卒業式が近づくと、何だかもの悲しくなってくる。
今年の高3は、学位主任や担任をした訳ではないが、卒業生の中に、今や心を許せるY君がいるのだ。
Y君とは中1の頃から関係が深くなり、毎日質問に来るようになった。
そのうち、コンピュータープログラミングを教えた。
中2から不登校になったときには、毎日のように食事も作った。
中3になるときに転校。そして高校から再度入学してきたのだ。
野球部も手伝わせたし、高校生になったときにはコーチも頼んだ。
中2で学校をやめたときは突然だった。
いきなりいなくなった。
今回は卒業なのだが、さすがに少しずつながらも、毎日じわじわと悲しみと寂しさが大きくなってくる。
「もういなくなるんだろ…。」
「卒業ですよ。もう一年くらいここにいたいですけど…。」
Y君はたぶん浪人。
この先また受験勉強を続けるのだろうから、卒業後にはなかなか顔を出すことは難しいかも知れない。
少しの期間だが、彼の人生に関われたことは嬉しい。
教師という仕事は、「自分が生徒になしたことは忘れる」ことが求められる。
「いつまでも自分が、自分が…」、というのは醜い。
ふと思い出したときに、泣けてくる…。
だから卒業式は嫌いだ。
Y君が中2のとき、あまりの過酷さに担任のH先生が退職した。
「卒業したらH先生にメールくらい出せよ。」
「分かってます…。」
多くを語らずともお互いその意味を知っている…。
2021年02月19日
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