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2019年09月06日

私の新採の頃

明日の文化祭に向けて、一日中準備となった。
こんなに静かに、落ち着いた気持ちで文化祭前日を迎えたのは、何年ぶりだろうか。

正規採用の教員員なった初年度。私は教務の時間割係ではあったが、基本的には授業しか担当がなかった。私立学校ではあるが、採用にされ方が異質であったのだ。

他にも何人かの非常勤講師がいて、理事だの幹部たちに一堂に会する場があり、辞令が下りたわけだが、そのとき奇異なことが起こった。

当時の私は、就職活動もせず、大学院を修了する直前まで、ぶらぶらしていたのだが、そんな折り、父親が深いつながりがあった、ある私立学校に私の採用を頼み込んでくれたのだ。

私立学校は、どこの馬の骨とも分からない人の採用はきわめて慎重だ。
たとえ、成績優秀、学歴優秀であっても、異動ができず、終身雇用のシステムでは、どうしても『コネ』を大切にする。

「○○さんの紹介であれば、間違いない」、と言った具合に、人脈がものを言う。
どんな世界でも、実際は『コネ』が大切で、公立学校での教員採用だって、かなり影響があると聞く。

私は、新規採用者として呼び出され、ちょこんと座っていると、担当理事のもとに一枚のメモが回ってきた。あとから聞かされたことだが、そこには、「丹澤君を専任教諭として採用する」、と書かれていたそうだ。

そんなわけで、私が所属した高校の男子部では激震が走る。
当初、非常勤の予定だったが私が、いきなり専任となったのだ。そこで、急遽割り当てられた校務文書が教務の時間割係であったわけだ。当然、学年も部活もない。

初めの数ヶ月、私は一日中職員室の自席に座り、授業準備のための教材研究だけをした。
ひたすら手書きでプリントを作っていた記憶がある。
当然、授業も上手にできるわけではなく、ある意味鍛えられた時期だったと思う。

そんなとき、「生徒との関わり」を夢見て教員になったのに、その接点の少なさに私は戸惑った。
楽しく生徒と接する担任や、学年所属の先生たちがうらやましかった。

大学院出たての若者であった私、なかなか人と関わるのが苦手な私にとって、一年目はけっこう辛かった。

教員経験は、大学院時代に母校で非常勤講師は経験していたが、そこは母校であり、恩師もたくさんいた。

そんな思いもあって、「早く担任を持ちたい。もっと生徒と関わりたい」、という気持ちが強くなったことを覚えている。

実際、担任となるのは3年後であった。そのときの教務主任に言われた言葉を今でも思い出す。
「担任は、誰でも任せられるわけではない。先生の中には任せられない人だっている。丹澤先生は、今年度担任になるが、この先も担任を続けられるかどうかはわからない。精一杯やってください。」

当時の学校の教務主任は、教頭的立場の先生で、職場のリーダーでもあった。
私は一所懸命務めた。

いくつかの私立学校を変わって、今の学校では二年目から担任兼学年主任になった。

「担任をさせられない先生もいる」
と言う言葉は、ずっと私の中に熏習されてしまった。

今年は、それが外れた。
私の希望で外れたというのも、教員人生初のこと。
だが、今はそれを、ある意味、楽しんでいる。

「やるだけやってみな…」
そう、心で語って、生徒たちを応援している。
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