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2018年09月23日

学年主任という重し

「先生、最近学年で集まっていませんね。二学期は学年全体で動く行事も多いのですから、是非学年集会をお願いします。」

隣席の先生から、そんな要望を受けた。
要は、「学年主任としてしっかり頼む。」と言うことである。
かくいう私も、一学期までは前任の学年主任に、時折そんなお願いをしていた。

訳あって、一学期末で前任の学年主任が退職され、一年半ぶりに私が学年主任に復帰した。

しかしこの学年、前任の先生の重しは大きかった。
保護者対応から、生徒指導まで、担任としての私は、そのすべてを助けられたと言ってもよい。
と、同時に、「ずいぶん頼ってしまったなぁ。」、という反省点もある。

「先生、最近中2が荒れています。」
あちこちから、そうした声が聞こえてくる。
要は、
「おい、学年主任、変わったんだから、しっかりしよろ。」
と、言われている訳だ。

クラスもそうだが、学年も、生徒や保護者にどれだけ思いを向け続けているかが大事になる。
だから、「大会で出張、学校の外に出られる。」、などと浮かれていると、たいてい事件が発生する。

担任になって間もない頃は、出張するときには、生徒には言わずに出掛けたこともある。事前に言うと、生徒のトラブルがよく起こったからである。学校に担任が不在のときは、いろいろなことが起こりやすい。

「学年全員の生徒に、もっと思いを向けなければいけいないな…。」
早速、連休明けの火曜日の朝に、学年集会を開くことにした。
学年主任としての私の覚悟を、熱く語ろうと思う。

中間試験も近いが、間もなく新人戦。
各部のキャプテンも、中2が努めている。
中学校での中2の役割もどんどん大きくなっていく…。

「歳とって、なんだか踏ん張りがきかなくなったなぁ。」
などと言っている場合ではなくなった。
前任の学年主任は、私より十歳年上の先輩だったのだから…。

通知表の所見

学年二学期制の学校は、今は通知表の所見作りの真っ盛り。
「昨日は、夜中まで十人の所見を書いたよ。」
などと、教員の負担も一気に増える。

ある校長は、
「生徒の様子を記すのだから、提出期限よりずっと前に書けるはずだ。一週間前になって、バタバタあわてるんじゃない。」

「指導要録だって、三月初めには書き上げよ。この一ヶ月で変わるのはせいぜい出欠の記録くらいなのだから。」
とも言っていた。正論である。

だか、教員と言えども、なかなかギリギリにならないと動き出せない。ましてや、所見ともなると、学校から保護者への、子どもの様子を伝える大切な文章なので、その文面には気を遣う。気が重くなるのはよく分かる。

私の学校は三学期制なので、今は所見を作る時期ではない。
しかも、管理職らの文面チェックもない。

「え、そんな危険なことをしているのですか。」
と、問われそうだが、この十年、所見がもとでクレームになったことは一度もない。
管理職の文面チェックが面倒なのか、担任個人に責任の重さを感じさせているのか、その理由はよく分からないが、一切やっていない。

そうなると、若手教員は、終業式の前日は一夜漬け、所見作りにほぼ徹夜状態になる。
「一人あたり30分かかるから、全部で…」
などといらぬ計算をしている人もいる。

人によって、かかる時間も違うのだが、やはり前日夜に仕上げるのは、ちょっと情けない。
何かあったら、未完成になってしまうではないか。

こうなると、事前に管理職チェックなどのシステムがあった方が、そうした荒技はなくなるかも知れない。

次に私が所見を書くのは12月。前日までには完成させるようにはしているが、次回はもっと早く仕上げてみようか…。

保護者を味方にする

学校は、生徒を保護者からお預かりしている。また、生徒あっての学校である。だから、生徒はお客様。一人の人間として丁重に接し、人格を尊重し、彼らの健全な将来のために、教師は一人の奉仕者として、誠心誠意、関わらなくてはならない。

こう書くと、新任校長の挨拶か、何かの教員心得みたいになる。

一方で、生徒は、発達途上であり、教育を受けているという観点もある。

学校現場では、頻繁に
「先生、うちの子がいつもお世話になっております。」
などと保護者からご挨拶をいただくが、このときは、ただただ笑顔になるしかない。

と、同時に心の中では、どうしても防御本能がはたらく。
次に、どんな矢が飛んでくるか、なかなか予想できないからだ。

私たちは教育のプロとして、ある意味、自身に裏付けられて仕事をしている。
しかし、保護者の言葉は、その自身を時に打ち砕く。

「どうですか、最近うちの子は…」
この言葉の裏には、何十倍もの言葉が隠れており、ある意味、どんな人間かを見られていると言ってもよい。
「自分の子どもをどのように見ているのか。」
を的確に引き出す、万能の聞き方だからである。

このとき、
「いつも。○○がご迷惑をおかけして申し訳ありません。」
という言葉であっても、油断をしてはいけない。次に
「ところで先生…」
と、急遽話題が変わり、どんな攻撃を受けるか、分からないからだ。

「私は保護者を味方にしているから、そんな防御本能は働かないよ。」
という先生たちは多いだろう。

しかし一方で、生徒のみならず、保護者の一言により、教員の人格をも崩壊させ、鬱状態になり、教員を辞めざるえなくなったり、その命までもが奪われてしまうことだってある。
昨日まで味方だった保護者が、今日からは最前線に立って攻撃をしてくるということだってある。

私たちは教員は、いつもこのような断崖絶壁を歩いている。

「いつも、保護者対応ありがとうございます。」
分かっている管理職なら、そう励ましてくれるだろうが、
「大事にならなくて、安心したよ。」
という思いが見え隠れするならば、
「今回も大変でしたね。ほんとうによく対応してくれました。」
と言う言葉も虚しく響く。

そんなときは、
「保護者のクレームを受けることが教師の仕事ですから。保護者は不安や不満を誰にもぶつけられない訳ですし…。」
などと、強がりを言って、自分自身を励ますことにしている。

いずれにせよ、保護者を味方にすることは難しい。
期待が大きければ大きいほど、裏切られたときは、その反動も大きく、その反動が怖くて、躊躇してしまう。

以前は、ごく一部の保護者を意識すれば良かったが、現在はそうはいかない時代に突入している。
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