2021年04月09日

苦手な先生

どうしてもW先生が苦手なのです。
嫌いなのです。
好きになるなんて、とんでもないです。

あの先生の、一言ひとことが、胸に刺さるのです。
心が揺さぶられるのです。

私は、あの先生の言葉が、どうしても納得できないのです。
反発心しか湧かないのです
どうしてあの先生そんなことを言うのだろう、という疑問と、意味不明ないやらしさと、嫌悪感しか湧かないのです。

だから私は素直になれません。
あの先生の言葉を受け入れられません。

言葉を聞くだけで、心がワサワサします。
心がドキドキします。
何だか分からない、怒りのような感情が湧き上がってきます。

丹澤先生、どうしたらいいんでしょうか。
W先生を好きになることなんて、私にはできません。



こんな訴えがあった。
「人の嫌な部分を見つけたら、その三倍、十倍、いいところを見つけたらいいんだよ。」
などという黄金律は、彼女には通用しなそうだ。

「どうして反発してしまうのか、冷静になって分析してごらん。」
なんてことも、思春期まっさりの今は無理だろう。

「今は、できるだけ距離をとって、あまり関わらないようにしてみたら…。」
友達ならまだしも、授業を担当している先生ともなれば、なかなかそうもいくまい。

人の嫌な部分が目につくときは、その嫌な部分を、自分自身が持っているからであるとも言う。

そうした分析は、大人になってからのことだ。

さて、どうしたものか…。

2020年10月02日

バスガイド

海外語学研修が中止になった代わりに、国内での研修旅行を行った。
そのため、久しぶりにバスガイドさんと出会うことができた。
私は、バスガイドの話が好きである。

滅多には出掛けられない土地でのバスガイドの話は興味深い。
私の知的好奇心をくすぐり、もっといろいろな話を聞きたくなる。

一方で、生徒たちはめいめいスマホで動画などを見ているのだ。
耳にはイヤホン。
おそらくバスガイドの話などうわの空だろう。

「バスガイドが話をしているのに、皆がイヤホンなどを付けてスマホを触っていていいのですか?」
と、事前に学年主任に言ってみたが、「寝る子もいるくらいだから、いいんじゃないですか?」、と全く価値観が合わない。その上、「音楽を聴いていると酔わない子もいるらしいですよ」、と来る。

さすがもと高校の先生。
私の常識がガラガラと崩れ去る。
私は旅行中、「もう私の居場所はないのかな…」、という思いが頻繁に湧いてきた。

さすがに、「生徒に教員全員の携帯番号を公開するとか、それを学校のホームページにまで載せて保護者にも便宜を図る」という案には断固反対したが、私もそろそろ限界に近づいている…。
若い学年主任を立てなければ、と思いつつも、価値観が違いすぎて、終始、心が揺さぶられるのだ。

「眠れない生徒がいるので、ガイドを控えてください」、と若い担任が添乗員に伝えたり、私と年齢の近い先生は、「ガイドがうるさいので、少し静かにして下さい」、と言ったりする。

これには私もぶったまげた。
「いい加減にしなさい」、という気持ちと共に、怒りに近い感情が湧いてきた。

「こうした人たちと一緒に仕事をするのは難しいのかな…」、とも思う。
違和感と嫌悪感が渦巻いて、引率の疲れがどっと大きくなった。

最終日、私は、ガイドのもとを訪ね声を掛けた。
「いろいろと不愉快な思いをさせてしまって申し訳ありません。」
と、謝ろうと思ったが、
「たくさんお話して下さったので、大変勉強になりました。ありがとうございました。」
と伝えるにとどめた。

フォローになったかどうかは怪しいが、勉強になったことは事実なので、素直にその思いを伝えたまでだ。

バスガイドは大変恐縮されていたが、私は少しすっきりした。
単なる自己満足なのだろうが、自己満足でいい…。

やはり「おかしい」のは私の方なのだろうか…。

2020年05月22日

トイレに隠れたS君

中学時代から不登校だったS君も、高2になった。

運動会の集団演技が苦手で、そのプレッシャーによって、練習にも参加できずにいる。
ただ、本人としては、自分に一緒にやりたいと、全体の練習には参加はできないものの、個別で練習し、本番に備えていたのだ。

だが、いよいよ本番が近づいてきた今、フォーメーションのために、S君が全体練習に参加する必要性が出てきたのだ。

だが、S君はそのプレッシャーからトイレの個室に閉じこもってしまったのだ。
なんとしても練習に参加させたいT君とR君が、S君を迎えに来た。

トイレでT君の必死の説得が始まるも、S君は反応なし。
生徒会役員でもあり、全員で体育祭を迎えたいT君は、それで語りかけ、とうとう泣きながら話し始めた。

さすがにその様子を感じ、S君は心を動かされたようで、個室のカギを開け、ドアを少し開けた。

そのとき皆でドアを開け、S君を個室から外へ誘導したのである。
S君もR君も泣いていた。

さながらアマテラスの岩戸隠れのようにして、S君を連れ、T君とR君は応援練習に向かった。

S君は、中学校時代から長く学校を休み、ほとんど投稿できなかったこともあった。
何とか、高校に進学したももの、不登校傾向は変わってはいない。
だが、得意な合唱では、だれよりも大きな美しい声で歌う。

中学だけしか見ていなければ、「不登校」として切り捨てられてしまいそうな生徒かもしれない。
中学を卒業させ、ほっと胸を撫でおろす、そんな先生もいるに違いない、と思われる生徒である。

その意味では6年間継続して指導できるのはいい。
中学と高校で、大きく化ける生徒も多い。

今回S君を説得したT君も、中学時代は、ありとあらゆるいたずらを繰り返し、また怠惰な生活を重ね、はたまた授業も抜け出すような、いわゆる不良といわれそうな生徒であった。
それが、中3あたりからガラッと変わり、今では生徒会で学校全体を引っ張っている。

子供時代のひと時は、本当にわからないものだ。
可能性を信じて、祈り、拝み続けるしかないのかもしれない…。

運動会当日、おそらくS君は、応援合戦に入るのだろう。
はたから見ても、目立たない、全体の中の一人にしか見えないが、そこには大きな光がある。

学校行事はこんな風にして、形作られるのだろう。

だからこそ、面白い…。




2020年03月04日

学力低下

ある中3の保護者から校長宛に手紙が来た。
校長はその一部を紹介した。
言葉遣い丁寧に書かれたその手紙であったが、そこには、「三年間学校にお預けしたが、成績が上がるどころか、どんどん落ちている。今や娘は落ちこぼれ状態だ。これは、学校のシステムに何か問題があるのではないか」、というものであった。
R子の母親からの手紙である。

彼女を中1、中2と二年間担任したのは、私だ。
私は、「ただただ、申し訳ない」、という気持ちでいっぱいになった。

R子は自分の好きなことしかしない生徒であった。
中一の頃から、時間を忘れて、夜中まで好きな絵を描いていた。
そのため、遅刻の常習であり、授業中もよく寝ていた。

原則、好きなことしかしないので、当然学校の勉強をすることもなく、試験前でも好きなことをし、結局成績は不振になる。
多くの先生からも、「宿題をだしていない」、と追いかけられるも、逃げ続け、あわよくば、未提出のまま済まそうとする。

中2の時は、音楽家の父親の作曲した曲を歌い、賞も取ったが、歌うことも彼女にとっては好きなことの一つ。そういう芸術的なセンスはあるのだろう。

一方で、だらしない生活をしているR子には、母親も手を焼いていたようで、もう、どうにもならなくなったのか、学校に手紙が届いた、という訳だ。

成績の悪さを本人が気にしていないようで、実は気にしているのだが、その思いを行動に変えることができずに、この三年間を過ごしてしまった。

私には何もできなかった。
それどころか、私は、
「芸術面で、なにか特技を生かせる仕事に就ければいいんじゃないかな…。」
などと、責任逃れの言い訳をしているのだ。

父親を含めての三者面談時に、教室に現れなかったので、学校中を探し回ったら、面談を忘れて五班を食べていたR子。

彼女も、この春高校生になる。

「中学時代の勉強も分からないまま、このまま高校生になっていいのでしょうか。」
母親の手紙は、そんな風に訴えた。

学校中の皆が、R子のことを知っている。

もしかしたら、見えないふりをしているのは、母親だけなのかも知れない。

2020年02月18日

個人面談

学年の個人面談が始まった。
学年団の先生が分担して、全員の生徒を面談するのである。
年に数回やっている。

学年会で、どの生徒をどの先生が担当するかという話になったので、私は「生徒に希望をとってみたら…」、と提案した。第2、第3希望までとれば、偏りは修正できるはずだ。

そんな折、若手のK先生が、
「今の私、心が乱れてます。もう限界です。」
と言う。

どうやら生徒指導で上手くいかなかったらしい。
本人は一生懸命やっているのだが、生徒にはそれが伝わらず、逆にストレスになってしまったのだ。
別の職員がその生徒と面談し、その報告にK先生のことが書かれていたのだ。

誰もい自分のことを悪く言われると、いい気分はしない。
それどころか、心が千々に乱れる乱れることもある。

あまりにブツブツいうので、私は、
「そんな状態で、面談したら駄目だよ。」
と諭した。

生徒の抜苦与楽をする立場の教員の心が乱れていたら面談にはならないからだ。

だが、ブツブツいうだけいい。
私のように内に籠もるタイプで、自分を責めるタイプは、人知れずダメージを受け、自分自身を枯らしてしまう。
その意味ではまだ健全なのだろう。
少し休んで傷心を乗り越えれば、また復活する。

私は、淡々と面談を重ねている。
ふと、「みんな頑張ってるな…」と、老人のような思いもよぎる。
「思春期だから、いろいろ悩みも多いのだろうな…」、という思いで話を聞く。

彼らもまもなく中3。
やんちゃで手のかかった中1の頃は、私も冷ややかな目で見ていたが、今年は可愛く見えてきた。
それに、その成長もよく分かる。

そして、
「私の人生にかかわってくれて、ありがとう。」
という気持ちが湧いてくる…。

2020年02月16日

いつまでも終わりたくない時間

この春就職する卒業生が訪ねてきた。
彼らは私の教え子。
担任こそはしていなかったが、中高野球部で、中学時代は私が関わった。

土曜日の昼に来て、二日間、野球部の面倒も見てくれた。
選手たちの評判はすこぶる良かった。

何のおもてなしもできなかったが、彼らは私の隠れ家に泊まった。
今の学年団として生徒の面談をするのも、これが最後でもあるので、生徒の希望というのも面白いと思ったのだ。

今の学校に来て、卒業生と初めて酒を飲みながら語り尽くした。
彼らは、次から次へと思いを語るも、ほとんどは私の記憶が薄れていることばかりだった。
さすがに10年近く経つと、覚えていることは難しいようだ。

「13キロは走ったあとの、ノックは辛かったな…。」
(そんなことあったっけ?)
「でも、おかげで、高校野球の練習がつらくなかったんです。」
(ほうほう)
という感じで、がむしゃらだった私は、当時はとにかく、「彼らを勝たせよう」、と必死だったのだ。

ほとんど用具もなく、中高一人の顧問のもと、淋しげに練習している彼らに声をかけ、私が面倒を見ることになった。
「絶対に勝たせてやる。」
そう言って、顧問を引き受けた。

以来、単独チームのときは、必ずどこかの公式戦で勝たせている…。

彼らと語り合う時間は、実に楽しかった。
いつまでも、「この時間がいつまでも終わることなく続けばいいいい…」、とすら思った。

結局、深夜1時半頃、「そろそろ寝るべ… 」、打ち切った。
翌日も朝から練習があったし、彼らの朝食も作らねばならない。

私もいつもより遅く6時に起き、朝食の準備をしてから、愛犬の散歩に彼らを連れ出した。
昨晩は星が見えていたが、朝は、いつ雨が降り出してもおかしくない空になっていた。

「すっげ〜うまい。」
嘘でもそう言ってもらえると、何となく嬉しい。

「丹澤先生の家は、10人は泊まれますね。」
そんなたわいのない会話をしながら、朝食を楽しむ。

そして、私たちはまた練習に向かうのだった。




2020年02月09日

卒業生からの電話

スマホに卒業生からの着信があった。
正直に言うと、登録されていない着信番号は、ネットで調べることにしているので、最初は卒業生だということが分からなかった。

「ネットでは検索されないなぁ…」、と思っていたところ、今度は家の電話がかかってきた。

「今、携帯に電話したか?」
第一声がそんな風になってしまった。

野球部の教え子である。
中学野球、高校野球を経て、大学生となり、この4月からは札幌に就職するという。

久しぶりの卒業生の声は嬉しかった。
私は、ぎっくり腰が続き、元気ではないのだが、今週末に友人を連れて、隠れ家に泊まり、私に会いに来るという。

私としては、何をどう、もてなして良いのか分からないが、出来る範囲で歓迎してあげようと思う。

きっと何か、お互いの学びがあるだろう。

「野球部指導最初の年の教え子たちで、私には言いたいことがたくさんあるのだろうな…。」
と思う。
以前彼らに、高校卒業時、
「中学の時は、殺されるかと思いましたよ。」
と言われたことがある。
「その甲斐あって、高校野球を続けられた」、と続くのだが、私自身、「そこまでだったか…」、と驚いた。
その頃は私も若かった。

先日、学校に、退任された高校野球部監督の連絡先を教えて欲しい、という連絡があった。
早速、前監督に尋ねてみると。「知っている教え子だ」、ということになり、連絡先を伝えた。

聞けば、県下の野球強豪校に入ったが、人間関係で上手くいかず、結局退学。
その後、前監督の勤務校に再入学し、野球部で指導した、と言うのだ。

親子共々、前監督を人生の恩人として、尊敬しているそうだ。
その前監督が、いよいよ現役を退任するとの新聞記事を見て、いても立ってもいられなくなったとのことだ。

「野球を通して、真の教育者だった方なのだなぁ…」
と、改めて尊敬する。

私など、その足元にも及ばない。
ただただ、若いときは勢いで、そして今は、惰性でやっているだけのように思える。

卒業生と会って、私も何かしらの刺激を受けたら、明日への活力になるのかも知れない…。




2019年10月19日

試合順延

今日は錬成大会のリーグ戦当日。
新人戦が終わり、野球技術と経験の強化のために、地区で開催されている大会である。

だが、昨晩からの雨により、今日は延期になった。

今日は折しも、新人戦の県大会が行われているが、こちらは予定通り行われている。
県大会は、多少の雨ならそのまま開催される。
以前、ピッチャーが投げるボールを、一回一回交換しながら試合をしているのを見たことがある。

錬成大会の初戦は、3校リーグ。2試合、1審判だ。
自分が試合のないときは、球審を務め、生徒に塁審をさせる。
そして2試合を戦うという、なかなか過酷なスケジュールとなる。

そんな中、激しく雨が降っていれば、当然、その疲労度は高まり、審判をしたあとは、自分のチームの試合どころではなくなってしまう。

全国各地の中学校では、こんな風にミニ大会が運営されている…。

以前は、「審判は面倒だなぁ…」、という思いが強かったが、最近は、「疲れるけど、面白いなぁ…」、と思うようになった。適度な(?)緊張感と、何より一番近くで野球を見ることができるのだ。

そうは言っても、もう若くはないのだし、おかしなジャッジをしたら迷惑がかかるので、「審判か…」、と腰が重くなるのは事実だ。

できることなら誰かに頼みたいくらい、今は実質、私一人。
副顧問でもう一人若い先生がいるのだが、夏のドアキャン以降、彼には何も依頼していない。
私の心が落ち着くまでは、頼めない。
私自身が成仏するまで、今少し時間がかかりそうだ。

幸い今の時期は、酷暑の頃とは違い、比較的涼しいので、体力は若干は温存される。
だがいずれ、寒風が吹き荒れる頃になると、今度は別の意味でキツくなるはずだ。

「丹澤先生、僕たちも審判、やりますよね。」
「当然ですよ。だけど、誰ができるかなぁ。」
「やっぱり、二年生ですかね…。」
「審判していると、アップできないから、バッテリーはまずいな…。」

そんな会話をしながら、審判に備える。
生徒の審判技術も、その学校の野球部の指導技術の一つ。

その意味では、私の学校は遅れているはずだ。

四年ぶりの単独チーム。
伝統が引き継がれなかったそのツケは大きい…。

2019年10月15日

飯盒炊爨

今月末に行われる遠足では、ろくろを使った焼き物と、飯盒炊爨をするという。
遠足らしい、なかなか面白い企画である。
この企画は、学年の若手の先生たちによる。

県内の焼き物の産地に行くのも面白い。
同郷の焼き物の特徴を学び、そして自分でも作る。
作った焼き物は、後日学校に送られてくるはずだ。

手ひねりではなく、ろくろを回すのも良い。
難易度は上がるが、それも経験のうち。貴重な体験になるだろう。

以前務めていた学校の高校の修学旅行時、萩焼を作るのに、「ろくろを使わせてくれ」、と頼んだが、「高校生には無理です」、と断られたことがある。

生徒たちには、上手くいかないことを体験させるのも、いい経験になるだろう。

飯盒炊爨では、飯盒で米を炊き、カレーを作るという。
ブロックでかまどを作り、火を点け、薪で調理する。
火起こしからするわけではないだろうが、点けた火を消さずに維持し、調理に合わせて火力を調整することは、そんなに簡単な事ではない。

火の番をする生徒は、髪の毛をチリチリにしながら、責任を果たす者も出てくるだろう。
「指示された通り、教えられた通りに行えばできる」、という訳でもない。
このあたりが、経験豊かな(?)教員たちのサポートとなる。

まともなご飯が炊け、それなりのカレーを作ることができれば成功。

おいしくいただき、準備より大変な片付け作業になる。
こびりついた焦げ、炭を丁寧に取り、磨き、洗い流す。
これまた道具への感謝の気持ちを表す、貴重な機会だ。

楽しい企画を立ててくれた若手教員に感謝。

願わくば、雨が降らず、さわやかな晴天の下で、貴重な経験をさせてみたい。

人は、少しの不安なあるから成長できる。

「俺、あいつと一緒の班だから、遠足行かねぇよ…。」

そう嘯く生徒もいるが、当日になればきっと一緒に出掛け、人一倍楽しんでかえってくるに違いない。
彼は、クラスの学級委員でもあるのだ。

いろいろあって面白い。

2019年09月23日

かつての学年

私の手を離れた中3。昨今時間を守ることができなくなってきた。
朝の集まりは、それほどでもないが、その他の時間は、確信的に時間を守らない生徒が増えてきたのだ。

私は彼らの授業は担当しているから、授業でちょっと振ってみた。

「時間だけは守るという学年だったけど、半年にしてそれは消えたな…。」
そう語りかけたら笑いが起きた。
その笑いは、ある意味真実であり、ある意味自虐的であり、ある意味面白半分である。

今年度の学年主任のS先生は、集団をまとめるのが上手な先生だ。
うまく乗せて、パワーを引き出す。
一方で、悩んでいる生徒にも寄り添い、不登校生徒でも、クラスの輪に溶け込ませようとする。
個々人の可能性と創造性を発揮させ、成果を上げるのが得意な先生だ。

管理主義的な私とは、ある意味、対極にあり、そのせいか、中3はのびのび育っている。

「これでよかったんだ…。」
と、私は納得しつつ、一方で、「私の存在意義はなかったのかな…」、とも思う。

中学を卒業した生徒の中にも、
「S先生のおかげで立ち直れました。ご恩は一生忘れません。」
という生徒が何人もいる。

素晴らしい先生である。
彼の学年は、毎年こんな感じだ。
生徒の自主性を尊重し、一切の管理はせず、上手に彼らの力を引き出している。
さすが芸術家という感じだ。

以前、校内の教師塾で講師として若手先生に、得意気に、自信満々に語ったことが、今となっては恥ずかしい。

失敗を経験にして、捲土重来を期するべきなのだろう。
だが、半年経ってもまだ、私にはそのエネルギーが湧かない。

今、学年主任や担任をやれと言われても、そのパワーはないだろう。

子供たちが嫌いになったわけではない。

ただ、この世界に情熱を感じなくなってしまったら、それはこの仕事を引退すべき時だと心得ていている。

最近、若手の先生たちの頑張りを見て、ほほえましく思う一方で、「どうして私にはその力が湧いてこないのだろう」、と思う。

何とかならないものか…
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