2018年09月30日

『あんまり頑張らないで。でもへこたれないで』

今日30日、9月15日に亡くなった女優、樹木希林さんの葬儀、告別式が行われたそうだ。

樹木希林さんは、私が一番好きだった女優さんだった。

彼女が、7月にインタビューを受けたとき、
『あんまり頑張らないで。でもへこたれないで』
というメッセージを伝えていた。

「頑張り過ぎてたら、疲れちゃって、苦しくなって、辛くなっちゃうから、そこまで頑張らなくていいんだよ。でも、負けちゃだめ。へこたれちゃだめ。あきらめちゃ駄目。」
と、語っているようだ。

『どうぞ物事を面白く受け取って…愉快に生きて』
とも、伝えているので、
「物事をポジティブに考えて、それを逆にプラスに考えて欲しい。」
というお考えのようだ。

私は、この言葉を聞いて、樹木希林さんが「全身がん」でありながら、女優を通して、見る人に、演技を通して愛を与え続けた、生涯現役人生を送られたのだな、と感動した。

そして、この言葉は、不登校で苦しんでいる生徒へのメッセージにも聞こえてきた。

教師はしばしば、悩んでいる生徒、苦しんでいる生徒に対して、
「頑張れ。」
という声をかけがちだ。

彼らが十分頑張っているにもかかわらず、さらに
「頑張って。」
と声をかける。

「私はこれ以上、何を頑張ればいいの…。」
となる。

「頑張って、学校、行こうよ。」
「頑張って、教室、入ってみない?」
「頑張って、遠足、行ってみない?」
「頑張って、テスト、受けようよ。」

我々教師は、時に、こんな言葉を書けていないだろうか。

おそらくは、教師側の
「全員が投稿してくれ。」
「長欠による空席は作りたくない。」
「全員で行事に参加させたい。」
「テストを受けないと、成績処理が面倒。」
などという、独りよがりの思いだ。

『あんまり頑張らないで。でもへこたれないで』
という樹木希林さんの言葉は、深く、重い。

「へこたれないで」の部分を、どう生徒に伝えるかが、ポイントだろう。

自分の姿を通して、人生の生き方を示して下さった樹木希林さんのご冥福をお祈りしたい。

部活の卒業アルバム

私は部活動の様子を、けっこうこまめに写真に記録している。
中学一年生で、入学したての小さく、初々しい幼顔が、中学三年の最後の夏の大会の頃になると、身体も大きくなり、日焼けした精悍な顔立ちで、堂々とプレーする。

こうして撮りためた写真を、卒業時にアルバムにしてプレゼントする。
言って見れば、『部活の卒業アルバム』だ。

最近は、格安で簡易アルバムが作る方法がいろいろある。

試合の動画を編集して、DVDにしてもよいが、動画の編集はかなりの時間がかかる。
私も、写真をズームしたり、パンしながら、動画のようにして、クラスや学年でDVDを作ることもあるが、一番手間がかからず、さっと作れるのが、『フォトアルバム』だ。

先輩たちとの思い出、
負けて悔しかった試合、
ひたすら練習したあの暑い日、
みんなで一日中やり続けたグランドの雪かき、
そして大会、

などなど、三年間の間には、たくさんの思い出に残る出来事があるだろう。
それを、できるだけ写真に残しておく。

実際には、使用する写真をWEB上にアップデートして、あとはレイアウトするだけ。
簡単に部活アルバムが作れるのだ。

私は、フォトブック作成サービス cocoal(ココアル)という商品を使っている。
少しお高いが、私製品とは思えないような、立派な『部活の卒業アルバム』が作れる。
時々、半額サービスもやっているので、その時期を狙って制作するのもよいと思う。
しばらくは、WEB上に作ったアルバムを保存しておけるので、セールになった時に発注するといい。

Just MyShop(ジャストシステム)

経費をどこから捻出するか、という問題もあるだろうが、絶対に教員でしか撮れない写真が満載となるので、保護者からは絶対に喜ばれるプレゼントになるはずだ。
私の場合、これまでのご迷惑への謝罪と、生徒を預けて下さったことへの感謝だ。

一度お試しあれ。
posted by 丹澤三郎 at 09:21 | Comment(0) | 教育活動

校長先生のお言葉

新人戦を運営していると、各校から校長先生が訪れる。

選手たちを励まし、応援するのだ。大会の雰囲気を少しでも生で感じようと、見ておきたいという気持ちもあるだろう。
たいてい各部とも日程は重なっているから、各校の校長先生は、大会スケジュールを見ながら、各会場をはしごする。

生徒たちも、校長先生が応援に来てくれるのは、普段と違う自分たちの姿を見てもらえる嬉しさと共に、「自分たちが学校を代表して戦っているのだ。」という自覚を促す意味でもよい。
ほんのちょっとした一声で、生徒たちは励みになるし、「もっと頑張ろう。」という気持ちになる。

もう一つの効果は、顧問の先生へのねぎらいである。

部活動はそんなに楽な仕事ではない。
仕事だと思えば、ほとんどボランティアだと苦しくなる。
「生徒たちの笑顔と成長、そして彼らの感動と喜びのために」、という思いが、部活を指導する側のモチベーションになる。さらには、校長の理解と協力、そしてねぎらいの言葉である。

昨日の大会は、途中から雨となったので、ある学校の校長先生を屋根のある所へ促した。すると、
「いやいや、運営していただいている先生の方が大変なんだから、先生がそちらへ入って下さい。」
と、私を押し戻した。

部活指導も大変だが、大会運営はもっと大変だ。
失敗は許されないし、大勢の保護者との対応もある。その中で、生徒がらみのいろいろな事案も起こる。
それを、さりげなく励まし、感謝の言葉でねぎらってくれるのが、実は校長の一言だったりする訳だ。

「自分の若いときは、あんなに動けなかったな。今の先生たちはすごい。さすがです。」

「すばらしい大会運営で、本当にありがたいです。これからも私のできることは何でもしますから、遠慮なく、何でも言って下さい。」

「本当にお疲れ様です。今夜はゆっくり休んで下さい。」

何気ない言葉の奥に、愛の思いがこもっていると、
「また、頑張ろう。」
という気持ちが再び湧いてくる。

一方で、私の学校の校長は、地区大会に顔を出したことは一度もない。
posted by 丹澤三郎 at 09:03 | Comment(0) | 教育活動

2018年09月29日

負け審

台風の影響で雨が心配された新人戦二日目。
私のチームは、昨日敗退しているのだが、そのチームの監督(顧問)は、翌日の試合の審判をしなければいけないことになっている。いわゆる「負け審」である。

という訳で、今日も朝から球場に赴く。
この地区の中学野球の試合開始は通常は8時半だが、今朝は、雨の心配があり、早めに始めようとのことで、8時から試合が開始された。つまり、その5分まえには、選手が整列することになり、アップだの、グランド作りがあるので、第1試合のチームは6時半頃には会場に着いている。今朝の我々審判部隊の集合時間は7時であった。

野球は、一回の試合に、4人の先生が審判に入るという、贅沢なスポーツだ。
7イニングまでだが、試合時間も通常は一時間半ほどかかる。

この審判にしても、野球経験の少ない先生が顧問になると、とても大変だ。そういう人でも、審判を経験することになるからだ。

もちろん、審判方法を習得させる指導者講習会なるものもあるのだが、それだけでできるようになるものではないので、日頃の練習試合などを通して、研鑽を積むしかない。

気合いの入った公式戦、両校の保護者が興奮して応援しているなかで、訳の分からないジャッジをすうものなら、ものすごいプレッシャーを受ける。

選手(生徒)は審判の判断に従わなければならないことになっているので、異議を唱えることが禁止されているが、試合をしている監督は、ジャッジについて尋ねることはできる。
「今のは、どういうことですか。」
と紳士的であれば、よいのだが、中には、チームの選手を鼓舞するために、あからさまに審判のジャッジを責め立てる人もいる。

そうでなくとも、試合後、先輩からお叱りを受ける。

そんな洗礼を経て、野球の審判技術を習得するには、何年もかかるだろう。
中学野球では、試合に出ることと、審判をやることは直結しているのだ。

私だって、かつては、かなり苦しい時代を過ごした。
自信をもってジャッジするのは、そう簡単なことではないのだ。

今日の試合は、県大会出場校が決まるという責任重大の試合。
試合中は、いろいろなプレーが起こりが、それを4人の審判が連携を取りながら、ジャッジしていく。
次にどんなプレーが起こる可能性があるかを予想しながら審判を務める。
しかし、それでも予想外のプレーが起こることもある。だから、審判は面白い。
ただ、一瞬たりとも集中を切らせないので、けっこう気力と体力を使う。

その上、審判をやっていると、野球にどんどん詳しくなっていく。
各チームの作戦もよく分かる。
多少大変だけど、それが、「生徒に還元できるなら、よいかな。」と思う。

人には得意、不得意があるので、誰もができることではないとは思うが、新しいことにチャレンジしてみると、違った人生が拓けていくものだ。

中高時代は、「野球は絶対に無理…」、と思っていた私が、野球を教え、審判をしている。
人は変わっているのだと思う。

甲子園に出る学校の監督だって、全員が野球経験者ではない。
posted by 丹澤三郎 at 21:54 | Comment(0) | 教育活動

返却された背番号

合同チームを組んでいるO先生のクラスにはA君という不登校の生徒がいる。
中一の頃から不登校傾向が続き、今ではほとんど学校に来られない状況。
だから、週に一度、先生たちが家庭訪問し、学校まで連れてくる。

不登校の原因は、複雑なご家庭事情。
祖母に育てられ、両親とは一緒に暮らしていないそうだ。
思春期になり、状況が理解できるようになっても、「両親に捨てられた」と思っているのだろう。
こうした特殊な経験は、どうしても社会性の面で不適応を起こしてしまう。

学校に来ても、保健室で過ごし、給食を食べて帰っていく。
公立学校なら、これで登校扱いになる。

実は、A君は野球部員でもあり、今回の新人戦でも背番号を与えていた。

いよいよ、明日が新人戦という日に、家庭訪問の保健室登校。その時、背番号が本人に渡された。
しかし、A君は背番号を受け取らなかったようだ。

野球はそこそこ上手で、「野球には自信を持てるから。」、との配慮で、練習にも出てきていないA君に背番号、しかもチームの末尾でない番号をきめたのだが、その背番号をつけて、学校に来ることはなかった。

O先生が、試合前日、職員室に戻ると、先生の机の上に、A君に渡した背番号が置かれていたそうだ。

机の上の背番号がすべてを語っている。

試合当日、O先生が興奮気味に、事のいきさつを話したことも納得できる。

「でも、わざわざ背番号をO先生の机の上に置かなくてもいいんじゃないの?A君が自分で返した訳じゃないでしょ。」
と同情した。
「家庭訪問に行った先生が、置いたのだと思います。」
とO先生。

野球の世界にとって、背番号には重みがある。
その番号で、どのポジションかも分かるし、レギュラーかどうか、上手下手までがその番号に象徴されてしまう、とても大切なものだ。
私は、それを、机の上にそっくり置いてしまうというのも、配慮が足りないのではないか、と思った。
その背番号を見たときの、O先生のショックはいかばかりか…。

「A君、『いつか、いろいろな人の助けてくれていたんだなぁ』と、気づきといいですね。」
私はO先生を励ますつもりで、声をかけ続けた。

「生徒の事を真剣に悩むっていうのは、苦しいけど、教員にとってとても大切な経験なんですよ。その経験が、五年、十年、二十年後に必ず効いてくるです。」

O先生が立ち直るまで、今しばらく時間がかかりそうだ。

生徒の事を本気で、考え、寄り添おうとするのが教師だ。仕事だからそうするのではない。本気で、生徒たちを育てたいと思う心が、そうさせるのだ。だから教師の仕事は、時間の切り売りであってはいけないし、サラリーマンのような感覚でもいけないと思う。

2018年09月28日

先生は運転手じゃない

ある部での自動車移動中の話。
乗っている生徒が、寝ている姿を見て、女子生徒が叫ぶ。
「先生は運転手じゃないんだよ。」
「…」
「先生だって疲れている中、私たちのために運転しているんだよ。」
「…」
「それなのに、寝ているっていうのは、とても失礼だと思う。」
「…」
「みんな起きようよ。」
最上級である中学三年の女子生徒が叫んだ。

私はその話を聞いて、
「なんだ、分かってくれる生徒もいるんだ。」
と、ちょっと嬉しくなった。

私の学校では、送迎は原則教員が行うという、全国的にも珍しいシステムがある。
だから、運動部の顧問になると、学校が費用を負担する形で中型免許の取得を推奨される。試合で出掛けるときは、顧問自身が運転して会場に行け、という訳である。
もちろん、運転手がいない部活は、業者バスの外注もできるし、その費用は、学校が支払ってくれる。

しかし、教員である顧問自身が運転するのは、なかなか肉体的にも精神的にもプレッシャーがかかる。学校には、何台ものマイクロバスがあるのだが、大きな自動車に生徒を乗せて、自分自身で運転するというのは、負担が重い。

少人数でも、自家用車や少し大きめの車で、やはり引率者が運転して出掛ける。

かつて勤務した学校では、「教員がバスを運転して引率することなど、あり得ない世界」だったのだが、いつしかこのシステムに慣れてしまった。部活の移動時に、生徒にバス代を負担させないのはいい。

しかし、運転中に生徒が寝ているというのは、嫌だ。

運動部が試合に向かうとき、移動中に選手が寝ることを許可しているチームと、絶対に許さないチームがある。
寝ることを許しているチームは、「少しでも寝てすっきりして試合に臨もう」という考えだが、許さないチームは、「試合をイメージして、心を整え、万全な準備をせよ。」という発想である。

私自身、どちらが正解なのか、どちらが正しいのか、よく分からないが、自分が運転している以上、やはり生徒に寝られると、ちょっと苦しい。
中学校の遠征の場合は、近距離が多いので、寝るほどの時間でもないと思うし、と、同時に、「運転してもらって当たり前」、という感覚でも困る。
「してもらって当たり前」をいう考え方を、青少年期に植え付けてはいけないと思う。

私は、運転中、
「君らが寝てしまうのなら、俺も寝てしまうよ。一緒に天国に行こう」
などと冗談を言ってみたりする。また、
「○○、眠くなっちゃったよ。」
と言うと、指名された生徒が、歌を歌い出したりする。

私が現役の教員をやっている間に、システムが確立するとは思えないのだが、かすかな希望を胸に抱きつつ、
「願わくば、早く自動運転になってくれ。」
と思うばかりである。

挨拶の短縮形

合同チームを組んでいる相手校の一つは、チームの伝統なのか、「ありがとうございました」の挨拶が省略される。
「したー。」
と言うのである。

「そんな言い方じゃ、挨拶にならない。」
私はそう思っているので、自分のチームがそう言うのは許さないが、合同で活動しているときは、キャプテンがその学校ということもあり、相変わらず
「したー。」
となる。

今日から新人戦。公式戦ながら、学校の予算が厳しく保護者送迎の学校もあるが、この学校は業者バスの送迎だった。当然、会場に着いたときは、全員が整列しての挨拶となるし、帰校時に乗り組む時も整列しての挨拶。バスに乗り込む時も挨拶しながら乗り込むし、車が動き出すときも挨拶する。

今朝、彼らが試合会場に到着し、バスから降り、運転手に挨拶をしている場面を偶然見た。
一同整列し、キャプテンが、
「ありがとうございました。」
と言ったのだ。

「あら、『したー』じゃないんだ。」と若干驚き、「なんだ、できるじゃないか。」と思った。
冷静に考えればオフィシャルの場で省略するのは失礼だから、当然か。

しかし、なぜかグランドでは、『したー』となる。
グランドに入るときも。整備をしてもらったときも、試合開始時も、終了時にも、グランドから出るときも、すべて『したー』なのである。

彼らは、学校で練習しているとき、自校の先生が通りかかると、プレーを中断して、
「○○先生、こんにちは」
と元気よく挨拶するのだが…。

いっそのこと、
「省略形は、好きになれません。」
と先生に訴えようかとも思うが、元来の遠慮深い性格の私は、やはり当分言えそうもない…。

仲の良い同僚の先生に聞く。
「『したー』、どう思いますか?」
「俺なら絶対許さない。」
賛同してもらって、ちょっと気が楽になった。

魔法の言葉

新人戦一回戦。私が審判をした試合は、なかなか発熱したゲームとなった。

監督のY先生。これが、ピカイチの褒め上手。
どんなプレーが出ても、褒めて褒めて励まし続ける。

「いいよ。○○君。全然OKだ。」
「大丈夫大丈夫。全然大丈夫。次があるから。」
「すごい。すごいよ、今のプレー。最高!」

この声かけで、明らかに格下のはずのY先生率いる学校のチームが、相手校と互角に勝負をしている。

ミスが続いて、チームが沈滞ムードになっても、
「大丈夫か。先生の力なくても、自分たちで立ち直れるか。」
と、まさにプラス思考のオンパレードだ。

部員は12名。9名が守備につくと、ベンチに残っているのは3人だけ。
守備についた選手も、半分くらいは小柄な一年生のようだ。

こんな場面もあった。
サードの選手が、レフトの選手に
「△△、声だせ。」
と叫ぶ。レフトは、
「おーい。」
やや頼りない声。すると、
「もっと出せ。」
とサード。レフトは
「これで限界。」
と、うそぶく。

こんなやりとりをしているくらいだから、強豪チームというにはほど遠い。
それでも、度重なるピンチを抑えるなど、いい試合展開だった。
これも、Y先生のスーパーポジティブな声のおかげだろう。

終盤になって、ピッチャーがミスをした。
ゴロを捕り損ない、落としたボールを、崩した体勢で一塁に送球したため、そのボールも逸れてしまい、ピンチを広げてしまったのだ。

このとき、
「何してるんだよ。」
と、ショートの選手がピッチャーを責めた。
この一言で、Y先生の魔法の言葉は消えた。

その後のY先生の言葉は、ただただ虚しく響くだけになり、ミスを連発。これまで互角に戦っていたチームは、坂道を転がり落ちるかのように、崩れていった。

「野球の神様は、Y先生の学校ではなく、対戦校を応援し始めたのだな。」
と思いながら、審判を続けたが、程なく試合終了になった。

「Y先生の声かけ、すごいですね。」
私は、一緒に審判をしていた同僚の先生にも尋ねてみた。

「練習試合していても、保護者から相手チームまで、Y先生ファンが増え続けているですよ。」
納得である。最近の子供たちは、この方法でしか育てることができないのかも知れない。

「Y先生は、生まれつきの才能ですね。」
私には、とても真似することはできない。
「私も無理です。」
お互い、顔を見合わせる。

「素晴らしいバッティングをしても、走塁が不十分だと、まずかった走塁の方を責めてしまうんだよね。」
「『ナイスバッティング。でも、そのオーバーランじゃ駄目だ。打った価値が消えたわ。』という感じですね。」

言葉の後半にマイナスを入れると、全体にマイナス表現になる。

初戦敗退となったため、Y先生の魔法の言葉は、しばらくお預けになりそうだ。
今度、練習試合をお願いしてみよう。
posted by 丹澤三郎 at 16:45 | Comment(0) | 教育活動

2018年09月27日

三角形の合同条件を覚える

中1の授業で、『三角形の合同条件』を覚えさせた。

私の学校では、数学は中1から中3まで週5時間。検定外教科書を使い、代数と幾何に分けて、平行して授業を進めている。その上、2クラスを3クラスに習熟度別クラスに分けているため、上位のクラスは、やや進度が速いので、すでに中2の単元に入った、という訳である。

「絶対に、この時間に覚えさせるぞ。」
という、私の強い決意のもと。三角形の合同条件を紹介する。

まず、検定外教科書の合同条件が、検定教科書の文面と少し違っているので、念のため、教科書を書き直しさせた。

『三辺の長さが等しい』を『3組の辺の長さが、それぞれ等しい』といった具合である。

古い用語を使えば、『三辺相等』というわけで、どちらでも構わないだろうとも思うが、模擬テストや高校入試で、いらぬ減点をされないための配慮だ。

まず、復唱させ、次に唱和。さらに、目をつぶらせて唱和させ、
「はい、それでは3分間で覚えて下さい。そのあと、一人ずつ言ってもらいます。」
と宣言した。

3分間は、あっという間だが、生徒たちは必死に、でも楽しそうに覚えている。

中学で暗記した内容は、けっこう大人になっても記憶に残っている。
社会人になって使うことがない「三角形の合同条件」だが、今日の授業時間内に覚えさせてしまおう、という作戦である。

その後、順番を決め、一人ひとりに合同条件を言ってもらった。
つっかえたらやり直し、失敗したら、もういちど最初の人から始めるという方法だ。

「自分が詰まったら、やり直しになってしまう」
という適度な緊張感が、集中力をアップする。昼食後の五時間目だが、うとうとしている暇などない。

書いて覚えるより、言って覚えた方が、さくっと覚えられるものだ。
一人ひとりと、クリアするたびに拍手が起こる。
そして、全員クリア。

「今日は、この先も、ずっとこの合同条件を言い続けるんだよ。」
そう念押しして授業を終わる。

「しまった、明日は大会で、私は授業ができないんだった…。」

この週末は、生徒と出会ったらその場で聞いてみよう。
「三角形の合同条件、三つ全部言って下さい」
と…。

新しいタイプの生徒会長

夕刻には、当選者が決まった。
今回は訳あって、職員会議での承認の上での発表となったが、何とも後味の悪いものになった。

それは、無効票があまりに多い選挙結果になったからだ。
生徒会長は、候補者二人のうち、どちらかに○をつけて選ぶ、という投票方法だったが、多くの投票用紙で生徒会長候補の欄が空欄だった。

選挙管理委員会は、空欄なので無効票とカウントしたが、投票用紙および事前の注意で、二人の両方に○をつけた投票用紙は無効になるというアナウンスはあったが、
「どちらにも○をつけなかった場合は無効票となる。」
というアナウンスはなかった。これは情けないが、投票用紙および運営上の不備。

無効票が多かったということは、多くの投票者が、候補者を二人とも信任しなかったことになる。
結果、立候補者の得票は、投票者の過半数に満たなかった。

しかし、規約では、「有効投票数の過半数を得票した者」を当選することになっていた。
この有効投票数には、無効票は含まれないので、白票を投票した無言の抵抗は無視された形で当選が決まったのだ。規約通りなので、これで決まり。

有効投票数が極端に少なかった場合は、過半数に信任されない候補者が選ばれることになるわけで、この点は規約の不備だろうし、得票が投票の過半数に満たなかった場合の記述も、規約にはなかった。

「候補者が不満ならば、自分が立候補すればよいではないか。」
とも思うが、立候補できるのは、今回は高校一年生のみ。無効票が多かったのは、高校一年以外の学年だった。

私の学校は行事では大変盛り上がる。体育祭にしても文化祭にしても、はたまたその他行事であろうと、大いに盛り上がり、後夜祭まで行われる始末。もちろん、それぞれにリーダーがおり、彼らがリーダーシップを発揮し、周りを巻き込んで一大行事に仕上げていく。だから、例年の生徒会選挙も、多くの生徒が、「これぞ」という生徒会長を選び、生徒会長につきしたがっていく。

ところが、今年は違った。いつまでたっても立候補者が出ない。
出てきたと思えば、「うーん」という候補者だったりする。要するに、信頼感がないのである。
同じ学年内でも、「どうして?」という声がチラホラ。もちろんリーダーではない。

もちろん、リーダーは育てていくものだから、今現在リーダーでなくても良いわけだが、少なくとも今現在、多くがついてきてくれるタイプではない。「えっ、ちょっと」という感じなのである。そして、生徒の多くは、「この生徒が生徒会長になって、大丈夫だろうか。」、という思いがある。

残念ながら、ここでは詳しく書けないが、たとえて言えば、「他の人と普通に会話をすることが困難で、なおかつ、不登校の生徒が生徒会長に立候補して当選した」、という感じだろうか。

「生徒会長として、学校を変えていこうという生徒は、いないのだろうか。」
「どうせ生徒会長になっても、学校を変えられるはずはないという失望感なのか。」
「信任投票、再選挙はやらなくていいのだろうか。」

などなど、職員会議で教員たちは大いに困惑した。

「生徒会選挙を通して、民主主義を学ぶのです。」
と、立ち会い演説前に語った、生徒会担当の先生の言葉が虚しく響く。

国政選挙でも白票は無効票であるし、投票をしなければ、選挙権そのものの放棄となり、無言の抵抗は、基本的には無視される。

「新しい、生徒会会長の誕生だね…。」
職員会議後、不満の矛先をどこにもぶつけられないある教員がつぶやいた。
周りの先生は、冷笑するばかりであった。
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