2019年06月06日

響く声

真言宗の御詠歌の響きは心地よい。
このところ父の法要があり、何度か聞く機会を得たが、なんとも言えない調べがある。
張りのある、響きを伴う読経の声もいいものだ。

僧侶は、毎日のお勤めから、法要と読経の経験が豊富だ。
プロなのだから当然なのかも知れないが、私は、その響きを美しく思う。

教員の世界でも、張りのある声は、生徒たちによく届く。
体育科や運動部の顧問は、たいていそうした声が自然に出る。

私が幼い頃は、声が出なくて、大人たちに何度もたしなめられた。
だから、
「お前が、学校の先生なんてできるのか?」
などと、何度も親たちに言われたものだ。

それが、今では、当たり前のように声を出せるようになっている。

教員に成り立ての頃は、「集団を集めて一斉に指示をするなど、自分にはできない」、と思っていたが、声が出るようになると、「何でもないこと」、に思えるから不思議だ。

私は、若い先生には、「積極的に集団への指示出し」をさせているが、ポイントは、「響く声」と、「的確な指示」だろう。

とにかく生徒たちに聞こえなければ、何を言おうと指示にはならない。
「聞かせる」工夫も必要だが、その工夫をするにも、「声」が要るだろう。

中には授業でも、ボソボソと話してしまう先生もいるが、そういう先生は、屋外などでの集団指導は難しいだろう。

思うに、授業中に、叫んでしまうくらいの声を出している方は、それが最大で、教室外ではとても声が届かないだろう。

中には日常会話でも、「声がうるさい先生」もいらっしゃるのだが、これは職業上の副産物かも知れない。個人的には、あまり好きではないが…。

一言で生徒を聞かせ、指示するためには、どうしても張りのある響く声が必要になる。

教員対象のボイストレーニングもあるようだが、実は声の出し方にはコツがある。

私は、歌唱時の発声に似ていると思う。

慣れてくれば、今の自分の声が響いているかどうかも、自らの耳で感じ取ることもできるものだ。

「響く声」は、教員にとって大切なスキルの一つなのだろう。














2019年04月02日

新人たちへのアドバイス

新人には、「何をしていいか分からないからじっとしているタイプ」の人と、「何をすべきかを尋ねようと、うるさいくらい話しかけてくるタイプ」、がある。

私はこのどちらも駄目であると思う。

まず、「じっとしているタイプ」だが、新しい職場で何をしていいか分からないのは当然のこと。ただし、誰も何も指示をしないということはあり得ない。一つや二つは、上司から指示があるはずである。実は、先輩たちは、「それを完璧にこなせるかどうか」、を見ている。ある意味、品定めである。
一を指示して、二も三もできる人物であるか、あるいは、一を指示して、右往左往するだけの人物であるか、ということだ。

新人は丁寧に育てるべきだとは思うが、その人物がどんな性格かは、何かの仕事を与えてみればわかるというもの。

ただじっとしているだけではだめだ。
残念ながら、じっとしている人を、「必死でやっているな」、とは判断しない。
「もっと積極性が必要だな」、と思っているはずである。

一方、「話しかけまくる」、というのも駄目だ。
先輩諸氏は、新年度の超多忙な時期を迎えている。
はっきり言って、右も左も分からない新人の世話を焼いている暇はない。
だから、「これやってくれ。あれやってくれ」、と頼みたいくらいなのだ。

先輩たちは、「この仕事ならできるのではないかな…」、と、新人君にあれこれ考えて指示をする。
実は、「これを雑用とみるか、そうでないと見るか」が大事なのだ。

その仕事を通して、現場を学び、考え方を学べる仕事ならば、それは断じて雑用ではない。
しかし、それを「単なる雑用」、としか見られない新人にとっては、学びも教訓も得ることなく、「単に雑用を押しつけられた」、と感じるのだ。

この差は大きい。

だから新人の方は、何か仕事を与えられたら、その意味を確認することを忘れてはならない。
「今、何故これが必要なのか」、が分からなければ、それは雑用になってしまう。

そういう時こそ分からないことは聞けばいい。
その仕事の必要性と意味をを理解できてこそ、組織は回っていく。

先輩諸氏は、さりげなく、新人たちに声を掛けるといい。

黙々と自分の世界に入ると、新人はますます声を掛けにくくなる。

だが実は、先輩たちは何気ない声かけによって、新人が、「どう反応し、何を答えるか」、も見ている。

新人諸氏は、ぜひこのことを意識されるとよろしい。









2019年03月29日

授業に行くときの緊張感

新人の頃は、授業に行くのが怖かった。
「生徒がどんなことを言ってくるだろうか。そして、それに対して、上手く切り返しができるだろうか。」
「私の授業を批判されたらどうしよう。」
「生徒指導上の事件が起きたら、どう対処しよう。」

当時、「少なくとも授業中は一国一城の主」、と言われた時代である。
授業中のことは、担当教員が責任を取るのが当然だし、授業の秩序を保ち、かつわかりやすい授業をして、さらには実力をアップしつつ、生徒との良好な人間関係が求められたのである。

だから、「授業中○○君が、こんなことをしていました…」、などと担任や学年主任に報告するのは、よほどのことでないとできなかった。

「君の授業だからそういうことをしてしまうんでしょ。もっと集中させなさいよ。授業が面白くないから、生徒はいろいろなことをやり出すんだ。」
と、言われそうで、これまた別の意味で怖かった。

だから、授業にいくときは、「よし」、と気合いを入れて、職員室を出て行ったことを思い出す。

昨今の新人君の中には、授業中の様子を事細かに私に報告してくる方もいる。
「○○君が寝ていました。」
「○○さんが、忘れ物、しました。」
「○○君が、マンガを読んでいたので没収しました。」
「○○君が、授業の妨害をしました。」
「○○君が、宿題を出しません。」
担任であり、学年主任である私への配慮なのかも知れないが、ある程度は授業を担当する先生自身がコントロールしなくてはいけないことも多いだろう。

「寝ていたなら起こして下さい。」
と、言えば、「起こしても起きないんです」、となる。

「忘れ物させない指導に務めて下さい。」
と、言えば、「厳しくできないんです」、とくる。

授業に関係ないものを没収されたり、宿題を常習的にやってこない生徒については、報告してくれるとありがたい。
ただ、それでも、授業担当する先生が解決に努めることだってできる。

協力して指導した方が、指導が一枚岩になり、効果的なこともあるが、いつでも立場のある先生に言えば、その先生は、「自分で指導できない」、ことを生徒にアピールしてしまうことにもなりかねない。

かく言う私の方は、報告を受けても、生徒には素知らぬ振りをする。
しばらく経って、同じ事をすれば、次は追及し、指導に入る。

掃除の時間にさりげなく注意することもあれば、個別に話をした中に、さりげなく注意を含めることもある。

この辺りが教員としての指導のさじ加減である。

「授業中起きないような、つまらない授業をしているんでしょ。」
「忘れ物させないルール作りをしていますか?」
「宿題を必ずやる、というムードになっていますか。どういう指導をしたのですか。寄り添って一緒に解いたことありますか?」

あからさまに若手の先生たちに、こんな風に言うことはできないが、そういう思いも一部には持っていることを忖度すべきであろう。

教師は、『授業ができて一人前』、というのは今も昔も変わらないはずだ。

今は授業に行くときに恐怖感を感じることはない。
それどころろか、「ワクワク感」を持っている。
私がワクワクしながら授業をすれば、生徒たちにもその思いは伝わる。

だが、恐怖感を超えた、ある程度の緊張感は持つべきであろう。












2019年02月02日

教員としての自覚

都市部の中高一貫の私立学校は、とかく休みが多い。
この休みとは、主として生徒が休みの日ではあるが、教員にとっても何となく、気が抜ける日であるかも知れない。

例えば、定期試験が終われば、採点日と称して休みになる。採点が終われば、成績をつけると言って休みになる。生徒には自宅学習日と言っているが、要は授業をしないで、先生方の事務処理に当たるという日である。その間、部活動を行っている学校もあるが、生徒にとって完全に休み、という学校も多い。

私が以前努めた学校は、土曜日も授業があった。
当時は、土曜日は授業をするのが当たり前の時代で、その後、週2回になり、そして公立学校は休みになった。

その流れを予測してか、組合を中心に、『研修日』なるものを要求し、週に一度、平日もしくは土曜日に教員が休みを取れるようになった。

大義名分は、「教員が各自、教材研究等、自己研鑽を行うことで、よりレベルアップした満足度の高い授業、教育が行われる」はずだ、という考えに基づいている。

確かにその通りで、自己研鑽の時間は絶対に必要だとは思う。

しかし、それを当然の権利として主張して、それによって時間割まで調整しなければいけなくなるのは、ちょっとやり過ぎだと思っていた。土曜日が休みになって、おそらくこの『研修日』制度はなくなったであろうと思うが、新人時代の私は違和感を覚えた記憶がある。

都市部の中高一貫私立学校では、部活も週3回になったり、長期休暇も長かったりする。
このあたり、公立学校との差が著しい。

『「土曜日も部活があり、日曜日も大会で先生は顔を出していた。試験の採点も自宅に持ち帰って、夜中まで仕事をしていたようだ」、というこのような教員の姿が、目に見えぬ尊敬となり、教員は聖職者であると言われた所以でもある。』
という話を聞いたことがある。

現代の多くの教員は、同意どころか、反発さえ感じるとは思うが、昨今の教員の指導力不足と言われる背景には、尊敬を失いつつある教員の姿、聖職者であることを拒否している教員の姿があると思われる。

保護者のほとんどが高学歴になった今、尊敬を得るにはプラスアルファの部分がなければならない。

それが、「徳」であったり「自己犠牲の精神」であったりするのだが、『権利』ばかりを主張すると、そうした美しい姿は消え去ってしまうわけだ。

教師が労働者になってしまったら、教育の質は低下する。
労働者としての意識があると、『ブラック』と呼びたくなるものだ。

日本の教育は、先人たちの多くの自己犠牲によって、作られ、継承されてきた。
彼らは時間を切り売りしようとする意識はなかっただろう。

教育は国の基だ。
それに携わらせていただいているという自覚を、もっと持つべきではないだろうか。

日々、自己研鑽し、学び続ける姿。
自ら徳を磨いてゆこうと努力し続ける姿。
教育にすべてを捧げようという気概を持ち続ける姿。

こうした教師が、尊敬される教師であり、聖職者なのだと思う。








2019年01月29日

不幸の予言

医者は概して最悪のことを言う。
「家族を呼んでください。今夜が山場なので、覚悟しておいて下さい。」
要は、今晩命が終わる可能性があるという、死亡宣告のようなものである。
この予言(?)が、外れても、医者は責められることはない。むしろ感謝すらさせる。
また、この予告通り、死んでしまったとしても、
「やっぱり医者の言うとおりだった…。」
と、これまた責められることはない。
医者は自らの立場を護るために、最悪のことを言っておくのだ。

先日も、そう宣告された同僚が、医者の予想に反して回復し、昨日から職場復帰した。
「静養中は、同じニュースを一日三回ずつ見て暇だった。」
と、笑いをそそる様は、以前の彼と何ら変わらない。
ひととき危篤であったことなど、信じられない回復ぶりだ。
こうした関係者は必ず、「医者の言葉を信じてはいけない」、と言う。

一方教員の世界ではどうだろう。
「先生、うちの子良くなるでしょうか。」
と、保護者に尋ねられたら、ほぼ間違いなく、
「大丈夫です。必ず良くなります。信じて待ちましょう…。」
と言うに違いない。

逆に、
「もう無理だと思いますよ。変わりません。」
とでも言おうものなら、クレームになる。
だからたとえ、難しい状況でも、全否定はしない。
人間の可能性は、無限なのだから、その可能性にかけるという意味でも、かならずポジティブな面を探す。

医者は不幸の予言をするが、教師は幸福の予言をする。

それは、命に関わることかどかの違いではないだろう。

どこまでも子どもの成長を信じての、発言なのだ。

もちろん医者だって、
「大丈夫です。きっと良くなります。」
と、宣言することもできる。
しかし、「統計学的にこのパターンだと十中八九治らない」、などと考えてしまえば、もはや医者自身が自分の言葉を真実ことはできず、言葉に重みもなく、ただの気休めになってしまうのだ。

心底信じられるからこそ、言葉に力が湧く。
その言葉の力が、周りの人を励まし、元気にし、善導する。

教師たる者、自分は不幸の言葉が多いのか、それとも幸福の言葉が多いのかを、時折チェックしてみるべきだろう。

不幸の予言者にならないためにも…。








2018年12月29日

足を引っ張ってはいけない

母校での教育実習中、大学のゼミの先生が実習の様子を見に来てくれた。
そのとき、
「おい丹澤。大学院への推薦、決まったぞ…。」
と言われた。

「ちょっと勉強が足りないな。もう少し勉強したいな…」、と思っていたところだったので、本当に嬉しかったことを思い出す。今となれば、ほとんど勉強せずに、修論提出間際では、非常に苦しい生活を強いられたのだが、それもいい経験だ。何年も前に退職したゼミの先生からは、年に二回のゼミコンパの案内が未だに届く。

ただ、進学に伴い、両親にさらに金銭的な負担を強いることなったことは否めない。未だに両親への恩替えしはできていないので、胸が痛む。

と言うわけで、教育実習の最中に、
「来年の非常勤講師の採用お願いします。」
などと、大胆なお願いをして、無事実習を終えることになる。

教育実習で学んだことは数多い。当時は、恩師が勢揃いしていたし、二年連続で数学の先生が担任だったこともあり、本当に学びの多い実習になった。

今だから思えるのだが、教員にとって卒業生が訪ねて来てくれることは、とても嬉しいことだし、ましてやその卒業生が、新人として戻ってきてくれることは、この上ない幸福を感じるものだ。

そういう意味では、非常勤時代(大学院時代)のたった二年間だったが、母校への多少の恩返しはできたのではないか、と思う。

まだまだ若かった私が、大した授業ができるわけではないが、生徒たちにも一生懸命さは伝わったようで、実習の時に書いてもらった生徒の感想や、非常勤時代の資料は、三十年以上経った今でも捨てられない。

だから、教員になって実習生を抱える立場になった時には、どうしてもハードルを上げてしまう。
「本気で教員になる気があるの?」
と、疑いたくなる人だっているわけだし、中には、
「この教育実習が、社会人になった時のいい経験になると思います。」
などと、平気な顔をして挨拶する強者だっている。

教員の仕事のブラック化が叫ばれている中、「人手不足だからで選んでいる場合ではない」、状態に陥りそうな気配だが、やはり私は、教育に情熱を向けられないならば、この仕事に就いてはいけないと思う。

だから、家族を犠牲にしたり、自分の時間のすべてをなげうってでも、生徒と関わる教員を私は非難することはない。「本当に、ありがとうございます」、と労をねぎらいたい。
学校には、一人や二人、そういう教員がいたっていい。

彼らは目に見えない徳を積んでいるのだろう。
勤務時間だの、法律だのを超越した、自己犠牲や奉仕の精神があるからだ。

だが、すべての教員にできることではあるまい。
だからといって、平均レベルや、レベルの低い方に合わせるように、足を引っ張ってはいけない。

私自身、教員になりたくて、教員になり、教員としての人生を過ごしてきた。

まだまだ元気なうちに、できる限り、その思いと、知恵を伝えていきたいと思う。








2018年12月03日

できるだけ早く退勤する 〜若手の先生方へのアドバイスE〜

教員になりたての頃は、教師のとしての仕事が何もかもが新鮮で、毎日が楽しく仕事をする。
だから、遅くまで学校に残って仕事をしたり、「生徒のために」、と凝ったプリントやら通信やら、ノートやらを作って、「喜び」に浸っているだ。
「若いんだから、頑張れ。」
などと、先輩教師からいい加減な声を掛けられ、ますます遅くまで学校に残ることになる。
そんなとき、管理職が遅くまで残っていると、ますます帰宅しにくいが、残って仕事をしている先輩教師から、いろいろなアドバイスを聞けるのも、こんな時で、ある意味貴重な時間であるとも言える。

だが、しばらくすると、「夢の教員になったものの、結構ハードだな…」、と思うようになる。
あれもこれもと仕事を抱え、一日では処理しきれないくらいの量になり、結果、仕事を家にまで持ち込む。

それでもあえて言いたい。
「いつまでも学校に残っていないで、早く帰りなさい。」

その仕事は、本当に必要なものなのか。教育委員会やら管理職からの仕事は、とりあえず置いておいて、自分の持っている仕事について、精査した方がいい。
「このプリントは本当に必要なのか。もっと時間を短縮できる方法はないのか。別のアイデアで代えることはできないか。」
そして、
「そもそも、やらなければいけない仕事なのか。」

私は、「部活指導を断りなさい」、とか、「上司に逆らいなさい」、などと言っているのではない。
「自分の持っている仕事について、無駄な部分や、不要な部分がないか。」
また、
「以前からやっていたことだから、と流れでやっている事の中で、やらなくてもいいものはないか。」
こうしたことを、まずは自分の仕事の中で検証してみることを勧める。

ある意味、クラス運営や授業は、自分の裁量に任せられている部分の多い教育活動だから、いろいろな事を試してみてよいのだが、「何も考えずにやっている」のだったら、まずはその効果を考えてみるべきだと思う。

その上で、
「ルーチンになっている事務仕事は、いかに素早く処理できるか。」
についても、工夫すべきであると思う。

「遅くまで学校に残っている先生が、いい先生であり、優れた教育者であるわけではない。」
ことは、断言したいと思う。
だから、できるだけ早く退勤できるように、工夫に工夫を重ね、いかに素早く終わらせることができるかを、考えて実行すべきだと思う。

私が新任の頃、先輩教師から、
「おい、帰るぞ。」
と、無理矢理帰らされた。と、言っても飲みに連れて行かれただけなのだが、今から思えば、いろいろな話を聞けた楽しい時間でもあった。仕事途中で困ったこともあったが、帰宅してやったこともあるが、やらなかったこともある。
やらなくても済む仕事は結構あるものだ。

常に仕事の内容を精査することを勧めたい。




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2018年11月28日

遅刻をしない 〜若手の先生方へのアドバイスD〜

ここでいう「遅刻をしない」、というのは、生徒指導の話ではない。
教員自身の話である。
別に若手の先生に限ったことではないが、遅刻の常習者は社会的信用を失っていく。

私も以前勤めた学校で、遅刻常習の先生が、翌年クビになる、という出来事があった。
彼は週三回くらいの割合で、職員打ち合わせに遅刻した。
数分くらいのものだが、年間としてカウントしたら膨大な遅刻日数になる。
その姿を見て、教頭らは「許せない」、と思ったのだろう。

私が最初に専任教諭として勤めた学校は、系列の大学があったが、年5回の遅刻で、大学への推薦が消えた。
「結構遅刻にシビアなんだなぁ…。」
と、新人ながらに厳しく思ったことを思い出す。
その学校は、いわゆる皆勤する生徒も多く、大学の先生による入試の面接で、
「皆勤賞の競争をしているのか?」
などと、揶揄されていた。
「そのときは、大学の先生と高校の先生では価値観が違うんだな。」
と、思うことにした。
だが、今でもどちらが正しいかは分からない。

『教師が時間に対していいい加減で、生徒に説得力ある指導ができるのか。』
というのが、私の考えである。

社会では、多くの組織が出勤時間や退勤時間が決まっている。
学校現場は、ひたすら残業が続いて、いつまでも仕事が終わらない傾向にある。
だからといって、自分の判断で、出勤時間を遅らせてよいわけではない。
現に、生徒は登校し、スケジュール通りに動いているのだ。

今の私の学校でも、時々寝坊して遅れてくる先生もいるが、ちょっと情けないと思う。
私は、出勤する日の朝は、目覚ましなどなくても起きることができる。
さすがに夜中の2時、3時まで起きていたら、目覚ましをかけるが、それでも緊張して目が覚める。
だから、遅刻をしてくる同僚に、
「仕事に対する緊張感が足りないんじゃないか。」
そう、思っていたが、どうやら本当に起きられない人は、世の中には一定数、いるらしい。

さすがに、「他の人よりもいち早く出勤して、お湯を沸かして、お茶の準備をして…」、という時代ではないが、新人が遅れてくると、やはり風当たりは強いはずだ。

自動車通勤なら、渋滞のリスクもある。
電車なら、『遅延証明書』でとりあえず遅刻は免れる野かも知れないが、たとえ、いつも通りに出勤できなくても、遅刻しないくらいの、意気込みは大事ではないだろうか。

私の場合、以前は出勤時間の一時間以上前に学校に着いていた。
朝は、静かに集中して仕事ができるので、遅くまで残って仕事をするよりも効率がよいのだ。
それに、通勤途中に多少のことあっても、遅刻にならないことも多い。

職員打ち合わせ中に、そろそろとドアを開けて、申し訳なさそうに職員室に入室してくる様は、あまり美しくない。だったら、「一時間遅れて行こう」と、遅刻を申請する方も、公立校には多いと聞く。

「自分の不注意で、生徒や他の先生に迷惑をかけまい。」
という強い使命感があれ、遅刻常習になることはあり得ないだろう。

若手の先生方に、是非伝えておきたいことがある。
それは、
「勤務時刻の遅刻はもちろんだが、授業の遅刻も駄目ですよ。」
ということだ。

「どうか始業のチャイムで授業を始め、終業のチャイムで授業を終えて下さい。」
そして、
「その他、ありとあらゆる機会で、『時間を守る』ことに力を注いで下さい。」

そうした日常からの努力が、生徒と関わるときに必ず効いてくるものだ。
信頼感は、日常の凡事徹底から生まれる。








2018年11月22日

教室の机を揃える 〜若手の先生方へのアドバイスC〜

教室の机が乱れていると、クラスの雰囲気が悪くなる。
雑然とした中では、良い授業など絶対にできないだろう。
教室の机は、縦横がそろってこそ、整然とした状態になる。
だから、教師は机の整頓を強く意識しなければならないと思う。

ベテランの先生なら、授業開始時に机が乱れていたら、必ず
「机をそろえなさい。」
と言う。しかし、机の整頓に無頓着な先生は、机が乱れたままで授業をしようとする。
しかし、これでは授業を始める状態になっていないということを知るべきだ。
授業がうまくいっていない先生の授業は、たいてい机が乱れたままになっている。

小学校や、中学でも学校によっては、床に机の位置のマークが付けてある。
このマークがあれば、素早く机の整頓ができるだろう。

しかし、私のクラスでは、あえてマークはつけていない。
「マークがなくても、縦横きっちりそろえる」、ことを指導しているからだ。

確かに掃除の時などには、マークがないために、多少の時間がかかる。しかし、生徒たちはどうしたらきれいに整頓できるか、あれこれと工夫をする。そして、しばらくすると、マークなどなくても、きちんと机が並べられるようになる。

授業の初めに机が乱れている場合でも、前列さえそろえられれば、全員が左右を見ながら、さっとそろえられるようになるのだ。
何も考えずにマークに合わせるよりも、『互いを意識』しながら机を整頓そろえられた方が、「全員で協力してきれいに並べよう」、という意識になる。

「席を立ち上がる時に、椅子を入れる」、という習慣も定着させたい。
それが、「まずは自分のことよりも、公共のことを考える」、訓練になるだろう。

凡事徹底の部分だが、まずは『意識する』ことが大切だ。
「何も考えない行動ではなく、意識しなければならない行動へマインドを変えていくことが、公共心を育てることにもつながっていく。

いつもきれいな状態であれば、乱れたときにはよく目につくようになる。
生徒の目が肥えるようになるためにも、常に美しい状態を維持しておくべきだ。

先生の指示がなくても、生徒たちが自然に、当たり前の行為として、机の乱れを直してゆければ、最高だ。

かつて学校が荒れていたとき、
『服装の乱れは心の乱れ』と言われたことがあるが、『机の乱れは、教室の乱れ』に直結する。
黒板を徹底的にきれいに、カーテンをまとめ、掲示物をきちんと管理。まだまだいろいろあるが、教室に入った瞬間、
「整ってるな…。」
と、思えなければ、何か足りない部分があるということを認識しておきたい。

もちろん、私自身もまだまだ完璧ではないのだけれど…。








2018年11月21日

授業準備 〜若手の先生方へのアドバイスB〜

「一時間授業をするのに、その3倍の時間をかけろ」、とか、「10倍の時間をかけろ」、などと言われることがあるが、残念ながら、通年を通しての授業準備で、これだけの時間を掛けることは難しい。
授業だけやっている『教員』ならまだしも、通常は、学校に関するありとあらゆる仕事をしなければいけないのが、日本の教員だからだ。
中には、
「授業の準備に、思う存分時間をかけられたら、どんなにいいだろう…。」
などと、かなわぬ夢を持っている先生もいるだろうが、それはそれで、また淋しいものだ。

現実的には、「どこかでまとまった時間をとって、一週間分の授業案を作る」か、「毎日、他の仕事に追われながら、翌日の授業準備をする」、ことになるのだろう。

特に、新任の場合は、その準備に膨大な時間がかかる。
だが、「机に向かって授業ノートを作るだけが、授業準備ではない」し、「授業プリントを作ることだけが、授業準備なのではない」、ということは銘記しておきたい。

新任の頃、先生の先生に、
「ずいぶん親切なプリントを作るね。」
と、言われたことがある。そして、
「このプリントだと、板書を力はつかないね。」
とも言われた。
私の教科は数学だが、そのとき、穴埋めばかりのプリントを作っていたのである。

今から思えば、確かにその通りだろう。

『生徒に良かれと思ってやったことが、実は生徒の成長を妨げる』、ことは、教育活動の中では、随所にある。

私の場合、授業準備で机に向かっている時間は、きわめて少ない。
授業の準備は、どちらかと言えば、何か別のことをしている時の方が多い。
たとえば、「歩きながら」でも、授業の構想を考えているし、他の仕事をしながらでも、授業中に話をする話題を考えている。
だから、机に向かって準備しているのは、どうしてもそこでなければできないことだけに限っている。
だいたい、ずっと座っていることは性に合わないし、教師はあまり座っている時間がないのだ。

一回一回の授業には、コアとなる部分があるので、「ねらい」と共に、そこから押し広げていけば、50分のストーリーは作れる。それを頭の中でイメージしながら、肉付けしていく。それを、定型文章化すれば、授業案になるわけだ。

もちろん、初めての教材の場合は、十分な時間をかけることが必要だろう。
関連の参考図書も読んでおきたいし、教材のねらいも熟知しておきたい。

しかし、それもすべてを机に向かってやる必要はないはずだ。

若手の先生は、自分の「授業ノート」や「授業プリント」、「テスト問題」などを、是非先輩の先生に見せてアドバイスを受けることを、勧める。

絶対に、自分が気づいていない指摘をしてくれるだろうし、たとえその指摘が、自分の方針に合わなかったとしても、必ずや何かしらの学びを得られるはずだ。

『教わるのではなく、盗め』と言われ続けた教員の世界だが、職業柄、聞けば答えてくれるのが教員だ。
だから、「教育実習生ではないのだから…」、などと恥ずかしがらず、勇気を出して声をかけてみたらいい。

何年も生徒を指導している先輩教員は、目に見えない智慧をたくさん持っているのだ。

教師は、一人前に授業ができてこそ、その一歩を踏み出せる。
だから、その準備は手抜かりなく、いろいろな場面で、楽しんでやりたい。

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