アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2018年09月28日

先生は運転手じゃない

ある部での自動車移動中の話。
乗っている生徒が、寝ている姿を見て、女子生徒が叫ぶ。
「先生は運転手じゃないんだよ。」
「…」
「先生だって疲れている中、私たちのために運転しているんだよ。」
「…」
「それなのに、寝ているっていうのは、とても失礼だと思う。」
「…」
「みんな起きようよ。」
最上級である中学三年の女子生徒が叫んだ。

私はその話を聞いて、
「なんだ、分かってくれる生徒もいるんだ。」
と、ちょっと嬉しくなった。

私の学校では、送迎は原則教員が行うという、全国的にも珍しいシステムがある。
だから、運動部の顧問になると、学校が費用を負担する形で中型免許の取得を推奨される。試合で出掛けるときは、顧問自身が運転して会場に行け、という訳である。
もちろん、運転手がいない部活は、業者バスの外注もできるし、その費用は、学校が支払ってくれる。

しかし、教員である顧問自身が運転するのは、なかなか肉体的にも精神的にもプレッシャーがかかる。学校には、何台ものマイクロバスがあるのだが、大きな自動車に生徒を乗せて、自分自身で運転するというのは、負担が重い。

少人数でも、自家用車や少し大きめの車で、やはり引率者が運転して出掛ける。

かつて勤務した学校では、「教員がバスを運転して引率することなど、あり得ない世界」だったのだが、いつしかこのシステムに慣れてしまった。部活の移動時に、生徒にバス代を負担させないのはいい。

しかし、運転中に生徒が寝ているというのは、嫌だ。

運動部が試合に向かうとき、移動中に選手が寝ることを許可しているチームと、絶対に許さないチームがある。
寝ることを許しているチームは、「少しでも寝てすっきりして試合に臨もう」という考えだが、許さないチームは、「試合をイメージして、心を整え、万全な準備をせよ。」という発想である。

私自身、どちらが正解なのか、どちらが正しいのか、よく分からないが、自分が運転している以上、やはり生徒に寝られると、ちょっと苦しい。
中学校の遠征の場合は、近距離が多いので、寝るほどの時間でもないと思うし、と、同時に、「運転してもらって当たり前」、という感覚でも困る。
「してもらって当たり前」をいう考え方を、青少年期に植え付けてはいけないと思う。

私は、運転中、
「君らが寝てしまうのなら、俺も寝てしまうよ。一緒に天国に行こう」
などと冗談を言ってみたりする。また、
「○○、眠くなっちゃったよ。」
と言うと、指名された生徒が、歌を歌い出したりする。

私が現役の教員をやっている間に、システムが確立するとは思えないのだが、かすかな希望を胸に抱きつつ、
「願わくば、早く自動運転になってくれ。」
と思うばかりである。

挨拶の短縮形

合同チームを組んでいる相手校の一つは、チームの伝統なのか、「ありがとうございました」の挨拶が省略される。
「したー。」
と言うのである。

「そんな言い方じゃ、挨拶にならない。」
私はそう思っているので、自分のチームがそう言うのは許さないが、合同で活動しているときは、キャプテンがその学校ということもあり、相変わらず
「したー。」
となる。

今日から新人戦。公式戦ながら、学校の予算が厳しく保護者送迎の学校もあるが、この学校は業者バスの送迎だった。当然、会場に着いたときは、全員が整列しての挨拶となるし、帰校時に乗り組む時も整列しての挨拶。バスに乗り込む時も挨拶しながら乗り込むし、車が動き出すときも挨拶する。

今朝、彼らが試合会場に到着し、バスから降り、運転手に挨拶をしている場面を偶然見た。
一同整列し、キャプテンが、
「ありがとうございました。」
と言ったのだ。

「あら、『したー』じゃないんだ。」と若干驚き、「なんだ、できるじゃないか。」と思った。
冷静に考えればオフィシャルの場で省略するのは失礼だから、当然か。

しかし、なぜかグランドでは、『したー』となる。
グランドに入るときも。整備をしてもらったときも、試合開始時も、終了時にも、グランドから出るときも、すべて『したー』なのである。

彼らは、学校で練習しているとき、自校の先生が通りかかると、プレーを中断して、
「○○先生、こんにちは」
と元気よく挨拶するのだが…。

いっそのこと、
「省略形は、好きになれません。」
と先生に訴えようかとも思うが、元来の遠慮深い性格の私は、やはり当分言えそうもない…。

仲の良い同僚の先生に聞く。
「『したー』、どう思いますか?」
「俺なら絶対許さない。」
賛同してもらって、ちょっと気が楽になった。

魔法の言葉

新人戦一回戦。私が審判をした試合は、なかなか発熱したゲームとなった。

監督のY先生。これが、ピカイチの褒め上手。
どんなプレーが出ても、褒めて褒めて励まし続ける。

「いいよ。○○君。全然OKだ。」
「大丈夫大丈夫。全然大丈夫。次があるから。」
「すごい。すごいよ、今のプレー。最高!」

この声かけで、明らかに格下のはずのY先生率いる学校のチームが、相手校と互角に勝負をしている。

ミスが続いて、チームが沈滞ムードになっても、
「大丈夫か。先生の力なくても、自分たちで立ち直れるか。」
と、まさにプラス思考のオンパレードだ。

部員は12名。9名が守備につくと、ベンチに残っているのは3人だけ。
守備についた選手も、半分くらいは小柄な一年生のようだ。

こんな場面もあった。
サードの選手が、レフトの選手に
「△△、声だせ。」
と叫ぶ。レフトは、
「おーい。」
やや頼りない声。すると、
「もっと出せ。」
とサード。レフトは
「これで限界。」
と、うそぶく。

こんなやりとりをしているくらいだから、強豪チームというにはほど遠い。
それでも、度重なるピンチを抑えるなど、いい試合展開だった。
これも、Y先生のスーパーポジティブな声のおかげだろう。

終盤になって、ピッチャーがミスをした。
ゴロを捕り損ない、落としたボールを、崩した体勢で一塁に送球したため、そのボールも逸れてしまい、ピンチを広げてしまったのだ。

このとき、
「何してるんだよ。」
と、ショートの選手がピッチャーを責めた。
この一言で、Y先生の魔法の言葉は消えた。

その後のY先生の言葉は、ただただ虚しく響くだけになり、ミスを連発。これまで互角に戦っていたチームは、坂道を転がり落ちるかのように、崩れていった。

「野球の神様は、Y先生の学校ではなく、対戦校を応援し始めたのだな。」
と思いながら、審判を続けたが、程なく試合終了になった。

「Y先生の声かけ、すごいですね。」
私は、一緒に審判をしていた同僚の先生にも尋ねてみた。

「練習試合していても、保護者から相手チームまで、Y先生ファンが増え続けているですよ。」
納得である。最近の子供たちは、この方法でしか育てることができないのかも知れない。

「Y先生は、生まれつきの才能ですね。」
私には、とても真似することはできない。
「私も無理です。」
お互い、顔を見合わせる。

「素晴らしいバッティングをしても、走塁が不十分だと、まずかった走塁の方を責めてしまうんだよね。」
「『ナイスバッティング。でも、そのオーバーランじゃ駄目だ。打った価値が消えたわ。』という感じですね。」

言葉の後半にマイナスを入れると、全体にマイナス表現になる。

初戦敗退となったため、Y先生の魔法の言葉は、しばらくお預けになりそうだ。
今度、練習試合をお願いしてみよう。
posted by 丹澤三郎 at 16:45 | Comment(0) | 教育活動
ファン
検索
<< 2018年09月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
最新記事
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
丹澤三郎さんの画像
丹澤三郎
プロフィール
リンク集
おすすめ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。