2018年10月01日

天気図3000枚

台風一過の晴天になった。
お昼前から気温がぐんぐん上がった。私の住む地域では、何とか30℃には達しなかったが、それでも、久しぶりの生暖かい風は、湿度が低めとはいえ、涼しさになれてしまった身体にこたえる。

私は、中学の時に、天気図を作ることを学んだ。確か、学校の理科の授業が最初だったと思う。「気象通報」を聞き、天気図を作り上げることは、並大抵なことではない。出来上がった天気図(らしきもの)は、とても見るに堪えるものではなかった。

しかし、偶然『気象知識普及会』なる団体を知り、その門を叩いた。そこでは、天気図の作り方はもちろん、その目的である天気予報の仕方も学んだ。

この団体は、気象庁の予報官をしていた、故、一色 明氏が設立した団体で、天気図の添削指導と、各所で天気図講習会をおこなっていた団体であった。

私は、この団体で、天気図作成や予報技術の腕を上げ、いつしか、この団体でトップクラスのメンバーになっていた。当時のメンバーでは、一年上の先輩は気象庁に入り、一年下の後輩は、日本気象協会に入っている。

気象の世界では、『天気図3000枚』と言われる。3000枚の天気図を書いて、(予報官として)一人前になるのだと教えられた。だから、私の高校時代は、気象観測と天気図作成および、天気予報に明け暮れた。

私は、3000枚には達しなかったが、2000枚近くは書いたと思う。

当時、NHKの『気象通報』が一日三回、短波の放送が夏場は一日2回あったので、一日に最大5枚の天気図(うち一枚は高層天気図)を書くことができたのだ。

あの頃は、毎日の気象現象が楽しくて、台風など来れば興奮して、気象データーと気象衛星、天気図をにらめっこ。

高校時代の私だったら、昨日の台風24号も、一日中気象データをモニタしていたかも知れない。

台風などの災害を伴う気象現象は、生活のためのインフラを止めたり、電車を止めたりする。
その中で、必死で出勤したり、登校するのは、大変なことだ。時には命の危険すらある。

今朝も、大変な思いをして、通勤、通学した人がたくさんいるに違いない。

いつの頃からか、「気象警報が出たときは、休校」という学校が増えたが、最初に勤めた学校で、
「たとえ休校であっても、出勤して、生徒の安否や学校の被害状況を確かめる必要がある。だから、教員は休校でも出勤するのだ。」
などと、叱られ、ずぶ濡れになりながら、出勤したことがある。

人間は気象現象をコントロールできない。
今年は、特に気象災害が頻発している。
まさに、神様が人類の奢りに対して、警告を与えているとしか思えない。

富士山レーダー(運用廃止)や気象衛星、スーパーコンピューターのおかげにより、気象による大災害は少なくなったが、人知を越えた自然の力は、人類に警告を与え続けている。

参考のために、当時(昭和58年)の天気図を紹介する。
tennkizu_s
posted by 丹澤三郎 at 19:02 | Comment(0) | つれづれ
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