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2018年12月19日

脅しの教育

職員会議で学力テストの分析を求められたので、
「今の補習のシステムが、勉強嫌いの生徒を増やしてしまった。」
と、問題提起してみた。

「勉強嫌いの生徒を作ってはいけない。」
これが、私の考えである。

「勉強は本来楽しいもの。できるようになることは嬉しいもの。新しく学び、知識を増やすことは、幸せなこと。そして、それが、人生に彩りを与えるもの。」

そういう思いを、教師一人ひとりが持たなくてはならないだろう。

そのためには、教師に感化力が必要だ。生徒が、先生の話を聞き、「なるほど」とか、「やってみるか」、また、「面白そうだな」、「自分もできるようになりたい」、などとそういう思いを抱かせなくてはならないのだ。

多くの場合、この逆を行ってしまう。

「宿題をやっていない人は、居残りだ。」
まぁ、この位は許容範囲だと私も思う。

「○点以下は、成績の『1』をつけるぞ。」
「授業中おしゃべりしていたら、平常点はやらない。」
「先生の指示通りでないノートには特典を与えない。」

などなど、その時折りの教師側の都合(?)で、生徒に『脅し』的な指導をしていないだろうか。
私は、これを『脅しの教育』と呼びたい。

たとえ、新人の先生であっても、成績をつける裁量権を持っている先生は、生徒からは力のある存在だ。だから、この『脅しの教育』は成立してしまう。

生徒をコントロールするために、こうした方法を使っていると、見かけは良い生徒のように見えるだろうが、本質的な勉強をしなくなる。
打算的な勉強の仕方をし始める。
成績だけを意識した勉強をしてしまうようになる。
好きで勉強する気持ちは薄らいでゆき、嫌なことだけど、仕方なく『義務』で勉強をするようになってしまう。

これでは、成績は伸びない。
およそ成績というものは、機械的な訓練でも多少は伸びるが、その先へは、『自発的』な動機付けがなければ、伸びていくことはないのだ。

「補習だ!補習に出なさい。」
と、逃がさないようにブロックしたり、追いかけ回して強制的に教室に来させても、成績は上がっていかないのは、教育の原理からも明らかだ。
私はそのことを間接的に訴えてみた。

本当は、補習などせずとも、授業で完結できるなら、その方がいい。
授業が楽しく、学びにワクワクできるなら、そのスタイルがいい。

「授業も中途半端、補習は強制」では、学力向上は全く望めないだろう。

授業に自信が持てないなら、「楽しくためになる補習」を目指してもいい。

いずれにせよ、『脅しの教育』ではだめだ。








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