起こった。
職員室にいたある先生が、
「かわいい〜。」
と、叫んだのである。

「中1の学年主任がいれば、絶対に注意するだろうな。」
そう、思いながら、苦々しく一連の出来事を見ていたのは私である。
悲しいかな。私は何も声を掛けられなかった。

職員室に入室するときは、各校ともいろいろな約束事があるだろう。
私の学校でも、通り一遍の作法はある。
彼女は以前からそれを無視し、いきなり入室し、自分の用事のある先生の所へ直行し、「ため口」で会話した。
前回彼女が職員室にやって来た時も、「せんせー、打ち上げやろ!」ときた。

個性重視の時代だ。私のような老害は、口をつぐんだ方がいいか…。
彼女は、文化祭の劇では熱演を披露し、全校で最優秀演技賞もとった生徒だ。

余計なことだろうな、と思いながらも、結局、事の子細をを学年主任に伝えた。
彼女が職員室から出て行く際に、
「一時間これで過ごした…。」
と言っていたからである。
もしかすると、授業中も動物のフードをかぶっていたのかも知れないと思ったからだ。
授業中、そうした格好であるいることは、さすがに許されまい。

「本人ににも言いいますけど、学年全体としても注意しますね。」
と、学年主任。

普通なら、先輩ににらまれ、いじめられるタイプの生徒。
やはり、「場をわきまえる」ことは、教えなければならないだろう。
私服OKの学校でも限度はある。

それにしても、「かわいい〜」、はないだろう。
私もフードをかぶっていなければ、目をつぶったのだが…。

民間からやってきた新しい先生。
まだちょっと学校の先生になりきれていないようだ。
と同時に、私は、彼女からはもっとも遠くに位置する煙たい存在と思われている…。

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2018年11月20日

学校の生き残りをかけて…

「私の話や、校長の話なんて、挨拶程度のちょっとでいいんです。『生徒』が話せば、説得力もあるし、来ている人も『感動』するんです。そして、生徒を見れば、クレームだってが吹っ飛ぶんです。」
法人役員が、学校説明会について熱く語った。

参加した方が、あまりに感激したので、直接報告に来たのだと言う。

「ビデオで見たり、パンフレットでは伝わらない。何と言っても生徒の姿だ。」
そう力説され、その参加者は、「今度は自分が学校を薦める」と、張り切っておられたそうだ。

私立学校では、年に何度も学校説明会を行う。
その中では、授業見学、部活見学を行う。
しかし、たいていは校長が、延々学校の紹介をする。「こんなにいい学校なんだぞ」、と分かってもらうべく、ついつい長話しになる。

しかし、聞いている側からすると、「どこでも聞かれる自慢話よりも、実際の生徒はどうなのか…」、という方が関心が高いに違いない。

私はずっと私立畑で教員を続けてきたが、どこの学校でも同じような『学校説明会』をしていたと記憶する。

各校ともいろいろ苦慮しているようだが、一番驚いたのが、『学校説明に参加すると、入試で加点される』というものだった。今もやっているのか、また、法律的にOKなのか、分からないが、各校とも募集に命をかけていることが分かる。

何としてでも、学校に来てもらいたいのだ。
おそらくは、
「学校を見に来てさえくれれば、何とかなる。」
という考えなのだろう。

今回の学校公開は、受験希望者はもちろんだが、一番の目的は『学校のファンを増やす』というもので、彼らの口コミにより、学校の評判を上げようというものだった。しかも、彼らが募集活動の一翼を担ってくれるなら、もっといい。

「本当は、いい生徒ばかり出しているんですけどね…。」
こうした場合、学校の闇は封印される。
だが、
「こんないい子が通っているなら…。」
と、心変わりし、受験し、入学してくれるなら、それでいいのだ。

募集活動は、企業でいうところの営業活動。
もしかしたら、教員のもっとも苦手とする分野なのかも知れないが、昨今は、あれこれと新しいアイデアで、生き残りをかけてしのぎを削っている。

超少子高齢化社会。
老人は余っているが、子どもは少ない。

これから先、募集を停止し、店をたたむ学校も増えてくるだろう。
だが、その中でも輝き続け、人気のある学校は、必ず出てくる。
その人気の内容は、時代の流れで変わっていくものかも知れないが、学校の教育方針にぶれない一本の柱があり、それが普遍的なものであれば、生き残ってゆけるだろうと思う。

もはや、黙っていても生徒が集まる時代ではない。









教室の掲示物に書き込みをしたら… 〜若手の先生へのアドバイスA〜

教室に掲示している張り出しに、勝手に書き込んだり、落書きする生徒がいる。
これは『しつけ』の問題。何もしなければ、一人の行為が、クラス全体、学年全体に波及する。

4月、クラス開きの時の約束事で、「掲示物は私物ではありません」と、こんこんと語るのが定番。
ただ、新年度当初は忙しく、忘れてしまうこともある。
年初にクラスの約束事を決め、、周知徹底させることは大切なことだが、あまりにたくさんの、「○○してはいけない」があると、教師も生徒も悲しくなる。
だから、そんなときは、「書き込み一人目」を活用して、しつけてゆけばよい。

誰かが、書き込みをしたときが、指導のチャンス。
やってしまった生徒には気の毒だが、ここぞとばかりに「しつけ」が始まる訳だ。

これは、できるだけ早い時期にやっておかないと、大切な掲示物にもイタズラをされる可能性があるので、概ねごゴールデンウイークまでに終えておく。
そうでないと、写真に書き込みをしたり、イタズラしたり…、と掲示物の「荒れ」がエスカレートしていく。
先延ばしをすればするほど、
「なんで俺だけ…。みんなもやっているじゃないか。」
と、生徒が思い、指導にかけるエネルギーが増えてしまう。

一番駄目なのは、何か事件が起きてからの後手後手の指導である。

例えば、写真に落書きをするという事件が起こったとき、もちろん「書き込む」のは悪いことだが、「平気で書き込みをしまうクラスのムードを放置していた」という責任も生じるのだ。担任らが、何も感じることなく、事が起こってから、初めて指導の不備に気づくようでは遅い。
できたらそうならないように、事前に手を打っておこう、と言いたいのである。

仏教では、初期の釈迦教団では、「比丘の二百五十戒、比丘尼の三百四十八戒」と、二百、三百あまりの戒律ができた。これは、隋犯隋制(ずいぼんずいせい)と言って、仏陀が「何か過ちが起こるたびに規則を作っていった」もので、だんだんと増えていったのだ。釈迦教団は、学生(がくしょう)であり、学びの場でもあったので、それを妨げる行為は、次々と禁止されていったのである。

現代の学校も、事が起こるたびに、どんどん規則が増えていく。
そうならないためにも、できだけ教師の経験と智慧で、余分な規則ができないように、「手を打っておくべき」だと思う。

いくら生徒に、
「どうして書き込むの…。」
などと聞いたところで、おそらくは、
「何となく…。」
という言葉しか返ってこないだろう。
昨今の生徒は、『何となく』イタズラをする。

本当は、『何となく』の裏に、「自分の方を振り向いてくれ」、「私の叫びに気づいてくれ」というメッセージがあるのだろうが、だからと言って許されるものではないだろう。そうした生徒たちは、事前に察知して、注意深く観察しておくべきだ。

ちなみに、一般的には、掲示物への書き込みの前に、黒板への落書きが起こる。

「落書きくらい、いいだろう…。」
と、放っておくと、どんどんエスカレートしていくので、要注意だ。








2018年11月19日

教室の環境整備 〜若手の先生へのアドバイス@〜

若手の担任の先生に向けて、少しアドバイスになることを思いつくままに書いてみようと思う。
今日は、『教室の環境整備』。

私はたいてい朝7時頃に出勤し、教室の窓を開けて回る。
同じフロアに中1と中2の教室があるのだが、中2に関しては自分の学年と言うこともあり、両クラスとも窓を開け、ドアも開け、廊下も開けて換気する。

どんなに寒くても、雨雪が教室内に入ってこない限りは、窓は開けてしまう。
教室には換気扇があって、外気との入れ替えをしているのだが、上手く働いていないこともあるし、まずは朝の新鮮な空気を教室に取り込みたいわけだ。

ざっと教室を見渡す。机の上やら、ロッカーの上など、何か異常がないかをチェックする。
本当は、生徒が下校した放課後にやりたいことだが、私の学校は22時近くまで生徒が使っていることがあり、さすがに毎日、私自身がその時間にチェックをするのは難しい。
だから、朝に行うことにしているのだ。

当然、掲示物だの床のゴミだの、見るべき所はたくさんある。
はがれかけた掲示物を整えるのはもちろん、期限が過ぎた掲示物はすみやかに取る。
教室内には、目標を書いた生徒一人ひとりの顔写真や、書写の掲示もあるので、それらに異常がないかも、さーっとチェックする。

机の横にたくさんの荷物がかけられていないかや、机の上の落書き、机の中の整頓状況も見る。

もちろん黒板は、朝から汚れていることは許されない。
学校によっては、担任がその教室の「火元責任者」であろうが、どこの学校でも、クラスの教室管理責任者は担任だ。

逆に言えば、「教室を見れば、どんなクラスかも予想できてしまう」、ということだ。

荒れたクラスは教室も荒れる。
壁に穴が開いていたり、汚れていたり、ロッカーがへこんでいたりする。
担任としては、そうしたことを「起こさせない」雰囲気作りも、大切な仕事だと思う。

また、「壊れてしまった」ときは、速やかに修理をして、小さなほころびが拡大しないように努める。

私は学年主任でもあるので、自分が直す以外にも、
「掲示物が破けているよ…。」
と、担任らに注意することもある。
本当は、その場で直したいのだが、ずるい私はちょっと様子を見る。
数日経っても、直っていなければ、担任が「気づいていない」と判断するのだ。

気づいていないということは、「見ていない」という訳で、
「教室の環境整備も大切な仕事なんだよ。」
と、教えなければならないことを意味する。

私にとっては、毎朝の日課のようなものだが、その間ほんの数分。
しかし、続けてやっているか、何もしていないかでは、ずいぶんと結果が変わってくるだろう。

「朝、机がきっちり揃った整備された教室に生徒が登校してきたら、やっぱり気持ちいいんじゃないかな…。」
そういう生徒への思いと、
「教室の管理は、担任としての仕事の一歩だ。」
という責任感が、このチェックがルーチン化させる。









24時間体制?

「校長は、今朝連絡があって、7度の発熱だそうです。先週、今週と募集関係の出張が続いているので、今日はお休みとのことです。急ぎがあれば、ご自宅におりますので、お電話下さい。」
そう、教頭が言う。

「ずいぶん詳しく言うものだなぁ…。校長はずっと出張続きか…。」
などと、人ごとのように思いながらも、
「ほとんど休みないのだろうな…。」
だからこそ、立場もあり報酬も多いのだ。もちろん責任も取らされる。まさに、「ご苦労様」だ。

体調が少し悪くなると、気持ちが弱くになる。
その上、この先の休みが見えないと、ますます不安になる。
微熱ともなれば、『休みたい』という気持ちも大きくなるものだ。

私も、最近はしょっちゅう時間休を使っている。
終日休みの日は、二ヶ月に一度くらいしかないので、適当に体を休めながら、ルーチンをこなしているという感じだ。

十年近く前、何ヶ月も微熱が続いたことがあったが、さすがにその時は辛かった。
病院で検査はしたが、結局医者にはその原因が分からなかった。
それでも、休むことなく出勤していた。

私の場合、子供たちと遊んでいたり、授業をするなど、生徒と関わっていると、具合の悪いことなど忘れてしまう。おそらく、生徒たちは、私の調子の悪さなど気づかないだろう。
「それがプロだ」、という考えもあるが、それよりむしろ、生徒たちとの関わりこそが、私のカンフル剤になっているのだろう。

だから、若い頃は
「先生、大丈夫ですか? 具合悪そうですね。」
などと言われることを恥と考えるほどの傲慢さがあった。

今は、
「最高のパフォーマンスを維持できてこそ、最高の教育ができるはずだ。」
という考えの下、健康管理には気を遣っている。

夕方、校長が出勤した。何かの呼び出しがあったのかも知れない。

「私だって、インフルエンザの時ですら、何度も電話がかかってきて、遠隔で仕事をしたこともあったなぁ…。」
と、昔を懐かしむ。

ひょっとすると、うちの学校は24時間体制なのかも知れないな。
ほとんど気が抜けない中で、毎日を生活をしている感があるのは、そのせいかもしれない。

私は、朝型なので、早々に退散するのだが、多くの教員が日付が変わるころまで何やらやっている。

本当に仕事をしているのかどうか、やや怪しい面もあるが、先生たちは夜が遅いことは事実だ。
日直の校舎施錠だって22時から始まる。

巷の言い方をすれば、超ブラックということになるのだろう。

それでも皆さん、機嫌良く教員の仕事をしている…。








2018年11月18日

「攻め」の学校公開

昨日、学校公開を行った。
通常は、『学校説明会』を月一回程度行うのだが、今回は少し戦略的に実施した。

私立学校にとって、ファンを増やすことは切実な問題。
ファンが増えれば入学希望者が増える。
これは公立学校でも同じだが、私立学校は学校そのものの存続にもかかわる重大な問題になる。

今回のイベントは、「学校の教育に賛同している人や保護者を招き、学校や生徒の素晴らしさを実感してもらって、彼らの口コミで、さらにファンを増やそう」、というものだ。

授業見学はもちろん、随所に生徒と関わる場面がある。
先日後輩たちにも歌ってくれた中3の『大地讃頌』の合唱。(『中3語学研修報告会』)
前生徒会メンバーを中心とした高2有志とのディスカッション。
チアダンス部の演技。
吹奏楽部の演奏。
合唱部の演奏。

これらを、型どおりに舞台で公開するのではなく、随所で、意表を突く形で行った。
なかなか気合いの入った企画である。

参加した方は50名を超える程度だったが、ほとんどの方が、涙の感動をしていただき、こちらの意図通り、『学校のファン』になって頂けたようだ。

実際経験した方の言葉には説得力がある。
たとえ、
「あの学校の食事はまずい。」
と、発言していた人がいたとしても、
実際に食べた方が、
「そんなことはない。とても美味しかったよ。」
と、語れば、その勢力が多ければ,少数の声はあまり目立たない。
そうした声がホームページなどで紹介されていれば、
「あれは、噂だったんだ。」
と、マイナスの発言ばかりが目立たなくなる。

「生徒が荒れてるんだって。」
と、噂で話しをする人がいても、
「生徒たちにの姿には感動した。」
という声が大きければ、それは見えなくなってくる。

世の中、マイナスの声ほど広がりやすいので、プラスを広げようという考えである。

日本人の性質として、『良かったことに対しては、何も語らない』というものがある。
つまり、「語らないことが、『良くも悪くもない』のではなく、良ければ黙っている」、というスタイルだ。
一方、悪い噂は、どんどん脚色化されて広がっていく。

ちょっと「攻め」の学校公開。
まずは成功であったようだ。・








いきなり『C言語』かぁ?

高校生くらいになると、ちらほら
「プログラミングを勉強したいんです。」
という生徒が出てくる。

何事も興味を持つのは良いこと。
ただ、彼らが最初に始めようとするのが、『C言語』なのだ。
私は、プログラミング経験があるので、一番始めに『C言語』を学ぼうとするのは、あまりお勧めしない。
いくつかの理由を述べると、まず第一に「『C言語』は難しい」ということだ。
だから独学で、この言語の勉強を進めようとすると、たいていは挫折する。
Windows系のアプリケーションの多くが、『C言語』で作られているようだが、「憧れ」だけでできるようになるほど、プログラミングは甘くない。

また、『C言語』は、省略表記ができるので、「初学者には出来上がったプログラムのデバッグがしにくい」という理由もある。

プログラム言語を学ぶには、言語の規則を覚えれば良いのではなく、自分が実現したいプログラムのための、アルゴリズムを知らなければならない。このアルゴリズムさえ分かれば、はっきり言ってどんな言語でもやりたいことは実現できる。
そのアルゴリズムを学ぶ上で、『C言語』は、初心者には分かりにくい。

以前は、どんなパソコンにも『BASIC』という言語が「おまけ(?)」でついてきた。
だから、簡単なプログラムなら、それで体験できた。
実際に、自分で作ったプログラムが、「思い通り」に動くことは、感動するものだ。
だが、その中で、うまく動かない部分が見つかり、それを一つひとつ検証する中で、プログラミング技術が向上する。

実際プログラムを組むコーディング時間と、不具合を直すデバッグ時間では、場合によってはデバッグ時間の方が長い。

「まずはアルゴリズムの勉強をすべきだ。」
というのが、私の考えだ。

実際、私が中学生のときからアドバイスしながら勉強を続けた生徒は、高校一年生ながら、いろいろな言語を駆使することができるようになっている。

一つ、言語を制覇できれば、あとは次々とプログラム言語を学ぶことは、そう難しいことではない。
それも、根本に、アルゴリズムが分かっているからだ。

「ちょっとかじってみる。」
というなら、否定はしないが、将来そうした職業で活躍したいというならば、基本として学ばなければならないことがあることは、強調しておきたい。

学校でもプログラミング教育が始まるようだが、『C言語』のような高級言語を使ってやるわけではない。言語体系を簡単ににした、アルゴリズム重視となるはずである。

それが、論理的な思考を磨き、こうした論理的な思考や問題解決能力が、他の教科に波及していくことを狙ってのことだろう。

確かに、自分のプログラムで、ちょっとしたロボットやら、動画撮影が自動で行えたら、新しい世界が拓け、楽しいだろう。

最近、何人かの高校生が、プログラミングをやりたい、と『C言語』を始めたそうだ。

なかなか苦しい、茨の道に足を踏み入れてしまったように思える。








2018年11月17日

タブレットの導入

学校のITC化が急速に進んでいる。
私の学校では、10年前に全教室にパソコンと教材提示装置、天井吊り下げのプロジェクターを設置したが、今では決して珍しくはない。
近隣の学校でも、同じような環境が整っている。

最近は、一人ひとりにタブレットを配って、それで授業をしている学校もあるそうだ。
ただ、果たしてどうだろう。効果はあるのだろうか。
生徒は、最初は面白がって使うだろうが、だんだん飽きてこないだろうか。
あるいは、別の操作をして、遊んでいるとことは、ないのだろうか。
本ではなく、タブレットを読ませて良いのだろうか。

「授業中、飽きた生徒は動画を見てますよ。」
なんて、話も以前聞いたことがある。

コンピューター教室の一斉授業のシステムならば、ネットを一斉に切断したり、キーボードにロックをかけたり、と結構細かな芸当ができるのだが、タブレットはどうなんだろう。
そのまま一人ひとりに貸し出し、自宅にも持って帰れるとしたら…。

何だか考えているだけで、恐ろしくなってきた。
コンピュータはOSのもと、ソフトウエアが動いている。
たいてい、そういうソフトにはバグだの、セキュリティホールがある。
だから、半永久的にソフトを更新し続けないといけないのだが…。

もう一点は、
「タブレットがそのまま教科書になって、そのタブレットを読むことになるのだろうか。」
という不安だ。若い先生には、こういう不安はもはやないのかも知れないが、
「えっ、本に書かれた活字を読ませなくていいの?」
と、老害と呼ばれかけている私は、心配で心配でしょうがないのだ。

日本国民(?)の読書離れが言われてずいぶん経つ。
『一億総白痴化』などとも言われても、時代はますます活字離れの様相だ。

「タブレットで活字を読めばいいのだ。」
と、仰る方もいるだろうが、やはり私は、
「線を引いたり、付箋を貼ったり、書き込んだりしながら、勉強するものじゃ、ないのか?」
と、思ってしまう。

事実、大切な本は、今でも私はそのように読んでいる。
付箋も色や形を変えて、分野毎に、つける位置も変えるし、ダーマトグラフも色分けするし、時に蛍光マーカーだって使う。

「こんなのが、タブレットで再現できるのかあ?」
と、杞憂するが、きっと、同じ程度の機能はあるのだろう。

IT機器はまだまだ進化する。
今使える、便利なものはどんどん導入していくのもいい。

ただし、まだ発展途上で、それによって失われていく能力があると思われる部分については、慎重な導入が望まれる。

企業は、収益のために猛烈にプッシュしてくるだろうが、利権に惑わされることなく、詳しい人がきちんと精査、判断して欲しいと思う。

新しいものを導入する時は、いつの時代も同じなのかな…。








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