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2019年06月06日

響く声

真言宗の御詠歌の響きは心地よい。
このところ父の法要があり、何度か聞く機会を得たが、なんとも言えない調べがある。
張りのある、響きを伴う読経の声もいいものだ。

僧侶は、毎日のお勤めから、法要と読経の経験が豊富だ。
プロなのだから当然なのかも知れないが、私は、その響きを美しく思う。

教員の世界でも、張りのある声は、生徒たちによく届く。
体育科や運動部の顧問は、たいていそうした声が自然に出る。

私が幼い頃は、声が出なくて、大人たちに何度もたしなめられた。
だから、
「お前が、学校の先生なんてできるのか?」
などと、何度も親たちに言われたものだ。

それが、今では、当たり前のように声を出せるようになっている。

教員に成り立ての頃は、「集団を集めて一斉に指示をするなど、自分にはできない」、と思っていたが、声が出るようになると、「何でもないこと」、に思えるから不思議だ。

私は、若い先生には、「積極的に集団への指示出し」をさせているが、ポイントは、「響く声」と、「的確な指示」だろう。

とにかく生徒たちに聞こえなければ、何を言おうと指示にはならない。
「聞かせる」工夫も必要だが、その工夫をするにも、「声」が要るだろう。

中には授業でも、ボソボソと話してしまう先生もいるが、そういう先生は、屋外などでの集団指導は難しいだろう。

思うに、授業中に、叫んでしまうくらいの声を出している方は、それが最大で、教室外ではとても声が届かないだろう。

中には日常会話でも、「声がうるさい先生」もいらっしゃるのだが、これは職業上の副産物かも知れない。個人的には、あまり好きではないが…。

一言で生徒を聞かせ、指示するためには、どうしても張りのある響く声が必要になる。

教員対象のボイストレーニングもあるようだが、実は声の出し方にはコツがある。

私は、歌唱時の発声に似ていると思う。

慣れてくれば、今の自分の声が響いているかどうかも、自らの耳で感じ取ることもできるものだ。

「響く声」は、教員にとって大切なスキルの一つなのだろう。














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