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2018年10月10日

試験問題の扱い

今日から中間考査。私は教務なので、今朝は監督の先生に試験問題を配った。

この試験問題の扱い、各学校で保管の仕方が異なる。
私は何校かの学校を経験しているが、そのいずれも特徴的だった。

私の母校でもあり、最初に非常勤講師を務めた学校では、問題用紙を巻物のように、くるくるっと巻いて、その状態でロッカーに保管されていた。長く保管された問題や解答用紙は、丸まっていて、実際の試験の時には、紙が丸まっていて書きにくかったことを覚えている。

この答案、監督者は、表紙をつけて、大きなホッチキスでガチンと止める。その状態で作問者に渡された。作問側としては、ホチキスで止まっているので、ばらばらになる心配はないが、やはり採点はしにくかった。答案返却時に、ホチキスの針を抜くのがかなり面倒だった。

次に勤めた学校では、問題用紙は、再生封筒に入れられて保管されていた。封筒に入れるのだから丸まってしまうことはないが、実はその封筒はB4サイズは入らない封筒だったのである。だから、問題用紙は、半分くらいにかるく曲げられて、その封筒に入っていた。生徒に配る時は、何となく、ふにゃっという感じの用紙になってしまっていた。

集められた答案は、千枚通しで穴を空け、こよりで縛られた。さすがに千枚通しでは効率が悪いということで、途中から機械式の千枚通し(?)が導入されたが、採点のしにくさと、ブスッと穴を空けてしまい、答案同士がくっついてしまうのは、何となくなじめなかった。

今の学校でも、問題は封筒に入れる。この封筒は曲げずに B4サイズ入るので、A3で印刷されていなければ、解答用紙が折れることもない。答案は、そのまま封筒に入れたまま、作問担当に渡される。
試験監督の先生が、きちんと集めてくれれば、順番通りに封筒に入っているわけで、閉じていないので、一枚一枚の採点はしやすい。私としては、今の方法が一番すっきりしている。封筒ごと保管もできるし、何より答案に穴が開かないのがいい。

答案を綴じるという文化は、おそらくは答案紛失を未然に防ぐ、という目的から発生したものだろう。
昨今は、別室受験などもあり、試験終了直後に、綴じてしまうことは難しくなってきた。と、同時に、答案がなくなってしまうという事例も、起こっていないのだと思う。

以前、戻ってきた答案が、生徒の名前が書いてなかったり、表裏、天地がめちゃくちゃだったり、ということもあったが、これは監督者の怠慢だ。当時、考査の時間割を作っていた私は、二度とその先生に私の試験の監督はつけなかった。

答案話題で、もう一つ。今朝、新人の先生がベテランの先生に注意を受けていた。
「生徒の人数、ぴったりの枚数では、印刷ミスなど、何かあったときは困るではないか。問題用紙は、人数+2、3枚余分に印刷しておくのだ。」

「しまった、その先生の試験問題の内容はチェックしたが、印刷の仕方まで教えていなかった…。気が回らずに、申し訳ない。」

学校現場でも、表には出にくい暗黙の約束事がたくさんある。

私も、先輩諸氏に叱られ、注意されて覚えたものだ。

2018年10月09日

嫌われ役の先生

以前は、学年団でそれぞれの役割を分担をした。

○○先生は、お父さん役で、厳しく叱る立場。
△△先生は、お母さん役で、叱られた生徒を、母性で優しく包み込む立場。
□□先生は、お兄さん(お姉さん)役で、生徒の悩みを聞き出したり、不満を吐き出させる立場。

生徒もいろいろだが、先生もいろいろなので、こんな風に役割を決めて、学年団を作っていたこともある。これはそれなりに効果があって、チームワークで学年運営ができたものだ。

厳しく叱る先生はある意味嫌われ役。生徒からは怖れられ、煙たがられる存在。しかし、生徒から見れば、もうこれは、「叱られても仕方ないことをやらかした。」という訳で、半ばあきらめムード。「とにかく誠心誠意謝ろう」という気持ちになったものだ。

昨今はどうだろう。
いつしか、教師は嫌われ役を避けるようになってしまった。

人間誰しも、『嫌われたくない』という思いを持っている。
しかし、こと教師という仕事をする上で、生徒に迎合してしまうことは、教師の存在意義すら否定しかねない、大変危険なことだと思う。

事実、生徒の機嫌を取ろうとする態度の教師は嫌われるし、生徒に好かれようとすればするほど、生徒はその教師から離れていく。

若手の先生には、
『生徒から好かれよう好かれようとすればするほど、生徒から嫌われる』
という事実を、自分がそうした苦い経験をする前に、知っていて欲しいと思う。

それどころか、『嫌われ役の先生の方が、けっこう生徒が慕ってくることも多い。』のだ。
それは、本気でその生徒の考えているかどうかにも関わっている。

「こんな叱り方では、生徒に嫌われてしまうかな。」
と考えているようでは、生徒への迎合。

ヒステリックになって、ただただ叫ぶのであれば、単なる怒り。

難しいのだが、
『厳しいけれども、愛がある叱り方』
を目指すべきだろう。

本気で生徒のことを思えばこそ、厳しく叱ることもできる。
それこそが、嫌われ役の先生だ。

「俺なんか、生徒から好かれたことないよ。」

そう言って退職される先生は、総じて陰では尊敬され、慕われている先生であったりするものだ。

『勉強した?』という質問

「睡眠時間が8時間。十分すぎるほどの時間だね。そこに一日8時間勉強したとして、まだ8時間残っている。お風呂と食事で8時間はかからないね。だから、8時間勉強することは、勉強中心の生活をするなら、全然難しいことではない。誰でも可能だったわけだ。」

「昨日までの連休、明日からの中間試験に備え、勉強に明け暮れた人は、ほぼ一日中勉強している。中には10時間くらい勉強している人もいる。その一方で、連休中、30分や一時間くらいのしか勉強していない人もいる。」

「これじゃ、成績に差が出ても当然だ。成績が低いからって、神様が意地悪なわけではない。もちろんたくさん勉強した人は、応援されて、いいことがあるだろう。そうでない人は、そうなるべく行動したわけだから、やっぱり自分の責任。一切の言い訳はできないね。」

「『勉強した?』って、人に聞く人は、勉強していない人だよ。自分が勉強していないことに、不安と少しの罪悪感があるから、他の人に中に、自分と同じ仲間がいるかどうかを確認したくて、聞くんだ。」

「だから、『勉強していない』って、答えられると安心する。ここにも勉強していない人がいたんだ、って、確認できたからね。ところが本当は違う。」

「本当に勉強している人は、『勉強した』とは言わない。どちらかというと、『勉強していない』と言うことが多い。それは、『勉強した』と言うと、自分が勉強していることを、人に自慢しているようで、嫌だからだ。だから、勉強した人も、勉強していない人も、『勉強してない』と答えることになる。」

「だから、勉強したかどうか、尋ねた人は、試験が終わって結果が出てくると、愕然とする。『あいつ、勉強してない』って言っていたのに…、となる。」

「また、本当に勉強している人は、他の人に、『勉強した?』とは聞かない。そういう人は、たとえ『勉強していない』と答えられたとしても、『本当は勉強しているに違いない』、と思うだろうし、また、『そんなはずはない』とも思うから、そもそも、こうした質問をすること自体意味がないということを知っているからだ。」

試験前には、教室内で、こうした心理戦が繰り広げられる。
勉強していていない人は、自分が勉強をしていないことを一番よく知っている。周りに勉強している人が沢山いると、焦りの気持ちにはなるが、突然試験前にやり気になるわけではなく、直前にやっても、さしたる成果は出ないことも知っているから、結局は、大して勉強することなく試験を迎えることになる。

「『勉強した?』なんて、友達に聞くなよ。勉強しない者同士、お互い傷口をなめ合っても、何もいいことはない。それにこの質問は、『私は勉強していません』と、皆にアピールしているだけなのだから、結局は恥ずかしいことを言っているということだ。」

2018年10月08日

レイバーとプレイヤー

「先生、日曜日は何しているんですか?」
さきほど生徒からこんな質問を受けた。

「うーん、今日は一日試験問題を作っていたかな。いつもは部活だから…。」
先生の休み中の過ごし方に、生徒は興味があるらしい。

「休みがない」
という先生たちの叫び声も聞こえてくる昨今だが、私は日曜日でも『休み』という感覚は少ない。
部活はもちろん、教材研究、定期考査の試験問題作成、保護者対応などなど、何も仕事に関連していない休日は、ほとんどないからだ。しかし、それら仕事をしているという感覚も、あまりない。

また、自分の教養や知識を高めるというのも、それを授業や生徒指導に生かしていけるのだから、講義の仕事と考えてもよい。だから、本を読もうが、テレビを見ようが、インターネットで調べ物をしようが、すべてが生徒指導に関係してくる材料集めでもある。

これを仕事してみれば、24時間365日休み無しということになるが、私はそういう仕事とか、仕事外だとか区別する考えはないのだ。仕事を、自分の時間を切り売りしているという考えでは、こうした発想にはならないだろう。

そもそも休日とは、holiday。聖なる日ということ。
「人間は、週に6日働き、一日を神に祈る日にしなさい。」
という宗教上意味合いがある。
「休日は、神と対峙して、新しい週の活力にしなさい。」
ということだ。欧米では教会に出掛ける日である。
日本で神社に行く人はいないと思うが、いずれにせよ、休日は精神的な充電日であるともいえる。

神と向かうもよし、日常と離れた経験をするもよし、もちろん生徒と関わるもよし。

vacationというと、欧米的なバカンスという意味合いになるだろうし、夏休みはsummer vacation なのだが、この期間は日常できない経験を通して、人生に潤いを与える、という感じだろうか。非日常生の中には、やはり大自然なり、神の存在を感じることになろう。

仕事をレイバー(Labor)と考えるか、ワーク(Work)、プレイ(Play)と考えるかで、その生産性は大きく変わるし、疲労度も違うはずだ。

「やらなければならない」と義務感で仕事をするのはレイバー。
面白がって、内発的な動機に基づいて仕事をするのがプレーヤー。

何でも面白がって、楽しく、機嫌良く、よろこんで仕事しよう。

教師は限りなくプレーヤーに近い存在でありたい、と私は思う。

白河天体観測所

私の少年時代からの憧れの存在、それが『白河天体観測所』だ。
往年の天文ファンならば、誰もが知っている私設天文台である。

先日、『白河天体観測所』(藤井旭著)を読み返してみた。
『白河天体観測所』は、いつか私も目指したい、理想の施設だった。だから、震災で復旧不能にまで被害を受け、2014年に惜しまれながら閉鎖した時は、頭をガツンと殴られたようなショックを感じたものだ。

その書籍には、白河天体観測所から那須連峰を望む一枚の写真がある。その写真を見れば、近隣に住んでいいる者ならば、観測所がどのあたりにあったのかは、だいたいの予想がつく。この地は星が美しい。

私は小学生の頃からの天文ファンなのだが、当時は「藤井旭さんみたいな人になりたい。」と思っていた。私は多摩美卒の彼のようにイラストは書けないが、「沢山の人に星の解説をすることくらいはできるんじゃないか」、と思ったのである。教員を目指したのも、「自分で星を見る時間を作れるんじゃないか」という思いからだ。当時、先生は長い夏休みがあると思っていた。

その後、私も、大学卒業後の一時期、教員をやりながら、休みの夏場は天文台で星の解説をしていたことがあるから、その夢は一応かなったと言っても良い。

天体観測所を建てるには、なかなかの資金力がいる。

私が初めてもらった天文書が、やはり藤井旭著の『星雲、星団ガイドブック』だったので、彼との縁は、もう40年にも及ぶ。

「人間、満天の星空のもとで生活すべきである。」
と、私は思っている。無限ともいえる宇宙の神秘を感じ、星々のきらめきを受ければ、人間の高慢さなど吹き飛んでしまうだろう。

私の学校も、電灯のないところならば、天の川が見るくらい空が暗い。
どれだけの生徒が、夜空を見上げてくれているのか分からないが、
「こんな美しいものを感じないなんて、どんな生き方をしているんだ?」
と思ってしまう。

もうずいぶん前になるが、以前勤めた学校の『海の学校』(校外学習の臨海学校)の夜、全員を星空の下、仰向けに寝かせて、天然プラネタリウムのように、私が星の解説をしたことがある。

この先、どんどん日が短くなるから、夕方でも星空が見えるようになる。

私も、いつかチロ(※)のような犬を連れて、のんびりと星空を堪能したいものだ。

白河天体観測所 日本中に星の美しさを伝えた、藤井旭と星仲間たちの天 [ 藤井旭 ]




※藤井旭氏が飼っていたアイヌ犬。白河天体観測所の台長であった。
posted by 丹澤三郎 at 18:22 | Comment(0) | つれづれ

卒業生のK君

私がK君と初めて出会ったのは、もう10年近く前になる。
当時、テニス部で早朝6時からも夕方遅くまで練習していたため、私が彼の勉強を見てあげられる時間は、朝練前の5時からと、夜のほんの1時間くらいしかなかった。

K君は毎日のように、朝5時になると、私を訪ねてきてきては、私のそばで勉強していく。
早朝も、空が白んできて勉強が終わる頃、
「朝練に行ってきます。」
と、テニスラケットを持って出掛けて行った。

もともと朝型の私だから、朝早いのは苦痛ではなかったが、K君も、よく私のもとを通ったと思う。

当時のテニス部は、熱血指導者のF先生が、それこそ全国を目指して活動していた。
まさに、「勝つべくして勝つ」指導が行われていて、結果、部員の一人はちゃんとインターハイに出場しているのだから、F先生は有言実行。

私よりも年上の先生だが、私の10倍くらいの情熱で部活指導をされていたので、勉強になることが多かった。もちろん、授業は上手だし、担任としても、その他の校務分掌でも、手を抜くことはない。
以前、年賀状で、
「先生の姿を見ると、勇気が湧いてきます。もう一段、がんばらなきゃって…」
なんて、私が一言書いた記憶があるくらいだから、尊敬すべき、お手本になる先輩だった訳だ。

彼の育てたテニス部の卒業生は、各方面でも大活躍中。
K君は、事情があって、途中から高校野球部に移ったが、これもなかなかのチャレンジだ。
しかし最期は、レギュラーとして活躍しているのだから、並々ならぬ努力の持ち主でもある。

K君も、高校卒業後は、整体の資格を専門学校で取得しつつ、大学でも勉強するというダブルスクールをこなし、卒業後、いよいよ開業を始めた。

K君の実家が札幌にあることもあり、以前、私も夏休み期間中に、ぶらっと札幌を訪ねたことがある。
札幌駅の改札口で、満面の笑顔で私を迎えてくれたK君の姿を、今でもはっきりと覚えている。
そのときは、何日も私をあちこちに連れて行ってくれて、北海道を堪能させてくれた。
今でも毎年、K君から美味しいがメロンが届く。

学校では、卒業すると音信不通になってしまいがちだ。
しかし、いつまでも「私の教え子だ」、などと思うのは、いやらしい。
「一時期、学校という場所を通して縁があって、何年か、ほんの少しだけお世話をさせてもらったのだ。ありがたいことだ。」
と、ごくごくたまに思い出せれば、それでよい。
教員というのは、そうした職業だ。

人間的にも、
「私が、私が…」
という自己主張が強すぎる思いは醜い。

今年の3月に、K君の弟が卒業していくとき、お母様に、
「Kも、開業しましたし、運転免許も取りました。また、北海道に遊びに来て下さい。今度はKが、案内できますよ。」
と声を掛けられた。

K君が、ますます活躍してくれたら、それでいい。

2018年10月07日

高校野球部で頑張っているA君

「俺もできる限りのことをするから、お前も中途半端なことはするなよ…。」
父親が息子にそう言って応援する。

中学を卒業して、地元の進学校の野球部に入ったA君は、毎朝、毎晩、父親の送り迎えで学校に通っている。

朝は、少し早めの出勤途中に、息子を降ろし、夜はバスがなくなるので21時半に駅に迎えに行くと言う。

高校野球部の練習は21時まで、そのあとA君は駅に行き、父親の迎えで家に戻る。

「明後日から中間試験だけど、大会続きで勉強できる状態じゃないです。もう、勉強は諦めているので、何とか進級してくれたらいい。元気で好きな野球を続けてくれたらいい。」

親としては、子どもが好きなことを精一杯やれるよう、最大限応援してあげようという訳だ。

弟君も中学校で野球部員。
だから、父親は、高校野球の応援に行ったり、中学野球の応援に行ったり、時間と場所が合えば、一日に両方とも出掛けたりと、休日のすべてを息子たちの応援につぎ込んでいる。

息子たちが、大好きな野球を、楽しく生き生きとプレーする姿を見ることが、A君の父親にとって、現在の最大の幸福なのだろう。

だから、部活動で面倒を見てくれている学校の先生にも、誠心誠意、感謝の気持ちで応対している。
とても協力的で、有り難い保護者だ。

こんな保護者が部活動に協力してくれるなら、「何としても頑張らねば」と思うだろう。

近隣の学校の野球部には、こんな保護者がたくさんいる。
夕食は、野球談義をしながら、親子の会話も弾むに違いない。
全力で応援している父親には、甘えて生意気なことを言ったとしても、心の奥では感謝しかないだろう。

部活動は、別にプロを養成しているわけではない。

活動を通して、子供たちがいろいろな経験をし、学び、成長していくことを期待しての教育活動だ。
授業や学校生活で子供たちと関わることも、もちろん大切。でも現状では、部活動もその一つ。

私も、「部活と称して、生徒とボール遊びをしている」と思われないためにも、その他の仕事でも、他に秀でるような成果を上げられるよう努力しているのだが、大会で成果を上げない限りは、なかなか認められることはない。

圧倒的多数の部活動は、大会で成果を上げられないのだ。トーナメントでは、一回試合するたびに、チーム数が半減する。

「お疲れ様。」より、何かあったときに呼び出され、上司に注意されることの方が多いから、時々は「疲れたな。」と思うこともあるし、「やってられない。」と思うことだってある。

それでも、生徒に寄り添おうとする先生たちを、私は応援したい。
そして私もその一人でありたいと思う。

先日、A君が、中学の試合の朝、顔を出してくれた。
お世話になった先生たちに、改めてお礼を言いに来たのだ。

「中学でプレーしていた時と比べると、見違えるように立派になりましたね。」
かつて試合中の言動を厳重に注意した、審判をしていた別の学校の監督が絶賛した。

今のところ、A君は順調に成長している…。

怖い先生ほど愛が深い?

今日の練習試合の相手校は、県庁所在地の学校。往復150kmほどの遠征になった。

相手校の先生に、
「あの先生、怖いですよ…」
と忠告されて、ご挨拶をする。

若手の先生が聞く。
「どんな風に怖いんですか?」
「もちろん生徒にも厳しいですけど、我々も、二回ヘマしたら見捨てられますね…。」

確かに試合中の声は厳しかった。
「昭和の香りがする…。」
と、試合中同僚の先生も一言。そして、
「こういう世界があるということを、保護者にも見せたいんですよね…。」
とも。

昨今の部活動は、
『ほめて、おだてて、励まして、やる気にさせて、またほめる。』
というスタイルになってきた。

昭和の時代の、先生が怒鳴り散らして、
「何考えてるんだ!ふざけるな。」
的な指導は、少なくなった。
あの頃は、
「先生、もっと言ってやって下さい。うちの子、甘いですから…。」
などと、保護者からの援護射撃もあり、多くの先生方も『この指導で間違いない。』と、感じていたのだろう。

ところが昨今は変わった。
生徒が、先生の前後関係を切り取った一言を取り出し、それによって保護者を憤慨させ、クレームとして校長だの教育委員会だのに届く。

「子どもは、自分の都合のいいことをしか話しませんし、都合のいいように親に言います。」
と、いう年初のアドバイスなど忘れ去り、
「うちの子は悪くない。」
「うちの子を全面的に信頼していますから。」
となるわけだ。

今日の試合を見て、保護者は何を思っただろう。
「今の時代、こんな乱暴な言葉遣いの先生がいるんだ…。」
と感じたか、はたまた、
「それと比べたら、まだまだうちの顧問は優しいか…。」
と感じたか。
「この学校に行かせなくて良かった。」
と感じたか、
「もう二度と試合をしたくない。」
と感じたか。

しかし、相手校の選手たちは、誰も萎縮しているようには見えなかった。それどころか、生き生きとしてプレーしているように見えた

結局今日は、相手校と接戦で負けた。

会場となった中学校の体育館では、近県の強豪校がやってきて、バレーボールの試合。
そちらでも怒声が飛び交う…。

教育活動の一環としての部活動だから、私は、それぞれの先生なりの方法で、工夫してやってよいと思う。

『どんなに怒鳴っても、本心では生徒を愛している。愛しているからこその、厳しい指導でもある。』
私はそう思うのだが、生徒や保護者との信頼関係が崩れると、坂道を転げ落ちるかのように、クレームの嵐となる。そういうリスクもある。

しかし、生徒をどうでもいいと思ったら、厳しい言葉でないのだ。放っておかれるだけである。
クレームの後、先生が生徒に、腫れ物に触るように接して、卒業するまだじっと我慢して時を待っているという姿も情けない。

先日、職員室の隣席の教員に、
「先生は、いろいろ生徒の不満を言いますけど、先生の撮った写真には、愛がありますよね。本当は、『生徒が好きで好きでしょうがない』、っていう思いが、伝わってきますね。」
と言われた。

そんなに、生徒の不満を言っているのかとも思ったが、私にとっての最大の賛辞のようにも聞こえた。

生徒を愛していない教員などいるはずはない。
表向きの姿だけを取り上げ、あげつらう風潮は、嫉妬社会の典型だと思うのだが…。

2018年10月06日

ベスト8おめでとう!

中2の頃は、ヤンチャで先生たちを悩ませ続けたY君。中3になると大分落ち着いてきた。
数学の習熟度でも、私のクラスに上がり、急に勉強熱心になった。
先日彼のノートを見たが、
「なかなかやるじゃん。」
という感じだ。

もともとはバスケットボール部だったY君だが、総体が終わり引退すると、テニス部に移った。
テニスと言っても、ソフトテニスではない。硬式テニスだ。
だから、まだ中学3年生が出られる大会がある。

今日は、その初戦。入部一ヶ月して最初の大会だ。
本来試合は、先週だったのだが、台風21号の本州上陸のため、今日に延期になったのだ。
来週から中間考査なので、日程的にはちょっとキツい大会になった。

早速報告を聞く。
「大会はよ。」
「俺、勝ちましたよ。入部一ヶ月で…。」
「そりゃすごい。」
すかさず、一緒に大会言ったA君が言う。
「ベスト8ですよ。」

硬式テニスは中体連の大会ではないので、地区大会を飛ばしていきなり県大会。
一度勝てばベスト8なのだそうだ。しかも、対戦相手は、同じ学校の一年生。
「そりゃないぜ…。」
と思ったが、まずは勝利を祝福してあげよう。

以前は、授業を抜け出す常習で、ちょっと甘い先生の時は、いつの間にか教室からいなくなっていた。
そのたびに、学年の先生が探し回る…という訳だ。

よく、男子トイレに隠れていたので、私は彼らを、
「トイレ同好会」
と呼んでいた。

あるとき、彼らに、
「先生、俺らの顧問になってください。」
と、「トイレ同好会」の顧問を頼まれたこともある。

あの頃から思えば、見違えた。別人だ。人は、こうも変わるものか…。

今年の中3は、そういうタイプの生徒が多い。
文化祭でも最優秀賞を取ったし、いろいろな学校行事でも結構ポイントを上げている。

「うちの教室のロッカーぶち壊し、開かなくしたのは、今の中3なんだけどな…」
などと、時折ぼやきたくはなるが、そこは教員の甘いところ。

「終わりよければすべてよし」
的になり、かつての悪行は忘れてしまう。

教員の悪いクセだな。

とにかくY君。
「ベスト8おめでとう!」

職員室の『マスク』と『のど飴』

朝晩は涼しくなり、感染症のシーズンが近づいてきた。
そんな折、職員室に『マスク』と『のど飴』が置かれた。

『おつかれさまで。ご自由にお使い下さい。「マスク」と「のど飴」です。』
という張り紙がしてある。

養護の先生が気を利かせて置いてくれてたのだ。

正直、こういう心遣いには感動する。
何気ない、些細なことかも知れないが、こんな配慮一つで、職員室内がほっこりする。

この張り紙が、
『一枚20円、一個10円でお願いします。』
などと書かれたら、幻滅するだろうし、
「余計なことするな。」
と思う人も出るかも知れない。
同じ心遣いには違いないが、何か違う。
その違いは、金額云々というよりも、その思いだろう。

「よーし、のど飴がなくなっていたら、私が補給してあげよう。」
という気持ちにすらなる。

張り紙はカラフルに書かれており、そこにはイラストまである。
今は、ちょうど試験前なので、生徒が職員室に入室することはできないが、この張り紙を生徒が見たら、はやり『感動』するに違いない。

私は、自分のクラスにもマスクを置いてある。
咳をしている生徒を見つけると、さっとマスクを差し出す。
もちろん、私に断らずに、自由にマスクを使ってもよい。

保健室に行けば、マスクはもらえるのだが、保健室に行くことを面倒がって行かない生徒もいるわけで、それはそれなりに、効果はある。

ちなみに費用は私のポケットマネーだ。
「そんなことされると、全クラスに置かなきゃいけなくなるので迷惑です。」
ここは社会主義の学校ではないので、こんなことは絶対に言われない。この程度のことは担任の自由裁量に任されている。各クラスとも、工夫しながら学級運営がなされている。

私は、喉を痛めると、完全に治るまで一ヶ月近くかかるので、本当に『のど飴』はありがたい。
もちろん、自分の在庫が万一切れたときに、緊急時にいただくという訳だが、なんだか一日が楽しくなりそうな出来事だった。
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