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2018年11月20日

学校の生き残りをかけて…

「私の話や、校長の話なんて、挨拶程度のちょっとでいいんです。『生徒』が話せば、説得力もあるし、来ている人も『感動』するんです。そして、生徒を見れば、クレームだってが吹っ飛ぶんです。」
法人役員が、学校説明会について熱く語った。

参加した方が、あまりに感激したので、直接報告に来たのだと言う。

「ビデオで見たり、パンフレットでは伝わらない。何と言っても生徒の姿だ。」
そう力説され、その参加者は、「今度は自分が学校を薦める」と、張り切っておられたそうだ。

私立学校では、年に何度も学校説明会を行う。
その中では、授業見学、部活見学を行う。
しかし、たいていは校長が、延々学校の紹介をする。「こんなにいい学校なんだぞ」、と分かってもらうべく、ついつい長話しになる。

しかし、聞いている側からすると、「どこでも聞かれる自慢話よりも、実際の生徒はどうなのか…」、という方が関心が高いに違いない。

私はずっと私立畑で教員を続けてきたが、どこの学校でも同じような『学校説明会』をしていたと記憶する。

各校ともいろいろ苦慮しているようだが、一番驚いたのが、『学校説明に参加すると、入試で加点される』というものだった。今もやっているのか、また、法律的にOKなのか、分からないが、各校とも募集に命をかけていることが分かる。

何としてでも、学校に来てもらいたいのだ。
おそらくは、
「学校を見に来てさえくれれば、何とかなる。」
という考えなのだろう。

今回の学校公開は、受験希望者はもちろんだが、一番の目的は『学校のファンを増やす』というもので、彼らの口コミにより、学校の評判を上げようというものだった。しかも、彼らが募集活動の一翼を担ってくれるなら、もっといい。

「本当は、いい生徒ばかり出しているんですけどね…。」
こうした場合、学校の闇は封印される。
だが、
「こんないい子が通っているなら…。」
と、心変わりし、受験し、入学してくれるなら、それでいいのだ。

募集活動は、企業でいうところの営業活動。
もしかしたら、教員のもっとも苦手とする分野なのかも知れないが、昨今は、あれこれと新しいアイデアで、生き残りをかけてしのぎを削っている。

超少子高齢化社会。
老人は余っているが、子どもは少ない。

これから先、募集を停止し、店をたたむ学校も増えてくるだろう。
だが、その中でも輝き続け、人気のある学校は、必ず出てくる。
その人気の内容は、時代の流れで変わっていくものかも知れないが、学校の教育方針にぶれない一本の柱があり、それが普遍的なものであれば、生き残ってゆけるだろうと思う。

もはや、黙っていても生徒が集まる時代ではない。









教室の掲示物に書き込みをしたら… 〜若手の先生へのアドバイスA〜

教室に掲示している張り出しに、勝手に書き込んだり、落書きする生徒がいる。
これは『しつけ』の問題。何もしなければ、一人の行為が、クラス全体、学年全体に波及する。

4月、クラス開きの時の約束事で、「掲示物は私物ではありません」と、こんこんと語るのが定番。
ただ、新年度当初は忙しく、忘れてしまうこともある。
年初にクラスの約束事を決め、、周知徹底させることは大切なことだが、あまりにたくさんの、「○○してはいけない」があると、教師も生徒も悲しくなる。
だから、そんなときは、「書き込み一人目」を活用して、しつけてゆけばよい。

誰かが、書き込みをしたときが、指導のチャンス。
やってしまった生徒には気の毒だが、ここぞとばかりに「しつけ」が始まる訳だ。

これは、できるだけ早い時期にやっておかないと、大切な掲示物にもイタズラをされる可能性があるので、概ねごゴールデンウイークまでに終えておく。
そうでないと、写真に書き込みをしたり、イタズラしたり…、と掲示物の「荒れ」がエスカレートしていく。
先延ばしをすればするほど、
「なんで俺だけ…。みんなもやっているじゃないか。」
と、生徒が思い、指導にかけるエネルギーが増えてしまう。

一番駄目なのは、何か事件が起きてからの後手後手の指導である。

例えば、写真に落書きをするという事件が起こったとき、もちろん「書き込む」のは悪いことだが、「平気で書き込みをしまうクラスのムードを放置していた」という責任も生じるのだ。担任らが、何も感じることなく、事が起こってから、初めて指導の不備に気づくようでは遅い。
できたらそうならないように、事前に手を打っておこう、と言いたいのである。

仏教では、初期の釈迦教団では、「比丘の二百五十戒、比丘尼の三百四十八戒」と、二百、三百あまりの戒律ができた。これは、隋犯隋制(ずいぼんずいせい)と言って、仏陀が「何か過ちが起こるたびに規則を作っていった」もので、だんだんと増えていったのだ。釈迦教団は、学生(がくしょう)であり、学びの場でもあったので、それを妨げる行為は、次々と禁止されていったのである。

現代の学校も、事が起こるたびに、どんどん規則が増えていく。
そうならないためにも、できだけ教師の経験と智慧で、余分な規則ができないように、「手を打っておくべき」だと思う。

いくら生徒に、
「どうして書き込むの…。」
などと聞いたところで、おそらくは、
「何となく…。」
という言葉しか返ってこないだろう。
昨今の生徒は、『何となく』イタズラをする。

本当は、『何となく』の裏に、「自分の方を振り向いてくれ」、「私の叫びに気づいてくれ」というメッセージがあるのだろうが、だからと言って許されるものではないだろう。そうした生徒たちは、事前に察知して、注意深く観察しておくべきだ。

ちなみに、一般的には、掲示物への書き込みの前に、黒板への落書きが起こる。

「落書きくらい、いいだろう…。」
と、放っておくと、どんどんエスカレートしていくので、要注意だ。








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