2018年10月31日

不幸の言葉

最近、中2男子の行動が目に余るので、朝の会でプレッシャーをかけてみた。

最近、返事も小さいし、発言もぼそぼそと話す人が多い。
しかし、その一方、自分の気に入らない事があると、大声で叫んだりする。
きちんと話さなければならないときは声が小さいのに、文句を言うときの声は大きい。
人を褒めるべき時は、しらけていて、人への不満は皆に聞こえるように言う。

何かおかしくないか。
自分の欲望のままに生きていないか。
周りのことを見ることなく、自分のことばかりを考えていないか。
動物的に、自分に都合の悪いことが起こると、かっとして、歯をむき出しにしているのではないか。

また、一人ではできないのに、徒党を組み、集団で他への非難をする。
みんなでやれば、罪が軽くなるという、いざというときの逃げの気持ちがあるのではないか。

さらに、5時間目には、次の校外行事に向けての学年集会があったので、もう少し具体的に話をしてみた。

反射的に出てしまう、不幸の一言が、周りの人を傷つけている。
例えば、「デブ」、「ハゲ」、「死ね」、…。

言った本人は、「何となく言っちゃったんです」、という。
「考えずに出ちゃった言葉なんです」、とも言う。
「深い意味はないんです」、などと逃げる。

しかし、その言葉によって、多くの人が傷つき、打ちひしがれ、悲しい思いをしている。
元気なときは、笑って流すことができることもある。
だが、その人が悩みの中にあったり、体調が悪く苦しかったり、解決できない問題を抱えていて精神的に辛いとき、その言葉を浴びせられたら、本当に傷つく。

「死ね」、の一言で、本当に自殺してしまう人もいる。
こういう人は、日本のみならず、世界中にいるんだ。
本当に自殺してしまったとき、君たちはその重みに耐えられますか?

「ふざけていたんです。」
「悪気はなかったんです。」
「冗談だったんです。」
「本気じゃないんです。」
と、どんなに取りつくっても、その罪は一生消えない。
そして、心に深い傷として残り、それを一生背負って生きていかなくてはいけない。

簡単に安易な言葉を発してはいけない。
反射的に、物ごとを考えずに、言葉を出してはいけない。
その言葉によって、どう周りに影響していくかを考えにうちに、不幸の言葉を言ってはいけない。

「死ね、とは絶対に言ってはいけない。」
と、入学の時から言い続けている。

しかし、未だに反射的に言ってしまう人がいる。
直せない人がいる。
そういう人は、自分をコントロールできない悲しい人だ。

マイナスの考えは、マイナスの結果を呼び込む。
不幸の言葉は、不幸を誘い込む。

そうした思いに、心を向けてはいけない。

悪魔のささやきに負けてはいけない。

心を整え、天国的な生き方をしよう。
呪いの言葉ではなく、祝福の言葉を出そう。

どこまで生徒たちの心に届いたかは分からないが、第一の矢は射った。












8人を2組に分ける方法は何通りか

中2の数学授業で、ちょうど組合せ(nCr)の基本が終わったので、残り5分で、
『8人を2組に分ける方法は何通りか』
という問題を出し、「時間が来たら宿題ね」、と言って考えさせてみた。


この問題は有名問題で、数研出版の数学Tの問題集4STEPの例題にもなっている。

解き方は二通りある。

一つ目は、8人を、1人と7人、2人と6人、3人と5人、4人と4人に分けて、その組合せを合計する方法。
この方法では、4人と4人に分けたときに、入れ替え分まで含めて余分にカウントされてしまうので、ここの部分だけ1/2にしなくていけない。

もう一つは、とにかくAとB2グループに分けてしまい、全部A、全部Bに入ってしまった分を引く。さらに、AとBの区別をなくして計算するという方法だ。

生徒たちは、両方の方法を見つけたようで、休み時間になっても、あれこれと議論していた。

授業中は、正しく計算できた生徒はいなかったが、おそらく考えているうちに、正しい値を導き出すことができるだろう。

場合の数の問題は、ある意味、発想の転換が必要になる。
授業で、先生が説明ばかりしてしまえば、生徒はそれに気づくことなく、ただ例題の解法暗記になってしまう。だから、こんな宿題も時には面白い。

授業中、
『男子6人、女子4人から4人を選ぶとき、少なくとも1人女子が含まれる選び方は何通りか』
という問題を解いた。

その時、9C3で求められないか、という解答があった。

実際は、余事象で解く。「『全員男子』ではない」と考え、全体から全員男子の場合を引く。
または、女子が1人のとき、女子が2人のとき、女子が3人のとき、女子が4人のときを、それぞれ求めて合計する。

どう考えても良いのだが、大切なことは、
『要するにどういうこと?』
という自問自答をすることだ。

かつて私が高校3年生だったとき、予備校で寺田文行氏の講義を受けたことがある。

そのとき、
『〜とは』
を考えよ。と、何度も強調されていた。

つまり、この場合で言えば、「少なくとも1人が女子であるとは…」どういうことなのかを、自分の言葉で翻訳せよということだ。

この変換ができれば、場合の数は怖くない。
思い込みの勘違い以外は…。

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posted by 丹澤三郎 at 19:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 数学

生徒たちが愛おしい

授業を受けていると、まあまあ得意な科目と、そうでない苦手な科目に分かれがちだ。
試験前でも、苦手科目は、ついつい後回しになり、結局、大した点数を取ることもできずに、さらに苦手意識が増大する。
そこで、『苦手科目を克服するために、この先自分が何をなすべきか』、を書いてもらった。

まずは、「自分を見つめる」ことから始まる。
自分の苦手科目は何か。そして、その苦手科目はいつから、そうなってしまったのか。
苦手科目に対して、自分はどのように授業や勉強に取り組んでいるか。
課題提出や、授業参加などは、どうか。
こんなことを考える。

そして次に、「自分はこの苦手科目をどうしたいのか」、について考える。
このまま苦手科目のままでよいということはないだろう。
また、この苦手科目を、いきなり得意科目にすることも、並大抵なことではないだろう。
しかし、自分は将来、この苦手科目をどう克服していきたいのか。
最終的な理想像は、どんな姿なのか。
そうした未来ビジョンを思い描く。

次に、この「苦手科目に、この先自分はどう取り組んでいくか」、について思いを巡らす。
具体的にどのような努力を重ねていくつもりなのか。
勉強の仕方で、どう工夫していくのか。
少しでもこの科目の勉強を進め、理解し、分かるようになるために、自分はどうすべきなのか。
などと、考える。

これらを誓願のような形で、記入し提出するという訳だ。

しーんと静まった教室の中で、穏やかなバックミュージックを静かにかけながら、20分ほど記入の時間を作った。

そして、書き上げた人から順次提出。

その一人ひとりの姿は、誇らしく見えた。
人は、目標を明確にし、努力すべき具体的な項目が見つかると、爽やかな気持ちにすらなる。

生徒たちが心を込めて書いた、思いを込めたものを提出する姿を見て、私は、生徒たちが愛おしく思えた。

これまで、中1から中3までの持ち上がりで何度か、担任を務めている。
今の学年は、なかなかこうした『愛おしさ』を感じなかったのだが、今回、とても強くそうした思いに駆られた。私も歳をとってきた、ということだろうか。

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2018年10月30日

意識を飛ばす

「先生、ハサミを返して下さい。」
「だってまた、傷つけるんだろ。」
と、一度は渋って見せた。
「もう、しませんから…。」
何度もハサミで自分の腕を傷つけていたSさんが、職員室の私の元を訪ねてきたのは、もう二週間くらい前になる。

彼女は、時々意識を飛ばす。
自分の中に他の人格を入れ、自分でない者に身体を支配させるのだ。
宗教的には、自覚的に他の霊を憑依させるということになる。

だから、時々、
「先生、先生、またSちゃんがおかしいです。」
などと、Sさんの友人が、あわてて職員室に駆け込んでくる。
自分では、こうした危険な遊びはやってはいけないことだとは思っているのだが、疲れたときや体調不良のとき、あるいは生理の時などにやってしまう。

別の人格になった時は、自傷行為をする。
最近は、自分の足首に傷をつけ、何十もの切り傷をつけた。

勉強が遅れることを、極端に嫌うので、何日も学校を休むことはないのだが、しんどい時には、わざと意識を飛ばしているようだ。

本人は、別の人格が支配しているときでも、記憶がある。本当の自分の意識がそばにいる。

私の見立ては、『現実逃避』なのだが、心の奥底には、解決し切れていない悩みを抱えているのかも知れない。

呼び込んでいる別の人格、支配している者がおとなしいものであれば、まだよいのだが、これが、自殺をした霊になった場合は、衝動的に同じ方法で自殺する可能性があるので、極めて危険だ。

「逃げるな。自分自身と立ち向かえ。」
と言いたい。だが、まだその重みに耐えられるまで回復していないのが苦しいところ。

必ず良くなる。必ず解決する。必ず自分自身の力で立ち上がる。

そう願って、信じて、祈っている。












理科部の生徒たち

「丹澤先生、理科部の子たちに指導してくださってありがとうございました。昨日は、たくさん集まりました。」

今朝出勤すると、理科部の顧問のI先生から過分の言葉を頂いた。

「いやぁ、何にもしてませんよ。」
謙遜ではない。本当に何もしてない、に等しいのだ。

先週、I先生が、
「よくサボる○○と△△と□□も声を掛けて下さい。」
などと言うものだから、土曜日の帰りの会に、理科部の三人に声を掛けたのだ。

このところI先生は、毎週のように放送をかけて、理科部の部員を呼び出していたので、少しでもお役に立てばと思ってのことだ。

ところが、やっぱり奴らはサボった。

だから昨日の帰りの会では、クラスに6名ほどいる男子の理科部員を立たせて、説教をしようとした。

「週3回しか活動してない文化部ですら、毎回参加できないというのは、そんなに面白くないということなのか? だったらやめちまえ。そして、他の部に変わればいいじゃないか…。」
私の学校では、退部時には、次の部への入部が義務づけられている。

そう、穏やかに話し始めたのだが、あまりの軟弱さと、いい加減さと、情けなさに、次の言葉が出なくなった。だから、6人は、立たされたままで、クラスはしばし沈黙した。

激しく叱責するわけでもなく、懇々と語るわけでもなく、ただの沈黙。

そして、そのまま数分が過ぎ、私は終わりの会を終えてしまった。
ただそれだけだ。

また昨日は、私の部活帰りに、理科室から叫び声が聞こえたので、ちょっと覗いてみた。
すると、何やら塩ビパイプで、段ボールを叩いて潰していた。
私には、何をしているか理解できなかったが、教室にいたI先生が、
「今日は、来てます…。」
と言うものだから、私は意味不明だったが、退散。

今日になって、その生徒に
「昨日のアレは、ストレス発散か。」
と尋ねると、「そうだ。」と言う。

やっぱり身体を動かした方がいいんじゃないかな。
発達期で、エネルギーのあり余っている中学生は、運動した方がいい。
週何回かの体育の授業だけでは足りないと思う。
「このまま、だらだら生活して、強靱で健康な大人になれるのだろうか。」
と、思う。

本当は彼らは、面白くないのでも、嫌なのでもない。ただ、面倒くさいのだ。
「面倒だから、行くのやめようぜ。」
と、お互い誘い合って、集団でサボる。
一人ではサボれないくせに、仲間を増やして、自分の罪を軽くしようとする。

暇さえあれば、スマフォをいじっているか、PCで動画を見ている。
ゲームをしているのかも知れない。

奴らの軟弱さには、あきれるばかりだ…。












お城で聞いた合唱

遠足で、会津若松の鶴ヶ城を見学。その天守から下りて、いよいよ、ボランティアガイドの案内が始まろうとした頃、水色のジャージを着た一団がやってきた。

初めは号令をかけて、バディのように番号を叫んでいたので、遠足の点呼かな、と思っていたが、そうではなかった。
彼らは、スタンバイすると、突然歌い出したのだ。
それは、混声四部のとても美しい歌声だった。

「城址で合唱するなんて、面白いな。」
遠く聞こえてくる歌声に耳をそばだてる。
見ると、次々とメンバーが替わり、歌っている。

「先生、あの人たち高校生ですか?」
私のそばの生徒が尋ねてきた。
「いや、ジャージを着ているから中学生だよ。でかいね…。」
遠目に見ても、体格の良いのがよく見えたのだ。

引率の音楽の先生に、
「ちょっと見てきて下さいよ。」
と、偵察を頼むと、それは地元の中学3年生だった。
一週間後の合唱コンクールに向けて、わざと声の響かない野外でリハーサルをしておこう、とやってきたのだ。

しかし、そのクオリティの高さは半端ではなかった。
ハーモニーはもちろん、その声量、発声、そして立ち居振る舞い、すべてが中学生のレベルを超えていた。男子も女子も、その声は高校生レベル。

見に行ってくれた音楽の先生、
「前任者がNコン(NHK全国学校音楽コンクール)常連なんだって…。」
前任者ってことは、もうその学校にはいない、ってことか。ちゃんと文化が引き継がれているようだ。

「うちの合唱部でも、あの声は出せないんですよ。私も勉強しなきゃ。」
と音楽の先生。
「連絡を取って、教えを請いたい。」
とも…。

平日の午後とは言え、観光客も多かったので、彼らの歌声に足を止め、聞き入った方も多いだろう。
なかなか洒落たイベントだ。

歌い終わると、彼らは、学校に戻って行った。学校は歩いて帰ることのできる距離にあるようだ。

鶴ヶ城址には、『荒城の月』の碑もある。ガイドさんの説明によると、全国三カ所のうちの一つだそうだ。

会津戦争によって破壊され、平地にされた城跡を、土井晩翠が訪れ(仙台の青葉城とともに)、作詞したという。

「あの名曲の詞ができたのは、この地であったか。」
と、以前訪れた青葉城ともに思いを馳せる。

学校の外に出ることでの発見は数多い。













2018年10月29日

授業、うまくいっていないの?

出張の先生の授業が空いたので、学活にして『合唱コンクール』の練習をしようと、音楽室の使用を打診したら断られた。

音楽の教員は、私のクラスの副担任で、席も隣。
昨年は少しトラブルもあったが、今年は仲良くしている。

「音楽室は空いてますか?」
と尋ねると、
「あの子たち、『練習しない』って言っていましたよ。」
と反駁。
「いや、私が練習させるんです。」

どうやら、先週、せっかく好意で「合唱練習しますか。」と問われたにもかかわらず、生徒たちが断ったらしい。

だらしのない行動をとり、提出すべき書類も出さず、歌詞の張り出しも作らず、などなど、やる気が見えなかったのも音楽の先生がへそを曲げた原因だ。

「あの子たち、やる気ないですよ。」
とも言う。
適当にはぐらかして、
「それでは、音楽室ではなく、別のところで練習します。」
と、紳士的に折れてみた。
すると、
「音楽室は次の中1の準備をするから使えません。あの子たち、先生の言うことは聞くんですね。」
と、捨て台詞を吐いて去って行った。

その時間の初めに、クラス全体に話をしてみた。
「音楽の授業はうまくいっていないんか?」

すると、一人の男子生徒が、
「先週の土曜日はできていました。」
と言う。

確かに、男子たちはだらだら、やる気がなさそうに、大して声を出すでもなく、うだうだしている。
その姿を見れば、
「自分たちで、やろうという気持ちがないクラスの面倒を見たくはない。」
という気持ちは分かる。

私が少し話をして、パート練習。

ほとんど口を出さなかったが、結構一生懸命やっている。

「やるときは、きちんとやらないと。やる気がないように見えると、損するよ。」
そう、諭してみた。

まだまだ、仕上がりにはほど遠いが、少しずつ男子も声を出すようになってきた。
女子も、何度かパート練習をすると、いい声になる。

まだまだ伸びしろはある…。

彼らを信じ、励まし、時にお尻を叩きながら、もう一踏ん張りしてみよう。













思いを切らさない

お隣クラスの担任のH先生。先週は体調不良で、辛そうだった。
しかしそんな時、どうしても「クラスへの思い」がいつもよりは薄くなる。
すると、途端にクラスにほころびが出る。
「先生、合唱練習がうまくいかないんです。」
と、女子生徒が泣きながらやってきたりする。
「私が、体調不良だから、いろいろ起こるんですね…。」
と、一言。

一方、バスケットボール部。
土曜日に一年生大会があり、新人の先生が引率した。
ところが、引率教員は、登録の教員ではなかったため、運営本部からお叱りを受けた。
登録した教員は、二人とも学年行事の出張。代理で引率した先生の名前は、メンバー登録用紙には記載されていなかった。

だから、登録教員になりすましての大会参加。「どうにもならないので、そうしなさい。」と大会運営本部のご指示だそう。

合わせて、選手も変更になっていた。だから、別の生徒が大会に行ったのだが、このメンバー登録(正確にはメンバー変更)もなされていなかった。本当ならば、試合に出場できないのだが、元のメンバーとして(なりすまして)、試合に出してもらったとのこと。

さらには、登録のメンバーと背番号が合わず、これまた、別の職員が、大会会場に届けるという始末。登録用紙の番号を間違えて記載したというミスだ。

すべては、顧問の手続きミスだ。だが、その原因は、この試合に思い向けていなかったことによる。
代理を頼むなら、周到な準備をして、何度も何度も確認した後に、他の先生に頼まなければならないのだが、ちょっと準備不足だったようだ。
と、共に、
「引率できないから、頼むね。」
などと、その重みを認識することなく、別の引率に出かけてしまったことに、その原因がある。

教育活動中は、思いを切らしては駄目だ。
ちょっとした油断や隙、ミスが、大きな事件の発端になる。

だから、行事が重なるときは、特に注意。
そして、これからの季節、体調を崩し、肉体的にも精神的に弱っているときも、要注意。

何があろうと、思いを切らさないのが、プロの仕事だ。
かく言う私も、先週末から喉が痛くなった。風邪の初期症状かも知れない。
症状には波があるが、ここ数日、薬に頼った生活をしている。

そんなときだからこそ、
「絶対に思いを切らさない!」
と、決意を新たにする。

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2018年10月28日

遠足は土曜日がいい…

金曜日に遠足が行われた翌日、中1の学年主任が声を上げた。

「中1は体力ないから、翌日が休みの土曜日に遠足を実施して欲しい。」
と言う。

今年の遠足では、各校とも遠足が重なり、なかなかバスの手配ができなかった。
それに、現地でも遠足だらけだったのだろう。
金曜日に遠足をしているのは、公立校では土曜日が休みなので、ちょうど良いのだろう。

「でも、土曜日だと、観光地は混雑してしまう。交通渋滞もある。団体での昼食の予約もしにくいかもしれない。それより、大会と重なってしまう可能性が高いですよ。」
と、お答え申し上げた。

「今日は4時間授業で良かったね。遠足が水曜日だったら、翌日は7時間授業だから…。」
私は、遠足の翌日、そう教室で生徒たちに話をした。

遠足については、いずれ、教務で検討されることになろうが、
「生徒が疲れない企画にしたらどうだ。」
「暗くならないうちにもっと早く帰ってきなさい。」
などと管理職に指摘されそうだ。

どんな行事をするにしても、中学校経験の長い先生は、中学校カルチャーで、教育活動を考える。
一方、高校経験しかない先生は、高校カルチャーでものごとを判断する。
だから、中高同時の行事企画は、たいてい揉める。

教務内勤は高校仕様。中学生でも授業中、保健室にいれば欠課だ。留年だってある。

中学校の遠足は、班編制一つ考えても、その中に教育活動がある。
また遠足後、班ごとに、そのまとめが行われ、教室や廊下に掲示される。
しかし、高校では、「ああ、楽しかったね。」で、終わりだ。

「中学では、一つひとつの行事が、準備からまとめまでを行う、大切な教育活動なのだ。」
と考え、気合いを入れて遠足の企画運営を行うが、高校の先生にはそうした思いは少ない。

「だいたい行事が多すぎるんだよ…。」
と、事務長。
「業者を使いたいくらい大変なら、行き先を変えて、企画を縮小しなさい。」
と,教頭。

どんどん話が逸れていく。
同じ土俵で話ができないのは、何とも悲しい…。

だから、
「中学生も6時間半くらいの睡眠時間で大丈夫でしょ。」
などと、スケジュールが組まれそうになったりする。

まだまだ黙っていられないな…。

秋空の下で

急に合同練習がなくなったので、自チームだけの野球練習。
今日は朝から秋晴れ。もう朝は10℃以下まで気温が下がる。それでも、日が照ってくると、太陽の光が暖かい。

いつもは、昼には練習を切り上げ、すぐに学校に戻るのだが、今日はグランドのある公園で、皆でお昼を食べることにした。

片付けを終え、グランド整備をして、着替えたあとに、暖かいお弁当を調達。
秋空の下、ワイワイ言いながら、楽しくお昼ご飯を頂く。

静かな公園は、自然の音しか聞こえてこない。
風で木々が揺れ、紅葉した葉が舞い降りる。
時折、野鳥が甲高い声で歌っている。

「至福の時間だな…。」
そう、私がつぶやくと、コーチをしてくれている高校生も同意してくれた。
自然の中で、とても気持ちがいいのだ。

「明日の授業もなければいいのに…。」
と、高校生。

私の学校の休日は日曜日だけなので、日曜日の夕方になると、何となく月曜日を迎えるのが憂鬱になる。いわゆる『サザエさん症候群』だ。

一方、中学生はいたって元気だ。
練習が終わると、おそらく、皆で買い物にでも出掛けるのだろう。

私も以前は、日曜日も終日練習にしていたが、最近は試合でもない限り、午前中で終わる。
「自分の体力が落ちてきて、休日の終日練習が辛くなった」、ということもある。「部員が少ないので、できるメニューが少ない」のも理由。しかしそれよりも、「長く練習しても、それほど効果は変わらない。」ということを知ったのだ。何年もかかったのだけれども、今では確信している。

昼になると、まだまだ強い日差しが注いでいる。それでも20℃には達していない。
「先生、バナナの皮、山に捨ててもいいですか?」
「だめー。」

時々、練習中に旬の果物をおやつに出すことがあり、その皮を自然に帰したことが原因だ。

「先生、汁はどうすればいいですか?」
「それは、山に返していい…。」

なんか矛盾しているな、と自分でも思っていると、コーチの高校生が、
「自然破壊じゃないですか?」
と言う。

「そんなに自然は柔じゃない…。」

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