2019年11月22日

臨時の練習

帰りの会が長引いたとのことで、中2の主力メンバーであるT君とS君は、が練習に来なかった。

練習場所が学校の外にあり、時間になると、私は部員たちを連れて出掛けてしまう。
遅れて来ると、私の運転する自動車には乗れず、5キロの道のりを走ってくることになるのだ。

だが、今日は臨時の部活動。7時間目を終えて、すでに日没時間を過ぎ、辺りは暗くなっている。
前日に、「走りたくない!、と叫んでいたT君と、「」暗いところが怖い」、と興奮していたS君が、反射たすきをつけて走ってくることは、まず考えられなかった。

今日は、たくさんの臨時部員が練習に参加してくれた。
中2は、キャプテンのI君一人だけだったが、よくリーダーシップを発揮し、集中力ある有意義な練習にしてくれた。

「なかなか上手いじゃない…。」
気合いを入れてテンポ良く練習していると、上達が早いのだ。
そのときこそ、間髪入れずに、技術的なポイントを教える。
すると、さらに上手くなる。

彼らがやる気になり、モチベーションもテンションも高まったときが、指導のチャンスなのだ。

ネットティーをしていると、まったくバットにボールが当たらないK君がいた。
彼は、正式な野球部員だが、少し伸び悩んでいる。

K君は、だんだん悲しくなって、涙を流しながらバットを振り続けていた。
ボールとバットの軌道が、ねじれの位置にあると、絶対にボールは打てない。

あれもこれもと言っても、ますます打てなくなると思い、腰の回旋だけでバットを振らせてみた。
すると…、当たるのである。鋭い打球が次々と出た。

泣きべそをかいていたK君は、「少しずつバットを上げて…」、という私の指示通りに振っている。

途中で時間切れになったが、K君はこの先もがんばって練習を続けるだろう。

学校に戻ると、T君とS君がいた。
ずっとバットを振っていたという。
案の定、グランドの周りすら走っていなかった。
二人して、楽な方へ流れたのは間違いない。
もし、どちらか一人だけだったら、同じ状況だったろうか、と疑問が残る。

だが今日は、彼らがいなくても、十分練習できた。

願わくば、二人のモチベーションが高いことを祈るばかりである。
 

2019年11月21日

苦手な人

心の修行で一番大切なことは、『心を揺らさない』ことだという。
心を乱さないというレベルではない。揺らさないのだ。

人は、何かが起こると、たとえそれが外的影響であろうと、何気ない他の人の一言であったとしても、心を平らかに保て、というのだ。

「丹澤先生、ちょっといいですか?」
この言葉は、前校長の常套句だった。
このあと、たいていどこかに連れて行かれ、なにやらお叱りを受けるというスタイルである。
前校長が異動になったのちは、何故か、I先生がこの方法を多用するようになったのである。

最近とみに頑固になってしまったI先生は、誰に対しても苦言を呈する。
I先生とは、ほとんど年齢が同じなのだが、歳をとるとは、こういうことなのかと、自分はこういう頑固じじいにならないようにと、自戒する毎日である。

私は、彼のその慇懃さが、あまりに白々しく、どうしても好きになれないのだ。
「心を揺らすまい」、と思いながらも、どうしてもI先生に対して、私は心を乱してしまう。

以前は気にならなかったが、職場にこうした苦手な方が二人いる。
お二方に共通するのは、どちらもその言動が、「自分は絶対に正しい」、というムードが見え隠れし、鼻につくのである。

どの職場でも、そういう方はいらっしゃるだろうし、逆に、私自身が周りの人から、そのように見られていることは想像に難くない。

だが、未熟な私は、やはり心を揺らしてしまうのである。

できるだけ話をしないように、少し距離を置いてはいるが、そういう時に限って、先方が近づいてくる。

以前読んだ本で、『人の嫌な面を一つ見つけたら、その人の良い面を十個探しなさい』、とあった。
これは効果覿面、私はこの方法でたくさんの苦手な人を克服してきた(つもり)だが、今回に限っては、なかなか重い腰が上がらない。

別の本には以下のように書かれていた。

心を揺らすな。
口数を少なくして、ささやかな努力を積み上げていくのだ。
あきらめるのは、まだ早い。

いろいろな本で、私自身も励まされる。

まだまだ修行が足りないようだ。

2019年11月18日

自己主張

「自分が、自分が…」、という思いは醜い。
何かしらの成果を上げたとき、確かにその功労者はいるのだが、
「これは、僕の力で成功したんです」、などと言われると、祝福しようという気持ちが萎えてくる。

「やったことを自分で言ってしまうと、価値が消えてしまうんだよ。」
「それじゃあ、誰がやったか分からない内じゃないですか…。」
「見ている人は見ているんだよ。それに神様はみんな知っているんだよ。」

日本人の美徳と言えば聞こえは良いが、欧米ではきちんと自己主張しないと、その実績が評価されないらしい。

「丹澤先生、髪、切ったんですか?」
6ミリの坊主頭に整えた私の頭を見て、隣の先生が話しかけた。
「何で、見れば分かることを、取り立てて言うのだろう…」、とひねくれた私は、そう思ってしまう。
そう言えば以前「女性は周りの人から些細な変化に気づいて欲しいという生き物である」、と聞いたことある。

新しい服を着れば、指摘してもらいたいし、髪型を変えても、何か言ってもらいたい、と言った具体だ。

元来無骨な私は、世の女性陣のそうした「変化」を発見することもできなければ、声を掛けることもできない。一方で自分も、「できれば声を掛けて欲しくない」、と思ってしまうのである。

勝ったばかりの服を着て、「新しく買ったんですか?」、などと声を掛けられると、赤面するくらい恥ずかしく思ってしまう。

おそらく、人間付き合いが苦手なのだろう。
「女性には声を掛けるものだよ」、などと言われると、逆に意識しすぎて疲れてしまうのだ。

そんな私だから、たいていの自己主張は、あまり好ましく思えない。
多くの人は、本当は褒めて欲しくて、何かしらの声を待っているようなのだが、それに気づかないふりをして、心の中で声援を送る、という私のスタイルは、世の中には受け入れられないらしい。

私は、生徒をそういう風に見てしまうので、とてもとても褒め上手とは言えないようだ。
また、上司もそういう見方で部下を見て欲しいと思っているので、上司から「あなたの実績はなんですか? 良い点は何ですか?」などと尋ねられても、答えることに躊躇してしまうのだ。

上司ならば、部下の長所をきちんと指摘して、
「○○をされて素晴らしいですね。さすがです。先生の長所ですね。ところで、それは、どういう意識で取り組まれたのですか?」
などと、聞き出せばいいのになぁ、と思ってしまうのだ。
そうでないと、結局は何も見てくれていないんだなぁ、とやや失望感が漂ってしまう。

どこまで自己主張をするのかどうかは、私には分からない。
ただ、言い訳を強調して、さも自らの責任を回避しようとする様は、やはり醜い。

ともあれ、やっぱり私がおかしいのだろうか…。

2019年11月16日

強化練習会

今年も中高強化練習会が行われた。
高野連と中体連のコラボによる、年一回の合同練習会である。

高校生や高校の監督たちが、中学生を指導し、少し硬式に触れさせる。
高校生のほとんどは、地区の学校の野球部の卒業生でもあり、これまた説得力がある。
高校の監督も、中学生からは雲の上の存在のように思えるので、一言ひとことを真剣に聞く。
対象は中2なので、リーダーとして意識の芽生えた選手たちが、学んでこれを一年生に教えようという気持ちで聞いているので、吸収も早いのだ。

私の学校からは、今年は4名参加させた。
バッテリー、内野、外野に分かれての練習。

「最低十五人とは、練習中や急の話をしなさい。」
という私の指令の下、内弁慶の彼らは、必死で話しかけたようで、
「先生、目標達成しました!」
と、嬉しそうに言う。

「本当の目標は、野球を学んでくることなんだけどな…」、と思いつつも、彼らの奮闘に私はほくそ笑む。

考えてみれば、全員が同級生。同じ中学二年生だ。
野球という共通項を通して、互いに交流できるのは、とてもいいことだと思う。

この練習会は、「中学生が昼食を食べながら高校野球の試合を間近で見る」、というイベントも用意されている。

中学生たちは、彼らの有志に感動しながら、高校野球の技術とスピードの違いを肌で感じるのだ。
「試合中ベンチに入ってきていいですよ。実際どんな声を出しているか、聞いてみたらいい…。」
高校の監督から、最大限のサービスもあった。

試合を見るのは、中学の先生たちも同じなのだが、こちらは見る視点が違う。
試合に出ている生徒たちは、かつての自分の教え子たちでもある。

高校の選手たちは、かつての恩師に勇姿を見せたいだろうし、中学の先生たちは、自分の教え子であることを誇りに思い、何となくいい気持ちになる。
中学で野球をやっていると、実際に高校野球の試合を生で見る機会は、意外と少ない。
試合のあるときは、中学でも練習しているからだ。

そんなたくさんのプレゼントをもらって、いよいよ野球部も冬のシーズンに入る。

「これだけトレーニングをやれば、中学生はヘロヘロだろうね…。」
と、私がつぶやくと、近隣の先生は、
「うちは、毎日これ以上トレーニングさせていますよ。」
と言う。
その結果は、春以降に効いてくるのだろう。

私自身も、いろいろヒント得られた練習会でもあった。




2019年11月15日

一夜の生徒部屋生活

23時からのミーティングが終わって、部屋に戻るととても寒かった。
生徒たちは、もう寝ているようだ。

「窓が開いているのかな…」、と窓に近づいてみたが、空いているようには見えなかったので、私もそのまま寝てしまった。

今回の宿泊研修では、男性教員は三つに分けた男子生徒の大部屋で一緒に寝ることにした。
その方が見回りの手間も省けるし、夜中に騒ぐこともなくなる。
私以外の男性の先生は、若手の担任なので、同じ部屋で生徒と一緒に過ごすこともできるわけだ。

これは私が提案した。
昨年は、少人数の小部屋で、見回りが大変だったが、大部屋であれば、一気に生徒指導ができる。
指導と言うよりも、生徒と一緒に過ごすという時間も、先生にとってはそれもいい経験になるはずだ。

それでも、夜中に寒くて目が覚めた。
夜中と言っても,普段目が覚める早朝4時。
今朝は愛犬の散歩をしないから、もっと寝ていてもいいのだが、寒いので一旦起きた。

廊下に出ると、廊下の方が暖かい。
エアコンからも冷たい風が吹いてくる。

もう一度窓に近づくと、窓は全開であった。
生徒たちは、全員が頭から布団をかぶって寝ている。やっぱり寒いのだ。

私は壁のエアコンの設定を見る。
だが、老眼で暗いところが見えない。スマホをかざそうと、懐中電灯アプリを探したが、そんなアプリはインストールしていないことに気がついた。

「んー、見えない。」
壁には、「冷房は使えません」、とは書いてあるが、どうやら設定温度が最低になっているようだ。

しかたなく、やみくもに設定温度を上げてみる。
ほどなく少し暖かい風が吹いてきた。

私はひとり、食堂に行き、ソファーに座りながら、ひたすら時が経つのを待っていた。

生徒たちの起床時間は6時半。

私は、6時を過ぎ頃、あまりに時間をもてあましたので、部屋の電気をつけ、生徒を起こし始めた。

部屋はすっかり暖かくなっていた。

生徒たちは、寝ぼけ眼だが、黙々と片づけをしている。

いつしか空は明るくなり、新しい一日が始まった。

寒かった朝も、少しずつ記憶から消えていく。
これが、先生の仕事なのだろう…。




2019年11月14日

初めての宿泊行事

中2全体で、宿泊の研修に出掛けた。
これが入学以来初めての、学年としての宿泊行事になる。

私は、昨年のこの行事で、参ってしまった。
生徒たちはあまりにだらしなく、引率責任者である私自身が、心を乱してしまったのだ。
学校に戻るなり、「連れて行かなければ良かった」、と吐き捨てた私は、その後、坂道を転げ落ちるように落ちてゆく。

私が落ち込んだ一つのトリガーでもあった。

だから「今年はどうだろう…」、と一抹の不安を抱えながら。同行したが、今年の中2は違った。
すべてがいいのである。

私は、お風呂担当と一部給仕をしたが、どちらも何も問題なかった。
誰一人、風呂場に忘れ物をする者もいなかったし、脱衣所をびしょびしょにする者も、誰もいなかった。
私が、味噌汁をよそえば、ほとんどの生徒が、「ありがとうございます」、と言う。

学年主任の強いリーダーシップと、周到な準備で、「研修宿泊は大成功であった」、と言ってよい。

そうなると、昨年の私の不甲斐なさが身にしみる。
今回も、昨年度の失敗を活かすべく、いろいろな工夫をしたのだが、この学年の生徒たちは、とても素直なのだ。

「全責任を負う」、という立場を逃れ、心に余裕を持って引率できると、こうも世界が変わって見えるのだろうか。

その一方で、「私には無理かな…」、という思いが強くなる。
「24時間生徒のことを考え続ける」ことを、無意識のうちに拒否しているかのようだ。

生徒たちはかわいい。
彼らを、「何としてもサポートしてゆきたい」、という気持ちはある。

それでも、現場を離れて、畑仕事をしたり、愛犬の散歩をしているとほっとする。

「皆さんたちは、とても素晴らしい行動でした。先方からはお褒めのお言葉をいただきました。」
研修担当の若手の先生が、最後の反省会で全員にそう告げた。

おそらくは、学年主任も担任たちも、かつての私のように、その言葉どおりには受け取れないのだろう。

だが、私自身は、まさにその通りだと思った。
まさに、お墨付きをいただいたような気分だ。

「君たち、立派だったよ。」

今の私なら、彼らにそう告げたい。





2019年11月11日

怠け者同好会

中3のT君に、
「最近運動している?」
と尋ねたら、何もしていないという。

彼はバスケットボール部で活躍していた生徒である。
両親も、姉もバスケットをしているバスケット一家だったが、そのプレッシャーから、中1の頃は、バスケから離れたこともある。

その後、両親もあまり干渉しないようにして、プレッシャーを克服すると、またバスケットを始めるようになった。

もとより運動神経もいいし、背もそこそこあるので、有望な選手として毎日活動していた。

私の学校は、中高一貫なので、受験勉強のための引退というものはない。
しかし、中学総体が終わると、参加できる大会がなくなってしまうので、中学校としての部活動は終わってしまう。

ほとんどの部活で、高校生もやっているので、「そのまま高校の練習に入る」というスタイルを推奨しているが、最高学年から、いきなり下っ端という立場、そして、「少し休んでから行こう」、という誘惑に負け、結局、高校の練習に参加している生徒は少なくなってしまうのだ。

彼らの多くは、放課後ぶらぶらしている。
勉強は、学校で出される宿題程度で、受験勉強をする者はほとんどいない。
もっとも、希望すれば全員が高校に進学でき、本番の試験で落とされることもないわけで、そうした甘い環境が、こうした事態を招いてはいるわけだが、ほとんどの生徒は『怠け者』になる。

私は彼らを『怠け者同好会』、と読んでいる。

人は、一度楽をすると、辛い立場にはなかなか戻れない。

部活の練習が厳しくても、毎日やっていれば身体も慣れてくるが、たまにしかやらなければ、結構苦しい。

という訳で、T君は、『怠け者同好会』のメンバーになった。

毎日放課後は、部屋でぐだぐだし、ごろごろしながらスマホで遊んでいるに違いない。

かすかな希望としては、T君は少し勉強するようになったことだ。

先日の中間考査でも、学年トップクラスの成績の科目もいくつかあったので、それなりの努力はしたのであろう。

人には休息が必要だ。
その休息が、次のエネルギーを充電することも多い。

T君は、今、そういう立場なのだろうか。
それとも、ほんとうに、『怠け者』になってしまったのだろうか。

結果は、高校生活を見てみなくては分からないが、これが、「積極的な休息」であることを願いたい。

2019年11月10日

一点差の勝利

先週に引き続いての練習試合である。
通常ならば、土曜日に行いたいところだが、私の学校は土曜日には授業がある。
だから、練習試合は日曜日にしか入れられないのだ。

「土曜日に授業して、午後練習。日曜日に試合や練習で夕方まで。そして次の日はまた通常の月曜日」、というスタイルは、ここ十年来のことでもあるが。昨今は体力的には厳しいものになってきた。
このパターンにより、一日中休みを取れるのは、数ヶ月に一度になる。
最近は、所用があれば、躊躇なく休みをとることにしているが、それでも授業を欠いてしまい、その間、別の先生に教室に行ってもらうのは、やはり気が引ける。

「来週までに、鍛えておきます」、と先週大差で敗れた相手校の監督は、今日も暖かく迎えてくれた。

「たとえ戦力を落としてでも、勝たねばならない…。」
というのが、私の心の中の叫びである。
もちろん、選手たちにはそんなことは言わない。

先週の試合で勝って、慢心してしまえば、今日の試合は絶対に勝てない。
そういう気持ちのさせないためにも、私自身にも工夫が必要だ。

今日の試合では、新人の中1二人、そして普段では試合に出られないメンバーも入れてみた。
ピッチャーも中2ながらも初めて試合で投げる選手、その上、エース級のピッチャーが肘が痛いというので、ほとんど試合には出さずに、スタメンを組んでみたのだ。
「これでも勝てなきゃいけないんだよ…。」
とは言わなかったが、彼らは十分分かっているはず。

イニング事のミーティングもほとんどが選手だけ、攻撃時のサインも、「ここぞ」というときにしか出さない、という状況の中で、どれだけ自分たち踏ん張れるかを見てみたいと思った。

結果は一点差で勝ったが、相手のミスで勝ったようなものだ。
ピッチャーは、どちらも良くやったが、守備のミスが多かった。
それによる余分な失点も多い。

『「悔しければ、自分から練習するだろう。やらされているうちは上手くはならない。』

私にはそういう持論がある。

以前、ある指導者が、「これからの時代は、トップダウン方式ではなく、ボトムアップ方式でなければ、勝てなくなるだろう」、と言っていたのを聞いたことがある。

あり須磨指導者ならば別だが、私のような平凡な監督は、「それもありかな…」とも思ったが、「それより先に、教えなければいけないことは山のようにあるな」、とも感じたものだ。

今のチームには、一年生ながら、チームを上げ増し続ける秀逸の人材がいる。
「彼が、チームを盛り上げ続けてくれている限り、ボトムアップもいいかもしれないな…」、とも思うのだ。

一点差ゲームは、軟式では理想とされる。だが、彼らの野球ノートには、
「パスボールで勝ったようなものだ。」
と書かれている所も見ると、選手も少しは分かってきたがな、とも思う。

二週間後に。再度このチームと試合をする。
一点差まで攻め寄られているとみて、もう一段の力をアップさせられるかが勝敗を分けるだろう。

面白い一日になった。

2019年11月09日

担任至上主義

高校生が模試をしている中、大声で話している中3がいたので、手を口に当て「しー」というジェスチャーをした。

私が通り過ぎると、三人のうち一人の生徒が、
「懐かしい…。」
と、言った。

彼女は、私が中1、中2で担任をした生徒だった。
おそらく、ここ半年以上話をしていない。
だからこそ、そう言われたのだろうが、ちょっとショックを受けた。

生徒にとって、担任とはそんな感じのものなのだ。
これまで担任は、生徒と関われ、自ずと関係も密になると思っていたが、結局はこんなものだ。

「担任ができない教員は、一人前ではない。」
私が新任の頃、ベテラン教員にそんな風に入れたことがある。
以来、「担任になること」を夢見て、三年目にして初めて担任になれた。

私は私立で、いくつかの学校を巡っているが、2校目では、長く非常勤だったので、担任になるまで5年かかった。今の学校は、2年目で担任になっている。
わたしの教員人生は、「担任になること」が、前提のような歩みだったように思う。いわゆる担任至上主義だ。

おそらくは、生徒との距離が縮まれば、指導がしやすいと考えていたのかも知れない。

今年、担任を外してもらい半年。気づいたことがある。

それは、担任だろうが、担任でなかろうが、生徒との関係においては。あまり関係ないということだ。
それよりも、中学生ならば、若い先生の方が、いろいろ相談したいだろう。

一方で、今年初めて中1の担任になったベテランの先生のクラス内の掲示は秀逸だ。
公立中学校で長く務められた方で、指導の引き出しも抱負な方だ。

ベテランならば、そうしたクラス運営もできる。
担任の実力差があれば、周りの先生や、学年主任がフォローすればいい。

「自分のクラスの生徒を何とかしなくっちゃ…。」
そう、焦れば焦るほど、空回りをして、状況を悪化させる。

情けないことだが、私は、ここ半年で、ようやくそのことに気がついた。

今、「担任をやれ」、と言われたら、まだ私にはそのエネルギーはない。

充電期間ということにはなってはいるが、なかなかエネルギーは溜まってゆかないのが現状だ。

これ以上ぶらぶらすることを、許してもらえるのかどうかは分からないが、今しばらく、現状を許していただこう。

2019年11月07日

M子の個別指導

中2の学年にM子というちょっとだらしのない生徒がいる。
学校をさぼりがちで、登校しても授業を抜け出したりと、先生たちにとって手のかかる生徒である。

そんな感じなので、一学期の終わりに、出席日数と成績不振により、校長面談が行われた。
ここで改心したかどうかは分からないが、とにかく二学期からは、原則毎日登校して、勉強もがんばる、ということを約束させた。

結果、二学期からは、朝の学活から来ることはないが、一時間目の途中には投稿誌、まずまず授業を受けている。

併せて、英語と数学に関しては、習熟度別であるのだが、それでもついて行けないようなので、その時間取り出し、学年の先生の監督下で授業をしている。

だから私も、週に一回、M子の授業が回ってくる。

「ひとたび入学させた生徒は、最後までとことん面倒をみてください。」
という、校長の方針のもと、学年の先生で、週に10時間ほど、取り出しの授業をしているのだ。

M子はいい加減な行動が多いとは言え、そんなに性格の悪い生徒ではない。
思春期特有の、内面の混乱期なのだろうと思う。
だから、私は彼女の取り出し授業が嫌ではない。

そんなに会話をするという訳ではないが、私の担当のときは、けっこう一生懸命やっている。

それでも目に余るときは、静かに一言を放つが、その後は改まる。

このような生徒は、自分の心と体のバランスが崩れているのだろう。
自分にとって都合の悪い質問が来ると、何も話をしなくなり、ずっと黙ってしまう。

おそらくは、自分の心の中で、思いがぐるぐる回ってしまうのだろう。

「こんな生徒も、あと何年かすれば、何事もなかったかのように成長してゆくんだろうな…。」

それでもM子は、親や生徒たちの焦りの気持ちよそに、自分の道を突っ走る…。

思春期は、皆の愛を受けてそれを人士の「肥やし」にする時期なのだろう。

それでも教師たちはあきらめずに声を掛け、アクションを起こす。
半ばあきらめムードの親だって、本当はあきらめてはいない。

誰もが、
「必ずよくなる。きっとよくなる。絶対に立ち上がる…。」
と、信じているのだ。
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