2018年10月15日

習熟度クラスの入れ替え

「先生、私どうすればいいですか。今日のうちに連立方程式を総復習して…。」
中間試験前、精神的に不安定なり、学校を休みがちなった中1のMさんが、涙ながらに尋ねる。

「クラスを変えて、もう一回修行してもらうことにするよ。」
Mさんが取った点数が片方は10点代、もう片方が一桁だったので、さすがにこのままのクラスに置いておくことはできない。厳しいようだが、次に頑張ってもらうしかない。

「そうなったら、私、学校が嫌になって、辞めちゃうかも知れません。」
彼女なりの最大限の交渉(脅し)が来た。

「期末考査でも、今回と同じように試験前に調子が悪くなってしまったら、大変なことになってしまう。それこそ赤点になって、進級が危うくなってしまうんだよ。だから、クラスを変えるんだ。また頑張って戻っておいで。」
私の学校では、内規上は、中学でも原級留置がある。

一回の成績不振でクラスを変えるということは、そう頻繁にあるわけではないが、いわゆる極端な成績が出た場合は、クラスを入れ替える。温情でクラスを変えないことで、さらにその生徒を苦しめることになるならば、その方が罪なことだ。

欠席が多く、授業もあまり出られなかったが、クラスが変われば、進度の関係で、もう一度同じ単元の授業を受けられる。その方が、理解も進むし、次の期末考査で高得点を取れば、また戻ってくることだってできる。

次は中2の話。
剣道部に行かなくなったもう一人のX君。彼も、合計30点取れなかった。
「クラスが変わっても大丈夫?」
ちょっと控えめに反応を見てみた。
「どっちでもいいです。」
と来た。
「それじゃ、変わろう。」
X君の場合、怠け癖が抜けずに、試験前にも勉強をサボった。
『原因・結果の法則』は、学業面ではきっちりと働く。

『勉強をしたら成績が上がり、サボれば、成績は下がる。』

その法則を、中高生のときに体験を通して身につけさせたい。
社会に出て仕事をしたら、やっただけの成果が出ないことはたくさんあるのだが、学生時代には、ちゃんとこの法則がはたらく。

勉強はやればやっただけの成果が出る。若干の時差がある場合もあるが、その差もどこかで必ず挽回できる。努力は必ず報われる。それが学校の勉強。

やる気になれば、人は変わっていける。
可能性は無限大だ。
たった一回の試験の結果で悩むな。
悩むなら、人のために悩め。

そう声援を送りつつ、
「頑張れよ!」
と、彼らを励ます。

2018年10月14日

やる気出せよ

「おい○○、今日は2時半から練習あるから来るんだぞ…。」
○○とは、剣道部のキャプテンである。私に用事で、たまたま職員室に来たところを、顧問に呼び止められた。

先日の新人戦は、とりあえず責任を果たすということで、大会には参加した。しかし、「心はすでに剣道部にはあらず」、あれから一度も部活には行っていない。このときも、返事をすることなく、逃げるように職員室から去っていった。

「辞めるなら辞めないと、いろいろな人に迷惑をかけるぞ…。」
と話をしているのだが、怠けた生活が続いた彼にとっては、何もかもが「めんどくさい」らしい。

今朝も、私の部の練習に誘ったが、「眠いから…」と断られた。

本当はもっとパワーがあるはずなのに、それを引き出せないでいるのは、我々教師である。
部活が盛んで、当たり前のように毎日活動している学校ならば、こんな生徒は一喝されて、しぶしぶ何らかの活動をする。

しかし、当たり前に部活動ができないような学校だと、こんな生徒ばかりになるのか。

部活も中途半端だから、勉強も中途半端。
すぐに「疲れた」と言い、ちょっとでも面倒なことは、決して自分からはやろうとしない。
普段の単語テストでも、漢字テストでも、合格ギリギリを目指すから、結局合格できない。
不合格だった生徒向けの、再テストは逃げる。その課題もやらない。

学校として、何かボタンの掛け違いをしていないだろうか。
学校生活の中で学ぶべきことはたくさんある。

そうした「やる気の失せたように見える生徒」ばかりを集めて、放課後に補習をしている。
うまく、それに逃れた生徒は、コンピューターでゲーム中継の動画を見てニヤニヤしているのだ。

「生徒をその気にさせる。」ためには、教員としてのパワーが必要だ。
担任は、必死でクラスを理想の方向へと導こうと格闘する。
そこで、周りの先生が白けてしまったら、元も子もない。
学校も、同じ理想に向かって進んでいかなければ、あちこちからほころびが生じる。

「もう一踏ん張りしなくっちゃ…。」
と、自分自身を鼓舞しつつ、目の前の問題を一つひとつ解決してゆこう。

我々教員が、元気もりもりであってこそ、生徒にも元気がよみがえってくるはずだ。

「やる気出せよ。」
と、生徒に言いながら、自分自身に言っていることに気づく…。

最大の苦しみは、『愛別離苦』

仏教では、この世は苦しみの世界とする。
苦しみとは、思うようにならないことのこと。
そう考えれば、確かに人生苦しみの連続である。
その中で、『四苦八苦』という言葉がある。

四苦は、『生』・『老』・『病』、『死』、これに『愛別離苦(あいべつりく』、『怨憎会苦(おんぞうえく)』、『求不得苦(ぐふとくく)』、『五陰盛苦(ごおんじょうく)』を加えて四苦八苦という。

私はこの中でも、特に『愛別離苦』が苦手である。
『愛別離苦』とは、『愛する者と別れること』。
だから、私は卒業式が大の苦手だ。

毎年、卒業式が近づいてくると、何となく学校全体に『悲しみ』の波動が漂う。
生徒たちにとっては、『喜び』であろうが、一部には先生たちの別れの『悲しみ』もある。
先生たちは、卒業することで、「ほっと胸をなで下ろす」わけだが、私はどうしても、この別れの悲しみが辛い。

「先生は、高校の担任をやらないんですか?」
何度となく、生徒に尋ねられる。しかし、決まって私は、
「高校の担任をすると、卒業式が本当の別れになってしまうから、別れが辛いので絶対にやらない。」
などと、答えることにしている。

中学校を卒業しても、中高一貫なので、ほぼそのまま高校へ進学する。だから、中学の卒業式は、一つの通過点のような感じになる。それでも、中3の卒業式には、
「あの入学したての生徒が、ここまで成長したか…。」
と、感無量になり、涙を誘う。
中学で「これ」なのだから、高校であったら、その思いは計り知れない。
もちろん、卒業することが、永久の別れというわけではない。どこかで会うこともあろうけれども、何ともいえない、しかしとてつもない大きな悲しみが、私を覆い尽くすのだ。

「頼むから、知らない間に『すっと』いなくなってくれ。高校の卒業式は出ない。謝恩会も行かない。」
などと、生徒には宣言している。どうやら、私は、「高校生になって、中学よりは関係が薄くなって、私が気がつかないうちに、さっと卒業してくれたら、悲しみに傷つかなくて済む。」、と思っているらしい…。

それでも、教え子たちは、
「先生には、絶対に出てもらいますから…。」
彼らは、やる気満々である。これまで何度、こんな会話を繰り返しただろう。

私が前回、三年間担任やら、学年主任をして卒業させた生徒は、現在高校2年生。
来春の卒業式ではない。しかし、それでも時折、
「先生、卒業式に出て下さいよ。」
などと声をかけてくる。
「嫌だ。君たちのお礼参りは勘弁。」
などと、逃げ回っている。

以前、
「さよなら。これまでありがとうございました。」
というメモだけを残して、学校を去っていった(退学した)生徒がいた。

ただただ泣き崩れ、ふて寝するしかなかった。
その朱鷺のことを、今でも鮮明に思い出す。そして、思い出しながらでも、涙があふれてくる。

教員を続けている限り、他の仕事よりも、『愛別離苦』が何度も訪れる。
そのたびに、自らの非力に打ちひしがれ、悲しみの淵に佇む。

結局は、「悲しみ」といいつつ、「自分には何もできなかった」という後悔の思いなのだろう。
だがやっぱり、『愛別離苦』は苦手だ。

これが私の人生最大の苦しみである。

2018年10月13日

駅伝の壮行会

今朝、来週末に迫った地区の駅伝大会の壮行会が行われた。
駅伝の壮行会は今年が初めてだ。

特設メンバーながらも、こつこつ走って実力をつけている。
夏休み前、そして夏休みの朝練と、練習を重ねている近隣の学校には遙かに及ばないが、うちはうちなりに、よく努力していると思う。

「駅伝の壮行会をやろうよ!」
と、私は以前から勧めていたのだが、なかなか実現できずに何年も経ってしまった。
それが今年、やっと実現した。

昨年は中3が不真面目だったので、当時の陸上部の先生が、駅伝メンバーから中3を外した。学校によっては中2と中1だけのメンバーもあるが、中高一貫で受験をほとんど意識しない私の学校では、中3が参加しないと、なんとなくしらけてしまう。だから壮行会がやりにくかったのだ。
「精鋭たちが、こつこつ努力して、練習して、選手として学校の代表として戦う」
というスタイルは貫きたい。

だが、今年は違った。中3から中1までが、壇上に上がり紹介され、代表選手が挨拶した。
なかなか立派であった。

中学校だけの壮行会なので、高校生は参加していないが、外された去年の中3、つまり今年の高1がこの様子を見たら、何を思っただろう。

と同時に、「参加したくない」とだだをこね、メンバーから外れていった情けない現中2の連中は、この壮行会をどう見ていたのだろうか。来年は君たちがメインだぞ。

小規模の学校では、全校生徒が選手として参加する。
「学校単位で競うのは、止めて欲しい…。」
というそうした学校の教員の声も聞こえてくる一方で、各校の校長は張り切っている。
「今年も県大会は逃さないぞ。」
とばかり、校長同士が競い合う。
この地区、トップクラスの学校は、全国まで行く。
そういうハイレベルなので、盛り上がりがすごい…。

来週の駅伝。今年も選手だけの参加だ。
校長も応援に行かなそうだし、全校応援には、まだまだほど遠い。

そうだ、全校生徒で駅伝練習すれば、全員で応援に行けるかな。
そうするとまた、「うちの子に無理矢理やらせて…。」と、クレームかな。

「落ちますか?」、「上がれますか?」

中間考査が終わった。

私の学校では、数学は習熟度別クラス授業が行われ、進んだクラスからα、β、γと決めている。私が担当しているのはαクラスだ。

休み時間になって、「あ〜、落ちた…。」と叫ぶαクラスの生徒。βやγクラスの生徒から見れば、あまりいい気持ちはしないだろう。だから、「試験後、そういう言葉は出さないように。!と、授業中、さんざん注意しておいたのだが、残念ながら今年の中1には効かなかった。

最近でこそ、いろいろな学校で習熟度クラスが行われている。しかし、以前は一部の私立学校でしか行われていなかった。『差別的』というのが、大きな理由だろう。当時私は、「その生徒の学習度合いに沿った授業を行って、分かる授業が展開できるのに、どうしてそれが差別なのだろう。」と思ったものだ。「一律一斉授業こそ平等なのだ。」と、皆が信じていた時代があったということだ。分からない授業を黙って座ってることは拷問でしかないので、生徒の実力差が大きい場合は、習熟度クラスに分けて授業をすべきだと思う。

一方、βやγクラスの生徒は、
「先生、俺、上がれますか。」
と、来る。私は彼らの採点をしていないので、何点取ったか分からないので、
「まぁ、代数も幾何も90点以上だったら、クラスが変わる可能性が高いと思うよ。」
などとはぐらかす。

クラスが上がるということは、「まだ習っていない部分が、すでに授業では終わっている」ということが起こる。実際今年の中1では、αクラスは連立方程式が終わっているが、βクラスはこれから学習するし、中2に至っては、αクラスは二次関数と三平方の定理が試験範囲だったが、βクラスは因数分解と平方根の計算、相似分野だった。となると、クラスが上がると、勉強していない分野があり、これをどこかで授業以外で補講してしなければならない。

ちなみに、私の学校では習熟度別で試験問題も違う。以前は50%の共通問題があったが、今はそれもない。完全に独自の問題である。αクラスは高校で一年の前倒しを目指しているので、学年内容だけ学習しているγクラスとは、それこそ世界が違う。なお成績は、多少の妥協もあるが、保護者から求められても、納得してもらえる方法で、うまくつけている。

「γクラスに落ちちゃうかも〜。」
などと、αクラスの生徒が叫んだ。

勉強が進んでいる者の何気ない言葉が、他の人を傷つけてしまうことがある。だから、たとえ本心であっても、言葉を慎まなければいけないことがあるということだ。「何だ、こんな問題も解けないのかよ。」という類いと同じである。だから、αクラスで学習してるならば、そうした他の人への配慮あってこそのαクラスであって、当然その義務が生じる。

中学生に求めるのは難しいのかも知れないが、私は妥協せず、ずっと言い続けている。
「αクラスにいるということは、相応の責任が伴うんだよ。」
と…。

2018年10月12日

初めての時間割係

最初に専任として勤めた学校の校務分掌は教務の時間割係だった。
時間割係には大きく二つの仕事があり、一つは年間時間割の作成。もう一つは、日々の自習監督の割り当て。その学校では、補充授業と言っていたが、要は、「休んだ先生の代わりに自習監督を割り当てる」というもの。

休みの先生の時間割を見て、その時間空いている先生を探し、その先生に補充をお願いする。必要があれば、時間割を入れ替え、同じ教科の先生が担当できるようにする。新人で、先生方の顔と名前が一致していない中、この仕事は結構重たかった。

「数学科卒なのだから、時間割のコマを動かすのはお手のものだろ。」
などと持ち上げられてこの時間割係についたのだが、当時、「○○先生お休みです。」という連絡が怖かった。

時間割表を見て、「さっと」監督の先生を決める。そして、おそるおそる
「○○先生、大変申し訳ありませんが、□時間目、補充をお願いできませんか?」
と交渉。

「俺、嫌だよ。今日は忙しいんだよ。」

そう、言われると、若い私はなかなか押し切れず、次の候補を探す。
「この間やったばっかりじゃないか。俺ばっかり頼むなよ。」
などと、怒られることもあった。

だから、私は、誰が何回補充をしたかを一覧表にもした。
「今月は初めてです。」
と押し切る。

その後、この補充には手当がつくようにもなった。

この仕事は、担任になるまで何年間か続いたが、慣れてきた頃は、
「○○先生」
と言うだけで、OKや拒否が分かった。

「大変だね。みんなに頼んで回って…。」
と言って下さる先生もいれば、
「4限はだめ。家に帰ってお昼食べるから…。」
「その時間は病院。ボク定期的に病院に行かないと、死んでしまうんだ。」

などなど、あり得ないような理由が認められていた不思議な学校だった。

後に、時間割係は、年間の時間割を作る時間割作成係と、自習担当を決める補充係に分かれ、私は補充割り当ての方からは解放された。

もしかしたら、若手の教育のために、私をあえてこの仕事につけたのかな、 と思う。
すぐに全先生の顔と名前が一致したし、性格も把握できたし、声のかけ方も工夫することができた。
いずれにせよ、鍛えられたことは事実。
苦しい仕事でも、実になるものはある。

「えーまた俺ですか?」
などと言いながらも、その後ニコッと笑って、
「大丈夫、大丈夫。稼がなきゃね。」
と、引き受けてくれるようになった頃、この分掌から外れた。

先輩諸氏は、コミュニケーションとして一言を加えていたようだが、当時は、そんな風には思えなかった。
「一言余計なんだなぁ…。」

若手への言葉かけ、気をつけねば…。

2018年10月11日

試験監督の心得

「定期試験は、生徒の人生を決めてしまうほどの重要な試験です。先生たちも、試験監督に専念してください。」
今朝、教務主任が朝の打ち合わせで叫ぶ。

以前勤めた学校では、ある時、教室から先生用の椅子が撤去された。
「先生が椅子に座って寝ている。」
と、生徒からの訴えがあったからだ。
その学校は、どちらかというと年配の先生が多く、そうした先生たちが、授業中やら、自習監督、考査監督のときに、椅子に座っては寝てしまっていたのだ。

「『○○先生のいびきが気になって、試験に集中できませんでした。』と、子供が言っています。」
という連絡が入ったのだ。

考査監督中、監督の先生は、
「寝ないでください。」
「本を読まないでください。」
「携帯を使わないでください。」
「別の作業をしないでください。」

こんな風に書き出すことすら恥ずかしく感じる。

しかし残念ながら、どこの学校にも、程度の差はあれ、こういう先生は存在する。

不正行為を防ぐためにも、監督者の強い思いは必要だ。
「絶対にカンニングさせない。カンニングしたくなる雰囲気を作らない。隙を作らない。」

よく、「魔が差した」などと言うが、教員が生徒に隙を与えれば、カンニング等の不正行為は起こりやすくなる。

決して慣れることなく、毎試験で、学校全体として、不正行為を許さないという雰囲気を作ることが抑止力になるのだ。

私が教員に成り立ての頃、試験監督中に、
「自分の監督中に、このクラスからカンニングする生徒が出たらどうしよう。」
などと、緊張して時間を過ごしたものだ。

当時のそのときの高校は、ペナルティとして、全科目0点で、一週間の停学が課せられた。

さすがに現代は、ここまで厳しくないだろうが、当時は厳しさによる抑止効果を狙っていたのだろう。

「正々堂々試験を受けなさい。分からないなら、白紙で出すくらいが潔い。」
時々私は、生徒にこんな話もする。

一方で、昨今の不正行為は、プレッシャーによるものが多いようだ。

親や教師のプレッシャーが、本人を追い込み、「どうにもならない心の状態」にまで陥ると、いわゆる「魔が差す」ことが起こる。

答案は、これまで勉強した成果を示す自分の作品。

緊張の中にも、堂々と試験を受けさせたい。

三角形の合同条件の文章

昨日、使っている中高一貫用教科書の編集者であるMさんが来校した。
Mさんとは、もう10年以上のおつき合い。一年に一回くらいは、わざわざ私の勤める田舎の学校にお越し下さり、いろいろな情報をお持ち下さる。
ただ最近、お話ししていないので、健康状態を心配していたのだが、
「まだ、生きてますよ。」
と満面の笑顔で待っていてくださった。

今回Mさんは、『三角形の合同条件』について調べてきて下さった。
実は、この教科書には、
 3辺がそれぞれ等しい。
 2辺とその間の角がそれぞれ等しい。
 1辺とその両端の角がそれぞれ等しい。
と書かれている。
ところが、昨今の検定教科書は、
 3組の辺がそれぞれ等しい。
 2組の辺とその間の角がそれぞれ等しい。
 1組の辺とその両端の角がそれぞれ等しい。
とある。

公立中学校では、教科書通りに覚えさせているので、この件に関して、どうお考えですか、という問い合わせをしていたのだ。

ちなみに私は、検定教科書通りで指導している。(三角形の合同条件を覚える

結局いろいろと調べて下さったけど、結論は出なかった。
要は、重鎮の編集者が、「どうでもいいんじゃないの?」と思っているのである。
確かに、大昔は「三辺相等」、「二辺夾角相等」、「二角挟辺相等」と言っていた。
実は、検定教科書でも、「3組が…」がついたのは、教科書会社によってまちまち。教科書会社によって実に10年の時差がある。
「相似条件に引きずられて、○組がついた」、という説。
「それぞれを抜かしやすいから、○組をつけた」、と言う説。
「いや、○組とそれぞれは意味が重なるのではないか」というご意見。
いろいろとお聞かせ下さったが、結論は出ていない。

「公立学校からおいでになった先生からすると、大問題になるようだ。」
というお話はしておいた。また、さまざまな、模試の模範解答も、検定教科書と同じであることは、以前からお伝えの通り。

「模試で減点されることはないのではないか。」
と、Mさん。
「公立中学の定期試験では減点でしょうね。」
と、私。

「証明の中に、それぞれの合同練習について@ABと書くか」
「証明終わり? QED 何もなし?」
など、統一されていないことがらも多い。

しばらく、ややこしい状態が続きそうである。

2018年10月10日

「戦闘シーンが面白い」だと

桃花鳥(とき)が七羽に減ってしまったと新聞の片隅に
写りの良くない写真を添えた記事がある

で始まる、さだまさしの『前夜(桃花鳥 −ニッポニア・ニッポン−)』という歌に、次のような歌詞がある。

どこかの国で戦さが起きたと
TV(テレビ)のニュースが言う
子どもが実写フィルムを見て
歓声をあげてる
皆他人事(ひとごと)みたいな顔で
人が死ぬ場面を見ている
怖いねと振り返れば
番組はもう笑いに変わってた

さだまさしは、この曲で、ニッポニア・ニッポンという学名を持った日本産の『とき(朱鷺』の絶滅を危惧しながら、「この国の未来についても危ういのでは…」という問題提起をしています。(私の勝手な解釈)

今でこそ、戦争や紛争で、人が死んでいくシーンはテレビでは流れなくなっているが、以前は、結構悲惨なシーンが、お茶の間に流れていた。大戦を経験した日本人に、戦争の悲惨さを知らせるための、マスコミの一手段であったかもしれないが、その後「垂れ流し報道」は、規制されていく。

しかし今では、動画サイトで悲惨な実写シーンを見ることができるし、ゲームの世界では、毎日、戦闘と殺戮が繰り返させていると思う。

だから生徒も、そうしたシーンは珍しくなく、「殺さなければ殺される状況下」に慣れ親しんだためか、すぐに口をついて、「死ね」という言葉が飛び出す。

昨今の小学生は、挨拶代わりに「死ね」を使っているふしもあるが、この言葉は、日常の中で使ってはいけないと思う。

中には、戦闘シーンで人が死んでいく様をみて、ケラケラ笑う生徒もいる。
「何が面白いの?」
と、不満を込めて尋ねると、
「だって、人が死んでいくんですよ。血を流して、死んでいくんですよ。楽しいじゃないですか。」
と返ってきた。

「人が死んでいくことって、楽しいことなの?」
「俺は、苦しんで死んでいく姿を見るのが面白いんです。思わず笑っちゃうんです。」
だと。

さだまさしが憂えた日本。この曲の発表が1982年だから、もう36年経つ。

子供たちの心の中には、左翼思想の理想とは反対のものが、起こりつつあるのかも知れない。

試験前の人気者

試験直前になると、生徒たちは、先生に質問に押しかける。
私のような、厳しく聞きにくい先生ではなく、若手の優しそうな先生を目指して、
「先生、教えて下さい!」
と、アタックする。

何を聞いても叱られることない、若手の先生は、このときばかりはと生徒の人気者。
職員室前の一角は、そうした生徒と先生の一大サロンと化す。

「先生、どうしてですか? どうやるんですか?」
女子生徒に囲まれた○○先生も、まんざらでもなさそう…。

「俺は、試験前に、わざわざ質問なんか受け付けないんだ!」
退職された大柄の先生の言葉を思い出す。

「分からないことがあったら、授業中に聞けばいいんだ。そういう時間も取っている。」
とも…。

「だいたい授業に来てない奴に、どうして試験前にもう一回授業をしなければいけないんだ。」
教育のサービス業でもあるが、授業はほとんど休んで、家で寝ていて登校しないで、試験前だけ来て、勉強教えろ、というのも、ちょっと違うかな、と思う。
そういう生徒に限って、
「先生、ここ試験に出ますか?」
とくる。

「お前ら、試験に出ないと言ったら勉強しないのか。」
という思いが、ふつふつ湧いてくる。
私はこの質問は、試験直前は禁句にしている。

何だか、楽しそうに、若い先生と一緒に勉強している生徒は、結局、自分自身では勉強できないタイプなのだ。集中力も続かず、一人でもできず、友達同士で誰かの家に集まって、お菓子を食べながら、わいわい、きわめて非効率な勉強をしている様と、少し似ているかも知れない。

「ぎゃはははは…。」
彼らの笑い声が聞こえてくる…。
「おいおい、本当に勉強してるのかよ。」

「まずは、こうやって人間関係を構築していく方法もありかな…。」
と、昭和の老害は、ため息をつく…。
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