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2020年03月08日

低空飛行

「高3の副担が一番淋しかったな…。」
高校の卒業式を終えて、S先生がそう、高3の担任につぶやいた。

教師にとって、担任があるかないかで、ずいぶん感じが変わる。
生徒たちとの関わりの中で生きている教員は、できるだけ生徒と関わっていたい、という願望があるのだ。

私も、8年ぶりに担任を外れ、その一年が終わろうとしている。
この一年、ずいぶん楽をさせてもらった。
一方で、担任がないと、これほどまでに気持ちが楽になるのか、と驚愕した。
以前の私ならば、担任を外れることに、恐怖すら感じ、あってはならないことのような感覚があったが、この一年は、そうした思いはまったく湧かなかった。

自分自身としては、エネルギーをためる時期。次に立ち上がるための、充電期のような
つもりでいたが、この怠惰になれてしまうと、今や、担任を持つことに抵抗すら感じる。

担任がなくなり、生徒との距離は少し開いたが、実は、彼らとの関わりはあまり変わっていない。

以前、前校長から、「○○先生、担任にどうですか?」、と訪ねられたとき、「まだまだ難しいと思います」、と答えたことがある。

あれからすでに何年も経っているが、今は、結局、『やる気とバイタリティ』があれば、担任は誰でもできるだろう、と思っている。以前の私は、やはり慢心していたのだ。そして、「自分が、自分が…」、といった具合に、自己中心的だったのだろう。

「面倒なことはしたくはない。でも、生徒とは関わりたい。」
というスタンスでは許されないのだから、自分の気力が失せてきたときは、引き際なのかも知れない。

そう考えると、前のS先生。私より10歳も年上。
その中で、まだまだ気力十分な姿には、私も頑張らねば、と思う。

ほんの数年前、若手の先生の前で、堂々と自分自身の教育論を語ったあの頃の私は、何だったのだろう。今は、後進たちに経験を残すために、レポートを書いて欲しい、と依頼されても、全くその気になれないのだ。

こうやって、人は墜ちてゆくのだろうか。
再浮上するには、何が必要なのだろうか。

かつて、今の私のような教員の姿を見て、「本当に、やる気を持って仕事をしているのだろうか」、と思ったことがある。

実際、やる気を失っている方もいるのだろうが、どうして良いか分からずもがいている人もいるということだ。

これも人生の知恵なのだろう。
やはり『志』かな…。
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