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2019年08月27日

いじめによる転校

人には強い者と弱い者がいる。
言葉の達者の者もいれば、朴訥としてなかなか話せない人もいる。
念力が強く、強面で、その人の一言が、大きく他に影響を与える人もいる。

社会はもちろん、学校の中でも、いろいろな生徒の中にそうした人間は存在する。
そこにいじめの芽ができる。

グループは当然、強い者がリーダー的存在になり、その雰囲気と、グループにいれば安心という思いから、接近してくる人もいる。
誰かに頼りたい、という思いなのだろうが、主体性の強い人は、あえてそうしたグループと距離を置く。

グループにいることが、傘下のメンバーとしての安心と安全が確保されるわけだ。
だから、そのグループから追い出されたり、追い出されそうになる発言をされると、焦る。
そのリアリティが高ければ高いほど、本人は動揺し、自分で自分を追い込んでいく。

最近は、『出荷』という言葉が流行っているそうだ。
いわゆる、「グループから追い出す」という意味なのだが、この一言で悩み苦しみ、学校を転校して行った生徒が出た。

実際は一学期から学校に来てはいなかったのだが、ここにきて、転校となったのだ。

今日の学年集会で学年主任が言う。
「○○君は、ずっと悩み苦しんで来ました。学校に来たくても恐怖で来られませんでした。」

大方の生徒は真剣に聞いていたが、実際「いじめ」と認定されてしまった当事者二人の心中は穏やかではなかっただろう。

恐らくは冷めた目で、「先生たちは信用できない…」、と思ったに違いない。

「結局は俺たちが加害者で、俺たちが悪なんだ。」

私の学校では、きちんと善悪を教える。
「いじめられた側も悪かった…」、というスタンスはとらない。

「見て見ぬ振り」も同罪。
「その勇気のなさを反省せよ」、という訳だ。

傷ついているのは、転校した生徒だけではないのだ。

社会では必ずこうしたトラブルが起こる。
学校だけの問題ではない。

大切なのは『愛』の心だ。
相手を思いやる心だ。

「この言葉が相手を傷つけることはないか」、と、その先を予想できる習慣も欲しい。

強き者は弱き者を助ける義務がある。
強き者だって、弱い部分を持っているのだ。そうした部分を弱き者がフォローしながら、真の友情関係が築かれていく。

ちょっと後味の悪い学年集会ではあったが、私も支えていかねば…。








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