2019年10月19日

試合順延

今日は錬成大会のリーグ戦当日。
新人戦が終わり、野球技術と経験の強化のために、地区で開催されている大会である。

だが、昨晩からの雨により、今日は延期になった。

今日は折しも、新人戦の県大会が行われているが、こちらは予定通り行われている。
県大会は、多少の雨ならそのまま開催される。
以前、ピッチャーが投げるボールを、一回一回交換しながら試合をしているのを見たことがある。

錬成大会の初戦は、3校リーグ。2試合、1審判だ。
自分が試合のないときは、球審を務め、生徒に塁審をさせる。
そして2試合を戦うという、なかなか過酷なスケジュールとなる。

そんな中、激しく雨が降っていれば、当然、その疲労度は高まり、審判をしたあとは、自分のチームの試合どころではなくなってしまう。

全国各地の中学校では、こんな風にミニ大会が運営されている…。

以前は、「審判は面倒だなぁ…」、という思いが強かったが、最近は、「疲れるけど、面白いなぁ…」、と思うようになった。適度な(?)緊張感と、何より一番近くで野球を見ることができるのだ。

そうは言っても、もう若くはないのだし、おかしなジャッジをしたら迷惑がかかるので、「審判か…」、と腰が重くなるのは事実だ。

できることなら誰かに頼みたいくらい、今は実質、私一人。
副顧問でもう一人若い先生がいるのだが、夏のドアキャン以降、彼には何も依頼していない。
私の心が落ち着くまでは、頼めない。
私自身が成仏するまで、今少し時間がかかりそうだ。

幸い今の時期は、酷暑の頃とは違い、比較的涼しいので、体力は若干は温存される。
だがいずれ、寒風が吹き荒れる頃になると、今度は別の意味でキツくなるはずだ。

「丹澤先生、僕たちも審判、やりますよね。」
「当然ですよ。だけど、誰ができるかなぁ。」
「やっぱり、二年生ですかね…。」
「審判していると、アップできないから、バッテリーはまずいな…。」

そんな会話をしながら、審判に備える。
生徒の審判技術も、その学校の野球部の指導技術の一つ。

その意味では、私の学校は遅れているはずだ。

四年ぶりの単独チーム。
伝統が引き継がれなかったそのツケは大きい…。

2019年10月15日

飯盒炊爨

今月末に行われる遠足では、ろくろを使った焼き物と、飯盒炊爨をするという。
遠足らしい、なかなか面白い企画である。
この企画は、学年の若手の先生たちによる。

県内の焼き物の産地に行くのも面白い。
同郷の焼き物の特徴を学び、そして自分でも作る。
作った焼き物は、後日学校に送られてくるはずだ。

手ひねりではなく、ろくろを回すのも良い。
難易度は上がるが、それも経験のうち。貴重な体験になるだろう。

以前務めていた学校の高校の修学旅行時、萩焼を作るのに、「ろくろを使わせてくれ」、と頼んだが、「高校生には無理です」、と断られたことがある。

生徒たちには、上手くいかないことを体験させるのも、いい経験になるだろう。

飯盒炊爨では、飯盒で米を炊き、カレーを作るという。
ブロックでかまどを作り、火を点け、薪で調理する。
火起こしからするわけではないだろうが、点けた火を消さずに維持し、調理に合わせて火力を調整することは、そんなに簡単な事ではない。

火の番をする生徒は、髪の毛をチリチリにしながら、責任を果たす者も出てくるだろう。
「指示された通り、教えられた通りに行えばできる」、という訳でもない。
このあたりが、経験豊かな(?)教員たちのサポートとなる。

まともなご飯が炊け、それなりのカレーを作ることができれば成功。

おいしくいただき、準備より大変な片付け作業になる。
こびりついた焦げ、炭を丁寧に取り、磨き、洗い流す。
これまた道具への感謝の気持ちを表す、貴重な機会だ。

楽しい企画を立ててくれた若手教員に感謝。

願わくば、雨が降らず、さわやかな晴天の下で、貴重な経験をさせてみたい。

人は、少しの不安なあるから成長できる。

「俺、あいつと一緒の班だから、遠足行かねぇよ…。」

そう嘯く生徒もいるが、当日になればきっと一緒に出掛け、人一倍楽しんでかえってくるに違いない。
彼は、クラスの学級委員でもあるのだ。

いろいろあって面白い。

2019年09月23日

かつての学年

私の手を離れた中3。昨今時間を守ることができなくなってきた。
朝の集まりは、それほどでもないが、その他の時間は、確信的に時間を守らない生徒が増えてきたのだ。

私は彼らの授業は担当しているから、授業でちょっと振ってみた。

「時間だけは守るという学年だったけど、半年にしてそれは消えたな…。」
そう語りかけたら笑いが起きた。
その笑いは、ある意味真実であり、ある意味自虐的であり、ある意味面白半分である。

今年度の学年主任のS先生は、集団をまとめるのが上手な先生だ。
うまく乗せて、パワーを引き出す。
一方で、悩んでいる生徒にも寄り添い、不登校生徒でも、クラスの輪に溶け込ませようとする。
個々人の可能性と創造性を発揮させ、成果を上げるのが得意な先生だ。

管理主義的な私とは、ある意味、対極にあり、そのせいか、中3はのびのび育っている。

「これでよかったんだ…。」
と、私は納得しつつ、一方で、「私の存在意義はなかったのかな…」、とも思う。

中学を卒業した生徒の中にも、
「S先生のおかげで立ち直れました。ご恩は一生忘れません。」
という生徒が何人もいる。

素晴らしい先生である。
彼の学年は、毎年こんな感じだ。
生徒の自主性を尊重し、一切の管理はせず、上手に彼らの力を引き出している。
さすが芸術家という感じだ。

以前、校内の教師塾で講師として若手先生に、得意気に、自信満々に語ったことが、今となっては恥ずかしい。

失敗を経験にして、捲土重来を期するべきなのだろう。
だが、半年経ってもまだ、私にはそのエネルギーが湧かない。

今、学年主任や担任をやれと言われても、そのパワーはないだろう。

子供たちが嫌いになったわけではない。

ただ、この世界に情熱を感じなくなってしまったら、それはこの仕事を引退すべき時だと心得ていている。

最近、若手の先生たちの頑張りを見て、ほほえましく思う一方で、「どうして私にはその力が湧いてこないのだろう」、と思う。

何とかならないものか…

2019年09月20日

授業の仕方

授業の仕方

高2の模試の結果分析が行われたところ、数学の落ち込みが激しいという指摘を受けた。
実際偏差値で2〜3ポイント下がっている。
8月実施の全国模試で、この時期いつも若干は下がるのだが、これほどまで落ち込んだのは、以前にはなかったのだ。

早速、数学科の教科会で健闘がなされた。
「前回と比べ、対策が足りなかったのでは?」
「行事までで浮き足立っていたのでは?」
「学習した時期が昔過ぎて、忘れて去ってるのでは?」

そもそも年々レベルは下がってはいるのだが、前回との比較なので、それは問えない。

「問題の傾向が、依然と変わっていると思うんです。」
ある先生が、そうつぶやいた

新テストに向けて、長い設問の問題が増えている。
以前のような、パターン暗記型の勉強法では、頭打ちになる。

小、中学校では『学び合い』が重視され、教師の一方的に教えるスタイルから、生徒に考えさせる授業にシフトしている。研究授業も、いかにそうした授業が展開されるかが重要視されている。

一方、私の学校は私立学校ということもあり、独自性という言い訳のもと、そうした授業スタイルはほとんど無視。少し意識している先生もいるが、大方は従来通りの授業になっている。

「やらされる側」から「自ら考える側」へシフトしなければ、真の実力アップは望めないことは事実だが、分かりきった問題を、重箱の隅をつつくかの如く、「考えさせられる」のも、ちょっと違うようにも思える。

と言う訳で、教科会での結論は出ていない。
『学び合い』シフトの話も出ていない。

結局、「対策を頑張りましょう…」、ということになった。

私は。今年高2を担当していないが、おそらく中学の模試分析でも、成績ダウンが予想されるので、同じような議論になるのだろう。

「教科として、どうするつもりですか?」
という、管理職の声が聞こえてきそうだ。

今年は、宿題として、「考えさせる問題」を課しているのだが、生徒たちはなかなか乗ってこない。
と言って、授業は従前のパターン例題の解説に近く、いずれ同じ問題が起こることは想像に難くない。

「考えさせる前に、まずは基礎計算の習得だろう…。」
という思いは、今でも変わらない。
だが、もう一つそしてさらにもう一つ工夫が必要な時代になったということは間違いない。









2019年09月12日

秋が来た

駅伝の練習が始まり、部として参加させているので、放課後の練習ができないときは、朝練を行うことにした。
練習時間短縮には逆行すると、新人戦前ということもあり、彼らの意欲と進歩を信じてのこと。

と言うわけで、最近少し遅くなっていた朝の愛犬の散歩を夏の頃の5時前に戻した。
今朝は快晴。出発時にはまだまだ星が見えた。
薄明が進み、明るくなっても、冬の大三角形が最後まで見えた。
気温も放射冷却も重なってか、15℃ほどまで下がり、心地よい気候となった。

朝練と言っても、30分程度。
今朝は道具がなかったので、キャッチボール系で終えたが、的確な指示をすると、彼らもスムーズにか動け、上達が早いことに気づいた。
授業中の技術も、長い教員生活の中で、自然に身についた部分はあるが、部活指導も同じで、やはり経験豊かな先生の指導は、的確で、進歩も早い。
野球の指導に関しては、まだまだなので、学ぶことは数多い。

今朝は、朝の会の時間に学年での散歩があった。
爽やかで、心地よい朝の散歩。
何でもないことだが、こんなことでも生徒たちは気分転換になる。
「季節を感じてくれたかな…」、と思いつつ、生徒とじゃれ合いながら歩く…。

私がHの手をつかむと、彼は私を引っ張って歩いてくれる。
力は愛犬より少ないが、なんか幸せな気持ち…。

ひと頃、荒れて心がすさんでいたHも、私には心を許す。
ふと、Iがサンダルで歩いているのに気づく。
「これは上履きだ。」
早速、一足預からせていただいた。Hは片足裸足で歩かせた。
私は、「その方が健康にいいらしいぞ…」、と笑顔で応えた。

「あれ、Mもだ。」
さっそく、片方のクロックスをいただく。
私は両手にサンダルを掲げ、颯爽と歩く。
途中、技術で一学期に植えたプランターを見たが、元気なのはサツマイモくらい…。でも、ちょっと小さめなので、大きな芋は期待できないかも…。

抜けるような秋空の下、私は生徒たちと遊ぶ…。

午後からは新人戦の監督会議があった。
ここで対戦校が決まった。
相手は、先日の練習試合で勝った相手だ。

どうやって彼らの緊張感を高め、気を引き締めさせるか…。
思案のしどころだ…。

2019年09月11日

Tの成長

久しぶりに山が見えた。
車で30分も走れば登山口。夏はなかなか見えなかったのだが、ここにきて空気がすんできたのか、よく見える季節になってきたのだ。

まだ山は緑色。肉眼では青っぽく見えるが、写真の採ると、緑色が分かる。
あとひと月もすれば、これらは赤く染まり、朱と緑のまだら模様になる。

「山は気持ちいいだろうな…。」
何故だか私は、時々山が恋しくなる。
できれば山で過ごしたいくらいなのだが、それはそれで大変なのだろう。

先日、テレビ番組『セブンルール』で、南アルプスの両股小屋のご主人が紹介されたからだろうか。
また、『情熱大陸』で、山岳医が紹介されたからだろうか。
いずれの番組も、山にそそられる者ではあったが、やはり、目の前に山が見えると、ぶらっと言ってみたくなる。

そんな天気も昼からは前線の影響で雨になった。
気団の変わり目の前線だが、温度差があるので、各所で雷が起きている。

「今日は練習できないかな…」、とも思ったが、雨はさほどでもなく、グランドも少し湿っていた程度だった。

駅伝の打ち合わせがあったため、少し出発時間を遅らせたが、中2の二人が遅れてきた。
走ってくれば20分強で来られるはずが、到着は一時間後だった。
うちキャプテンは「荷物が重くて…」、と言い訳をしながら、へらへらしている。
もう一人のTは、何も言わず、さっとポールtoポール(ライトポールとレフトポールの間を走ること)を始めた。

彼はこのところ成長成長している。
口だけ男のキャプテンとは差がつきつつある。

こうした場合、私は練習には参加させない。
何も指示しなくても、さっとサポートに回るT。
「練習に参加して良いですか?」、などと聞いてくるキャプテン。

今日は中1の生徒のSが、昨日のままのユニフォームを着ていた。
汗だくのままバッグにいれたものを着て、あたりに悪臭を放っている。

私は、「もっと、中1の面倒をみなさい」、と、中2を叱る。
生活全般としてだらしない生徒がだが、練習には欠かさず来る。
ようやく塁間近くまでボールを投げられるようなった。4月当初から見れば、ずいぶん成長している。

本当は、本人の問題なのだが、私が彼を責めれば、皆も責めるだろう。
チームの一員として、一緒になって成長していこうという思いがいる。


「君は、昨日、Sとはキャッチボールしたくないって、言ってたよな。」
と、キャプテンを追及する。

チームはまだまだだが、このとき、「Sやろうぜ!」、と声を掛けたのはTだった。

プレーはまだ下手くそだが、この先上手くなるだろう。
いっそのこと、山に連れて行ったら、化けるかな。

2019年08月08日

変わらぬ日常

久しぶりに雷雨となった。
梅雨明け以来、雨らしい雨が降っていないので、畑もカラカラ…。
日中の気温も、35℃にも及ぶ。

ここ数日、昼すぎに雷鳴が聞こえたのだが、雨が降るには到らなかったので、「そろそろ雨が欲しい…」、と思っていたところの待望の雨。

さっと涼しくなった。

夕方の愛犬の散歩時にも、汗だくにならずに済んだ。

ただ、川の水が濁っていなかったので、上流では雨は降らなかったのだろう。
日没後のように暗くなったが、ほんの局所的な雷雨だったようだ。

今日は母が東京に帰って行く日。
愛犬を家に入れたら、我が物顔で闊歩している。

気に入ったソファーを見つけると、そこに陣取り、居眠りを始めた。
そこは、私のベットのちょうど頭上にある。
「なんだそばにいたいのか…。」
と、声を掛けるも、何も反応はしない。

先日の逃走事件依頼、犬舎のご主人が言うように、確かに私によく懐くようになった。

夕方、久しぶりに学校に行く。

明日の研修で必要な書類を忘れてきたからである。

数多くの高3が勉強していた。
私の姿に気づいた気づかないのか、よくは分からない。

ただ、私が二日間、学校にいなくても、通常通りに日常は回っていく。
果たして、二日私がいなかったことを知っている生徒は、どれだけいるのだろうか…。

よく、定年退職は寂しいと言う。

その人が退職していなくなっても、少し経てば、同じように会社は回っていくからだ。

「本当に自分が世の中に役に立っているのだろうか。」
と、自問自答したくなる気持ちも分かる。

「どうだ、勉強、楽しいか?」
と、高3に声を掛けてみたが、笑って誤魔化された。

「楽しい…。」
と、自信を持って言えるほどの心境には、まだ達していないらしい。

毎日の受験勉強を、同じ高3の仲間たちとの集団の力で、何とか回しているようにも見える。
「一人じゃ、なかなか勉強できないのだろうかな…」、と思う。

仕事だって、組織があるから何とか回っていくのだろう。
自分一人で、こなしてゆくには、かなりのエネルギーが必要なのだろう。

ここ二日間の休日でそのこともとてもよく分かった。

私自身、「自分で仕事を進めることは、果たしてできるのだろうか」、も問われた感じがする。

学校の外では、何人もの先生が、走ったり、自転車をこいだりと、トレーニングにいそしんでいた。

夕日が赤く染まった。
何人の人たちが、この夕日を見て、心を癒やされているだろうか…。

ふと、そんなことを考えた。

2019年06月02日

父の四十九日

父の四十九日

「もう行かなきゃいけないのか。」
「そうだね。そろそろここにはいられないね。」
「そうか…。」
「こっちの世界より、向こうの世界の方が、自由自在だから…。」

父の四十九日法要が終わる頃、亡き父とこんな会話をした。

今回の東京行きは、「一人になって寂しかろう」と、買い始めたばかりの犬を連れて行った。
おかげで、自動車で四時間ほどかかり、なかなかの過酷な移動となった。

だが、犬の効果は絶大で、母も寂しがる暇すらなかっただろう。
私が、犬を連れて帰ってきた後が、寂しさ倍増なのかも知れないが、今度は、逆にこちらに来ていただこう。

実家への行きすがら、ある私学の付属中高前のバス停を通った。
すると、制服を着た中学生が、バス停の縁石に座っている。
恐らくは部活帰りのバス待ちだろう。
だが、彼等は全員がスマホを片手に、皆が下を向いているのだ。
「なんだか、異様な光景だな…。」
時代の流れとして分かってはいるが、なんともおかしな姿に見える。

以前も触れたが、電車に乗っても、ほとんどの人がスマホを触っている。残りは寝ており、本を読んでいる人は、車両の一人いるかどうか、だ。

そんな時代だから、当たり前の姿なのかも知れないが、やはり、世界一高いといわれる携帯電話料金の日本として、何ともやるせない。

彼等は動画を見ているか、ゲームをしているか、SNSで誰かと会話しているか、そんな風だろうが、結局は、「誰かとつながっていたい」、という思いなのだろう。

一方で、人と人との関わり方も下手になっているのだろう。
昨今の、生徒指導を見ても、人との関わりかたが、極めて不器用な中高生が多いのも、こうした影響が出ているのだろう。

便利なツールは、社会生活を豊かにするのだろうが、一方で失うものもあるのだろう。

物から心の時代へ、少しシフトした方がいいのではないだろうか。

スマホでなくても、父とつながることができている私の方が、おかしな姿に思えてしまう…。
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2018年12月26日

生徒とのつながり

高2の生徒と話をする中、
「家はどこだっけ?」
「○○です。」
「そうそう、○○の△△だ。」
「先生、僕が中1と中2のとき、担任でしたよね。」
「そうだっけ…。」
ちょっと誤魔化してみた。
確かに私が担任をした。だが、それはもう三年前だ。

齢も五十を過ぎると、「自分が、自分が…」、という思いが、いかに悪影響を及ぼすかが経験上よくわかる。

教員であっても、「私の教え子、私が教えた…」、などと言ったり、思ったりしているいいことはない。
どちらかと言えば、奉仕の精神で、良いことも悪いことも、「そんなこともあったなぁ…」、くらいがちょうどよいと思う。

だいたい教員自身が生徒を選ぶことはない。
偶然出会って、何年かすると、何年かすると卒業とともに去っていく。
中には付き合いの続く生徒もいるが、たいていは通過列車が通り過ぎるような、一時期の出会いだ。

人間、誰に対してでも親しくなれるわけではない。もちろん仲良くなる人もいるが、どうしてもそりが合わないような人だっているだろう。
申し訳ないけれど、学校だって同じだ。生徒も保護者も、同じようなことは起こる。

もちろん、ある意味サービス業なのだから、どんな生徒だって、どんな保護者だって、差別することなく関わることにはなる。我々は教育のプロだ。

そう考えると、店舗の店員や、ホテルマンとも似ている。
どんなお客さんが来ようとも、相手の気持ちを察して、いい気分で買い物したり、宿泊してもらうわけで、さすがプロの仕事と言える。

ただ、事情が違うのは、学校は毎日であり、何年も関わり合う状況が続くということだ。
時々買い物に来る客や、ごくたまに泊まりに来た客とは訳が違う。

だから、生徒や保護者の中には、学校やその教員に対して、
「トラブルが起こりませんように…。」
と、祈るような思いで、時が流れるのをじっと待っている人だっているに違いない。

逆に教員側だって、「そう思ってはいけない」、と知りつつも、
「このまま何事もなく、年度を終えてくれ…。」
と、思っている訳だ。

生徒は子供だから、多少は教育的見地から説得することはできるが、保護者は、時には何を言っても分かってもらえないことだってある。

もしかしたら、
「先生、ありがとうございました。」
という言葉や、感謝の思いだけだが、私たち教員を支えているのかも知れない。

彼とは卒業しても、つながりをもてそうだ。








2018年12月11日

合唱練習と山並み

「明日の英会話の授業は学活になったので、合唱練習ができます。パートリーダーは、練習場所を探しなさい。」

そう、昨日指示しておいたら、昨日のうちにいろいろな先生と調整をしたようで、家庭科室が使えることになった。
「責任を持たせると、生徒はできるようになるもんだなぁ。」」
と、感動。

今朝はこの冬一番の冷え込み。校舎前の芝生も真っ白に霜が降りていた。
それよりも美しかったのが、日の出直後の太陽に照らされた山並みだ。
快晴の空に、標高2000m近い雪をいただいた連峰が、朝日に輝いている。

「こんな景色を毎日見られるなんて、なんて幸せなんだろう…。」
そんな至福の時を過ごすも、その後、あれよあれよと雲が立ちこめてきて、山にも雲がかかってきた。
今夜は雪の予報。温度が低いので、降れば雪になること確実だろう。

私は雪も好きだ。
積もれば、朝の冷え込みも厳しいし、しばらくグランドが使えなくなってしまうのだが、何となく雪を見ると興奮する。

東京育ちということもあるのだろう。雪国の方には、とても申し訳ないのだが、雪を見るとわくわくする。

と言うわけで、私が一時間アドバイスをする合唱練習。

思えば、ずいぶん上達している。今週末が本番なのだから当たり前だが、もうちょっとだ。
まだ、涙が出てくるほどではないが、確実にクラスがまとまりつつある…。

隣の担任が、
「どうですか1組は?」
と尋ねるも、そろそろお茶を濁すような答え方をしなければいけなくなった。

家庭科室は彼らの歌声が響く。
廊下にも響く…。

家庭科室をぶらぶらしていたら、山並みが見えた。
天気は曇ってしまったが、まだまだ山はコントラストよく見えている。

ちょうど教室の後ろの、ちょうど洗濯機が置いてあるあたりから見る山が、とてもいい構図で見えることを発見した。
今は葉が落ちているが、桜の木が手前にある。春先になれば、桜と雪山が同時に見えそうだ。

彼らの合唱練習を聞きながら、しばし思いに馳せる。

ほのかにカビの臭いがした。

石橋楽器店


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