2018年11月24日

教頭の雷

生徒からの要望の中に、
「先生の講話のとき、騒いでいる生徒がいるので、静かにさせて欲しい。」
というものがあって、X先生により職員会議で紹介された。
これが、喧喧諤諤たる状況になった。

「近くに座っているのは、担任と副担任なのだから、まずはその人が注意すべきだ。」
と、A先生が発言すると、
「全員でやって欲しいのです。」
と、X先生。
すると、
「以前の学校でもあったのですが、『全員でやりましょう』というときは、結局何も進まないことになってしまうのではないでしょうか。」
と、A先生が食い下がる。
「全員でやるということは、全員でやることです。『誰かに任せよう』という気持ちが、動きを鈍くし、指導しないということになるのです。」
と、X先生。
次第に、
「生徒自信に考えさせて、の自主性に任せるべきだ。」
だの、
「まずは『しつけ』が大切。」
などと、いろいろな先生が発言し、次々と話がそれていく。
「責任者を立てるべきだ。」
と言えば、
「一人ひとりの指導の仕方が違っていい。」
だの、どんどん話がぼやけていく。
挙げ句の果てには、
「先生たちが全員で巡視するのか。」
などという声まで出る始末。

そこへ教頭が、
「目の前の生徒を救おうとするのが、教師の役割でしょう。お互いになすりつけ合ってどうするんですか。私は悲しいですよ。何ですかこの議論は。」
と、激しく叫んだ。

その後、校長が、
「第一義的には担任の仕事ですから、まずは担任が注意してください。」
などと、結局通り一遍の指示を出して、その場を納めた。

何という不毛な議論なのだろうか。
結局、見て見ぬふりする教員が多いからこういうことになっているのだ。
「誰かが注意するだろう」という姿勢があると、結局、誰も注意しないことになる。
生徒に迎合するわけはなかろうが、心の奥底では生徒から「嫌われたくない」のだ。

そういう保身の思いがよぎっているうちには、生徒を教育することなどできない。
たとえ結果が失敗したとしても、すべての責任をとるつもりで、全身全霊で、生徒に向かわなければ、その言葉に重みもないし、説得力もない。
生徒からも、口先だけの指導にしか見えないはずだ。

そういう意味では、教頭の『目の前の生徒を救う』ことは正しい。
それぞ全力でやってこそ、プロの教師だと言える。
「組織がどうの…」、などと言っている場合ではないことだって、たくさんある。

人は慣れると、墜ちていきやすい。
教師の、「常に学び、研究し続け、向上を求める姿勢」が、生徒に良い感化を与えていくのだ。

私自身も、「誰に評価されるでもない、自分の良心と信念に基づいて動いていこう」と、思っている。









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